2024.01
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杜氏の想いを引き出し、地元にファンを作る:日本酒キャピタル・田中文悟さん - 日本酒蔵M&Aスターターガイド (3-1)
日本酒蔵の事業承継に関心を持つ人のために、日本酒蔵ならではのM&Aの特徴を解説する「日本酒蔵M&Aスターターガイド」。1本目では酒蔵M&Aの概況、2本目では基礎的な情報やポイントを解説しました。
最終回では、実際に買い手としてM&Aを経験した3名の方にインタビュー。経歴や状況の異なる3名の方のお話を、3本の記事に分けてご紹介します。
本記事は、これまで16社もの酒蔵のM&Aを手がけた日本酒M&Aの先駆者である、株式会社日本酒キャピタルの田中文悟さんにお話を聞きました。
▼ほかの2名の記事はこちら
・決め手は「熱い想い」。M&Aで先祖代々のブランドを復活:「敷嶋」伊東優さん
・DXで事業再生。投資先としての酒蔵とは:くじらキャピタル・竹内真二さん
アサヒビールから酒蔵M&Aの世界へ
大学を卒業後、アサヒビールに就職した田中文悟さんは、日本酒業界に関わりを持つ同僚たちから「いま、日本酒が大変だ」ということを聞かされ、「何か手伝うことができないだろうか」と考え始めたといいます。
2008年には、友人が立ち上げた阪神酒販へ転職。そのころ、取引のあった企業の社長から、グループ事業のひとつとして抱えている酒蔵を手放すという話を耳にします。
「『それなら、我々がやりますよ』と3つの酒蔵をM&Aしたタイミングで、阪神酒販のグループ会社として田中文悟商店(現社名:SAKEアソシエイツ)を設立しました。田中文悟商店時代にM&Aをした酒蔵は12軒。2021年に独立して日本酒キャピタルを設立し、これまで4軒の酒蔵をM&Aしています」
ポリシーは「誰も辞めさせない」
酒蔵M&Aをおこなうにあたってのポリシーは、「社員は誰も辞めさせない」ということ。
「オーナーは変わりますが、杜氏のほか、社員は引き継いで一緒にリスタートするのが信条です。また、設備や在庫も、とりあえずはすべてこちらで引き継ぐようにしています」
債務が多く経営難に陥っている酒蔵を対象としているため、仲介料が発生する仲介業者は使用しないとのこと。基本的には、地方銀行や知人を経由して案件が持ち込まれるといいます。数多くの持ち込みがある中で承継の決め手となるのは、「杜氏の熱意」。
「杜氏の想いを引き出して、やりたいことをやってもらうという方針です」(田中さん)。
また、社員一人ひとりのコミュニケーションについては、大学時代に取り組んでいたアメフトでの経験が役に立っているといいます。
「野球やサッカーは運動神経が良くないとできないと思うのですが、アメフトは“自分の得意なことができるポジションにつく”という適材適所の考えなので、誰でもできるスポーツだと考えています。契約が成立する前から全社員と面談をして、その人の想いを聞き出し、『どうやったらこの人の最大限のパフォーマンスを発揮できるだろう』と考えて配置することで、新体制のスタートが切りやすくなります」
日本酒キャピタルにはデューデリジェンスのチームがあり、会計士と顧問弁護士も所属しています。
「以前の会社ではほぼ私一人で見ていたので、専門家が必ず必要であるかというとそうでもないとは思います。複雑なケースの場合は専門家に任せるのが望ましい、というくらいですね。株主が数百人にも及ぶ酒蔵などは、弁護士に不明株主への対応やスクイーズアウトの手続きなどをしてもらいます」
M&Aプロセスごとのポイント
続いて、田中さんに、第2弾で紹介したM&Aのプロセスに従って、それぞれのポイントを教えていただきました。
事前検討
「案件ソーシングは、紹介と、自分でのリサーチが半々くらい。後者の場合は、こちらが良いなと感じても譲渡金額が高いパターンなどがあるので、実際の成約まで行くのは1割ほどです」
バリュエーション
「経営難に陥っている酒蔵をメインとしているので、ほとんど値段がつかない場合も。値付けについては、DCF(ディスカウント・キャッシュフロー)法(※)を採用しています」
※将来の期待利益を、その利益実現に見込まれるリスク等を考慮した割引率で現在価値に割り引くことによって株式価値を算定する手法
デューデリジェンス(DD)
「DDをおこなっても、実際に引き継いだ後のギャップは当然あるものだというスタンスです。酒蔵の再建では、時間をかければかけるほど状況は悪くなっていってしまいます。他にやらなければならないことはたくさんあるので、深追いはしません(笑)。酒蔵に負債が多いのは当然で、健全経営は全国で100もないんじゃないでしょうか。
自分で新しい酒蔵を作ろうとすれば莫大な金額がかかるので、負債程度の金額でその蔵の歴史を含めて買えたと考えればそこまでデメリットではありません」
DDのなかでも難易度の高い部分については、ある程度割り切ったうえで、再建の着手がなるべく早期に実現できることを優先するという田中さん。そこで重要になるのが、地元金融機関との関係性だといいます。
「取引先の金融機関とも、早期にコミュニケーションを始めるようにしています。負債を引き継ぐ代わりに新しい与信枠を追加してもらうか、追加しない代わりに減損してもらうか、というような調整が必要になることも多いからです」
契約
「契約成立までの期間は一年以内を目指します。酒造期中のM&Aは避けたく、また、原料米は一年前から予約しているので、体制を入れ替えようと思うと動きやすいのは春先くらい。時期を間に合わせるために、契約を急がなければならないケースもあります。
スキームは基本的には株式取得ですが、酒造以外の事業が存在する場合など、財務状況によっては会社分割を行う場合もあります」
酒蔵と地域を再生し、ファンを増やす
M&Aで最も大変なことは何かを尋ねると、「基本的には、好き好んでやっているし、大変なのはもともとわかっていることなので、そう感じないようにしている」。その上で心を砕くのは、地域の人々に理解してもらうことだといいます。
「地元の酒蔵がM&Aされたというと、都会からハゲタカのように乗っ取りに来たと誤解されてしまうことがあります。だからこそ、スタートダッシュが重要。契約が成立した段階で、従業員や得意先の方々、地元のメディアや地域の人々を呼んで、新体制方針説明会をおこないます。
その蔵がどんな理由でM&Aに至ったのかを説明しながら、向こう5年ほどの見通しを説明すると、『なるほど、外から来た人が立て直してくれるんだ』と受け止めてもらえるからです。その結果として地元で雇用が生まれたり、農家さんからお米をたくさん買えるようになったり、入賞して街の名前が新聞に出たりすると、街のみなさんが喜んでくれます」
また、初年度は田中さん自身も造りに入ると決めているそうです。
「複数の蔵を請け負っているのでどうしても1期目だけになってしまいすが、絶対にやろうと決めていることのひとつ。酒蔵は、遠隔で操作したって絶対によくなるわけはない。一緒に汗を流すことで、従業員や近隣住民の方にも『あの人、本当に来てるんだ』と信頼してもらえるようになるんです」
アサヒビールという大手酒造メーカーでの経験を振り返り、「自分の会社を愛し、自分の商品を愛し、自分のファンを愛するというのは大切なこと」と話す田中さん。ブランディングやマーケティング、チームビルディングのすべてについて、「アサヒビールにあってここにないものは何か」を考えています。
「万人受けする酒では、数千万円の売上を数億円まで引き上げることはできない。その酒蔵ならではの取り組みや想いを理解してもらって、ファンを増やしていくという活動が絶対に大事だと考えています」
まとめ
前職も合わせて、これまで16軒もの酒蔵をプロデュースしてきた田中さん。ブランドの再構築や純米蔵への転換など、基本的なコンセプトはどこも同じだそうですが、「蔵によって自然と、味って変わるんですよ」と微笑みます。
「その蔵の空気なのか、水なのか、杜氏の力なのかわからないですけど、やっぱり変わるんです。『甘くてキレる無濾過生原酒』と指定しても、それぞれの酒蔵でそれぞれ異なる酒ができてくるので、酒造りはおもしろいなと感じます。これからも蔵は増えていく予定ですけど、たとえ同じやり方でやっても、同じような味わいにはならないんでしょうね」
「基本的には自分が酒好きで、酒が造りたくて蔵を増やしているようなもの」と田中さんは笑いますが、そのまっすぐな日本酒愛こそが、いくつもの酒蔵M&Aを実現しているのでしょう。
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