日本酒ラベル そのデザイン変遷の歴史(前編) - 「美しさ」を目指した明治~昭和

2021.10

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日本酒ラベル そのデザイン変遷の歴史(前編) - 「美しさ」を目指した明治~昭和

石田 信夫  |  日本酒を学ぶ

筆者は「酒票」と呼ばれる日本酒のラベルが持つ美しさに魅せられ、その収集を始めて40年になります。これまでに集めたラベルの数は、1万5000~2万点程度になるでしょうか。これらの所蔵品を、広島県熊野町「筆の里工房」で日本酒ラベル展「酒票の美 - 文字と意匠」に出展しています(2021年11月7日まで)。

しかし近年、地酒専門店を覗いても、ラベルにときめくことが少なくなりました。どれも似たような顔で、色も絵柄も乏しく見えてしまうのです。味のあるラベルが、その美しさを競っていたのは、明治から昭和にかけて。なぜこのような変化が起きたのでしょうか、日本酒ラベルの変遷とこれからを考えてみます。

今回は前編として、日本酒ラベル発祥からの流れを、デザインを切り口にしてたどります。そして「日本酒のラベルはなぜ美しい(美しかった)のだろう」という素朴な疑問に迫っていきます。

日本酒ラベルの起源は、酒樽に貼られた木版の刷り物

言ってしまえば、「たかがラベル」。銘柄を明示できれば、用は足りるはずです。海外のウイスキーやワイン、ビールのラベルを見ても、文字が中心で、背景の意匠にそこまで趣向を凝らした印象はありません。

それに対して日本酒のラベル、特に伝統的なラベルには美術品に近い「作品」さえあります。なぜそこまでの美しさを追求したのでしょうか? 調べた限りでは、古い時代のラベルに関しては、資料も文献もほとんど見当たりません。もちろん現物も、各種資料館に当たってみましたが、ほとんど見かけません。いかに私たちが「身近すぎる美」に無頓着だったのだろう、と思い知らされますが、ともあれそういう事情なので、これからは現物資料である私の収集品をもとに話を組み立てていくことにしましょう。

まずは、日本酒ラベルの起源についてです。それは明治の初年、裸の酒樽に貼った木版の刷り物(樽貼り)ではないか、と推定しています。なぜなら江戸時代にはこのようなラベルの例が見当たらないからです。

江戸時代、日本酒は樽で流通していました。酒銘はその本体や菰に直接型刷りしたので、紙を貼る理由がなかったのでしょう。食文化研究家の飯尾亮一さんによると、江戸時代に刊行された絵草子などをつぶさに探してみても、ラベルを貼った樽は見たことがないということでした。

爛漫の桜、咲き競う菊

明治になっていきなり、紙のラベルが現れます。酒銘を木版で刷った和紙を樽に貼りつけるのです(発祥は三重県北部とみています。収集品の7割以上が「伊勢」の蔵で、それ以外にも傍証があります。「酒票の美―文字と意匠」展の図録に詳述しています)。当初のラベルは、酒銘と醸造元を墨一色で示しただけでした。

しかし、そこからの「進化」は速かった。色枠がつき、花や富士の絵柄が現れ、色数が増えていきます。

そしてあれよあれよという間に、絢爛たる「樽貼りの世界」が広がっていきました。用いられるモチーフの王者は、やはり爛漫の桜。

ほかに、咲き競う菊や牡丹。名月には秋草がなびき、紅葉も彩りを添えます。松竹梅も定番です。

おめでたいのは鶴亀、宝珠に繭玉飾り……と、日本の吉祥意匠がそろい踏みです。

刷りの具合にもこだわりが反映されており、花びら1枚1枚にグラデーションを施したかと思えば、海原の奥行きを濃淡2枚の版で刷り重ねます。

仰々しく押された印から分かる、書や絵画への見立て

これら「絢爛期」の樽貼りには年代が確認できるものがあり、古いものは明治7年、新しいものは明治15年。つまり美麗樽貼りの時代は、少なくとも8年以上続いたとみることができます。ではなぜ、ここまで美しく進化したのでしょう。

結論からいえば、「デザイナー(当時は「絵師」、時代が下ると「画工」と呼ばれた)が全体の意匠を考える際に、書や絵画を意識していたから」と考えられます。ポイントは、樽貼りのあちこちに押された印形にあります。

まず右上と左下に押された印に注目しましょう。酒銘の肩に当たる右上には「銘酒」「天下美禄」「開明美酒」「本寒美酒」などとあり、どれも酒銘を引き立てる文句です。足元に当たる左下には、蔵元の名とともに「吟醸」「精醸」あるいは「○○醸」という印。それにしても単なるラベルにしては、少し仰々しくも思えます。

この謎を解くヒントは、筆の里公房で展示準備をしているときの、学芸員とのやりとりの中にありました。先ほど見た、肩の部分の印をどう呼べばいいか尋ねたところ「書の『冠帽印』に似ていますね」と言われたのです。

冠帽印とは、気に入った言葉や縁起のいい詞章を彫り込んだ印で、書の右上に押すことで朱色のワンポイントが全体を引き締める効果があるといいます。

冠帽印に照応するのは、対角線にある左下の落款。本人の署名につける自筆の証明です。この「冠帽印―落款」のセットは、書だけでなく文人画や浮世絵版画にも使われ、東洋美術のお約束といっていいものです。

そうか、と気付きました。絵師は樽貼りを書画の掛物(※)に見立てたのか――

(※)書画を床の間や壁などに掛けて鑑賞するもの。掛軸は掛物の一種。

酒はハレの場を彩るものであり、その容れ物にも美しさや晴れがましさ、威勢のよさが求められたはず。絵師は、樽貼りを「美術系刷り物」というジャンルに位置づけたのでしょう。

この位置付けは、おそらく無意識なものだったかもしれません。しかしジャンルが決まった時点で、樽貼りには必然的に、さらなる美しさを求める力が働き始めたと思われます。

コンセプトは今も生きている

木版の樽貼りは、明治中期には近代印刷にとって代わられます。デザインも、明治末期にはコテコテの日本調は薄れ、大正時代にはアールヌーヴォーの影響を受けます。戦前には軍国調が忍び寄るなど、時代背景による変化も見えます。しかし美しさを目指すラベルの基本方向は変わりませんでした。

実は、時代を経た現在のラベルにも、「冠帽印―落款」を見ることができます。冠帽印の部分は、印形に代わるもの(褒章を示す飾り印や、文字だけの雅詞)が座っている場合もありますが、落款はしっかりとその座を守っていることが多いです。ラベルのコンセプトは生きているといえるでしょう。

このように発展してきたラベルのデザインが洗練されて完成期を迎えるのは、昭和40年代、日本酒が最もよく飲まれていた時代のことでした。

まとめ

前編である今回は、明治時代に「樽貼り」として発祥した日本酒ラベルが、書画に見立てられ芸術性を高めていった流れをたどりました。

そこからどうしてラベルの個性が失われていったのか、今後はどうあるべきか。中編・後編で考えていきます。

連載:日本酒ラベル そのデザイン変遷の歴史
中編

後編

企画展「酒票の美」について

企画展名:「酒票の美
会場  :筆の里工房 (広島県安芸郡熊野町中溝5-17-1)
会期  :9月17日(金)〜11月7日(日)
開館時間:午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 :毎週月曜日(祝日の場合翌日)
入館料 :大人 800円 小中高生 250円 未就学児無料
図録  :B5判、40ページ。1100円。送料800円+代引手数料

お問い合わせ先
筆の里工房
〒731-4293 広島県安芸郡熊野町中溝5-17-1
TEL:082-855-3010

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