2020.05
28
日本酒の香り成分とその表現方法について深く知っておこう! - 日本酒の香りを学ぶ(吟醸香編)
人間が感じる美味しさのうち、8割は香りによるものだと言われています。日本酒の香り成分は100種類を超えると言われており、そのバランスでお酒の香りが決まってきます。なかでも吟醸香と言われる香りは最近の研究でリラックス効果が科学的に認められたものでもあるのです。
https://www.gekkeikan.co.jp/company/news/detail/135/
今回は吟醸香編と題しまして、吟醸酒でよく感じる果実のようなフルーティな香りやそれを支える香りについて、科学的な視点から解説していこうと思います。
よく精米して低温でゆっくり発酵させる、「吟醸づくり」が香りに影響する
ここでは簡単に吟醸香の核ともいえる吟醸造りについて触れたいと思います。まず、吟醸造りとは何かということを国税庁のウェブサイトに掲載されている用語解説から引用します。
吟醸造りとは、吟味して醸造することをいい、伝統的に、よりよく精米した白米を低温でゆっくり発酵させ、かすの割合を高くして、特有な芳香(吟香)を有するように醸造することをいいます。
吟醸麹なども香りに関連していると言われていますが、今回は簡単に精米歩合と温度のみを取り上げたいと思います。まずは精米です。吟醸酒の条件として精米歩合60%以下というものがありますが、米を削ると醪の成分にどのように関係してくるのでしょうか。そこで、こちらのグラフをご覧ください。
このグラフで今回注目していただきたいのは脂質の減少です。精米歩合60%まで削った米では、玄米に対して5%程度の脂質しか残っていません。この脂質の減少が吟醸香の合成に影響しています。
(※1)日本釀造協會雜誌 69巻10号「酒造米の性質とその処理(その1)」吉澤 淑, 石 川 雄章(1974)をもとに作成
次に温度です。通常の一般酒では醪の温度は8~15℃程度ですが、吟醸酒の醪は5~10℃で管理されています。このため、酵母の活動が一般酒に比べ低くなり、醪の日数が伸びます。低温で発酵することによって、酵母や酵素の働きが変化し吟醸香に影響しています。
それでは、具体的な香り成分を見ていきましょう。
有名なリンゴ様の香り、カプロン酸エチル
まずは2大吟醸香の一つ、カプロン酸エチルについて書いていきます。 リンゴのような香りの物質で、吟醸香の中でも比較的新しい香りとされていますが、現在多くの吟醸酒で感じられる香りです。ここからは、「カプロン酸エチルはどうやってできるのか?」と「なぜ吟醸造りをするのか?」に分けて少し深掘って行きたいと思います。
カプロン酸エチルはどうやってできるの?
まずは酵母がどのようにリンゴのような香りを生成しているか見ていきます。簡単に書くと、カプロン酸エチルはカプロン酸とエタノールが反応して合成されます。
カプロン酸 + エタノール → カプロン酸エチル
カプロン酸というのは脂肪の一種で、酵母の細胞内でも、脂肪は我々の体と同じように糖分をたくさん食べたとき(栄養が豊富なとき)によく合成されます。(カプロン酸自体はヤギの汗みたいな香りなんだそうです。カプロン酸のすべてが変化するわけではないので、少しお酒の中に残ることがあるそうなのですが、じつはこのカプロン酸の香りは、ウニやイクラなどの魚卵や、牛肉などに合うこともあるそうです!!)
すべての酵母は生きるために脂質を合成するのですが、このカプロン酸は一部の酵母しか出せない脂質です。一般的な酵母はカプロン酸よりも3倍くらい大きな脂肪酸しか作ることができないのですが、日本酒ファンの多くが知る、協会1801などの酵母は大きな脂肪酸だけでなく、比較的小さな脂肪酸であるカプロン酸を作ることができるのです。カプロン酸エチル高生産酵母にはこのような脂肪酸の合成の違いがあります。
もう一度先ほどの反応式に戻ってみましょう。
カプロン酸 + エタノール → カプロン酸エチル
カプロン酸エチルをたくさん合成するには左の二つの物質を多くすればいいのですが、エタノールは醪にたくさん存在しているので、カプロン酸がカギになっています。カプロン酸が増加するとカプロン酸エチルも同じように増加すると考えられています。 これを頭に入れて次に進みます。
「吟醸造り」がカプロン酸を多く作り、揮発を抑える
なぜ「吟醸造り」をするのか?その答えはズバリ、カプロン酸の量を多くするためです。
➀低温で発酵すると、脂肪酸の中のカプロン酸の割合が多くなる!
カプロン酸エチル高生産酵母は大きい脂肪酸に加えて、カプロン酸も合成する能力があるということはお話ししました。低温で発酵させると、一般酒の温度で発酵させた場合に比べ、合成される脂肪酸のうちのカプロン酸の割合が多くなります。
②低温にすることによって、揮発を抑えられる!
カプロン酸エチルは醪ではエタノールに溶けていて、揮発してしまう物質です。低温で発酵させることによって、もろみでの揮発を抑えられ、最終的にお酒に残るカプロン酸エチルの量が多くなります。
また、香り成分の多くに言えることですが、米を削り、外側の糠や脂質に由来する香りを抑えることによって、出したい香り成分を相対的に目立たせるという効果もあります。
酢酸イソアミルと、それに関連する様々な成分の香り
ここでは2大吟醸香のうちのもう一つ、酢酸イソアミルのでき方を中心に、関係のある香りについて書いていきます。
カプロン酸エチルは脂質が大事でしたが、酢酸イソアミルのカギはアミノ酸です!ではまず酢酸イソアミルがどのように合成されるかを見てみましょう。酢酸イソアミルができる経路は簡単に書くとこのようになります。
このように、酢酸イソアミルは主に➀アミノ酸を分解する経路、②アミノ酸を合成する経路の中間の物質が変化して合成されます。
詳しくは、
- アミノ酸分解経路の場合:アミノ酸が脱アミノ化によりケト酸になる
アミノ酸合成経路の場合:グルコースからできるピルビン酸が代謝され、ケト酸になる - ケト酸が脱炭酸変化によりアルデヒドになる
- アルデヒドが還元されて高級アルコールになる
- 高級アルコールの一種であるイソアミルアルコールが、アセチルCoA(酵母がエネルギーを得る段階で生成される物質)と反応し、酢酸イソアミルになる
といった流れです。
全体像がわかったところで、一つ一つの香りについて見ていきましょう。
マジックインキのようなアルコール感のある香り、イソアミルアルコール
日本酒の基調香(※2)と呼ばれ、日本酒らしいと感じる香りを下支えする成分です。利き酒において高級アルコールと言われたらイソアミルアルコールのことを指し、単体ではマジックインキのようなアルコール感のある香りといわれます。
(※2)基調香:清酒を空気中に放置したときに、残部に残る匂い。
イソアミルアルコールは上の図を参照すると、アミノ酸(ロイシン)が分解されることにより合成されます。
(ちなみにイソアミルアルコールが合成される際のアルデヒドは、イソバレルアルデヒドと呼ばれ、老香の構成成分です。生酒を常温で置いておくと酵素によってイソアミルアルコールが変化してしまうので注意しましょう。)
バナナのような香り、酢酸イソアミル
酢酸イソアミルはバナナのような香りがする成分で、先ほども述べた通りカプロン酸エチルと並ん先ほども述べた通りです。イソアミルアルコールとアセチルCoAがAATFaseという酵素によって結合し、生成されます。
イソアミルアルコール + アセチルCoA → 酢酸イソアミル
この反応で肝となるのがAATFaseという酵素です。この酵素は少し不安定な酵素であるため、安定して働いてもらうには低温発酵をさせなければいけません。また、AATFaseは不飽和脂肪酸が存在すると機能が阻害されてしまいます。不飽和脂肪酸は米の外側に多く存在している脂肪が、麹の持つ酵素により分解されることで生成されます。そのため精米して、脂肪を取り除いてあげると機能が安定し酢酸イソアミルを安定的に合成してくれます。そのための吟醸造りなのです。
また、アミノ酸は先ほどのカプロン酸と異なり、すべての酵母で同じように代謝が起こります。そのため、吟醸造りをしているお酒には、濃度の違いはあれど酢酸イソアミルを感じることができると思います。
より多く酢酸イソアミルを合成するために、イソアミルアルコールを多く合成する酵母も研究・開発されています。この酵母はロイシンを合成する酵素の一つが変化し、ロイシンを多く合成するとともに、イソアミルアルコールも多く合成できるような能力を持っているため、結果的に酢酸イソアミルの量が増加するようになっています。
「セメダイン」のような香り、酢酸エチル
ここからはこの経路と少し関係がある日本酒の香気成分について書いていきます。
まずは酢酸エチルです。酢酸エチルは、先ほど出てきたアセチルCoAとエタノールがAATFaseによって結合することにより合成されます。どちらも日本酒の醪では多く存在している物質なので、日本酒の一般的な香りと言えます。
日本酒の利き酒においては過剰だとセメダイン臭(除光液や接着剤のにおい)と形容されますが、実は熟れたバナナやメロンなどにも含まれている香り成分で、日本酒の果実香にも影響があると考えられています。
バラのような香り、フェネチルアルコール
フェネチルアルコールはイソアミルアルコールと合成の経路は同じものですが、対象になるアミノ酸が異なり、フェニルアラニンというアミノ酸が分解されることによって合成されます。
あまり聞きなじみのない香りかもしれませんが、日本酒の基調香とされていて、この香りを多く出すような酵母も研究・開発されています。気になる香りは、バラなどの甘い花のような香りで、化粧品の香料などにも使われている香り成分です。
その他の果実様の香り
マスカットやライチのような香り、4MMP
酒類総合研究所で作成されている「品質評価用語」に加えるか検討中という、日本酒では新しい香りです。マスカットやライチを連想させるような香りであり、白ワインのソーヴィニョン・ブランやクラフトビールに使われる一種のホップの特徴香になっている香りです。
日本酒ではグルテリン(消化されやすいタンパク質)の含有率が低い、低グルテリン米で仕込むと出やすいと言われており、酵母がある物質を分解することで4MMPの香りが出ると言われています。今後日本酒でも主要な香りになってくると考えられており、この成分の制御ができるようになれば香りの幅が一層広がりそうです。
今回挙げた香りの他にも青りんごの様な香りや桃の様な香りなど、様々な香りが複雑に混ざりあうことで、日本酒の果実の様な香りが生まれています。
まとめ
今回挙げた香りは清酒の100種類以上ある香気成分のうちのほんの一握りです。香りというのは複合的なものですが、いくつか主要な香りを深く知ることで、また新しいお酒の楽しみ方が増えるのではないかと考えます。お酒を飲んで香りを感じた際、このお酒はどのように醸されたのかと、科学的な面からも思いをはせてみるのはいかがでしょうか。
熟成香編はこちら
参考文献
「選んで育てて!香味豊かなオリジナル清酒酵母」 (月桂冠株式会社ウェブサイト)
「Tips for B・F・D 連載第26回 清酒のにおい・かおりとその由来(その1)」宇都宮 仁 (きた産業株式会社ウェブサイト)
生物工学会誌 89巻12号「清酒酵母の香気生成の研究」堤 浩子 (2011)
日本醸造協会誌 第88巻2号「カプロン酸エチル高生産酵母」市川 英治 (1993)
日本醸造協会誌 第84巻11号「酵母による香気生成」秋田 修 (1989)
日本醸造協会誌 第98巻3号「β-フェネチルアルコール高生産清酒酵母の分離とその生成機構」小金丸 和義、墨 利久、神田 康三、加藤 富民雄、田代 康介、久原 哲 (2003)
温故知新 第56号 (秋田今野商店)「マスカットやライチ、柑橘の香りがするお酒 : 清酒の新しい香り 4-mercapto-4-methylpentan-2-one(4MMP)」飯塚 幸子 (2019)
日本釀造協會雜誌 82 巻3号「清酒もろみの香気成分の保留」伊藤 清 (1987)
Pickup記事
2021.10.27
話題の記事
人気の記事
2020.06.10
最新の記事
2024.11.19
2024.11.12
2024.11.05
2024.10.29