
2025.07
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日本酒偉人伝 -「速醸酛の発明者」江田鎌治郎
今や日本酒造りに欠かせない存在となった「速醸酛(そくじょうもと)」。酒造りの初期段階で酵母を培養する「酒母(しゅぼ)」の工程で人工的に乳酸を添加するこの製法は、安定した品質の酒を効率よく造ることができる革新的な技術として、現代の酒造現場の約9割で採用されています。
この速醸酛を開発したのが、明治生まれの研究者・江田鎌治郎(えだ・かまじろう)。本記事では、「酒造界の革命児」とも称された彼の生涯を辿りながら、日本酒の未来を切り拓いた技術革新についてご紹介します。
※サムネイルの肖像:大正7年5月醸造試験所第14回卒業記念アルバムより(提供:嘉儀隆様)
江田鎌治郎の生涯
新潟県に生まれ、醸造研究の道へ
江田鎌治郎は1872(明治5)年、新潟県中頸城郡馬屋村(現在の上越市清里区馬屋)に風間家の次男として生まれました。
教育の道を歩み始めた彼は、新潟県尋常師範学校を卒業後、小学校教員として教壇に立ちます。糸魚川高等小学校に赴任した際には、のちに詩人・文筆家・評論家として名を成す相馬御風も教え子として在籍していました。
その後、能生町尋常高等小学校の校長に就任。江田益盛町長の長女と結婚し、江田姓を名乗ることになります。
1899(明治32)年、東京高等工業学校(現・東京科学大学)附設の工業教員養成所へと進学。応用化学を修めたのち、醸造法の研究生として研鑽を積みました。
大蔵省醸造試験所での研究生活、そして速醸酛の開発
1903(明治36)年に東京税務監督局で勤務し、翌年からは創設されたばかりの大蔵省醸造試験所に所属。ここから、鎌治郎の本格的な研究人生が始まります。
1909(明治42)年には、現代の約9割の酒蔵で使われている「速醸酛」を開発。この新しい酒母製法は、品質と生産性に悩まされていた酒蔵に大きな変革をもたらします。彼は全国の蔵元を巡り、自ら技術指導を行いました。
1916(大正5)年には勲六等瑞宝章を受章。1923(大正12)年には醸造試験所の醸造科長に就任し、1929(昭和4)年に退官するまで酒造技術の発展に尽力しました。
江田醸造研究所の設立と晩年の活動
鎌治郎はその後も、大倉恒吉商店(現在の月桂冠株式会社)、若林合名会社(現在のジャパン・フード&リカー・アライアンス株式会社)、堀野久造商店(現在のキンシ正宗株式会社)などさまざまな酒造会社で醸造顧問を務め、大阪工業大学や大阪帝国大学でも後進の育成にあたります。
1933(昭和8)年には、自らの名を冠した「江田醸造研究所」を設立。研究者としての探究心を失わぬまま、晩年まで精力的に活動を続けました。
紫綬褒章を受章した2年後の1957(昭和32)年、鎌治郎は84歳でその生涯を閉じました。
彼の功績を称えて、 日本生物工学会は「江田賞(生物工学奨励賞)」を創設。 鎌治郎の志を継ぎ、現在も様々な研究者が醸造技術の進歩を目指しています。
速醸酛はなぜ革命的だったのか - 江田鎌治郎の業績
酒造りの課題は「品質」と「生産性」
江田鎌治郎が活躍した時代、日本酒造りは手間と時間がかかる伝統的な方法で行われていました。そのため、品質の安定化や生産性の向上は大きな課題でした。
酒造り工程の中でも特に負担が大きかったのが、酒母造りです。当時の酒母は、「生酛(きもと)」 や 「山廃(やまはい)」といった伝統的な製法で造られていました。これらの方法では、 自然由来の乳酸菌の力を借りて酒母をつくるため、多くの時間と労力がかかり、雑菌の混入による腐造のリスクも高かったのです。
「品質を安定させたい」「もっと効率よく酒を造れないか」そうした現場の声に応えるべく、鎌治郎は新たな道を切り拓いていきました。
革新的な酒母「速醸酛」の登場
速醸酛とは、あらかじめ人工的に生成された乳酸を加えることで、初期段階から酸性の環境を整えて酒母を造る手法です。
この手法により、酒母が完成するまでの期間を約30日から約15日へと大幅に短縮できるようになりました。さらに速醸酛には、雑菌の繁殖を防ぎ、腐造リスクを下げられるというメリットもあります。
複雑な工程を簡略化しながらも、安定した品質の酒を大量生産できる速醸酛の技術は、まさに酒造界の革命だったといえるでしょう。
速醸酛について詳しくはこちら
現代の酒造りのスタンダードとなった速醸酛
その驚くべき効果と効率性によって、速醸酛は瞬く間に全国の酒蔵に広がりました。現在では、日本酒の約9割がこの速醸酛で造られています。
江田鎌治郎がもたらした革新は、日本酒の大量生産と安定供給を可能にし、現代の酒造りの礎を築きました。
工程の短縮と腐造リスクの低減により生産性は飛躍的に向上し、より多くの人々に日本酒を届けられるようになったのはもちろん、品質の安定化によって、味わいに信頼のおける日本酒が広く行き渡るようになったのです。
江田鎌治郎の人物像、周りからの評価
「酒聖」「酒造界の大恩人」とも呼ばれる江田鎌治郎。そのような呼ばれ方の背景には、技術的な業績だけでなく、指導者・教育者として多くの後進に影響を与えたことへの賞賛も含まれていると思われます。
応用微生物学の世界的権威である坂口謹一郎は、鎌治郎を「酒蔵界の神様」と讃え、「速醸酛は、酒造技術で第一に推される大発明」と称賛の言葉を贈りました。鎌治郎の喜寿のお祝いに自作の歌を贈ったとも伝えられています。
また、酒母造りの発明といえば「山廃」=「山卸廃止酛」も重要です。大蔵省醸造試験所長を歴任した山田正一は、江田鎌治郎の「速醸酛」と嘉儀金一郎の「山卸廃止酛」の開発が実質的な酒造製造技術の近代化の扉を開いたと語ります。
日本酒の醸造学、ひいては発酵工学の世界にも大きな影響を与えた鎌治郎の実績は、これからも歴史を超えて語り継がれてゆくでしょう。
まとめ
江田鎌治郎が開発した速醸酛は、日本酒の歴史を変えた大発明でした。手間と時間のかかる酒造りを一変させ、多くの蔵元の未来を切り拓いたその功績は、今も私たちが味わう一杯の中に息づいています。
今後も、速醸酛ほどの革新的な発明によって、日本酒の世界が広がっていくかもしれません。日本酒醸造の礎を築いた偉人たちの生涯に思いを馳せつつ味わう日本酒からは、どこか未来の香りがするような気がします。
参考文献
- 「この人をぜひ知ってほしい!江田鎌治郎」国民文化祭・にいがた2019 広報いといがわ No.174 2019年9月号
- 糸魚川市ホームページ(文化財係)「江田鎌治郎の業績」
- 上越市ホームページ「発酵文化の礎を築いた先人たち」
【シリーズ】日本酒偉人伝
「吟醸酒の父」三浦仙三郎
「山廃造りの創始者」嘉儀金一郎
「速醸酛の発明者」嘉儀金一郎
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