
100年先の日本酒を見据えて。地酒も地域と共に変化する - 福司酒造(北海道・釧路)
2025年10月なかば。飛行機から降り立った釧路はすでに肌寒く、本州よりもひと足早い次の季節の訪れを告げていました。
同じ道内の札幌から車で4時間も東にある釧路。福司酒造・製造部部長の梁瀬一真さんに、阿寒湖や摩周湖、鶴居から釧路市という走行距離200キロメートル以上のエリアを案内してもらっていると、行く先々で彼が声を掛けられる場面に遭遇します。
「昔の釧路の空は、いつも薄い雲がふわっとかかっていて、どこまでも平らだったんです。でも最近は、本州のように、積乱雲がもくもくと立ち上がるのを見るようになりましたね」
運転席からフロントガラスに映る景色を見つめながら、そうこぼす梁瀬さん。「笑えるくらい涼しい街」と言われてきた釧路で、いまどんな変化が起きているのか。そして、その変化の中で、地酒蔵である福司酒造はどんな課題と向き合っているのでしょうか。
釧路唯一の酒蔵・福司酒造

下っ端からいきなり孤立。素人集団での酒造り
福司酒造のはじまりは、北海道開拓から50年後の1919年(大正8年)。当初は、酒類、ラムネなどの清涼飲料、食品を販売する問屋業として創業しました。そんな折、取引先の大阪の酒蔵から「釧路はこんなに寒くて水もきれいなんだから、自分たちでも酒を造ったらどうか」と勧められたのがきっかけで、1922年から現在の場所で酒造りを開始します。
幼いころ、祖父母の家に預けられることが多かったという梁瀬さん。3代目蔵元にあたる祖父や現在4代目として代表を務める叔父の仕事ぶりを見ながら、小学生のころには「いつかここで働く」と考えるようになったといいます。
そして東京農業大学を卒業するころ、祖父の病気をきっかけに蔵へ戻ることを決意。「外の世界も見ていないのに、いま来ても戦力にならない」と家族からは反対されたそうですが、酒類総合研究所で半年間研修をしたのち、2006年に福司酒造へ入社します。

「最初はいちばん下っ端でした。いわゆる“追い回し”と呼ばれる雑用係ですね。そのころは学生気分が抜けていなくて、製造に口を出したり、『自分はこういうお酒を造りたい』と企画ばかり考えていて、『まずは自分の仕事をちゃんとやれ』と注意されることが多かったです。そのせいで、昔からいる蔵人たちとの関係がうまくいかなくて。
3年目くらいで、『もし将来的にリーダーの立場につくなら、チームの仲間とうまくやらなければいけない』とようやく気づいて、それからは下働きを本当に一生懸命やるようになりました。掃除でも準備でも、全部自分からやるようにしましたね」
ところが2010年、杜氏を含む従業員が辞めてしまい、製造部には梁瀬さんひとりが残されます。
「まだ追い回ししかできない状態で、ですよ」と苦笑する梁瀬さん。取り急ぎ、当時瓶詰めや配達を担当していた社員に来てもらい、二人で回しながら蔵人を募集。そこから2015年、製造メンバーは徐々に増え、5人となりました。
「僕以外は酒造りについて何も知らない状態。まさに“素人集団”でした」
一人では指導もしきれないと判断した梁瀬さんは、社長に相談し、外部から杜氏を雇うことになります。ベテラン杜氏に 酒造りを教わりながら、新人メンバーたちとのチームづくりも進め、徐々に「チーム福司」が形成されていきました。
「杜氏」は不在。福司はチームで造る

新体制から5年経ち、チームとしてようやく形になってきた2020年。コロナ禍により製造量が減少したタイミングで、外部杜氏を呼ぶことはやめ、梁瀬さんが「製造部部長」として責任者を引き継ぐかたちになりました。
あえて「杜氏」という肩書きを使わない理由として、梁瀬さんは次のように話します。
「『杜氏』って、どうしても呼び名がひとり歩きして、メディアに取り上げられるのはその人だけになってしまう。ほかのメンバーだって同じように働いているのに、スポットライトが当たるのは杜氏だけ。でも、酒造りってチームでやるものなんです。僕が部長になってからは、『全員に光が当たる蔵にしたい』と心がけています」
何度かの入れ替わりを乗り越え、現在は6人の体制となった福司。梁瀬さんが公式サイトで10年近く続けているブログ「北海道 釧路の地酒 『福司』 若僧蔵人の醸し屋日記」では、「醸し屋」こと梁瀬さんをはじめ、蔵のメンバーがニックネームで登場します。

左から、入社2年目のナノイーさん。前職は商社の営業で、自分の好きな仕事をしたいと転職してきました。福司酒造の取り組みに共感し、「自分の子どもが大きくなるときに、地域に貢献できるような会社で働いていたい」という気持ちから入社してくれたそうです。
その隣が、4代目の息子で梁瀬さんのいとこであるエースさん。梁瀬さんいわく、「陰キャの多い製造部メンバーの中では社交性が高いのが特徴」だとか。
右が、麹屋のクリストファーさん。大学卒業後に新卒で入社。もともと家具職人を目指していたこともあり器用で、蔵のメンテナンスが得意だそう。

こちらの左から酛屋のMジュン氏。前職は車のディーラーで、30代で「好きなことを仕事にしたい」と福司へ転職してきました。趣味はアウトドアで、メンバーで行く山菜採りでは隊長を務めています。
中心が分析・濾過担当のツヨシ氏。最初は出荷管理を担当していましたが、梁瀬さんが製造部で一人になったときに異動した古株。若い頃はバイカーで、蔵に赤いバイクで通勤していたとか!?
全員北海道出身で、メンバーの中には、梁瀬さんのブログを読んだのがきっかけで門戸を叩いた人も何人かいるそうです。