2019.11
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地元の文化に寄り添いつづける酒で、地域の人も社員も笑顔に - 北海道・福司酒造
地元ではどこでも買うことができて、どこでも飲むことができる。地元で愛されていて、特に地元の食材を食べながら飲むとたまらなくおいしい。でも、地元の外ではほとんど見かけない。そんなお酒が好きな方も多いのではないでしょうか。釧路で造られている福司は、まさにそんなお酒です。
北海道の中でも道東・釧路で造られているということもあり、道外にいる方は見かける機会も少ないかもしれません。それでも地元では一般的な居酒屋でも、日本酒に力を入れる専門店でも、ほとんどどこでも飲むことができますし、スーパーやお土産屋さん、酒屋さんの店頭にも必ずと言っていいほど並んでいます。
冷酒ではなめらかな甘みにスッとしたキレ。お燗すると柔らかく優しい味になる。派手さはないけれど、きちんと美味しい、という特徴をもつ福司。福司酒造の製造部部長・梁瀬一真さんに、地元で愛されるお酒であり続けるための取り組み、そして地酒とは何か、についてお話を伺いました。
創業100周年、寒冷な気候の道東ならではの酒造り
福司酒造は 創業1919年4月、今年でちょうど創業100周年を迎えました。 ところどころ改修されながらも、木と土壁を中心とした作りの蔵は当時からの面影を感じさせます。
酒造りの規模はタンク1本あたり総米1.5t程度が中心で、約50本の造りを行うということですので地酒蔵としては大きめの規模と言えます。蔵や設備の作りも、手作りを中心としながらも、ところどころ大きめの酒造りにも対応できるものになっています。
梁瀬さん「甑も大きめで、蒸しあがった米を引き上げる際には蔵人が甑の中に入り、スコップを使っています。他の蔵では、甑の外から米を引き上げるところも多いと思いますが、この大きさだと中に入る必要があるんです」
梁瀬さん「麹箱も、もともと使っていたものよりも少し大きいものを新調しました。道南の杉材を使っています。北海道の木材を使いたかったこともありますが、以前に使っていたものよりも軽くなり使い勝手もよくなり、また香りの移りも少ないため品質向上にもつながりました」
北海道のなかでも特に気温が低い道東地域での酒造りということもあり、寒い地域ならではの苦労もあるそうです。
梁瀬さん「酒母と麹に使う蒸米は二階に運んで広げ、自然放冷しています。放冷機もあるのですが、気温が低い時には冷えすぎてしまうことがあるんです。タンクの温度調整に使うジャケットも、冷やすためのものだけではなく、保温するためのものも用意して、気温や品温によって使い分けています」
取材にお伺いした10月中旬は、ちょうど今期の製造開始に向けた準備作業中。製造部は若い社員さんが多く、元気よく丁寧にあいさつしていただいたことも印象的でした。
地元の人に「知ってもらう」ため、日本酒好きを巻き込むために日々取り組む
いま釧路を訪れてみれば、福司はどこでもおいしく飲めるお酒。ところが、梁瀬さんが2005年に蔵に戻った当時は少し状況が違っていたと言います。
梁瀬さん「確かに飲める場所や買える場所は多かったのですが、地酒としては同じ道東の地酒である北の勝(根室市 碓氷勝三郎商店)の方が強かったんです。その原因を探っていみると、地元の人にも「知られていない」 ということが分かりました。地元の人と話してみても、『吟醸酒とかは作ってないんでしょ?』と言われてしまったり。
蔵に戻ってからそうしたことを経験して、まずは福司の蔵のこと、お酒のことを正しく知ってもらうことが必要だと考えてブログを始めた んです」
梁瀬さんが執筆する 福司酒造のブログは、2006年から13年以上にわたって毎日に近い頻度で更新 されており、酒造りの様子や釧路・道東の食などについて発信しています。
北海道 釧路の地酒『福司』若僧蔵人の醸し屋日記
梁瀬さん「同時に、蔵内の直売所も整備しました。それ以前にも直売は行っていたのですが、そのことを周知していなかったことや、営業時間がきちんと決まっていなかったこともあって、地元の人にも知られていなかったんです。
さらに、直売店に訪れてもらうために限定酒を造ることにしました。この限定酒を造る過程でも、ブログを使って名称を募集したり、造りの過程を細かく公開したり。ラベルデザインも、ブログで「どうしよう」という悩みを書いたところ、読者に東京在住の書家の方がいらして、その方が書いてくださったんです。」
ちょうどこの頃、釧路市内に「福司を楽しむお店 蔵人」という飲食店もオープンしました。このように情報発信に努めて、それを通じて地元の人や日本酒好きな人とのコミュニケーションを増やすことで、少しずつ釧路の地酒として浸透していったといいます。
2006年当時はブログが情報発信ツールとして注目された頃で、多くの酒蔵がブログを使いはじめていました。しかし13年以上ほぼ毎日更新、さらに読者をコミュニティ的に巻き込んだ商品開発ということまで当時から行うというのは、並大抵のことではありません。福司の販売先は、現在でも8割以上が釧路圏内。地元のお酒として愛されるためには、酒造りだけでなく日々のコミュニケーションが重要であることが分かります。
釧路の変化と、そのなかでの新しい福司
梁瀬さん「釧路はもともと漁師町で、炭鉱も稼働しており賑わっていました。ところが大学(東京農業大学)を卒業して戻ってくると、少し状況が変わっていました。漁獲量は年々減少し、炭鉱も閉鎖(※)。人口も減っていき、「衰退」ということが言われるように なっていきます。」
もともと釧路の魚に合わせた淡麗なお酒を造っていた福司ですが、こうした時代の変化をうけ、梁瀬さんも「今造っているような酒だけでよいのだろうか」と思うこともあったと言います。一方で、もともと持っている酒造りのノウハウや強みを活かすためにも、またそうはいっても根強い地元消費のニーズのためにも、簡単には酒質を変えられないという事情もありました。
そんななかでも視点を変えてみると、漁業が縮小する一方で若い世代の人が新しい事業を始める、といった動きもありました。釧路でマンゴーやパプリカを作る農家ができたり、チーズ工房がいくつもできたりといった、これまでの釧路の産業とは違う新しい動きも起こっていたのです。
※日本最後の商業炭礦であった太平洋炭礦が2002年に閉山。現在は釧路コールマインがその一部を縮小して引き継ぎ、石炭採掘と炭鉱技術の海外移転事業等を展開している。
梁瀬さん「よく考えてみると、町としての釧路の歴史は浅いんです。他の北海道の都市も同様ですが、百年程度の歴史しかない。一方で本州には千年規模の歴史を持つ町もあります。釧路のこれからということを考えると、これからも新しい文化が生まれ続けていくし、新しいものが生まれながら変わっていかないと、千年、二千年と続く文化はできない、と考えるようになりました。
地酒というのは地域の文化があってこそ成り立つもので、文化に寄り添っていくことが必要です。新たな食文化が生まれているなかでは、それに対する地酒というものも必要になります。
そうした考えから、2018年には白麹を使ったお酒『COCOROMI』、2019年には同じく白麹を使ったスパークリング清酒『太陽色のひととき』もリリースしました。白麹由来の酸味が効いたお酒はシーフード料理との相性も良く、現代の釧路の食文化に合うお酒が造れたのではないかと思っています」
新しい福司のお酒を通じて、釧路に関わってくれる人を増やしたい
梁瀬さん「従来の商品は地元で買えること、地元の人に飲んでもらえることを重視していましたが、COCOROMIなどの新しい商品は徐々に札幌や東京にも販売していきたいと考えています。
そうすることで逆輸入的に地元の人にも認知してもらうことができますし、都市圏で人気が出ればいわゆる『シビックプライド』の高まりにも繋がります。
また、福司を通じて、都市圏からも「釧路に来てみたい、釧路が好き、釧路を応援したい」という人を増やすことを目指したい とも思っています。
これまでの地域興しは定住人口の増加、あるいは観光人口の増加を目指すものでした。しかし、そもそもの人口が減少する日本では、これらは結局地域間での奪い合いにしかなりません。
これは指出一正さん(雑誌「ソトコト」編集長)という方が言っていることなのですが、これからの地域には『関係人口』といって、その地域に住んでいなくてもその地域に主体的に関わってくれる人を増やすことが重要になります。こうした人の数は、人の移動を前提としないので、地域間での奪い合いということにはなりません。
福司のお酒を通じて、釧路に関わってみたい人を増やすことに貢献できれば、と考えています。
地元向けの商品と、都市圏向けの商品で銘柄名を分ける蔵もあると思うのですが、僕たちはこういう思いで新しい商品も『福司』の名前で販売しているんです」
地域の人も社員も笑顔にする、よいお酒 福司を造りたい
梁瀬さんのお酒造り、そして販売の考えには、釧路というコミュニティが中心に据えられているように感じました。それだけでなくブログを通じた新商品開発の話なども、まさに近年大企業でも注目されているコミュニティマーケティング的な発想です。
梁瀬さん「関わる人を増やすことが重要、というのは、地域だけでなく企業も同じ だと僕は思っているんです。そのためには、外部の方が関わりたいと思うようなポイント、『関わりしろ』を作っていくことが重要です。
酒蔵は本来関わりしろを作りやすいんです。たとえば米作りを一緒にやってみましょう、なんていうのは良くありますよね。でも、釧路では寒すぎて酒米の栽培が難しい。だからこそ、日々工夫しながら関わりしろを作っていくことを意識しています。
地域も企業も、このように関わりしろを増やすことで少しずつ、毛細血管のように、関わってくれる人の輪が広がっていき、それが発展につながっていくのだと思っています。」
地域として、地酒を造る企業としてのコミュニティの発展を目指す梁瀬さん。今後の展望について伺ったところ、こう語ってくれました。
梁瀬さん「僕だけではなく社員たちにも、おいしいお酒を造るだけはなく『地酒』を造ってほしいと考えています。そのために、彼らにもそれぞれ、地域との関わりを持つ課題に取り組んでもらっています。
彼らには『北海道ナンバーワンの地酒を目指す』ということを言っています。地域との関わりも通じて楽しく仕事ができること、そして高い目標を掲げることを通じて、やりがいをもって働いてほしい。当社は若い社員が多いので、そうしたことから商品のクオリティも高くなっていくのだと考えています」
蔵の建物にも書かれている福司のキャッチコピーは「よいお酒 福司」。福、つまり幸せの一助になる、皆を笑顔にするよいお酒でありたいという願いが込められています。梁瀬さんを中心に、福司酒造ではこれからも地域の人も社員も、皆を笑顔にするよいお酒を造っていくことでしょう。
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