2021.10
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日本酒8種を50℃で1ヶ月放置してみた - 新しい熟成酒への可能性を秘めた加温熟成の実験
冷蔵設備が広く普及し、フルーティーな味わい・繊細な味わいの日本酒が人気になって久しい昨今。特にこの5年ほどは、日本酒の保管や熟成は冷蔵または氷温がふさわしい、との意見も広まってきています。
フレッシュな味わいを変えずに長期間保存しておきたいという需要は熱心な日本酒ファンの中では多く、なかには自宅でも氷温で保管できる日本酒専用冷蔵庫を保有している人もいます。「氷温熟成」と記載して発売されたり高額な商品も増えてきており、今後の熟成酒の一つの大きな流れになる可能性があります。
一方で常温で熟成させた、よく「燗酒向き」とも呼ばれるようなお酒が、これまでの熟成酒では主流でした。数年〜数十年かけて熟成された日本酒には、新酒では造りえない独特の味わいが表現されます。
ここで一つ疑問が浮かんできます。
「冷蔵でも常温でもなく、加熱しながら熟成させたらどうなるのか?」
これまで日本酒を保管する際には、高温になりやすい環境は老ね・劣化の原因となるためタブーとされてきました。近年になり実際に加温熟成の商品として一ノ蔵(宮城県)の「Madena」と高清水(秋田県)の「加温熟成解脱酒」の2つが販売されていますが、まだほとんど試されていない造り方と言えるでしょう。
保管の温度が10度上がると、変化(熟成)の速度は約2倍になると言われています。これにしたがえば加温熟成では温度次第で、冷蔵と比較して数十倍の速度で熟成を進めることができます。しかし、どのような香味になるのかは前例が少ないために未知数です。
今回は短い期間ではありますが実際に加温熟成を行い、味わいに与える影響や加温熟成の可能性を探ってみたいと思います。
実験手順と使用酒
熟成させる環境には、設定した温度を維持できる冷温庫を使用しました。淡麗なものから濃醇なものまで様々なタイプの日本酒を用意し、1ヶ月間の熟成を行いました。
熟成の温度は常温よりも高く火入れ温度よりも低い、かつ1ヶ月間で数年分の熟成が見込める温度ということから50℃に設定しました。「保管の温度が10度上がると、変化(熟成)の速度は約2倍になる」(※1)という通説をそのまま利用する場合、-5~5℃の氷温・冷蔵環境と比較して約32倍の速度、1カ月で3年弱分の変化が起きる計算です。
(※1)参考:原 昌道, 蓼沼 誠「清酒熟成問答」(日本釀造協會雜誌, 61巻2号, 1966)
なお、そもそも日本酒の熟成によって成分や味わいにどのような変化が起きるのか、については以下の記事にまとまっています。
今回の実験には以下の8種類の日本酒を使用しました。
銘柄 | Alc度数 | 精米歩合 | 日本酒度 | 酸度 |
---|---|---|---|---|
極上吉乃川 吟醸 | 15 | 55 | +7 | 1.2 |
極上吉乃川 特別純米 | 15 | 60 | +2 | 1.3 |
獺祭 純米大吟醸45 | 16 | 45 | ― | ― |
分福 純米生原酒 氷温貯蔵生原酒 | 17 | 60 | +5 | 1.5 |
分福 純米生原酒 氷温二年貯蔵 | 17.5 | 60 | +3 | 1.5 |
奥播磨 山廃純米生 強め R2BY | 19 | 55 | +2.8 | 1.6 |
白影泉 山廃純米 H28BY | 17 | 55 | +10 | 2.8 |
八海山 貴醸酒2019 | 17.5 | 60 | -36 | 2.5 |
「極上吉乃川」は淡麗な酒質が特徴のブランド。この2本では加温による影響やアルコール添加の効果などを見ていきます。
「獺祭」はフルーティーな香り、特にカプロン酸エチルという吟醸香の代表ともいわれる成分が明確に出ている日本酒です。冷蔵保管など丁寧な扱いが求められる酒質がどのような変化を起こすのかを見ていきます。
「分福」はほぼ同スペックで製造年度が違う2本を使用します。氷温貯蔵の2年間と加温熟成の1ヶ月間にどこまでの違いがあるのかを見ていきます。
「奥播磨」「白影泉」は同じ蔵元の商品ですが、「白影泉」は熟成酒用のブランドです。今回選んだ「奥播磨 山廃純米 強め」は、火入れ・熟成後に「白影泉」として販売するお酒を、新酒の無濾過生原酒として取り分けた商品です。これによって、熟成前の無濾過生原酒と火入れ後の常温熟成を疑似的に比較します。 さらに火入れと生酒の比較として、奥播磨を63℃まで湯煎することで疑似的な火入れ酒を作成しました。この2種類の加温熟成と4年間の常温熟成との違いを見ていきます。
「八海山」は貴醸酒のため糖分やアミノ酸などの成分も多く、今回の実験に使用する日本酒の中で味わいの変化が特に大きいと予想されます。甘味が強い酒質での変化の度合いなどを見ていきます。
それぞれのお酒を加温熟成した結果
ここからは、それぞれのお酒を加温熟成し、外観やテイスティングの比較を行った結果を書いていきます。
※なお、それぞれのお酒に対する評価はあくまでも加温熟成(メーカー非推奨の環境での保管)後の評価であるため、本来のお酒に対する評価とは異なる点にご注意ください。
淡麗なお酒は順当に熟成 - 「極上吉乃川」の場合
実験酒の中で最も淡麗な酒質だった極上吉乃川 吟醸。
写真では分かりにくいですがしっかりと黄色に着色がされています。香りや味わいもメイラード反応による熟成香が強く現れています。熟成香の強さは同系統(軽快な酒質)の熟成酒と比較しても、5年前後の熟成酒と遜色ない程度の変化と考えられます。
口に含んだ時に感じる味わいではなめらかさもあり、劣化と捉えられる部分は少ないけれど、熟成酒としては飲み口がさらっとしすぎる点や余韻がやや粗さを感じる点など、やや纏まりに欠ける部分は否めない状態でした。
軽快ながらも吟醸と比較するとしっかりした旨味のある極上吉乃川 特別純米。
吟醸よりも少し着色は濃く、香りや味わいもよりふくよかさの強い印象になっています。この点は熟成前の酒質の違いによるもので、熟成度合いにはほとんど差異は無いように感じられます。飲み口や余韻は吟醸と同様に荒さを感じます。
アルコール添加による影響は余韻の長さに現れていて、添加されたタイプは熟成後も後味のキレの良い味わいになっており、反対にこちらの特別純米は余韻が長めに感じられるようになっています。
フルーティなお酒はバランスが崩れやすい - 「獺祭」の場合
フルーティーな香りやなめらかな甘味が特徴の獺祭 純米大吟醸45。 着色は極上吉乃川 吟醸と同程度で、熟成香の強さもそこまで強くはありません。しかし熱に弱いとされるフルーティーな香りや甘味は加熱によって完全に崩れ、香りと味わい両方の面で苦味やアルコール感、化学製品様の香りを思わせるなど、明らかに劣化と捉えられる状態でした。
氷温熟成(2年)と加温熟成(3年相当)には大きな差 - 「分福」の場合
熟成前は青りんごの様な青々しさやドライフルーツを思わせる熟れた甘さを併せ持ったふくよかな味わいの分福 氷温貯蔵生原酒。
加温熟成後はメイラード反応由来の熟成香も強く感じながら、苦味を思わせる香りも同様に主張してきます。味わい全体も濃醇になっているものの、全体を通して苦味が覆っているため、「この苦味が無ければ恐らく美味しいと感じる」という印象でした。
この原因が熟成前に感じた青々しい香り(酢酸イソアミルなど)由来なのか、生酒の過熟(イソバレルアルデヒドなど)由来なのかは不明点でした。
氷温熟成と比較すると、完全に熟成の方向は別物であることがわかります。 氷温熟成ではメイラード反応は起きておらず、味わいに大きな変化を起こさないまま、とろみが与えられていますが、加温熟成では酒への着色や味わいへの影響など変化する部分が大きく、常温熟成の延長にあると思われます。
どっしり山廃は生/火入れで異なる結果 - 「奥播磨/白影泉」の場合
しぼりたての荒々しさに加え重厚な旨味や酸味、高いアルコール度数が特徴の奥播磨 山廃純米生原酒 強め。
着色はかなり濃く、琥珀色~茶色になる程度。熟成香もその分強く、より濃醇で重たい酒質になっています。荒々しさはかなり和らいだものの、アルコール度数の高さもあり依然として刺激は強く感じます。また、分福 氷温貯蔵生原酒の加温熟成で感じたものと近い苦味がこちらでも感じられています。
同蔵が造る熟成商品の白影泉との比較では、アルコール度数や日本酒度などの違いはありますが、加温熟成がより濃い着色を示しています。味わいの傾向はかなり近いものの、奥播磨は味わい全体の重さ・押し味が際立っていますが、白影泉はアルコール度数の違いからか比較的あっさりで酸味が際立っているように感じます。
度数がほぼ一緒の条件であれば、より近い味わいになった可能性もあるでしょう。
続いて、生原酒の加温熟成と63℃まで一度加熱を行った疑似火入れの加温熟成の比較です。 着色や味わいの変化の度合いもほぼ同様の変化でしたが、生原酒の加温熟成で感じていた纏わりつくような苦味が疑似火入れの加温熟成ではほとんど感じられず、全体的になめらかさが増していました。しかし、アルコール度数の高さに起因する刺激の強さは残っているので、火入れだけではまだ不完全ではないかとも思われます。
意外にとろりとせず少しあっさりめに熟成? - 八海山貴醸酒の場合
ハチミツやリンゴジャムを思わせる様な非常に濃厚な甘さやとろみが特徴の八海山 貴醸酒。
今回の実験の中で最も濃い色に着色がされており、カラメルやコーヒーなどを思わせる非常に濃醇な熟成香が現れています。しかしフレッシュな甘味は依然として残っており、濃い味わいながらも熟成によって現れた苦味などによってキレが生まれたためか、余韻は味わいに対しては短く、ややあっさりにも感じます。
長期熟成酒と比較して考えると、粘性や余韻という点ではやや物足りなさが否めないようにも思います。
結果を踏まえての考察 - 新しい熟成酒への可能性
以上の結果から50℃環境下で1か月間の加温熟成の特徴として以下の6点が挙げられます。
- メイラード反応の度合いは3年~5年程度の常温熟成酒と同等の濃さまで進む
- 短期の加温熟成では熟成前の酒質以上の粘性は現れない
- 含んだ味わいは濃醇になるが、余韻は短い
- 甘味の強い酒質の加温熟成は熟成感とフレッシュさを併せ持つ
- フルーティーな香り主体の酒質は加温熟成には向かない(特にカプロン酸エチル系)
- 生酒の加温熟成は劣化(生老ね)を招く
メイラード反応による、ソトロンなど熟成香の由来となる物質は1か月間で3~5年分程度進んだものの、この反応以外の熟成効果は強くは現れていないように考えられます。通常の長期熟成酒に特徴的な口当たりのなめらかさや余韻の長さは、今回の加温熟成では現れていませんでした。
この点を補完して味わいのバランスを取るためには「加温熟成+ある程度の期間の常温(冷蔵)熟成」が必要になると思われます。
味わいは濃醇だが余韻が短い、熟成感は濃いがフレッシュさもあるといった一見相反していそうな結果が現れているのは、熟成期間の短さに加え、本実験では熟成に際し小瓶に移し替えて空気との接触を可能な限り減らしたために、加温中に酸化があまり起こらなかった点にも起因していると考えられます。
タンク貯蔵のようにある程度空気との接触がされる熟成環境では違った結果になる可能性はありますが、タンクごと加温環境下におくことは現実的ではないと思われます。この点については追加の実験が求められるでしょう。
生酒の加温熟成が劣化に感じた原因としては、40℃前後で一部の酵素は失活するものの、火入れの温度に届かなかったことで酵母菌をはじめ様々な菌などの殺菌が出来ずに生老ねに繋がる物質を生み出してしまったことが考えられます。
生酒では常温熟成が可能な酒質は存在しますが、加温熟成が可能な生酒が存在するかについては追加の実験が求められると思われます。
今回の実験を通した「加温熟成」に関する私の結論は、「新しい熟成酒への可能性を秘めた工程」だと思います。
長期間かけて1つのまとまった味わいを造りだしていたこれまでの熟成酒とは違い、「濃い旨味、鮮やかな甘味、余韻の短さ」など、さまざまな相反する要素を併せ持った熟成酒を造りだせる、「香りづけのような工程」とも感じられました。実際に商品化された加温熟成酒はまだ冒頭で紹介した2例のみ。今後このような面白い商品が続々と生まれてくることが楽しみです。
参考文献
原 昌道, 蓼沼 誠「清酒熟成問答」(日本釀造協會雜誌, 61巻2号, 1966)
大葉 俊輝「清酒の熟成」(マテリアルライフ, 3巻2号, 1991)
奥村 烝司「メイラード反応とフレーバーの生成」(日本醸造協会誌, 88巻3号, 1993)
岡 智「清酒の褐変」(日本釀造協會雜誌, 63巻10号, 1968)
岡 智「清酒は生もの」(日本醸造協会誌, 88巻8号, 1993)
日本酒の香り成分とその表現方法について深く知っておこう! - 日本酒の香りを学ぶ(熟成香編)
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