なぜ、いま“日本酒学”が全国の大学で増えているのか:学問領域としての日本酒(前編)

2025.07

01

なぜ、いま“日本酒学”が全国の大学で増えているのか:学問領域としての日本酒(前編)

木村 咲貴  |  SAKE業界の新潮流

2018年ごろから、全国各地で大学が「日本酒学」を冠した学部や講義を設立する動きが出てきています。

日本酒といえば、これまでは農学や醸造学といった分野で研究されるものでしたが、日本酒学はそれらとどのように違うのでしょうか? SAKE Streetでは「学問領域としての日本酒」と題し、アカデミアの視点から横断的に日本酒を見る意義について、前後編に分けて特集します。

前編となる本記事では、全国で日本酒学を掲げている大学・機関やその取り組みを紹介しながら、日本で初めて日本酒学を立ち上げた新潟大学に詳細をインタビュー。さらに、理系・文系それぞれの学問ごとにどんなアプローチが可能になるかを考察しながら、この新しい学問の概要を見ていきます。

全国の大学に広がる日本酒学

日本酒学とは、その名のとおり、日本酒について研究する学問です。2018年に新潟大学と神戸大学が「日本酒学」というプログラムを始めたのを皮切りに、現在さまざまなかたちで全国に広がっています。

ただし、同じ名前がついていても内容がすべて同じというわけではありません。ここでは、現在「日本酒学」やそれに準じた学問を掲げている機関と、その取り組み内容を紹介します。

新潟大学

新潟大学では、新潟県酒造組合、新潟県との産官学連携のもと、2018年4月1日に「新潟大学日本酒学センター」を設立しました。そこから学部生向けに「日本酒学A」「日本酒学B」といった教養科目が登場し、2022年度には大学院にて博士前期課程、2023年度には博士後期課程が始まりました。

2025年現在、大学院にて日本酒学コースを設けているのは新潟大学のみであり、そのほか、ワイン学で有名なフランスのボルドー大学、アメリカのカリフォルニア大学デイビス校と協定を結ぶなど、国際的な学問分野の拡大にも力を入れています。

神戸大学

神戸大学は、2018年より学部生向けの教養科目「日本酒学入門」を開講しました。灘五郷酒造組合が提供するオムニバス講義で、酒造りの現場を知る講師をゲストに多角的な観点から日本酒を学べます。

広島大学

広島大学は、2022年より「東広島日本酒学」という2日間の集中講義を開講しています。講義に加え、酒蔵見学などのフィールドワークもおこなっています。

拓殖大学北海道短期大学

拓殖大学北海道短期大学では、2022年から農学ビジネス学科の選択科目として、「日本酒学」という講義を開講しています。

山形大学

山形大学は、2024年に「日本酒学(学際)」 を開講しました。山形大学だけでなく、 「大学コンソーシアムやまがた」に加盟する大学・機関に所属する人々が受講できるオンデマンド集中講義です。

帯広畜産大学×上川大雪酒造

帯広畜産大学では、2020年、北海道の上川大雪酒造の二つ目の酒蔵として、大学構内に「碧雲蔵」という酒蔵を竣工しています。これにあわせて、今年2025年より、学生が日本酒について学べる「清酒学」が開講しました。

日本酒学研究会

新潟大学における日本酒学の立ち上げにともない、2019年に、学術機関同士や個人をつなげる学会として「日本酒学研究会」が立ち上げられました。会長は日本醸造協会 常務理事(酒類総合研究所 元理事長)の後藤奈美氏が務め、酒類総合研究所や各大学、民間企業などで日本酒を研究する多彩な人々が所属しています。

同研究会では、査読付きの「日本酒学ジャーナル」をオンライン上で刊行するほか、年次大会やセミナーを通して、文系・理系分野を横断した日本酒の研究について情報発信をおこなっています。

新潟大学の考える「パッケージ型」学問が拓く未来

全国でいち早く日本酒学を立ち上げ、大学院におけるプログラムの設立や海外大学との協定など、パイオニアとしてこの新しい学問分野を開拓してきた新潟大学。同大学において日本酒学とは、醸造・発酵などの自然科学(理系)分野から、流通・販売、法律・歴史・文化などの人文社会科学(文系)にいたるまで、学際的に教育・研究する領域横断的な学問であると定義されています。

新潟県酒造組合、新潟県、新潟大学の産・官・学が連携することで日本酒学が設立されたことについて、「現代において、地方国立大学はその存在意義を常に問われています。日本酒学は、大学にできる地域資源を生かした社会貢献について考える中で、新潟ならではの取り組みとして考案されました」とその背景を説明してくれたのは、新潟大学 日本酒学センターの副センター長であり、日本酒学の発起人である岸保行先生です。

「学問分野には2種類あり、ひとつは『農学』や『経済学』のようなディシプリン型の学問です。こうした従来の学問分野には、それぞれの研究分野に蓄積されているディシプリン(原則や方法論)があり、それに基づいて研究が展開されていきます。

もうひとつは、日本学や中国学のように、対象を限定してパッケージ化する学問分野であり、日本酒学はこちらに該当します。こうしたパッケージ型の学問分野では、理系や文系を問わずさまざまな学問領域の人たちが集まり、『日本酒』というひとつのテーマを対象として、それぞれの専門のディシプリンからアプローチすることになります」

これまで、日本酒に関する研究は、農学や醸造学といった理系分野を中心におこなわれてきました。しかし、日本酒というテーマは経済学、法学、歴史学などの幅広い領域から複合的に研究することが可能であり、「そうしたものをアカデミックなパッケージとしてまとめることが、日本酒を見つめ直し、日本酒の価値を再発見する面白さにつながる」と岸先生は分析します。

「私自身は社会科学系を専門としているので、酒蔵の組織論や国際展開、また国際展開が国内の産業構造の変化にどのような影響を与えるかについて深めていきたいと考えています。輸出や現地醸造が広がる現代、海外市場における日本酒の浸透プロセスや、各国の消費者特性に合わせたマーケティング戦略については、さらに探究していくべきでしょう。

そのほか、日本酒が地域社会に与える影響や、伝統文化としての日本酒の継承と革新といったテーマは、単に売上を伸ばすという話だけでなく、日本酒という存在が社会や文化にどのような価値をもたらすのか、といった本質的な問いにつながるはずです」

現在、全国に日本酒学やそれに準ずる学問が増えていることについては、「将来的には大学間のネットワークを作り上げたい」と構想を話します。

「現在、新潟大学では、ワイン学の権威であるフランスのボルドー大学におけるISVV(ブドウ・ワイン科学研究所)やアメリカのUCデイビス(カリフォルニア大学デイビス校)と連携をしています。これは、世界中で飲まれ、研究され、教育されているワインから学べるところが大きいと考えるためです。

いずれはISVVが中心となっているブドウ・ワイン科学の発展と拡大を目的とした国際ネットワーク『OENOVITI INTERNATIONAL NETWORK』のように、国際的なコンソーシアムを構築できるのが理想です。そのためには、日本酒学を掲げるさまざまな研究組織が必要ですし、日本に限らず、海外にも『Sakeology』を設立する大学が増えていく可能性はあると思っています」

このような発展の一環として、現在、新潟大学ではワイン学をおこなう山梨大学、焼酎学を設ける鹿児島大学とともに、日本産酒類を比較・研究する取り組みも進めているそうです。

「文学と日本酒」が生み出す価値とは?──それぞれの学問から日本酒を考える

それでは、従来の学問分野においてどのように日本酒の研究が可能であり、それが私たちの身近なところでどのような実践へ結びついていくのかを考えていきましょう。

農学、醸造学──もともと日本酒と関係が強い学問分野

日本酒を学びたい人が進路に選ぶ学部・学科として、従来、中心を担ってきたのが農学や醸造学などの自然科学分野です。 農学とは、農業全般を対象とする分野であり、日本酒の原料となるお米の栽培や、その延長としての加工食品である酒類醸造をカバーする学問です。醸造学とは、日本酒などのアルコール飲料のほか、酢や醤油といった発酵食品とそのメカニズムを対象としています。

関連する学問として、酵母や麹菌などを切り口とする微生物学、食品製造の観点から掘り下げる食品科学など、区切り方はさまざまです。それぞれ重複するところも多く、日本酒がどこにどのように関わるかは大学・機関によって異なります。

経済学・経営学

酒造りは、原材料であるお米の生産、製造、流通、販売にいたるまで、多くの人々と資源を巻き込む経済活動でもあります。経済学の観点からは、酒蔵の収益環境や地域経済への波及効果、補助金政策や市場規制/緩和の影響を分析する研究が一例として考えられます。経営学の視点では、一企業としての酒蔵の経営分析や、その経済への波及効果、ブランディングなどを探究することもできるでしょう。

これらの学問を通して産業としての日本酒を読み解くことで、業界全体の経済的な課題を抽出したり、有効な経営戦略へと応用したりすることが可能になります。

法学

日本酒は、酒税法をはじめ、製造・流通・販売の各ステージでさまざまな法律に規定されています。法学の観点からこうした制度の解釈や運用の分析を通じることで、法の運営・整備および各酒蔵の運営に関する実践的な知見を導き出すことが可能です。また、海外におけるワイン法やビール法などとの比較により、日本酒にとってよりよい環境整備に示唆を与えるといった展開も考えられます。

医学・脳科学

日本酒が人体に及ぼす影響は、医学や脳科学などがカバーします。飲酒が健康に与える影響、アルコール依存症、酔いや味覚のメカニズムなどの知見は、日本酒を扱う人々が消費者へ適切な飲み方を推奨するうえで重要な根拠となります。

歴史学・文学

日本の歴史に深く関わってきた日本酒。歴史学では、日本酒の起源や製造技術の変遷、酒税制度の変化などが解読できます。こうした情報は歴史的文献に登場することが多いですが、さらに文学的な和歌や随筆などに描かれるお酒のあり方を読み解くことで、日本における酒造り・飲酒の文化を探究することができます。

社会学・地理学

「地酒」という言葉があるように、日本酒は地域と密接に結びついています。社会学の分野では、酒蔵をめぐる地域コミュニティや地方創生の研究が可能であり、ツーリズムなどの地域政策やマーケティング戦略への応用も期待されます。地理学では、酒米の生産地や水資源、気候条件などを踏まえ、「テロワール」と言われるような土地とお酒の関係性を分析できます。流通経路や消費地との関係性を探る経済地理学の視点もあります。

文化人類学・民俗学

日本や各地の生活文化と密接に結びついている日本酒。文化人類学や民俗学では、酒造りの技術伝承、儀式や行事における酒の役割のほか、そこから見える「酔い」「禁酒」といった人間の営みに内在するお酒の意味を探ることができます。

建築学・芸術学

建築学では、歴史的な酒蔵に現れるその地域や時代の特性を探究できるほか、醸造に適した空間設計などを分析し、現代の建築デザインに活かすこともできます。芸術学の分野では、ラベルや瓶、パッケージ、ロゴにいたるまで、ブランディングやマーケティングへの影響を研究したうえで、効果的なデザインの創造につなげるという意義もあります。

まとめ

日本酒学とは、農学や醸造学といった従来の分野だけでなく、経済、法、医療、文化、芸術といった多様な学問領域から「日本酒」というひとつのテーマを掘り下げる学問です。多角的な視点から問いを立て、論理的・かつ普遍的な解を導き出すことが、世界における日本酒の価値を高めるはず──そうした期待から、現在、各地でこの学問を究めようとする動きが広がっているのでしょう。

後編では、関連分野におけるさまざまな人々へのインタビューを通じて、日本酒学の発展が日本酒業界にどのようなポジティブな影響を与えうるかを考察します。

参考文献

話題の記事

人気の記事

最新の記事