2024.01
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異業種から経営難の酒蔵を承継。高級酒でなく、日本酒好きに愛される酒を目指して - 長野県・山三酒造
長野県佐久市の実業家、荻原慎司さんが、異業種である日本酒の世界に興味を持ち、休眠していた老舗酒蔵・山三酒造(長野県上田市)の事業を承継。2023年春、8年ぶりの酒造り再開にこぎつけました。
後継者難と経営不振にあえいでいた酒蔵は、課題が多い案件だったものの、杜氏経験者ではない蔵人と二人三脚で酒蔵を立て直し、新しいブランド「山三」をゼロから育て上げようとしています。
なぜ、あえて山三酒造を引き継いだのか、荻原さんの思いに迫りました。
※トップ写真:山三酒造代表取締役・荻原慎司さん
新たな事業を求めて山三酒造と出会う
荻原さんは1979年長野県佐久市の生まれ。幼い頃はプロ野球選手に憧れて野球をしていましたが、自分の限界を知り、高校を卒業後は地元の会社に就職。同級生の友達が東京で楽しい大学生生活を送っているのを見て、「自分は仕事で一旗揚げる」と固く決意し、23歳の時にパチンコ・パチスロ機の商社を起業しました。
持ち前のバイタリティとセンスにより事業は順調に拡大していきましたが、娯楽業界は自由が効かない面が多く、40歳を回ってからは、業界の先行きにも不安を感じるようになります。そんな中、「自由にモノが作れて、自由に売り先を探して頑張れるような仕事をしてみたい」という思いが荻原さんの胸の中で膨らんでいきました。
そんな思いを親しくしている実業家仲間にぶつけたところ、「それならば、酒蔵を買って、日本酒造りをしてみないか。ちょうどいい案件がある」と親友の一人が紹介してくれたのが、上田市にある山三酒造でした。
1867年創業の山三酒造は、真田一族を先祖に持つ金井家が代々蔵元を継いできており、裏紋(裏家紋)には真田の六文銭を使っていました。その縁で、1950年代半ばからお酒の銘柄に「真田六文銭」を採用。1970年代半ばから週刊誌に連載された池波正太郎の『真田太平記』のヒットもあって、上田にやってくる観光客向けに「真田六文銭」のお酒は良く売れたそうです。
杜氏はハローワーク経由で採用
しかし、1980年代半ば以降、日本酒(特に普通酒)の需要の落ち込みは著しく、山三酒造の経営も悪化。多くの地酒蔵が活路を求めた特定名称酒へのシフトに追随できずに先細りが続き、後継者難もあって、ついに2015年には事実上の休眠状態に入っていました。
荻原さんが友人と蔵を訪れた2018年頃には、すでに事業譲渡の話が複数あったようですが、不調に終わっていました。蔵は設備の老朽化が著しく、かつ建物も多くの箇所で雨漏りがしており、壁の崩落も目立っていました。そのうえ、蔵は借り入れが多く、権利関係も複雑な状況で、事業継承する案件としては非常に難しい状況にありました。
しかし、20代で事業を興した荻原さんは、「経営とはそういう面倒を乗り越えて進めるもの。むしろ、日本酒を造って売るという新しい分野にチャレンジできるまたとないチャンス」と前向き。佐久の会社は部下達に任せて、3年がかりで道筋を整え、2021年夏に山三酒造を事業継承しました。
2021年10月からは、佐久市内の酒蔵で蔵人として酒造りを徹底的に学びました。ただし、自身で酒造りを担う蔵元杜氏になるつもりはなく、伝手をたどって杜氏探しに動きます。しかし、人の紹介では思うように話が進まず、業を煮やした荻原さんはハローワークで杜氏を募集することにしました。
同業者からはその効果に疑問の声もあがりましたが、結局、全国から5人ほどアプローチがありました。その中の一人が現在の杜氏、栗原由貴さんです。栗原さんは福岡県出身。お酒には関係のない会社で働いていましたが、日本酒に興味を持ち、京都府のハクレイ酒造に入社して酒造りに携わり、ちょうど7年が経過して蔵のナンバー2を務めていました。「早く杜氏になって、思うように酒造りをしたい」との思いが強くなって、杜氏を募っている酒蔵を探していたところ、山三酒造の話をハローワークで見つけたのでした。
「20年近くの会社経営で面接は無数に経験していて、人を見る目はあるつもりです。そんな私が採用で一番大事にしているのは、その人と一緒に仕事がしたいという気持ちが湧くかどうかです。だから、いくつか日本酒に関する質問をしただけで、彼とならいい酒造りに取り組めるな、との直感がありました」
はるばる京都からやってきた栗原さんと面談をしたときのことを、荻原さんはそう振り返ります。栗原さんが不安を感じるほどの即断即決で杜氏になることが決まったのは、2022年6月のことでした。
地元産の米で地酒蔵を宣言
以後、荻原さんと栗原さんは二人で、山三酒造の目指す方向性を固めていきます。事業継承した時点で、荻原さんは建物の雨漏りや崩れた壁の修理はするものの、酒造りの設備は残っているものを使ってできる範囲で酒造りを再開しようと思っていたそうです。
しかし、山三酒造のお酒のイメージ作りが進み、目標とする酒蔵を上田市内で「信州亀齢」を造る岡崎酒造に据えることを決めると、新しい設備を相当数入れなければならないことが判明。温度管理ができる小型のサーマルタンクを次々に入れ、麹室も新設、搾って瓶詰めした酒を保管する冷蔵庫を導入するなど、「当初、考えていた初期投資の倍以上かかってしまった」(荻原さん)そうです。
その上で、地元の米と水で造った地酒を標榜するため、良質の酒米が獲れることで県内の多くの酒蔵に評価されている八重原地区(東御市、蔵から東へ8キロメートルほど)の農家が作る米で、すべての酒を醸すことにしました。
日本酒ファンに愛されるお酒を目指して
2022年末までに大方の設備の搬入が済みましたが、荻原さんの予定では、試験醸造を繰り返して納得の酒ができることを確認できるようにまで持っていき、「真田六文銭」と新たに投入する「山三」のラベルのデザインもおこなったうえで、2023年秋から酒造りを始めるつもりでした。
ところが、栗原さんは「酒造りをしたいから京都から越してきた。蔵の中の片付けと掃除ばかりで、造りがずっと先なのはたまらない。前倒しで酒造りを再開させてほしい」と強く主張。「そんな彼の熱意に負けて」(荻原さん)、2023年2月から酒造りを始めることになりました。
酒蔵で8年ぶりの搾りが行われたのは3月末でした。地元のメディアなども駆けつけたなか、槽口からほとばしりでるお酒を口にした荻原さんは、「おいしいと感じるよりも、ここまで掛かった5年間の苦労の数々がフラッシュバックして、涙が出ないようにするのに必死でした」と話します。
仕込みはタンク4本、わずか60石の造りでしたが、地元で話題になったこともあり、お酒は順調にほぼ売り切りました。そして、10月からは2造り目が始まっています。今期は100石の計画です。
「1造り目の売れ行きがよかったのは、ある種のご祝儀相場だと思っていて、今回が本当の勝負です。前回のお酒はまず合格ラインでしたが、私たちの目標は高いので、もっと努力が必要です。近年、復興蔵は例が多く、それだけを売り物にしても人気銘柄にならないことは肝に銘じています。
一時は高級なお酒を柱にしようかと思いましたが、多くの人に繰り返し飲んでもらい、気に入った方にSNSなどで発信してもらうことで、少しずつ山三酒造のブランド価値を高めていき、日本酒好きに愛される蔵にしたいと思っています」
そう気を引き締める荻原さん。新しいコンビが日本酒にどのような新風を巻き起こすのか、2年目の造りが楽しみです。
酒蔵情報
山三酒造
住所:長野県上田市御嶽堂687-1
電話番号:0268-42-2260
創業:1867年
社長:荻原慎司
製造責任者(杜氏):栗原由貴
Webサイト:https://yamasan-sake.jp/
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