「地元の文化を守る」のは誰のため? - 酒スト的地酒論(4)地域文化・コミュニティ

2020.11

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「地元の文化を守る」のは誰のため? - 酒スト的地酒論(4)地域文化・コミュニティ

二戸 浩平  |  酒スト的地酒論

伝統的な蔵づくりの建物の保護、地域の工芸品や特産物を活かすための商品開発・・・テレビや新聞などでも、各地の酒蔵によるこれらの取り組みを目にする機会は多いと思います。

伝統的な地域文化を保護、あるいは発展させるためのこうした取り組みは、好感を持って注目されます。しかし少なくとも現代においては、営利企業である酒蔵は地域文化のため(だけ)に存在するわけではありません。日本酒産業自体が需要の減少や廃業の続出といった厳しい状況にあるなか、積極的に利益をあげるための手を打たないことには、地域文化どころか酒蔵自体も存続が難しい環境が訪れています。

この前提に立ったうえで、酒蔵が地域文化に関わる意義を理解するためには、地域文化と深い関係を持って発展してきた「地酒蔵」の歴史も理解する必要があります。今回の記事では、前回の「地域経済」編でも述べた、酒蔵の持つ「地元企業」という性格を踏まえながら、酒蔵と地域文化の関わりの歴史と現在、そして将来について考察していきます。

地域の祭事やコミュニティ作りに関わる、酒蔵の成り立ち

「酒蔵」というもの、つまり商売としての酒造りは鎌倉時代に生まれ、その活動が本格化したのは室町時代以降のことでした。そしてその成り立ちそのものが、地域文化と深い関わりを持っています。

酒蔵ができる前、たとえば平安時代には「造酒司(みきのつかさ)」と呼ばれる国の機関が、朝廷の儀式で使われる酒や、役人に支給される酒を造っていました。この頃は、酒は人々が日常的に消費するというよりも、豊穣を願う祭礼で振る舞われたり、家族や共同体の結束を強める儀式において、集団で同時に消費されるものでした。

祭礼で人々が飲む酒については、現在でも新春の振る舞い酒のような文化に名残を見ることができます。また、家族や共同体の結束を強める儀式に関しては、現在でも婚礼における「三三九度」のような「盃事」などの形で続いています。こうした、地方や家庭内の祭事等で使われる酒は各家庭で造られていたほか、地元の人々が集まる中心的な家でまとめて造られているケースがありました。

昭和初期に『明治大正史』を著した民俗学者の柳田國男は、近代以前の酒造りについて次のように記しています。

正月もまた大いに酌みかわす月ではあったが、(中略)祭礼の日のように家々に用意はせずとも、普通は歳を祝われれる大家の出居において、一同が振る舞われることになっていた
柳田國男『明治大正史 世相編 新装版』(1993, 講談社学術文庫)

このような大家が、次第に商売として酒を造るようになっていきます。たとえば鎌倉時代から室町時代にかけて、都市部やその近郊で金融業を営んでいた「土倉」と呼ばれる事業者は、その多くが酒造りも行っていました。当時、米や酒は、貨幣と同様に金融商品として利付き貸付が行われていましたが、土倉はこれらの米や酒を豊富に持つ寺社から保護を受けて金融業を営んでいたのです。先に引用した柳田國男の著作にも、鎌倉〜室町の武家社会以降の酒造りについて、このことと関連する記述があります。

泉も強清水などという名を帯びて、特に酒造りに適したというものが、通例は神の社の片脇等にあって、社と縁の深い家がこれを管理していた。(中略)地方で尊敬せられる指折りの名家が、好んで酒造りというような業体に携わったのはおかしいようだが、これも最初はまた隠れたる信仰から出ていた。それが分家の流行する世になって、いよいよ本式に農以外の資本を、卸して経営する事業とはなったのである。
柳田國男『明治大正史 世相編 新装版』(1993, 講談社学術文庫)

土倉は室町時代に寺院から独立し、幕府とのつながりを強めていきます。室町幕府が衰退すると同時に土倉は廃れていきましたが、江戸時代以降にも酒造りを行っていたのは、多くは地主のような、米の大生産者が兼業する形であったとされています。(※1)

(※1)参考:坂口謹一郎「1 日本の酒 第三話 酒屋 生産から消費まで」『坂口謹一郎酒学集成 1 日本の酒文化』(1997, 岩波書店)

このように、地域コミュニティの維持や強化につながる祭礼・儀式で、皆が飲む酒を振る舞う各地方の名家が、次第に酒造りを事業としていくことになったことは、酒蔵と地域文化の深い関係を物語っています。現代でも、地域に根差した酒蔵は「蔵開き」で訪れた地域住民に酒を飲んでもらうことで住民との関係を築いていることにも、こうした伝統の影響を見ることができるかもしれません。

地域文化の成立と、文化と日本酒の関わり

先ほども述べたように、室町時代から江戸時代にかけて商売としての酒造りが本格化していきます。この時期は、各地方大名による自治の強化、さらには江戸時代以降に行われた、人の移動の厳しい制限により、現代まで残る地域文化が成立した時期とも重なっています。

食文化や工芸など、こうした各地域の文化と酒蔵との関わりについて、ここで振り返ってみましょう。

食 -移ろいやすい地域の食文化と地酒、共生の将来-

地酒と郷土食の組み合わせは、食事や旅行などの楽しみとして広く親しまれていますが、現在各地方の「伝統的な」食文化とされるものは、実は比較的新しいものも多く、新しいものでは昭和頃に生まれたものもあります。

食材に関していえば、肉食(特に牛肉食)の文化は、日本においては明治時代以降に復活したものです。殺生を禁じる仏教や、「穢れ」の概念のある神道の影響が濃い日本には従来肉食文化が乏しく、明治政府が欧米をモデルとした近代化を進める中で肉食を奨励したことで、徐々に肉食が一般化していきました。

日本人にとって最も身近な調味料といえる醤油についても、16世期後半から関西で薄口醤油の製造が開始。濃口醤油が生まれたのは17世期中頃以降に、現在の千葉県に江戸向けの醤油を造る産業が発達してからでした。

関西の薄口、関東の濃口に加えて、九州地方では甘口の醤油を製造する地場メーカーのシェアが高いことが有名です。こうした醤油の歴史は新しく、昭和前期の食糧難に際して原料不足に対応するため開発された「混合醸造醤油」などが現地の嗜好に合致した結果、いまでもこれらの醤油が愛用されている、という経緯があります。伝統的な本醸造醤油に比べて甘味や旨味の強いこれらの醤油は、砂糖の入手が比較的容易で、甘い食材や料理、そして鮮度の高い魚介類が好まれやすい九州の食文化に合致していたのです。

九州地方でも日本酒の消費量が多い北部(福岡県・大分県・佐賀県・長崎県)は、造られる日本酒も全国に比べて甘めな傾向がある(※2)ことは、食文化と酒の嗜好の共通性を感じさせます。

(※2)参考:国税庁「全国市販酒類調査 平成30年度調査分」

このように見ると、「地域の伝統的な食文化」とされるものは固定的なものではなく、むしろ移ろいやすいものであると言うこともできます。地域の食と酒との関わりも、その時代に応じて変わってきました。後で詳しく見るように、酒蔵が新しい食文化とも積極的に関わることで、伝統を踏まえた新しい地域の食文化を発展させることが可能なのかもしれません。

工芸(酒器など) - 伝統文化の連携による、新しい価値の創造 -

各地の工芸品もまた、日本酒と関わりの深い地域文化です。酒器は、そのなかでも代表的なものと言えるでしょう。現代では徳利や猪口といった日本酒専用の酒器は、陶磁器製のものが中心になっていますが、これは18世期後半以降に発展したもので、それ以前の酒器は木製や金属製のものが中心だったようです。

この「酒器の素材イノベーション」には実は、酒蔵や酒屋の活動が深く関わっています。 18世紀以降、灘をはじめとする上方の一大消費地で大量に酒が生産されるようになりました。さらに、江戸近郊で製造された「地廻り酒」が安価に出回るようになったことで、庶民に日常的な飲酒の文化が浸透します。そのとき、酒屋が所有し、購入者に貸与される 陶器製の「通い徳利」が小口販売用の容器として活躍 しました。

さらに、同時期に湯煎による燗酒の習慣が流行したことや、ブランド確立を狙う酒屋・酒蔵がノベルティグッズとして磁器製の盃を配布したことで、陶磁器製の酒器は急速に普及しました。このように、酒の製造・流通業者による販促活動や、飲酒文化の変化が、周辺の工芸文化の発展に寄与することもあります。

現代でも、陶磁器の名産地である茨城県笠間市、愛知県常滑市、三重県伊賀町、佐賀県有田町では、地元産の日本酒を地元産の盃に注いで乾杯することを定めた「乾杯条例」を制定しています。こうした取り組みは、地域の住民や、より広い範囲の連携を促すことで、地域の伝統工芸と日本酒を共に盛り上げる効果を持つ可能性があります。

酒器だけでなく、ラベルやボトルといった製品デザインにおいても、酒蔵と地域の工芸が関わる例は多くあります。たとえば、愛知県の山盛酒造は、蔵のある地域の伝統染物「有松絞り」で染められた和紙を、商品のラベルに活用しています。染めを行っているのも、「伝統を受け継ぎつつ、モダンでポップな日常品としての染物を作る」若手工芸家ユニット「まり木綿」であり、若手蔵元とのコラボレーションで伝統文化の新しい解釈を継承していく試みといえます。

風土 - 変わらぬ伝統が造り手の意思を規定する -

地域特有の風土もまた、日本酒の地域性と関係を持っています。その中でも身近なものは、地域の景観を代表する山・川などの名前が銘柄名に採用されることでしょう。「八海山」(八海酒造・新潟県)、「立山」(立山酒造・富山県)、「手取川」(吉田酒造店・石川県)など多くの例があります。

このような地域の景観は、銘柄名になるだけでなく、銘柄名に表れることで酒質を規定する効果もあります。たとえば、「手取川」を醸す吉田酒造店のホームページには以下のような記載があります。

地元の酒米と手取川の伏流水を使い、この清澄な気候の下、寒仕込みで醸した酒こそ、手取川では、ないでしょうか。

ほかにも「谷川岳」の永井酒造(群馬県)のホームページにも、銘柄名と酒質の関わりが次のように書かれています。

このお酒は、雄大な谷川岳の大自然を素直に表現し、きりっとした辛口の中にも、柔らかな仕込水の優しい甘さが引き立つ、「毎日飲んでも飽きのこないお酒」をイメージして醸し上げました。

銘柄名は味わいだけでなく、流通面など酒蔵の経営方針をも規定する場合があります。たとえば筆者は、地域を代表する山岳名を銘柄とした酒蔵の蔵元から「この山の見える範囲にしか、酒は卸さない」という言葉を聞いたことがあります。「名は体を表す」という言葉がありますが、変わらない自然物の名を負うことで、地域の景観と調和した酒造りの意思を表明し、それが代々の蔵元に継承されること。それが、景観が酒の地域性に与える影響なのかもしれません。

気候もまた、地域の特性が日本酒の特徴に反映される要素の一つです。「寒仕込み」といった言葉や、低温発酵を前提とする「吟醸づくり」にみられるように、日本酒造りにおいて発酵を適切にコントロールするためには、ある程度冬季に寒冷な気候であることが有利に働きます。(※3)

(※3)参考:松崎晴雄『日本酒のテキスト(2) 産地の特徴と造り手たち』(同友館, 2003)

こうした気候の地域性を積極的に活用する例として、「花巴」の美吉野醸造は、次に引用するように奈良・吉野の多湿な環境を活かし、あえて酒質に反映しようと試みています。

当蔵元では、創業より上質な酸の出る蔵でした。奈良・吉野がある紀伊半島は山深いその立地ゆえに昔から保存文化が根付いている地域です。漬物や味噌・醤油のように塩漬けを行わないと腐ってしまうぐらい、自然と発酵が進む多湿な山林地帯です。その吉野の発酵・保存食文化と共にある酒造りとは何かを考えてゆくこと、発酵による酸を抑制する酒造りではなく、酸を解放する酒造りにたどり着きました。

現代では発酵の温度管理設備を備えた蔵で「四季醸造」が行われていることに見られるように、気候を酒質に反映しないようにすることも可能です。しかし景観と同様に造り手の意思によって、地域の気候を酒質に反映することもまた可能になっている、と言えます。

酒造技術 -地域ごとの伝統とその革新 -

地域文化の要素として最後に触れておきたいのが「酒造技術」です。長い歴史を持つ日本の米作り・酒造りは、地域ごとに異なる発展を遂げてきました。

たとえば、江戸時代の酒造技術書にも「酒造りの根源」と記される奈良県では、1995年に県内15の酒蔵と、奈良県工業技術センターなどが連携し、室町時代に高い評価を得ていた「菩提酛」を現代に復活させるプロジェクトがスタート。1997年には菩提酛のルーツである菩提山正暦寺において、菩提酛の酒造りを復活させることに成功しました。最近では各地で菩提酛・水酛づくりの日本酒が増えていますが、その根底には「地元の伝統」を現代に伝えようとする奈良県の酒蔵の努力があったのです。

この菩提酛復活プロジェクトにも参加しており、人気の銘柄「風の森」を醸す油長酒造の蔵元・山本長兵衛さんもSAKE Streetの記事において「奈良の歴史と技術力をクローズアップしたい。そしてその酒造りを通じていかに奈良をクローズアップできるか」と語り、古くから高い技術力を持っていた奈良の酒造りの伝統を受け継ぎ、現代においても技術の探究・進化を目指していることを強調しています。

奈良県ほど古い歴史ではなくとも、その土地の酒造に関わる歴史、特に著名な酒造家の存在が地域の酒に影響を与えることもあります。たとえば「酒は純米、燗ならなお良し」の名言で知られる上原 浩氏が1950年から約40年間にわたり技術指導を行っていた鳥取県。上原氏は著書で「本物の旨味と味を楽しめる日本酒」について次のように記しています。

新酒のときには荒々しく渋かった味が土用を越してまろやかになり、酒の懐に潜んでいた香りも浮かび、「秋上がり」のときを迎える。春先、小僧のような邪気の強い日本酒が、夏の暑さに鍛えられ、落ち着きとまるみを増した「秋上がり」の酒に変身する。もちろん力を増した日本酒は、燗上がりに耐え、しっかりした味となる。これからの日本酒を語るとき、このような力強い酒が欠かせないのだ。もちろん、それは「純米酒」だ。
上原 浩『純米酒 巧みの技と伝統』(角川ソフィア文庫, 2015)

鳥取県の日本酒に多い、力強く、熟成映えし、燗上がりのする酒質と、上記の上原氏の言葉に共通点を感じる方も多いのではないでしょうか。上原氏は純米酒の普及に力を入れて来たことでも知られていますが、鳥取県は製造される酒の3分の2以上が純米系と高い割合になっている(※4)点にも、氏の影響を見ることができます。

(※4)出典:国税庁「清酒の製造状況等について 平成30酒造年度分」

また静岡県の日本酒は、美しい吟醸香と、柔らかくも食事と相性の良いキレを持つ味わいに特徴があります。これには「静岡酵母」としても知られるHD-1酵母を開発し、静岡県の吟醸酒の地位向上に大きく貢献した河村 傳兵衛氏の影響が感じられます。

古い蔵元で、長いことかかってスクリーニングされてきた酵母からは、バランスのよい香りときれいで丸い感じの味をそなえた、日本の料理に合う酒ができるんです。そこから生まれた「HD-1」も同じです。日本酒は食中酒だから、食事をしながら呑めないとお話にならないでしょう。
佐藤洋一郎「インタビュー 酒は生きものです ーー「静岡酵母」開発者・河村傳兵衛氏に聞く」『HUMAN vol.05 酒と日本文化』(2013)

河村氏が静岡県の吟醸酒の特長を考えるにあたり、軟水の多い静岡県の水質や、清水や焼津といった漁港が多く、新鮮な魚介が味わえる食文化との相性も考慮に入れていた点も、氏の指導が今でも県内に息づいている要因なのかもしれません。

いずれも2000年以降まで存命だった両氏の指導を「文化」や「伝統」と呼ぶことに抵抗がある方もいるかもしれません。しかし両氏ともに現場で技術指導を行っていたのは昭和後半〜平成前半のことであり、その結果が令和の現代、若い造り手にも受け継がれているのも事実です。これらの例のように、現代の酒造技術の革新自体が、酒に地域性をもたらす新たな伝統となるのかもしれません。

変わりゆく地域文化と酒蔵の関わり

これまで伝統文化と酒蔵そして日本酒がどのように関わってきたのかについて、見てきました。ここからは、こうした取り組みが将来どのように発展しうるのか、未来を想像できるような事例を3つ、ご紹介してみましょう。

食文化の変化とその対応 -福司酒造の事例-

先ほど地域の伝統食と、地酒の関わりについて事例をご紹介しました。そこでも述べた通り、食文化は移ろいやすいものであり、現代でも変化を続けています。代表的な例は、洋食を中心とした海外の食文化の流入と定着でしょう。こうした食文化は、地元産のフルーツやヨーグルトを使った日本酒リキュールや、酒粕を使用したケーキ等の洋菓子のような形で、すでにいくつもの酒蔵で地酒との関わりが起こっています。

SAKE Streetで過去に掲載した記事で、釧路にある福司酒造の製造部長・梁瀬一真さんはこのことを次のように語っています

釧路のこれからということを考えると、これからも新しい文化が生まれ続けていくし、新しいものが生まれながら変わっていかないと、千年、二千年と続く文化はできない、と考えるようになりました。
地酒というのは地域の文化があってこそ成り立つもので、文化に寄り添っていくことが必要です。新たな食文化が生まれているなかでは、それに対する地酒というものも必要になります。

福司酒造は、チーズやマンゴーを生産する新興の地域企業に注目し、白麹づくりの日本酒「COCOROMI」を開発しました。特に酒との関わりが深い文化である食に関しては、このように「新たな地域の伝統」を見つけ、あるいは創り出していく考え方が重要になりそうです。

全国展開する地域企業が創る新しい文化 -朝日酒造の事例-

地域企業でありながらも、人気を獲得し全国に幅広く商品を流通させている酒蔵もあります。「久保田」を醸し、全国でも14番目の製造量(※5)を誇る朝日酒造(新潟県長岡市)はその代表例と言えるでしょう。

(※5)参考:日刊経済通信社『酒類食品産業の生産・販売シェア 2017年度版』

朝日酒造は、同じく新潟発祥でありながら全国で人気のアウトドアブランド「Snow Peak」(株式会社スノーピーク・新潟県三条市)と提携し、「アウトドアで日本酒を楽しむ。」という新しい文化を発信しています。

この事例のように、全国展開を行う地域企業同士の連携には、地域文化にとどまらず、地域を拠点として新しい全国的な文化を広めることができる可能性があります。この事例の取り組みは2019年に始まったばかりですが、今後こうした取り組みが増え、「酒蔵発」の新しい文化が全国に浸透すれば、日本酒そのものの普及にも大きな効果を持つことでしょう。

コミュニティとしての酒蔵 -熊澤酒造の事例-

熊澤酒造(銘柄は「天青」、神奈川県茅ヶ崎市)は、酒蔵の持つコミュニティとしての性格に注目した活動を行っています。同社のウェブサイトには以下のように記されています

僕たちは、蔵元を単なる酒造メーカーだとは思っていません。地域の誇りとなる酒造りはもちろん、人々がそこに集い、酒を酌み交わし、何かを生み出す磁力を持った場所。
そう、地域文化の中心地でありたいと考えているのです。
そこに蔵元があることで、人々の暮らしが豊かになり、独特の文化が生まれる。
その文化は成熟し、100年、200年後にも受け継がれていくことを、僕たちは願っています。

ビールの製造も行う熊澤酒造は、酒蔵の敷地内にレストランやカフェを併設。空間づくりやサービスにも力を入れることで、普段から周辺住民を中心として、人々が気軽に訪れられる場所になっています。

春には日本酒を中心に据えた「蔵開き」を、秋にはビールを中心に据えた「オクトーバーフェスト」を開催していますが、こうしたイベントは地域住民だけでなく、近郊の都市部である横浜や東京などからも人々が訪れるきっかけになっています。

近年では食や工芸などの文化や、暮らしに関する知識を学べる「暮らしの教室」や、従業員の子供たちを中心に近隣の子供たちを預かる「地域で育てる森の保育園 ちがさき・もあな保育園」といった教育事業も開始。コミュニティとしての機能をますます強化しています。

熊澤酒造の場合、こうした取り組みには神奈川県という立地も活かされていると言えるでしょう。地域の人口がまだ十分にあるエリアや、近隣に大都市を抱えるエリアでは、このように酒蔵がコミュニティとしての機能を強化することで、本業である酒造の発展につなげることもできそうです。

地域を地域たらしめる文化を守ることが、地域と地酒蔵を守る

「伝統文化」と言われると、ずっと昔からそこに存在していて、変えることのできないもののようなイメージも持ってしまいます。しかしこれまで見てきたように、文化は人が創るものであり、多くの地域文化は様々な立場の人々が創り、時代に応じて変わってきたものでした。

記事の冒頭で、営利企業である酒蔵が、なぜ地域文化に関わるのかという問いをたてました。これまで見たように「それが地酒蔵の伝統だから」と答えることもできますが、「伝統は変化しうる」という前提に立って、もう一つの答えを探してみましょう。筆者は「地域文化と関わることが地域企業としての地酒蔵の経営基盤を強くし、存在意義を高めるから」だと考えています。

地方企業、その中でも酒蔵が地域社会において果たす役割を研究した木原氏はこのことを、以下のように述べています。

大企業の場合には分散化した株式に付着した株主権に基づく財産関係を軸にした信託関係がガバナンス原理の中心に来るが、同族企業である地方企業の場合には地域社会における多様な人間関係を軸にした信頼関係がガバナンス原理の中心に来ていると思われる。
木原高治「地方企業の地域社会における役割に関する一考察 -清酒製造業を事例にして-」 (東京農大農学集報56巻1号, 2011)

つまり、株主への利益還元を主目的とする大企業と異なり、地域企業は地域社会への貢献を主目的としており、それがために専横的経営を防ぎ、経営成果を高めることができている、ということです。

人口減少によりさまざまな地方が衰退に向かう今、移住者や観光客を招くためには、都市や他の地域と異なる、その地域をその地域たらしめるものが必要とされています。それはやはり、文化なのではないでしょうか。文化を支え、発展させることは地域社会への貢献のためであり、それがひいては酒蔵の経営のためにもなるのです。

地域が存在しなければ、地酒蔵もまた存在できません。記事の前半で見たように、もともと地域の酒蔵は祭礼や儀式等を通じてコミュニティの人々を繋ぎ、一体感を高める役割を持っていました。酒蔵が地域文化に関わること、新しい地域文化を創っていくことが、地域ひいては酒蔵の存立につながっていくことを願っています。

■次回の記事はこちら
第5回:まとめ - 「地酒」の魅力と可能性

参考文献

・橋本直樹「日本人の飲酒動態」(日本醸造協会誌105巻8号, 2010)
・磐下徹「古代の酒」『HUMAN vol.05 酒と日本文化』(2013)
・柳田國男『明治大正史 世相編 新装版』(講談社学術文庫, 1993)
・伊藤善資「「酒造の三位一体」について-酒と神仏(信仰)と金融,三者の深い関係」(日本醸造協会誌109巻9号, 2014)
・坂口謹一郎「1 日本の酒 第三話 酒屋 生産から消費まで」『坂口謹一郎酒学集成 1 日本の酒文化』(岩波書店, 1997)
・石毛直道『日本の食文化史ーー旧石器時代から現代まで』(岩波書店, 2015)
・高木亨 「生産と流通から見た日本の醤油醸造業と醤油嗜好の地域性」(季刊地理学57巻, 2005)
・福留 奈美, 宇都宮 由佳「しょうゆと郷土料理 郷土料理からみた醤油の地域特性」(キッコーマン ウェブサイト, 2020年11月2日閲覧)
・国税庁「全国市販酒類調査 平成30年度調査分」(2019)
・成瀬晃司「考古学から見た江戸の酒事情」『HUMAN vol.05 酒と日本文化』(2013)
・菊の司酒造 ウェブサイト「きくつかコラム 江戸時代の大人の絵本、黄表紙と滑稽本に描かれた湯煎燗の普及」(2020年11月2日閲覧)
・林上「清酒製造業の衰退と「乾杯条例」による地酒消費と地元産盃の使用奨励」(日本都市学会年報 Vol.48, 2015)
・松崎晴雄『日本酒のテキスト(2) 産地の特徴と造り手たち』(同友館, 2003)
・上原 浩『純米酒 巧みの技と伝統』(角川ソフィア文庫, 2015)
・佐藤洋一郎「インタビュー 酒は生きものです ーー「静岡酵母」開発者・河村傳兵衛氏に聞く」『HUMAN vol.05 酒と日本文化』(2013)
・河村傳兵衛「静岡県の吟醸酒造り」(日本醸造協会誌83巻11号, 1988)
・朝日酒造 ウェブサイト「久保田 雪峰 日本に、もっと自然を楽しむ文化を。」(2020年11月2日閲覧)
・スノーピーク ウェブサイト「アウトドアで日本酒を楽しむ『久保田 雪峰』から春を楽しむ新商品が登場」(2020年11月2日閲覧)
・木原高治「地方企業の地域社会における役割に関する一考察 -清酒製造業を事例にして-」 (東京農大農学集報56巻1号, 2011)

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