「日本酒特区」は実現するか(2) - お酒が飲まれない時代に、生き残る未来のために

2025.05

07

「日本酒特区」は実現するか(2) - お酒が飲まれない時代に、生き残る未来のために

二戸 浩平  |  SAKE業界の新潮流

日本酒造りの免許の発行は、半世紀以上のあいだ規制され続けています。手続きさえすれば自分の醸造所を持つことができるワインやビールと異なり、日本酒製造への「参入の壁」は依然として高いままです。そんななか、複数の地域で「日本酒特区(※)」を通じて新規参入を目指す動きがはじまっており、既存事業者との議論も起きています。

これまで掲載した予告編、そして前編の記事では、
①規制の経緯や、過去に起きた廃止の議論と政府の方針
②いま起きている特区申請の動きや、申請者である福光酒造・稲とアガベの目指すこと
③酒蔵へのアンケートから見えた、既存事業者が示す意見の幅広さ
といった内容を紹介しました。

今回の記事では、これまで全国展開された特区の事例や、そうでなくとも広く社会に浸透した事例において、どのように実現してきたのかについて確認しながら、日本酒の将来的な制度の考え方や、そこにそれぞれの想いをどのように反映していくべきなのかについて考えていきます。

※特区:地域や分野を限定して特定の規制を緩和するといった特例措置を設けること。

特区の”成功例”に学ぶ、制度の実現・浸透に必要な要素とは

全国展開には「明確なメリット」が必要?

2002年、小泉純一郎政権下で構造改革の推進・地域活性化のためにはじまった特区制度。当時から存在する「構造改革特区」に加え、2013年安倍政権下では、産業の競争力強化を目的に「国家戦略特区」の制度もスタート。これまでに合計140ほどの特例措置が講じられ、多くの事例が全国展開されてきました。

全国展開された事例を見てみると、特区が正式な規制緩和につながるためには「社会課題が分かりやすく解決されること」が重要な要素であると分かります。

事例①:ガイド不足の解消を図る「地域限定特例通訳案内士」
たとえば、規制緩和のメリットとして分かりやすいのは「供給不足の解消」です。2010年代半ば、訪日客が急増したことで「ガイド不足」が叫ばれるようになった結果、地域限定で資格要件を緩める特区が京都市などで先行導入されました。

結果として、特区での実証を経て2018年に「地域通訳案内士」制度が法の本則に格上げされ、全国展開されました。類似の事例として、全国展開はされていないものの、「地域限定保育士」の特例措置が2015年度に実現し、2023年度末までに約8,600人が資格を取得しています。

事例②:環境負荷低減、購入文化の変化に対応した「カーシェアリング」
メリットがはっきりしていれば、たとえ既存産業にとってデメリットが想定されても、全国展開された制度もあります。その特区とは、「カーシェア」。今では全国で、多くの人が当たり前に利用しているサービスですが、もともとは広島県等での特区制度から始まったものでした。

多くの調査(三菱総合研究所「自動車関連税制に関する税収シミュレーション等調査」(東京都主税局委託調査, 2021) など)では、カーシェアの普及により自動車販売は減少すると予測されています(ただし異なる結論を示す調査も存在)。

一方、同時に自動車産業は「環境負荷の低減」や「シェアリングエコノミー」といった、より大きな社会的課題への対応が求められていました。社会の在り方の変化に対応するため、課題に配慮しながら特区制度での実験が進められ、2006年に全国展開されるに至ったのです。

地域のブランド化や、困難な課題への配慮に関する事例も

事例③:地域振興とブランド化につながった「どぶろく特区」
全国展開には至らなくても、地域振興や地域のブランド化につながっている特区制度も存在します。「どぶろく特区」は、日本酒特区と関連性が高く、かつブランド化に成功した代表例といえるでしょう。

岩手県遠野市 産業企画課の倉内さんによれば特区設立当時、市の課題であった「過疎化する農村地域の活性化や観光モデル構築」のため、市の強みである農村文化や自然環境を活かすグリーンツーリズムの一環としてどぶろく特区が導入されました。

特区認定により、農家民泊や旅館でのどぶろく提供、どぶろくを活かしたイベント「どべっこ祭り」の開催などが可能となり、地域振興に大きく貢献。倉内さんが「どぶろくを活用し、グリーンツーリズムと掛け合わせることで、地域全体が活性化している」と述べるとおり、実際に導入後5年で年間観光客数が約10万人(約10%)増加しました。

現在では全国に200以上設置されているどぶろく特区ですが、遠野市ではこれらの積極的な取り組みにより「どぶろく特区と言えば遠野」というブランドイメージが確立 されました。結果、現在ではどぶろくの製造・ネット販売を手掛け、成功を収める企業も出始めるなど、新たな展開も見せています。このように展開した要因として、倉内さんは「どぶろくが、地域にとって昔から馴染みのあるものであったこと」を挙げており、制度が住民や事業者に定着しつつ、自走できる環境が構築できていると話します。

事例④:根強い懸念への配慮も、利用しづらい制度に?「特定法人による農地取得」
農業の担い手不足解消や生産性向上のため、企業による農業参入を促す試みが続けられています。そのうち、農地の取得(購入)に関する制度を見てみましょう。

日本では、企業の農地取得について「投機目的の購入」「農業以外への転用」「収益化に挫折し、耕作を放棄」といった事態を招くという根強い懸念があります。

2016年度、国家戦略特区の枠組みで実現した「特定法人による農地取得」では、こうした懸念やリスクへの対応として、さまざまな仕組みが整備されました。取得時の厳しい審査や、取得後の農業継続義務、適切に農業が行われない場合には自治体が農地を買い戻し可能、といった施策を盛り込んだのです。

結果として、農地保全という課題への対応は達成されたものの、企業にとっては手続きが複雑で、リスクも大きく利用しにくい側面も指摘されており、活用する企業は限られているのが現状です。もともと農地の借用・リースについては制度整備が進められていたことから、それだけでも十分というケースが多いこともあり、法人による農地取得の広がりは限定的となっています。

「日本酒特区」が目指すべき動きとは?

戦略的制度変更を実現するための「パブリックアフェアーズ(PA)」

特区であっても、より広範な規制緩和であっても、制度変更を実現するためには、その必要性や社会的なメリットを明確に示し、想定される課題や懸念に対して適切な対応策を提示していく必要があります。

こうした政策決定プロセスへの働きかけの手法として、近年「パブリックアフェアーズ(PA:Public Affairs)」という考え方が注目されています。

従来の「ロビイング(ロビー活動)」が、特定の政治家や行政官への直接的・限定的な働きかけといった「裏」の活動を想起させることが多いのに対し、PAはより広いアプローチをるのが特徴です。

PAとは、企業や団体が、自らの事業や活動目的と社会全体の利益を結びつけ、その実現に資する社会環境(法律など)を整備するために、メディア、有識者、市民社会、行政といった多様なステークホルダーに対して、透明性を持ってオープンに(「表」から)働きかける活動を指します。

お酒と社会の関係の変化が、大きく変わるなかで

PAのコンサルティング業務を手がけるマカイラ株式会社では、PAを進めるうえでは「Why:なぜ実現するのか」「What:どの制度をどう変えるか」といった内容を事前に整理することが重要であると説いています。

それでは、今回の日本酒の新規参入規制をめぐる議論に当てはめてみると、どのようなWhyやWhatが想定できるでしょうか?

先ほどみたカーシェアの例なども参考に、より大きな社会課題を考えてみると、社会のアルコールに対する向き合い方は近年、大きく変化してきています。

たとえば世界保健機関(WHO)は2010年、「アルコールの有害使用低減に関する世界戦略」を策定し、2030年までの行動計画として「アルコールの有害な使用の20%削減」「70%の国で影響力の大きい政策オプション・介入策を導入/維持」などの目標を掲げています。

これを受け、各国でも具体的な規制が提起されており、リトアニアではアルコールの広告を全面禁止。スコットランドでも、2018年にアルコール単位あたりの最低価格が導入され、2024年に30%増額。アメリカでは今年から、パッケージに発がん性を明示する議論がなされています。

日本でも、「アルコール健康障害対策推進基本計画」を策定し、パッケージへの純アルコール量表示を検討しているほか、2024年には「飲酒ガイドライン」の制定が話題となりました。民間の業界団体でも、広告やオンライン販売等自主規制の議論が進んでいます。

さらに、日本国内では「人口構成の変化」「生活習慣の変化」という2つの理由で、将来的にアルコールの消費量が大きく減ることが想定されています。酒類パッケージの製造販売を手がける、きた産業株式会社が公開するデータでは、2060年までに日常的に飲酒する人口は半減するとの見通しが示されています。

主要飲酒人口が大きく減ることに加え、そのなかでも比較的高齢な層の割合が高まり、さらに若年層では飲酒習慣のある人の割合が減っていることが要因として挙げられます。生活習慣については一定の変容を促せる可能性もありますが、人口動態は産業サイドから手の打ちようのない課題であり、このような変化が起きる前提で産業の将来を考えていく必要があります。

日本酒産業が、適正な転換を図りつつ社会変化に対応するために

先ほど見たような社会の変化をうけて、ビール大手4社では実際に、健康関連事業への多角化など事業構造の変革や、多様な嗜好に対応した商品ラインナップの変更、適正な飲酒への取り組み強化といった施策を進めています。

製造業者の99%以上を中小企業が占める日本酒産業において、こうした「アルコールをめぐる社会の大きな変化に対応した、産業の持続性確保」というテーマは「Why:なぜ実現するのか」の候補となりえるのではないでしょうか。

日本酒産業ではさらに、これまで支え合ってきた地域経済や農業の持続性への懸念、そして担い手不足に関する懸念も強くなっています。

このように考えてみると「What:どの制度をどう変えるか」という観点ではたとえば以下のようなテーマが挙げられるでしょう。

  • どのような事業環境を実現するべきか?
    • 多様な嗜好に対応できる、商品や流通チャネルの多様化
    • 小規模事業者へのサポートや負担軽減
    • 地域の産業・農業の持続性向上と、安定的な地域雇用の実現
    • 環境変化に伴う激変の緩和
  • そのために、望ましい制度的なサポートにはどのようなことがあるか?
    • 通販等の新しい流通形態や、新規事業者の参入に関する過度な阻害を緩和
    • 小規模事業者向けの酒税管理負担軽減(手続の簡便化、申告納税頻度の低減 等)
    • 地方行政や農政、観光行政と組み合わせた、多角化を支える制度
    • 既存事業者と新規事業者の連携促進や、検証を通じた段階的制度変更、中小規模事業者への支援

PAでは、上記のような「Why」「What」を整理したうえで、適切な「How」としての広報・アウトリーチ活動を通じて、社会的な理解と合意形成を図っていきます。

広報・アウトリーチ活動の例:
・メディアを通じた情報発信(記事、プレスリリース、SNSなど)
・シンポジウムやセミナーの開催、イベントへの出展
・政策提言書の作成と関係省庁・国会議員への説明
・業界関係者との継続的な対話、意見交換
・消費者や日本酒ファンとの直接的なコミュニケーション

このとき重要になるのは、一方的に要求を突きつけるのではなく、多様な関係者の声に耳を傾け、懸念に対して真摯に向き合い、対話を通じて相互理解を深めながら、産業全体の持続可能な発展につながる道筋を、共に探っていく姿勢でしょう。

それぞれの立場で、何ができるのか

前回の記事で見たように、日本酒特区や規制緩和をめぐる議論は、新規参入を望む側と、現状維持を望む(あるいは慎重な姿勢を示す)既存事業者側との間で、利害が対立しやすい構造を持っています。

この状況を乗り越え、建設的な議論を進めるために、それぞれの立場でどのように動きを進めていくべきなのでしょうか?

規制緩和を目指す立場

規制緩和を目指す立場には、議論の焦点を広げ、業界全体での対話と利害調整を図ることが求められます。個々の特区申請者と地域内の既存事業者という「1 対 N」の構図ではなく、業界全体を巻き込んだ「N 対 N」での議論を目指すことが必要なのです。

現状の進め方だけでは「各個撃破」のような事態になりやすく、全体の合意形成は難しいばかりか、かえって利害が反する事業者間の軋轢を助長してしまう恐れもあります。共通した目標を持つ多くの事業者や個人が連携して、ある程度の代表性を持った立場で既存産業や行政とのやりとりを進めることが望ましいでしょう。このような存在があれば、消費者や他産業などからの支援も得やすくなります。

その一方で、既に動き出している地域での協議や、個別の特区申請者との連携は引き続き重要な推進力となります。これらの既存の動きと全体的な議論の足並みを揃えていく視点が不可欠になるでしょう。

規制変更を避けたい立場

一方、規制の変更を避けたい立場からも、自らが考える産業の未来像や、なぜ現行の規制維持が必要なのかという理由を、説得力をもって公に伝えていく必要性があります。緩和を目指す側がパブリックな場で議論を展開していくにつれて、これまでのように表に出づらい形での反対活動だけでは、社会的な理解を得ることが難しくなってきます。

また、「語らないこと」が憶測や「陰謀論」を招きやすい社会においては、情報が不足していることは不利に働きかねません。不本意な形で議論が進展することを防ぐためにも、懸念点や反論を公の場で丁寧に積み重ね、透明性のある対話に臨むことが求められます。

まとめ

日本酒の製造免許をめぐる規制緩和、そして「日本酒特区」の動きは、一部の関係者だけの問題ではなく、日本の文化や地域経済、そして伝統産業の未来に関わる重要なテーマです。

社会の変化や政府がこれまで示してきた方針に加え、注目すべきは、この変革に向けて実際に動き出している人々の熱意です。その情熱や行動が共感を呼び、まるで聖火の種火のように、周囲の人々をも巻き込みながら、着実に議論と行動の輪を広げ始めています。こうした状況を考えれば、この議論の流れを完全に止めることは難しいでしょう。

問題は、この変化をどのように受け止め、どのような未来につなげていくかです。新規参入を望む側と既存事業者側が、互いを「伝統を壊そうとする者」「変化を拒む者」として対立するのではなく、日本酒という、価値のある産業や文化を次世代に継承し、さらに発展させていくという共通の目標に立ち返ることはできないでしょうか。

そのためには、それぞれの立場から見える景色や抱える課題、そして描く理想像について、粘り強く対話を重ね、相互理解を深めることが不可欠です。PAの視点を取り入れ、社会全体の利益につながる道筋を共に模索し、懸念に対しては具体的な対策を講じながら、一歩ずつ合意形成を進めていく。そうしたプロセスを通じてこそ、日本酒業界全体の持続可能な発展につながる、真に価値のある制度改革が実現するのかもしれません。

今回紹介したお酒をめぐる社会の変化は、実際にかなり厳しい環境を日本酒産業にもたらすことが想定されます。これを乗り越えるために、制度の変更を含むあらゆる手段を検討するべく、さまざまな立場からオープンな場で議論に参加する人が増えることを願っています。

連載「『日本酒特区』は実現するか」
予告編:厳しい参入規制はどこから来て、どこへ向かうのか

前編:アンケート・取材で見る既存事業者と参入希望者の声

参考文献

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