
2025.04
22
義侠、我山、奥……愛知県の酒蔵に支えられて生まれ変わる水谷酒造のいまとこれから
2024年5月、愛知県愛西市の水谷酒造が火災に見舞われ、蔵が全焼してしまう事態が発生しました。蔵元の水谷政夫さんと杜氏見習いの後藤実和さんは、一時期は廃業を考えたと言いますが、周囲の励ましと支えにより、現在は再建を目指して他の酒蔵と共同醸造をおこなっています。
約1年後となる2025年4月2日、西尾市の山崎合資会社を訪れると、水谷酒造の銘柄のひとつである「千実(ちさね)」が搾られているところでした。
あれから一年、二人はどのような想いで酒造りに挑んできたのか。共同醸造では、どのようなお酒ができあがったのか。酒蔵の再建へ向けて、現在どのような段階にいるのか──。水谷酒造のいまとこれからについてお話を聞きました。
蔵が全焼。廃業の危機から復活の決意に至るまで
江戸時代末期に当地の庄屋だった一代目により創業された水谷酒造。5代目の水谷政夫さんは、先代である父の急逝をきっかけに約40年前から蔵に入り、1998年からは蔵元杜氏として一人体制で酒造りをしてきました。
自身の年齢を考え、後継者について考え始めるようになった水谷さんのもとに、次第に若者が集まってきます。2022年には、生産・加工・流通など多岐にわたる事業を手がける農業法人「アグリ:サポート」代表・立松豊大さんが外部役員として入ります。そして2021年、「ここで酒造りがしたい」と門戸を叩いたのが、当時22歳の後藤実和さんでした。
愛知県で生まれ育ち、高校生のころに微生物学に興味を持って名城大学農学部に入学した後藤さん。同大学でも歴史のある日本酒研究会に入り、業界の人々と関わるうちに、「日本酒に関わる仕事がしたい」と強く思うようになったといいます。
「正直、女性が蔵に入るとは思っていませんでした。でも、後藤さんは弊社の吟醸酒を飲んで『こういう酒を造りたい。ここで酒造りがしたい』とはっきり言ってくれたんです。変わった人だなと思いましたが、それだけ強い気持ちを持っている人なら、と迎え入れることを決めました」(水谷さん)
こうして、次の造り手を探していた水谷さんと、水谷酒造のお酒が好きで杜氏を目指す後藤さんの想いが一致し、二人三脚での酒造りが始まりました。
新体制での酒造りから3年が経った2024年5月9日。搾りを終え、瓶詰めの作業をおこなっていた最中に、火入れの作業中に炉から火が立ち上がりました。目撃した後藤さんがただちに通報しましたが、火が消し止められるころには蔵の建物は全焼してしまっていました。
「正直、廃業を考えました」と、水谷さんは深刻な眼差しで当時を振り返ります。
「ゼロから立て直すには、現実的に複雑な問題がたくさんあります。でも、多くのボランティアの方が来てくださって、みなさん『無理しないで』と言いつつも、『でも、お酒ができるのを待ってます』と言ってくださったんです。
また、今回の火災では、近隣の方々にも大変なご迷惑をおかけしました。どんなお叱りを受けても仕方がないのに、住んでいる方々から、『ずっとこの地にあった蔵だから、なんとか再建してほしい』と涙ながらに言われたんです。その言葉が胸に刺さって、『なんとかしよう』という方向に頭を切り替えていきました」(水谷さん)
後藤さんもまた、絶望の淵に立たされる中で、周囲の人々から「また続けてほしい」と言われたことが大きな支えになったと言います。
「私自身、水谷酒造の味に惹かれて、『この味を残したい』という気持ちで入社した経緯があります。だからこそ、その想いを次につなげていけるのであれば、全力でやってみよう、再建に向けて進んでいこうと決意しました」(後藤さん)
義侠、我山、奥……支えられて実現した共同醸造
再建へ向けて酒造りを続けていくと宣言をした水谷酒造に、周囲の酒蔵から次々と手が差し伸べられます。10月からは、同じ愛西市で「義侠」 を醸す山忠本家酒造から「共同醸造をしよう」と提案を受けました。
さらに水谷さんは12月に単身、津島市で「我山」「神鶴」 の鶴見酒造へ。先方が仕込みを中休みする時期に蔵を借り、タンク一本の「千瓢」を製造しました。
2月には後藤さんも山忠本家酒造での修行を終え、3月からは「尊皇」や「奥」 を造る西尾市の山崎合資会社での共同醸造が始まりました。
これまでは水谷さんと二人で酒造りをしてきた後藤さんですが、2軒の酒蔵を経験して、「どちらもまったく異なる個性がある」と感じていると話します。
「山忠本家酒造さんには、強いチームワークがあります。担当が分かれてはいるんですが、それぞれがお互いの仕事をよく把握していて、常にどこかで誰かがディスカッションをおこなっているような活発な雰囲気がありました。自分の担当だけではなく周囲の状況を見ながら柔軟に動くことができるのは、信頼関係ができているからだと思います。
醸造責任者の神谷(一樹)さんは、常に「こうしたい」「こうしてみたらどうか」というアイデアを現場で発信し続けるような方です。発想の仕方やお酒との向き合い方にもとても刺激を受けましたし、一人ひとりのスタッフが『いま、自分は何のために何をしているのか』という意識を明確に持っているからこそ、良い酒造りができているんだと感じました」(後藤さん)
現在共同醸造をしている山崎合資会社も現場の人数は5人程度と同じくらいの規模感ですが、チームのあり方が少し異なるといいます。
「一人ひとりのスタッフが流れをしっかり把握して動いているのは同じなんですが、どちらかというと落ち着いた雰囲気で、淡々と、確実に現場を回している感じです。仕事の分担の仕方や現場の流れもまったく違っていて、余裕を持って自然にフォローし合っているように見えました」(後藤さん)
今期から、24歳の6代目蔵元・山﨑真幸(やまざき・まさゆき)さんが製造責任者を務める新体制がスタートした山崎合資会社。新潟県佐渡の天領盃酒造で修行をした経歴を持ちます。
「一番若い蔵人の方で僕よりひと回り以上年上ですし、杜氏の木俣(伸浩)さんは、僕が物心つく前からずっと働いてくださっている方です。僕が直接指示を出すよりも、彼を通して伝えた方が現場としても動きやすいと思い、今はそのような体制を取っています。年上の方ばかりなのは難しさもありますが、経験豊富な方ばかりで頼りになっています。
僕自身が目指しているのは、山忠さんのようにできるだけフラットなチームです。まずは僕の考え方を現場のみなさんと共有して、それが浸透していくにつれてフラットな体制に移行していく。今は変革期のタイミングだと思っています」(山崎さん)
「ご協力いただいている酒蔵さんはいずれもしっかりとした組織があって、我々のように二人でやっている蔵の常識や動き方とは違うところも多くあり、ご迷惑をおかけしていると思っています。それでも懐深く受け入れていただいていて、ただただ感謝しかありません」と話す水谷さん。
後藤さんも、「水谷酒造では、基本的に社長と私の二人で相談しながら進めていたので、こうして多くの人が関わる現場で動くことは本当に新鮮ですし、たくさんの人が関わっていてもそれぞれが独立して動けている、そのバランス感覚にすごく学ぶところがあります」と学びを深めています。
異なる酒蔵で造る難しさと奥深さ
各蔵の共同醸造では、いずれも水谷酒造の原料とレシピを用いてお酒を製造してきました。山忠本家酒造では五百万石で作った「千実 紅掛空(べにかけそら)」、立松さんが育てた愛知県産の食用米「あいちのかおり」を原料に用いた「千瓢(せんぴょう) 純米 あいちのかおり」。鶴見酒造では「千瓢 純米 あいちのかおり vol.2」。そして、山崎合資会社では立松さんが育てた愛知県産の夢吟香(ゆめぎんが)を原料とした「千実 桃花鳥(とき)」「千瓢 純米吟醸 夢吟香」を造り、これからロングセラーである「千瓢 原酒」をリブランディングした「千瓢 BLACK」の製造を予定しています。
「『蔵癖(くらぐせ)』という言葉があるんですが、どれも水谷酒造のお酒ではあるものの、共同醸造してくださっている酒蔵さんらしい要素を感じています。山忠さんで造った『千実』は、麹へのこだわりから味わいにしっかりとしたボディ感が出ていて、低温でゆっくり発酵を進めたからこそ生まれるまろやかさがあります。山崎さんと造ったお酒はまだ利いたばかりですが、すごくキレイなお酒という印象を受けました」(後藤さん)
これについて、山崎さんは「まず、僕と水谷さんで目指しているお酒の方向性が全然違うんです」と解説します。
「弊社は海から500メートルほどの位置にありますが、そうした土地柄から、地元では魚料理に合うような、すっきりとキレイなタイプのお酒が好まれる傾向があります。だから例えば、麹はあまり強く造らないようにしています。一方で、水谷さんのお酒は、もう少し味わいに深みのあるタイプを目指している印象があります。
今回はうちの蔵の中で、水谷酒造さんの酒造りを忠実にトレースするために、僕は極力関与しないようにしました。水谷さんたちにとってもかなり難しい挑戦だったと思いますし、僕としても違うところがたくさんあって、学びの多い経験になりました」
山崎さんの話を受けて、水谷さんは自身の目指す酒質を「飲む人が癒やされるお酒」と説明します。
「亡くなった姉は、私が造った純米酒を『このお酒、優しくて好き』と言ってくれたことがあり、優しいお酒を造りたいと常々思っています。ある程度味わいはしっかりあって、それでいてダラダラ飲めるような、でも後味はスッとキレがあるようなお酒ですね。
山崎さんは今期が初年度だったにもかかわらず、このレベルのお酒を造るのかと驚かされました。正直、私は若い人たちはもう酒蔵に来なくなるんじゃないかと思っていたんですが、弊社の後藤も含め、これだけ若いのに誠実に酒造りに向き合っている若い人たちがいる。『この会社はこれからどう進化していくんだろう』とワクワクしながら造りにあたっていました」(水谷さん)
次の造り、そして蔵の再建へ。
水谷酒造の二人は、春のうちは山崎合資で造りを続け、次は設楽町で「蓬莱泉」を醸す関谷醸造で共同醸造をおこなう予定です。周囲の酒蔵に支えられながら、日々新しい刺激を受けている後藤さんは、改めて「杜氏を目指す」という夢と真剣に向き合うようになったと話します。
「どの蔵を見ても思うのは、杜氏というのは酒を造るだけの人ではなく、蔵のすべてを見ている存在だということです。知識はもちろんですが、考え方や姿勢も築き上げていく必要があると感じますし、人として成長していく覚悟が必要だと強く感じています。
正直、今の自分には足りないことばかりです。酒蔵ごとにやり方も考え方も本当に違うので、『自分だったらどう取り入れられるか』『自分にはどんな方法が合っているのか』を考えながら取り組んでいくことが大切だと感じています。そのためにも、目の前の作業について、常に『何のためにやるのか』を自分の中で定義しながら向き合っていきたい——いまはそんなふうに思っています」(後藤さん)
酒造りの傍ら、再建計画も進行しているという水谷酒造。同じ場所で再建することは決まっていますが、地元との調整や資金繰りが課題となっています。現在は、建築士と動線や設備配置などを検討中です。
大きな災難に見舞われながらも、着実に前へ進もうとしている水谷酒造。生まれ変わった「千瓢」と「千実」、そして彼らを支える酒蔵のお酒を飲んで応援しながら、その完全復活を待ちましょう。
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