
2025.04
15
桶売りに決別し、50代からたった一人で酒造りに挑む - 兵庫県・鴨庄酒造(神池)
兵庫県丹波市の鴨庄(かものしょう)酒造は、長年、造った酒を他の蔵に未納税で納める「桶売り」専業の蔵でした。しかし、コロナ禍をきっかけに桶売り先がなくなるピンチに直面した蔵元後継者の荻野弘之さんは、「自分で造った小仕込みの酒を自分の銘柄で売りたい」と考え、桶売りと決別。たった一人で酒造りに取り組む“ワンオペ”の酒蔵として自社を存続させる道を選びました。大きな決断を下した蔵元の熱い想いに迫りました。
50歳を過ぎてから実家の蔵へ帰る
鴨庄酒造の創業は大政奉還が行われた1867年。「末廣(のちに花鳥末廣)」の銘柄で長年、地元向けに酒造りを続けてきました。第二次大戦後の高度成長期、日本酒は造ればどんどん売れ、大手酒造会社は酒を造ってくれる桶売りの酒蔵を盛んに探した時代でした。鴨庄酒造も例に漏れず、酒の販売に気を配らなくて良い桶売りに力を入れるようになりました。
荻野さんの父で4代目蔵元社長の信人さんは、さらに低コストで省力化ができる最新鋭の液化仕込みシステムを1989年に導入。米を蒸さずに酵素の力で米を溶かし、コンピューター制御で大量醸造できる仕組みで、多い年では4,000石ものお酒を造りました。
長男の荻野さんは、そんなころ、大学を卒業して蔵に戻ってきました。荻野さんは鳥取大学農学部で微生物学を学び、卒業後には国の醸造研究所での研修を経験しましたが、「米を蒸さないで、麹の使用量もわずか。それに醸造アルコールと糖類や酸味料を加え、炭素濾過した三倍醸造清酒を見て、『酒造りはこれが一般的なんだな』と受け止めていました。そのせいで、酒造りに面白さを感じることができませんでした」と当時を振り返っています。
もともと酒造りがしたかったわけではなく、長男だから、家業を継ぐのかな、と漠然と思っていただけだったという荻野さん。26歳になると、自動車関係の仕事に興味を持ち、大学に入り直して自動車整備技術を学び、そのまま関東地方の会社に就職します。 一社目を辞めてから次の会社を見つける合間に蔵に戻って仕事を手伝うことはありましたが、酒造りの世界にはやはり興味が湧かず、家族にも「蔵に帰ることはない」と告げていました。
ところが、50歳を過ぎたある日、ふと思ったのだそうです。
「このまま会社勤めをしていればやがて定年が来て、普通に老後を迎えるだけ。生まれつき、人とは違うことをやりたい性格だったので、平凡でない生き方は何かと考えたら、急に家業を思い出しました。
日本酒の製造免許は新規には下りない特殊な世界。普通の人はできない仕事だし、へそ曲がりの私には向いているのではないか。家業を継げば定年もないし、自分で好きなようにやれるのではないかと考えるようになりました」
コロナ禍で桶売りが途切れ、独学による自醸に切り替え
家族を説得して蔵に帰ってきたのは2019年秋でした。この時も激減したとはいえ桶売りは続いていて、小仕込みの手造りの自社販売の酒はほんのわずかでした。「桶売りはこちらからやらせてくれと頼んで始めた経緯もあり、取引停止を申し入れるのも失礼だな」と感じた荻野さんは、その冬(2019BY)はそのまま体制を引き継ぎました。
ところが、その直後、新型コロナウイルス感染症の拡大により緊急事態宣言が発令され、居酒屋の営業自粛が広がって日本酒の需要は激減。取引先からは、最初は「出荷を遅らせて」と言われていたのが、すぐに「委託した今年のお酒の全量を引き取るのは難しくなった」と通告されてしまいます。
当然、来季の委託もなくなり、「新たな桶売り先を探すか、これを機会に辞めるかの選択を迫られて、それなら自社銘柄だけの酒を造って、普通の地酒蔵に立ち返ろうと覚悟を決めました」と荻野さん。350石だった酒蔵の10石からの再出発でした。
2020BYを始めるにあたって、「自分だけで造るのだから好きにやろう。醸造アルコール添加も炭素濾過もやめて、全量純米、無濾過の酒だけにしよう」と決意。長年一般米だけで造ってきただけに、酒造好適米を手に入れる術がなく焦りましたが、幸い、コロナ禍で酒造りを減らす蔵が多く、市場に酒造好適米が余っていました。結果として、長野県からひとごこちを調達することができました。
一方で、荻野さんの仕込みの経験は、通算でもわずかに数本だけで、どんな酒になるかは不安だらけだったといいます。酒造りの教本を読みふけり、酒類総合研究所に問い合わせをしながら取り組んでできた酒は「なんとか自分で合格を出せる味わいの酒になってくれました」。
「これなら一人でやっていけそうだと感じましたが、酒造りよりも不安だったのは販売でした。なにせ販路がまったくなかったのです。造りながら『売り先が見つからなかったらヤバいな』と考えていました」
ところが、そんな彼の酒造りへの挑戦の話を聞きつけた地元の新聞が「日本一小さな蔵の酒造りが始まる」という記事を掲載してくれたのです。これをきっかけに、丹波市内の道の駅と2軒の酒販店から連絡が立て続けにあり、できたお酒を積極的に販売してくれることになりました。
設備導入も果たし、新銘柄「神池」を立ち上げ
翌年の2021BYは仕込みを増やして酒造りをしましたが、課題が浮かび上がりました。
「美味しいお酒を造るには、あまりにも設備が貧弱すぎたんです。特に、搾り機は桶売り時代の巨大な設備しかなく、洗浄の面に不安が多く、品質を維持するのに苦労の連続でした。仕込みタンクも温度管理ができないタイプで、本当に寒い真冬しか酒造りができません。お金がないので、補助金のあてを探したものの、なかなか見つかりませんでした。最終的に、コンサル会社からの的確なアドバイスと支援のおかげで、国の補助金を利用して新しい設備が手に入る目処が立ちました」
新しい搾り機とサーマルタンク、プレハブ冷蔵庫、瓶詰機など、「これだけはなんとしてでも欲しい」という設備が2023BYまでに揃うことに。 これが後押しとなり、「自醸に切り替えるにあたっていろいろな酒質のお酒を造りたい」という思いを募らせ、前の年の2022BYからわずかな規模で新しい銘柄を販売しようと決意します。
それまでの「花鳥末廣」は、派手さはないもののコクがしっかりある、昔ながらのしみじみと旨い酒でしたが、新しい銘柄には、軽やかな香りが立ち、すっきり飲みやすい酒を、地元産の酒米と新たなタイプの酵母で造ろうと挑戦しました。
納得のいくお酒ができ、無事リリースできたのが、地元の古刹などから名前をとった「神池(みけ)」です。地元での評判も良く、あっという間に売り切れになるほどの売れ行きとなりました。その結果、蔵全体の醸造は2022BYに前年の2倍、2023BYはさらにその倍の40石にまで増やすことができました。「まだ経営的に安心できる状況ではありませんが、崖っぷちから少し戻すことができたと感じています」と荻野さんは胸を撫で下ろします。
まだまだスタート地点に立ったばかりと謙遜しながらも、荻野さんに悲壮感はありません。
「酒造りがめちゃくちゃ面白いんです。 同じスペックで造っても決して同じ味の酒ができないところが奥深くて、興味が尽きません。『作業が一人だと大変ですね』とよく言われますが、どんな仕事にもきついことはあります。むしろ、自分一人ですべて決められるし、マイペースに仕事ができる。眠たければ昼寝もできるし、麹が気になれば蔵に泊まればいいわけで、これほど自由な仕事はありません。好きなように自分のやり方で美味しい酒ができる魅力はたまりません。50代にして、本当に好きなことに出会えて幸せ者です」
今季はさらに醸造量が増えて50石超になる見通しです。事業が軌道に乗る100石目指して、今後も蔵に入り浸りの日々が続きます。
酒蔵情報
鴨庄酒造
住所:兵庫県丹波市市島町上牧661-1
電話番号:0795-85-0488
創業:1867年
社長:荻野信人
杜氏:荻野弘之
Webサイト:https://www.kamonosho.co.jp/
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