2021.05
27
日本酒の「櫂入れ」とは?(2) - しないとどうなる?さまざまな方法と効果を学ぶ
前回の記事では、日本酒造りに使われる櫂棒、そしてそれを使った櫂入れについてご紹介しました。今回は、発酵中の醪(もろみ)管理で使われるさまざまな櫂入れのテクニックをご紹介します。
また、2019年にNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介された「雪の茅舎」を醸す齋彌酒造店(秋田・由利本荘市)では、あえて「櫂入れしない」という方法をとっています。人気銘柄「新政」の酒造りでも採用されていることもあり、近年注目されているこの方法の効果や、櫂入れを行う場合との違いについても解説していきます。
醪(もろみ)期間中の、さまざまな櫂入れの方法
醪の温度調節や発酵具合の調整のために櫂入をする方法は昔から考案されており、これがテクニックとして受け継がれてきました。 小穴富司雄著『酒造要訣』(日本誌友会, 1952)には突櫂、引櫂、繰り上げ櫂、乱櫂、仕込櫂、時櫂。「灘の酒用語集」には更に迎櫂、割櫂、一本参りと、多種多様な櫂入れ方法が掲載されています。
『酒造要訣』よりいくつか引用して、方法と役割を考えてみましょう。
「突櫂」は櫂棒を斜め向かいのヘリ底を目指して突き入れて、少し揺り動かしてから引き寄せる方法です。このとき櫂先は液面から出さずに表層まで上げ、また突き入れます。こうすることで、品温は下がらず発酵を促進させることができます。空気をできるだけ送り込まずに、底面に表層の酵母や酵素を供給するような方法ですね。留後(留仕込み終了後:仕込作業が終わって醪の発酵がスタート)の最高温度・玉泡、あるいは落泡(留後10~14日程度)くらいまではこの方法が良いとされています。
「引櫂」は底部まで静かに櫂を下ろし、一気に引き上げる方法です。これは大きく波立ちそうですね。「突櫂」とは異なり空気を含むため熱が逃げていきます。仕込みに使うタンクや蔵を冷やす設備がほとんどない時代、特に暖かい時期にはよく使われていたのではないでしょうか。醪の後半で使用するのが良いとされています。
「繰り上げ櫂」は桶の底に櫂を入れ、タンクのキワ側に巻き上げるような動きをします。醪の中に沈んだ米をならす役割があります。突櫂や引櫂の後にこの櫂入れをしておくと、醪の内容物の平均化が図れます。
「乱櫂」は法則のない櫂入れです。米を潰したり、底に貼り付いた米をこすり取る時に使われる方法です。
「仕込櫂」は仕込時に掛米が固まらないように荒々しく櫂を入れる方法です。掛米が塊で沈まないように、また麹が行き渡るように混ぜます。
「時櫂」は毎日定期的に櫂入れを行う場合に、何回櫂入れするかを杜氏さんが定めておくもののようです。「精白度や醪時期によって3時間ごとに品温の2倍櫂を入れる」というものが例示されており、結構な頻度で櫂入れを行っていたことが分かります。
櫂入はかつての酒蔵では当たり前に見られていましたし、記事の冒頭で触れたとおり今でも酒造りの象徴的な作業というイメージがあります。しかし、振り返ってみると私はそこまで頻繁に醪工程で櫂入れをしません。
なぜこうした変化が起きたのか、現代に編み出された「無櫂」という櫂入れをまったくしないスタイルに触れながら考えてみます。
少なくなった櫂入と「無櫂」というスタイル
秋田県の「由利正宗」「雪の茅舎」でその名を知られた高橋藤一氏は、所属する「山内杜氏」流に掛けた「三無い造り」の提唱者です。「三無い造り」とは、「櫂入れをしない、濾過をしない、割り水をしない」造りのスタイルのこと。
液体は「対流」によって、温かいものは上方へ、冷たいものは下方へと動きます。また、酵母が発生させた炭酸ガスは上方へ向かうため、運動能力の無い酵母も、これに合わせて上へ下へと動いていきます。麹の酵素や糖分も勝手にかきまわされ、人間が余計な手を入れずとも発酵は進んでいくという理論です。
櫂入れの効果のひとつは酸素の供給です。酵母は酸素が無くとも生きていける菌(選択嫌気性菌)ですが、以下のとおり酸素の有無で異なる活動をします。
酸素がある場合 = 呼吸 : 糖 + 酸素 → 炭酸ガス + ATP
酸素がない場合 = 発酵 : 糖 → 炭酸ガス + アルコール + ATP
ATPは「生体のエネルギー通貨」とも呼ばれる、エネルギーのもとです。酵母は、これを主に自らの増殖のために使います。酸素がある場合には、酸素がない場合に比べて多くのATPを生成できるため、酵母が増殖しやすくなります。
酵母数が過剰に増えた場合、そのまま放置しておくと酵母の死菌体数も増え、そこからアミノ酸が溶出します。アミノ酸は甘味、苦味などの味わいをもたらすため、これが増えると酒の味は濃醇になる傾向があります。
酸素がある場合、酵母は酢酸を多く生成することも知られています。以前個人的に試験を行った際、清酒の主要な酸のうちで、酢酸の添加が最も不調和な香味を生み出しました。酒造りにおいては酢酸が多いと味のバランスが容易に崩れてしまうと考えられています。
『酒造要訣』でも述べられているように、従来の酒造りでは櫂入が多く行われていました。 その理由としては、かつてはあまり削られていない米が主流で、米を良く溶かし発酵を進め、原料利用効率の良い酒造りが目的だったためと思われます。味わいも濃醇で芯のあるものが飲まれていたことでしょう。
一方で現代は高精白時代、精米歩合55%など、吟醸レベルのお酒を日常の晩酌に使う人も多いでしょう。よく磨かれた米を使っているので醪でも溶けやすくなっています。華やかな香りに沿った穏やかな味を目指すのであれば、櫂入を少なく静かに発酵させておいた方が、酢酸やアミノ酸を多く作らず軽い風味になるとも考えられます。こうした背景から櫂入を少なくする、あるいは「無櫂」というスタイルが生まれたのではないでしょうか。つまり「無櫂」は現代の吟醸酒に即した技術と言えるでしょう。
では、櫂入はしなくても良いのか?
勝手に対流が起き発酵が進み、香味も整うならば、櫂入れはしなくても良いのかなと考えがちな昨今ですが、私が勤める蔵の今期(2020BY)の造りでは、ある問題が発生しました。
日本酒度はどんどんキレて(プラスになり)、アルコール度数も上がってうまく発酵していると思われたのに、粕歩合が高いという現象が起きたのです。対流も起こっていたように見えたため、基本的に無櫂状態でした。麹の糖化力は悪くなさそうで、発酵は堅調に進んだと思われたのにも関わらず、粕が多いとはどういうことでしょう?
原因は米が硬かったこと、低温の日があったことなどの要因が重なり、タンク底面で米が滞留してしまっていたことだったようです。 今期は寒い日が多く、配管が凍るほどでした。さらに仕込タンクも蔵の中でも一番寒い場所にあるものだったために、粕歩合が高くなってしまったようです。振り返ってみると、水も冷えていて硬い蒸米もあったような……。
醪も一見対流していると思われたのですが、掛米をあまり巻き込まずに上澄み部分のみで対流していたようです。一度沈んだ部分を掘り起こす必要があると判断して、突き櫂や繰り上げ櫂を行ったところ、以降の醪では粕歩合も下がり、醪後半の発酵経過も良く、酒は押し味が増えました。麹の酵素も十分行き渡ったようです。
なるほど、無櫂が必ずしも良いというわけではなく、状況によって使い分ける必要があるようです。 日々変わる蒸米の状態や醪の状貌、香味や粕の状態、味やコンセプトを理解し、発酵経過をよく観察し考えるのは忙しい酒造りでも大切です。一見対流していると思っていてもタンクの底までは見通せません。それでも、櫂棒を入れて確かめてみれば状態を把握することができます。観察と推察は常に磨いていきたいものですね。 ともあれ高橋藤一氏がすべての醪で無櫂を実現できる裏には、長い酒造りでの経験が存分にあるのだろうと思わされました。
実際、高橋藤一氏の酒造りについて取材した藤田智恵子著『美酒の設計』(マガジンハウス)では「同業者にそのまま、この方法(無櫂)を勧めようとは思っていない」と書かれており、米の状態や蔵の環境などの全体像を見ることが重要と同氏は説いています。
おわりに
櫂棒一本とっても用途や使用方法は実に様々あります。実際に蔵見学などをして櫂入を体験する事は少ないと思いますが、もしチャンスがあったら感触を確かめ、数千リットルをかき混ぜるダイナミックさを感じてみてはいかがでしょうか。
ただし、タンクに物を落としたり、自分が落ちないようにしましょう。これは、蔵人も同じこと。転落防止や防滑などの対策はしっかり行いながら醪をじっくり観察していきましょう。
参考文献
・日本醸造協会『増補改訂清酒製造技術 新版』 (2009) ・小穴富司雄『酒造要訣』(日本誌友会, 1952)
・日本醸造協会「醸造WEB講習 清酒編 純米大吟醸・純米吟醸」
・鈴木昭紀「酵母の増殖」(日本釀造協會雜誌69巻1号, 1974)
・宇都宮仁「清酒のにおい・かおりとその由来(その2)」(きた産業株式会社 Tips for BFD 第27回, 2021年5月27日閲覧)
・藤田智恵子『美酒の設計』(マガジンハウス, 2009)
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