2021.05
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岐阜から北海道へ大移転。理想的な酒造り環境を求めた蔵元の決断 - 北海道・三千櫻酒造
2020年秋、岐阜県の三千櫻(みちざくら)酒造が北海道東川町に移転しました。
1877(明治10)年、岐阜県南東部の福岡村(現中津川市)で酒造りを始めた三千櫻酒造ですが、酒蔵の老朽化が進み、建て直しや移転を検討する必要が出てきていました。
そのような状況から、創業の地から約1,000㎞も離れた新天地に移るという前代未聞の「酒蔵引っ越し」を決断した背景、そして新蔵ができるまでの軌跡を追いました。
創業143年、六代続く酒蔵が移転を検討するまで
取材に訪れた日の午後。雪がまだたっぷり残る農地に囲まれた一角にコンパクトな真新しい建物が佇んでいます。遠くに大雪山系の最高峰、旭岳を望む蔵の作業部屋で、蔵元の山田耕司さんと蔵人は「三千櫻」の新しいお酒のラベル貼りに忙殺されていました。
「岐阜から北海道に越してきても、やることはすべて同じ。夢中で作業をしていると、去年と同じ岐阜で仕事をしているような錯覚にも陥ります。でも、うちの酒を取り扱いたいという道内の酒販店からの電話をもらったり、蔵にお酒を買いに来る方の応対をしていると、ああ新天地に来たんだなと実感しますね」と屈託のない笑顔を見せる山田さん。
明治に入ってから創業した三千櫻酒造は、戦後の高度成長期の頃は1,000石ほどを造る酒蔵でした。しかし日本酒の需要低迷に歩調を合わせるように生産量は減り、6代目の山田さんが蔵に戻ってきた1990年代後半には先細りが続いていました。山田さんは「いずれ自分が杜氏になって巻き返す」との決意を秘めながら、蔵にやってきた3人の杜氏(越後杜氏、次が能登杜氏、その次が南部杜氏)の下で酒造りを学び、2004BYから蔵元杜氏に就任しました。
「3人の酒造りのいいとこ取りをした」という山田さんは、「鑑評会向けの出品酒だけに力を入れるのではなく、すべての造りにまんべんなく全力を尽くす」ことをモットーに、透明感があり飲み飽きのしない、キレの良い酒造りを志向して、熱狂的なファン作りに成功。2010年ごろからは首都圏などでの販売も軌道に乗りました。
安定した美酒造りを続けてきたものの、年を追って山田さんが頭を痛めるようになったのが蔵の建物と設備の老朽化でした。なかでも深刻だったのが麹室と瓶詰めの建物。「ひと部屋しかない麹室は床が傾いて変形しているし、瓶詰めの建物も地震が来たらと思うとヒヤヒヤもの。しかも、温暖化で仕込みに大量の氷が必要な時期も長くなった。蔵を全面的に建て直すか、別の場所に移転するか、いずれどちらかを選ばなければならない」と考えることが多くなりました。
メキシコの酒造り指導を経験し移転検討に本腰、北海道の将来性に注目
そんな頃、メキシコにできる新しい日本酒蔵で技術指導をしてほしいという依頼が山田さんに入り、2015年と16年の夏場に2回、メキシコに足を運びました。
現地の水は日本にはどこにもないほどの超硬水。「こんな硬い水で美味しい酒が造れるだろうか」と迷いながら、現地の蔵人と酒造りに取り組んだ結果、思いのほか良い酒が出来上がったのです。「世界中どこでも、やろうと思えばいい酒が造れることを知って、本気で蔵の移転を考えるようになりました」と山田さんは振り返ります。
メキシコから帰国後、まもなくして「北海道産のきたしずくという酒米を使ったら、予想以上にいい酒ができた」という知り合いの蔵からの情報が入ります。温暖化やそれに伴う高温障害で本州の酒米の出来に不満を持つことが増えてきたこともあり、山田さんは試しにきたしずくを仕入れて、2017BYに初めて純米酒を仕込みました。
「蒸し上がった段階でこれはいいなと感じました。醪管理もやりやすく、とても美味しい酒ができた。温暖化がさらに進むのは間違いないのだから、北海道の酒米の将来性は大きい。いい米を求めて北海道に移るのもありなんじゃないか、と思った瞬間でした」
北海道と言って、山田さんの頭に浮かんだ風景は羊蹄山。そこで、羊蹄山の麓にあるニセコ町に酒蔵移転についてメールをすると、町長から直々に連絡をもらうことができたことから「北海道の自治体はほかにも興味を持つところがあるに違いない」と山田さんは確信しました。
この時は話がまとまらなかったものの、その後知り合いがアドバイザーになっている東川町を紹介してもらい、2018年に松岡市郎町長に面会。酒蔵移転の話をすると、町長は「町で獲れた米を町内の酒蔵が酒にすれば特産品になるので、町にも十分メリットがある。町が蔵を建てて、酒造りを酒造会社に任せるやり方なら、酒蔵の負担も軽くなるから誘致できるんじゃないか。その節は入札に是非参加してほしい」とすぐに動き出しました。
移転の実現、そして理想的な設備の新蔵へ
東川町が計画をまとめた "公設民営酒蔵" は建設費が約3億5,000万円。農業振興、地域振興事業に対する国の補助金なども受けることができ、移転してくる酒造会社の負担は5,000万円で済むという魅力的な内容でした。
一方で地元との繋がりが深い地酒蔵にとって、創業の地を離れること、まして本州から海を渡った移転は難しい決断になります。しかし山田さんは「子供は巣立っているし、妻も移り住むのには賛成してくれた。地元である中津川でも理解は得られるだろうと考え、迷わず手を挙げました」と話しています。
結局、公募入札に参加した三千櫻酒造が無事に採択され、進出が決まります。山田さんの片腕で別の蔵での杜氏経験もある安藤宏幸さん(移転後の造りから杜氏に就任)夫妻、それにもう1組の蔵人夫妻も加わって、6人が東川町に移り住むことになり、2019BYの造りを終えた2020年春から東川町への引っ越しが開始。7月には地元中津川の関係者や住民が集う送別セレモニーも開催され、 11月7日に東川町で新たなスタートを切りました。
二階建て、延べ床面積約680㎡の酒蔵は、山田さんの注文通りコンパクトにまとめられ、作業動線も理想的です。懸案だった麹室も3部屋に分かれた理想的な構造になりました。搾り機も冷蔵庫の中に設置されています。寒冷地ならではの、冷たい外気を取り入れて蒸米の放冷に活用する仕組みもあります。小さな仕込み用のタンクを7本配置し、フル生産すれば岐阜時代の3~4倍のお酒を造れる設備です。
使用するお米は東川町産のきたしずくと彗星、それに一般米で全体の7割。今後は町内産をさらに増やしていき、山田さんがこよなく愛する「兵庫県産愛山」「福井県産九頭竜」を除いては、最終的にはすべて地元産にする予定です。
仕込み水の変化も乗り越え、進化した三千櫻を目指す
岐阜時代の酒造りとの最も大きな違いは、仕込み水が超軟水から中硬水に変わったことでした。醪の管理などが一変することになりますが、山田さんはメキシコで、安藤新杜氏はこれまでに酒造りを経験した蔵で、それぞれ硬水での酒造りを経験済みだったこともあり、どちらでも対応できると不安はなかったそうです。
実際に臨んだ初めての酒造りについて、安藤杜氏は、「発酵と糖化のバランスを取るのにいささか苦労しましたが、できたお酒は数値的には岐阜のときとほぼ同じです」と話します。
山田さんも「三千櫻の底流に流れる綺麗で優しい酒というテイストは守りたかった。搾ってみて、できた酒は岐阜時代よりも透明感が増した気がします。その分、気持ち目立つ硬さをどう調整していくか。あと少し膨らみが加われば、飲み手に『北海道へ移って、三千櫻は進化した』と言ってもらえるのではないか」と話すとおり、従来からの三千櫻ファンの評判も上々です。
実際、今年初めから売り出した新天地のお酒は順調に売れていて、蔵に直接買いに来る人たち向けのお酒が品切れになる事態にも。従来の特約店のほとんどは取引を続けているうえ、北海道内の酒販店からも取引依頼の申込みが次々と入っています。思惑通りの順調な滑り出しに、「これまでのファンを大事にするのはもちろんですが、北海道民に愛飲される地酒として頑張っていきたい」と山田さんは意欲を見せていました。
酒蔵の誘致を通じた地域経済の発展、そして気候変動が続くなか、これからも続くかもしれない酒蔵移転の先例として、三千櫻酒造のこれからにますます注目が集まります。
酒蔵情報
三千櫻酒造
住所:北海道東川町西2号北23番地
電話番号:0166-82-6631
創業:1877年
社長:山田耕司
杜氏:安藤宏幸
WEBサイト:https://michizakura.jp/
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