「ユネスコ無形文化遺産」への登録を目指す日本酒 -制度を出発点とした考察 -  (1/2)

2020.03

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「ユネスコ無形文化遺産」への登録を目指す日本酒 -制度を出発点とした考察 - (1/2)

河島 泰斗  |  SAKE業界の新潮流

昨年12月に国税庁が公表した『「日本酒のグローバルなブランド戦略に関する検討会」中間とりまとめ』には、日本酒のブランド力を強化するための施策として、「ユネスコ無形文化遺産への登録」が盛り込まれています。

③ ユネスコ無形文化遺産への登録【文化庁、国税庁】
・「稼ぐ文化」の柱の一つとして、日本酒等のユネスコ無形文化遺産への登録に向け、検討を開始する。

これと関連して先日、政府がユネスコ無形文化遺産への登録に向けて具体的に動き出す旨、報道がありました

では、このように「ユネスコ無形文化遺産」への登録を目指す意義、そして実現に向けた課題とは何でしょうか。ここでは「制度」を出発点にして考察してみましょう。

「無形文化遺産」とは?

ユネスコ「無形文化遺産」の概要

無形文化遺産とは、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が、2003年に採択された「無形文化遺産の保護に関する条約」に基づいて実施している事業 です。その目的は、グローバリゼーションの中で失われつつある世界各地の伝統的な芸能、社会的慣習、儀式、祭礼、行事、伝統工芸技術などの無形の文化を、国際的な連携のもとで保護することにあります。ユネスコは、世界中の条約締結国・地域から推薦された案件を審査し、条約の理念に適合すると判断したものを「登録」 します。

日本は2004年に無形文化遺産条約を締結し、初登録の「能楽」「人形浄瑠璃文楽」「歌舞伎」(2008)年)から、最新の「来訪神:仮面・仮装の神々」(2018年)まで、多岐にわたる分野から合計21件が無形文化遺産に登録されています(2020年2月現在)。また、日本酒と関係が深いものとして「和食;日本人の伝統的な食文化」も2013年に登録 されています。

なお無形文化遺産は、同じくユネスコの事業である世界遺産、特にそのうちの文化遺産として登録されるものと混同されることがあります。

世界遺産とは、1972年に採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づいて登録された、人類が共有すべき普遍的な価値を持つ有形の遺産を指します。世界遺産には文化遺産、自然遺産、複合遺産の3種類があり、日本から登録された文化遺産として、「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」などがあります。

無形文化遺産は世界各地の無形文化として、世界遺産は人類共有の財産としての有形遺産として定義されるという点が、両者の大きく異なるところです。

無形文化遺産の理念

無形文化遺産の理念は、条約の第二条定義に良く表現されています。少し長いですが、全文を掲載した上で、日本酒の登録と特に関連が深い事項を4点解説します。

第二条定義
この条約の適用上、
1.「無形文化遺産」とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間 であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう。この無形文化遺産は、世代から世代へと伝承され、社会及び集団が自己の環境、自然との相互作用及び歴史に対応して絶えず再現し、かつ、当該社会及び集団に同一性及び継続性の認識を与える ことにより、文化の多様性及び人類の創造性に対する尊重を助長するものである。この条約の適用上、無形文化遺産については、既存の人権に関する国際文書並びに社会、集団及び個人間の相互尊重並びに 持続可能な開発の要請と両立するものにのみ考慮を払う
2.1に定義する「無形文化遺産」は、特に、次の分野において明示される。
(a)口承による伝統及び表現(無形文化遺産の伝達手段としての言語を含む。)
(b)芸能
(c)社会的慣習、儀式及び祭礼行事
(d)自然及び万物に関する知識及び慣習
(e)伝統工芸技術
出典:「無形文化遺産の保護に関する条約」(文化庁仮訳)

①登録対象として「食品・飲料そのもの」は事実上含まれない

上記1.の冒頭や2.で示されているとおり、無形文化遺産の登録対象はかなり幅広いのですが、条約及び関連資料の他の部分を見ても、日本酒が属する「食品・飲料そのもの」が含まれるかどうかは明示されていません。

では、過去の登録事例があるかどうかと言えば、飲食文化や伝統製法が登録されている事例はあるものの、飲食物そのものが登録されている事例はありません。つまり、事実上含まれない ものと考えられます。

②「長い伝承」を求められる一方で「変化」が許容される

次に注目したいのは、「無形文化遺産は、世代から世代へと伝承され、社会及び集団が自己の環境、自然との相互作用及び歴史に対応して絶えず再現」という一文です。

これは端的に言えば、「長い期間にわたって継承されてきたことが求められる一方で、時代に応じた変化が許容されている。」ということです。無形文化遺産は生きた遺産であり、生きている遺産は変化するという考え方が前提とされています。

③伝統的な行為の担い手であるコミュニティとの関わりが問われる

上記に続く文章として、当該社会及び集団に同一性及び継続性の認識を与える という一文があります。これは、無形文化遺産というものは、その母体であるコミュニティが、伝統的な行為を実行することによって、自分たちは何者であるか(アイデンティティ)、そして伝統を継承してきたことを再認識するものだということです。

無形文化遺産への登録に際しては、伝統的行為そのものの価値だけではなく、その行為が、担い手であるコミュニティの中でいかに大きな存在であるかが問われます。

④「持続可能な開発」の視点から評価される。

1.の最後にある 持続可能な開発の要請と両立するものにのみ考慮を払う という一文も非常に重要です。遺産の登録における具体例としては、「商業化等による遺産の価値の毀損防止」と、「環境保護などによるプラス面の評価」が挙げられます。

前者に関しては、ビジネスとの距離が近い飲食文化は厳しい目で見られており、過去の「フランスの美食術」や韓国の「キムジャン文化」の登録においては、ユネスコから過度の商用利用を戒める旨の警告がありました。

後者に関しては、世界の酒類の登録事例において、環境保護の視点が評価されたケースがあります(内容は後述)。

世界の酒類における無形遺産登録の事例

続いて、日本酒文化の登録のイメージをつかんでもらうため、世界の酒類における事例を紹介しましょう。ユネスコのデータベースによれば、酒類に関係する無形文化遺産として下記の3件が存在します。

「古代ジョージアの伝統的なクヴェヴリワイ​​ン製造方法」(ジョージア、2013年登録)

中央アジアに位置するジョージアのワインは、世界有数の歴史を持ち、近年日本でも注目が高まっています。ジョージアの伝統的なワイン生産者たちは、クヴェヴリと呼ばれる卵型の土器を用いて、ワインの製造、熟成、保管を行ってきました。

無形文化遺産への登録にあたっては、このような 伝統的な製造方法に関連する知識とスキルが世代を超えて継承され、現在も国内で広く実践され、地域のコミュニティと密接不可分な存在となっていること等が評価 されたようです。
参考:UNESCO Webサイト「Ancient Georgian traditional Qvevri wine-making method

「ベルギーのビール文化」(ベルギー、2016年登録)

ベルギーでは、約1500種類のビールが様々な方法で生産され、1980年代以降は、地域に根差した小規模醸造所が生産するクラフトビールが特に人気を集めています。

無形文化遺産への登録にあたっては、ビールとお祭りや日常生活(食文化など)との深い関わり、長年にわたり継承されてきたビール醸造の歴史、その知識と技術を次世代に継承するための取組、持続可能な生産を目指す努力(製造過程の水使用量削減など)といった多面的な観点から、ベルギー国民又は国内のコミュニティにとって、ビールが欠かすことができない「文化」であること等が評価 されたようです。
参考:UNESCO Webサイト「Beer culture in Belgium

「フフールのアイラグ(馬乳酒)製造の伝統技術と関連の習慣」(モンゴル、2019年登録)

モンゴルでは、フフールと呼ばれる牛などの皮で作った革袋を使用し、アイラグ(馬乳酒)を作る伝統があります。アイラグはモンゴル人の重要な日常食であり、お祝いでの飲み物としても重要な役割を果たします。

無形文化遺産への登録にあたっては、フフールでアイラグを作る伝統的な技法とそれに関連する習慣が何千年にもわたり継承されてきたこと、アイラグが「幸福の象徴」としてモンゴル人のアイデンティティとなっていること、アイラグ製造の母体となっている遊牧民の牧畜が環境保護と持続可能性を達成する方法になり得ること等が評価 されたようです。
参考:UNESCO Webサイト「Traditional technique of making Airag in Khokhuur and its associated customs

これらのうち、ジョージアとモンゴルの事例は「伝統的製法」に依拠していますが、それに対してベルギーの事例は「伝統の上に成り立つ現代文化」に力点が置かれているように感じます。

まとめ

日本酒は言うまでもなく長い歴史を持っていますが、その過程で技術革新を繰り返しており、「クヴェヴリワイン」や「馬乳酒」のように昔と同じ製法で造られているわけではありません。その一方で、原料や製法の大枠は継承されており、また、前述のように無形文化遺産が「時代に応じた変化」を許容していることも考え合わせれば、日本酒が「伝統的製法」であるとの価値づけが一定の説得力を持つ可能性も否定できません。

一方、「伝統の上に成り立つ現代文化」という観点からは、全国に分布する多数の醸造所と製品の多様性、和食と日本酒の深い関わり、祭礼や宗教儀式との関わり、冠婚葬祭との関わり(三々九度、鏡開きなど)といった価値づけの可能性が考えられます。

今後は、日本政府を中心に、日本酒業界などの幅広いプレーヤ-の参加のもとで、ユネスコの審査に耐えうる「ストーリー」を構築していくこととなります。いったいどのような切り口から「日本酒を取り巻く文化や製造技術」の価値が整理されるのか、興味は尽きません。
(後編に続く)

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