2023.12
05
日本酒「ひげ文字」の過去と現在(後編) - デザイン遺産としてラベルのアーカイブ化を
伝統的な日本酒のラベルに見られる「ひげ文字」という書体。前編では、これまでの歴史について解説しました。
後編となる今回は、石川県金沢市で長く酒ラベルのデザインにかかわってきた中山穆(あつし)さん(90)にお聞きした話を紹介します。そのうえで日本酒ラベルを研究している筆者が、ラベルやひげ文字を近代デザイン遺産として再評価し、アーカイブ化することを提案します。
独学を重ね、ラベルデザイナーに
2023年6月、金沢市の中山さんの作業場を訪問しました。そこで「ちょっと描いてみました」と見せてもらったのは、酒ラベルの原画パネルです。稲穂と朱杯をバックにした「祝杯」という架空の銘柄。そのまま瓶に貼って出せそうなほどの完成度です。
「銘柄周りがさびしかったので、杯を入れてみました。稲穂は、先輩の版下さん(後述)が残していたのをなぞって……。久しぶりに描いたので3、4日かかりました。あとは醸造場の名入れをすれば出来上がりです」
そこで中山さんに見せてもらった作成工程は複雑で細かなものでした。詳しい内容は、記事の最後に紹介します。
字典がぼろぼろになるまで書き写す
中山さんは、デザインに関してはほぼ独学でした。地元の印刷会社を辞めて希望のデザイン事務所に入ったのは昭和28(1953)年。はじめは皿洗い、水くみ、掃除などで、仕事も、与えられた文字を方眼紙に拡大したり、カートンに展開していったりする作業ばかりでした。
文字デザインについて、所長は何も教えてくれなかったそうです。「やりたいなら自分で研究してやれ、俺よりいいものをつくれ、ジイさんの真似をせんでいい」というのです。
そこで、習字の手本や、さらには三体字典(楷書・行書・草書の三体の字典)を見て書き写しを始めました。3つの書体をチラシの裏に鉛筆で写すのです。それにひげを加えたり、虫食いを入れたりして、次第にコツをつかんでいきました。見せてもらった字典の表紙はぼろぼろ。積み重ねられた努力を垣間見ました。
働き盛りの昭和40年代は、戦前からの古典的なラベルが次第に変化し始めた時期です。家紋の崩し、幾何学文様、昔の酒造り図、写真や布地などこれまでになかったデザインが工夫されるようになり、新しい注文がつぎつぎに入ってきました。
ところがひげ文字については、長く使って崩れてきた書体の書き直し以外の新規注文はわずかしかありませんでした。新しい銘柄は「ひげなしの筆文字」が多かったのです。
仕事と離れたひげ文字で楽しむ
仕事のやり方に転機が訪れたのは約20年前でした。印刷業界に押し寄せたデジタル化の波。 60代になってからこの最新技術に合わせるのは困難で、しかも発注先の会社からは「もう手書きのものは受け付けられない」と言われます。
こうした変化を機に、注文は少なくても他の人にはできないひげ文字の仕事だけを受けることにしました。そこで、前回の記事で紹介した「九頭龍」や「美淋酎」が生まれたのです。
一方で、仕事とは別に「表現としてのひげ文字」に楽しみを見いだしました。「九頭龍」蔵元・黒龍酒造の水野直人社長から、 「最近はひげ文字を書ける人も少なくなった。個展でも開いたら」と言われたのがきっかけ。文字に絵を加えた独自の造形にも至り、3回の個展を開きました。 「仕事だと思って書いていた時はそんなに面白いとも思わなかったが、今は自由に書けるので楽しい」と心境も変わってきたと話します。
ひげ文字の文化を守り生かすために
200年近い歴史のあるひげ文字は、それだけで大きな文化遺産といえるでしょう。しかしその多くは残っていません。今あるものも、このままでは使い捨てられ、消えていく可能性があります。今のうちにラベルをアーカイブ化しておかなければ、と思います。
グローバル時代こそローカルに存在感
明治の「文明開化」と昭和の敗戦により、日本人は伝統文化への自信を失い、欧米文化に傾斜していきました。商業デザインはその最たるものかもしれません。その中でかろうじて伝統を引き継いできた数少ない一つが、日本酒の世界でした。しかし21世紀のグローバル化で、日本酒のデザインも次第に西洋化し、伝統離れが進んでいく気配があります。
ただ行き過ぎたグローバル化は、反グローバルの動きを生み出しました。とりわけ、文化の面ではローカルに目を向ける人が増えています。
幸いなことに、日本酒はグローバル化に乗って世界にファンを獲得し、日本らしさ、すなわちローカルを極めた味わいが支持されました。その顔であるラベルには、堂々と日本らしいローカル性をにじませた方が、より存在感を増すはずです。
日本酒業界には、過去のデザイン遺産を再発見し、今こそ一部の定番商品を中心に「これぞ日本の意匠」というべきラベルを展開してほしいと思います。
日本酒ラベルをアーカイブ化し発信を
こうした動きを支えるためには、デザイナーが、過去の蓄積にヒントを求めてアクセスできるデータベースが必要です。着物の柄見本、日本画の粉本(制作の参考にするため模写した絵)のような役割を果たし、そこから精髄が汲みだせるようなすデータベースができれば、見た人に刺激やインスピレーションを与えられるでしょう。日本人だけではなく、日本文化に関心を持つ海外の人たちにとっての重要なソースにもなります。
ラベルについては、独立行政法人酒類総合研究所(広島県東広島市)が、平成14(2002)年に研究用に集めたラベルを「日本酒ラベルコレクション」としてホームページで公開しています。ラベル印刷のカンキ堂(大阪市)も、ホームページに、日本酒造組合中央会の収集を紹介する「昭和の酒ラベルギャラリー」を載せています。こうした取り組みはまだ散発的です。蔵元やコレクターの協力を得て、古いラベルも網羅した充実のデータベースをつくれないでしょうか。
ひげ文字に関して言えば、既に面白い試みがあります。中山さんを師とし、SNS上で「伝統デザイン研究所」の看板を掲げて発信している日暮奏太さんは、こうしたデザインをTシャツや缶バッジに展開しています。ひげ文字を面白がって、書き方を知りたいと問い合わせる若い人もいるそうです。これまで触れることの少なかった世界だけに、逆に興味がわくのかもしれません。
ひげ文字デザインを持ち寄るネットの場づくりを考えてもいいのでは、と思います。ひげ文字単体だけでなく、何かと組み合わせたものも含めることにし、さらに「業界」外の人たちの参入も歓迎すれば、日本の文字デザインシーンにささやかな波紋が広がるでしょう。
90歳ラベルデザイナーの技を見る
最後に、金沢市の中山さんの作業場で見せてもらったラベルデザインの工程を書き記します。
細かい線は日本画の面相筆で
ベニヤ板(縦30センチ、横20センチ程度)を準備し、ぬらしたケント紙を置いて固定します。日本画でいう「水張り」。乾くと紙がパンと張って、しわになりません。このパネルに、ラベルの位置を示す枠線を鉛筆で引きます。
手始めは背景。地色を塗って、その上に稲穂を描いていきます。稲穂は、既成のデザインをトレシングペーパーに写し取り、それをカーボンコピーでパネルに転写して下図とします。市販のカーボン紙は濃すぎるので、鉛筆で片面を塗りつぶした自作品を用い、鉄筆でなぞっていきます。下図の上に、面相筆で金泥を置いていけば、黄金の穂波が現れます。
鉛筆で下書き、何度も修正
今度はひげ文字です。別の大きい紙に、鉛筆で輪郭を下書き。ひげやかすれを入れ、何度も手直しします。輪郭が決まると縮小コピーし、先ほどと同じように自作カーボン紙で原画パネルに写していきます。それを面相筆でなぞり、内側を塗りつぶします。
難しいのは、ひげを等間隔にそろえること。 そこで使うのが秘密の道具「引きざや」です。逆Y字形のコンパスをイメージしてください。片方の足を丸くして雲形定規の溝に置き、もう一方に面相筆を挟みます。定規にそって線が引け、定規をずらすと同じ曲線が何本でも引けます。
最後に、醸造場の名入れの作業を見せてもらいます。
木の台を置いて左手と右手首を固定。息を止め、細かい文字をゆっくり書き入れます。「以前のようには手が動かん」とは言いながら、やはり昔取った杵柄。安定した筆遣いでした。
新品の面相筆は、先端を0.3ミリ程度カッターナイフで切って使います。隷書体やゴシック体の文字が書きやすくなるとのことです。
原画が完成すると、デザイナーの仕事は完了です。原画は、色ごとの刷版にする版下職人の手に渡ります。
以上、前後編にわたって日本酒が誇るべきラベルデザインの技術・ひげ文字について解説をしてきました。
日本酒に国内外から注目が集まっている現代。ラベルを総合的に検索できるデータベースの構築と、ひげ文字にかかわるさまざまな発信と展開は、今こそチャンスだと確信します。
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