2019.12
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全量純米で地元に根付き親しまれる酒を目指す - 神奈川県・大矢孝酒造
創業1830年の大矢孝酒造は神奈川県の北西部、愛甲郡愛川町にあります。2009年からは全量純米の造りに取り組んでおり、「残草蓬莱」「昇龍蓬莱」というそれぞれ異なる特徴を持つ二つの銘柄を醸しています。
丸に一本縦矢の家紋を持つこちらの家系は遡ること二十代前。1569年に行われた武田信玄と北条氏による戦国時代最大の山岳戦「三増峠の戦い」において、初代大矢氏は北条方で騎馬隊長を務め武勇を誇っていましたが、合戦の後は武器を置き、けやきの木を植えこの地に根を下ろしました。「糸の町」として知られたこの愛川町で大矢家は養蚕などを営みこの地を発展させてきた歴史を持っています。
その大矢家が酒造りを初めてから八代目にあたる大矢俊介さんにお話を聞かせていただきました。
酒造業への転身、蔵元から蔵元杜氏へ
幼い頃から、熱い釜や落ちれば命にかかわる発酵タンクなど、危険が多い蔵にはあまり近づかないようにと言われて育ち、そのため馴染みもなく 「蔵を継ぐ」という事に関して「まったく考えていなかったんです」 と、笑いながら話す大矢さん。
大矢家は代々襲名制であり、奇数代は「善左衛門」、偶数代は「市右衛門」の名前を継承しながら酒造りに携わってきました。そのような家系でありながら、家業をあまり意識しなかったというのは、自分の代で終わらせようとおそらく考えていた先代の影響が大きかったのだろうと察せられます。
「継ぐことを考えていなかった」という言葉どおり、実際に酒造りとは全く異なる企業に勤めていましたが、先代が倒れた事により状況が一変しました。 「最初は仕方なく戻ったというのが本音だったが、徐々に蔵の仕事に携わるうちに酒造りにのめり込んでいくようになった」 といいます。
二十代後半、蔵に戻った当初は越後杜氏4人を迎えての昔ながらの酒造りスタイルでした。やがて杜氏集団の高齢化に伴い大矢さんも造りの手伝いに入るようになります。そして杜氏集団から欠員が出るたびに地元の人々を雇用していった結果、気付けば自分達だけで全てをこなすようになっていました。その後、勤続34年の杜氏が最後に退社した事をきっかけに、大矢さんが蔵元杜氏に就任 しました。
現在の製造石数は500石。今では全量純米蔵として知られていますが、はじめは9割が普通酒と本醸造酒で占められていました。そこから売れるものを3割増し、売れないものを2割減と繰り返すうちに、いつの間にか全量純米造りになっていたのです。それは 「市場に合わせてきた結果であって、決して世にあるアル添酒が悪いと考えている訳ではない。品質が良ければアル添でも良い」 と大矢さんは言います。
丹沢水系の仕込み水で造られる二つの銘柄
蔵のある地域を指す「小字残草(こあざ ざるそう)」と仙人が住むという「蓬莱山(ほうらいさん)」とを合わせた 「残草蓬莱」は創業当時から造り続ける銘柄で、現在は速醸酛により爽やかで軽快な飲み口に仕上げています。
市場に合うように酒質を変化させてきた歴史もあり、かつては味わいや香りの出方が異なる6号、9号、10号、14号、15号などの多くの酵母を試し納得のいく酒を目指して試行錯誤を重ねてきました。以前の麹室の設備では、作業の都合で製麹にかかる時間が長くなってしまうことも多く、そのため清酒中に麹由来のアミノ酸が多くなってしまうことがありました。アミノ酸は適度なバランスで含まれていないと、旨味よりも雑味が感じられる味わいになってしまいます。
さまざまな酵母を試すなかで、7号酵母の場合には上記のような環境下でも、適切なアミノ酸バランスの酒を造れることが分かりました。その結果、現在では泡なし7号酵母のみで醸すことを選択しています。ただし新しい蔵人が入社した時には、その違いを感覚や経験として教え込むために泡あり酵母も使うなど、技術指導にも引き続き余念がありません。
そして、2011年には生酛造りによる銘柄「昇龍蓬莱」を立ち上げました。 実は上原浩先生(※)に技術指導を受けた際に「生酛なんてやるものじゃない。なぜ速醸が生れたのか意味を考えなさい」と言われた事がある、と当時を振り返る大矢さん。速醸酛にくらべて雑菌による汚染を受けやすい生酛では、より清潔な環境で酒造りを行う必要があります。
(※)鳥取県を中心に酒蔵への技術指導を行っていた酒造技術者で「酒は純米、燗ならなおよし」の言葉を残したことでも知られる
そのため様々な設備を更新しオゾン水による洗浄や、貯蔵用冷蔵庫内のオゾン殺菌が可能にすることで、雑菌による汚染が起こりにくい環境を整備しました。オゾンによる殺菌を選択した理由も、熱湯よりも殺菌力が強く、薬品と異なり水と酸素に自然分解されること、薬品を使用し続けることで耐薬性のあるカビが発生する場合があるという酒造関係者からの情報まで、徹底的に考え抜いた結果です。
また作業工程でも蒸米や麹には素手で触らず、手をしっかり消毒液で洗ったうえで、使い捨ての手袋をして丁寧に扱います。これにより手の常在菌が麹や蒸米に付着することを防ぐことで綺麗な酒質に仕上がり、とりわけ4VGという成分が引き起こすスモーキーな香りが出にくくなるといいます。こうした工夫や努力により清潔な酒造りを実現したうえで、しっかりとしていて燗上がりするような酒質を目指し、生酛造りをスタートさせたのです。
大矢さんが辰年生まれであったことや、酒造りに入ったのも辰年であること、そして威勢の良い酒であるという意味を込めて「昇龍蓬莱」と名付けました。
地元に根付き親しまれる酒を目指す
日本酒の消費は昭和48年をピークに下がる一方で海外に販路を見出す蔵も少なくありません。
大矢孝酒造もイギリス、フランス、中国、香港、シンガポールなどに輸出していますが、大矢さんの意識は国内に、そして地元神奈川により強く向いています。 輸出していると言うと華やかなイメージもあります。しかし国内での日本酒の供給が飽和していない状態で、神奈川という人口も多い地域でありながら、どの蔵も1,000石以下であるという現況。そして神奈川県で消費されている日本酒の全体量のうち98%以上は県外のお酒であるということからも、まだまだ消費拡大を狙えるのではないかと熱意を見せます。
大矢さんが自分から営業をかけるのは神奈川県内のみだといいます。もっと地元の人に飲んで欲しい。まずは地元をしっかりと固めていきたい!そこにはこのような熱い想いが根底にありました。
一次産業を活性化させ、海外に依存しない強い日本を作っていきたい
「美味しいお酒が目の前にある時、多くの人がひと手間かけたしっかりとした食事をしたいと望むのではないだろうか。日本酒を飲むという流れの中で、消費者の目は肉でも野菜でも国産のものに目が向くのではないだろうか。農業などの一次産業の活性がより良く強い日本を作っていく。」
純米酒蔵になって11年。純米酒を造ると原材料をより多く使用する事で米農家を支える事ができます。 自社で米作りに取り組む酒蔵もありますが、大矢さんはそれをするつもりはないといいます。
米作りをするには米が土地に馴染むまで5年以上の長い歳月がかかり、安定的な収穫が困難であるという理由もありますが、米は米の専門家である農家に任せて買い支えたいという思想が根底にあります。そうした思いを反映するように、現在の契約農家とは米の出来に関係なく3年先までの米の買い取りを契約しています。
様々な酒米を使っていますがメインとなるのは山田錦、美山錦、出羽燦々の3種。
災害時のリスク回避のため複数の産地を使っていますが、特に思い入れが強いと話すのは徳島県産の山田錦です。酒造りで影響を受けた神亀酒造さんに同行し徳島へ行った際、その営農指導などがしっかりしている事に感銘を受けたそうです。現在でも年に3回は田んぼに視察に行き、米の育成状況や出来を確認しに行くといいます。
まとめ
大矢俊介さんの酒造りには、お酒を通じて一次産業を支え、それによって地元神奈川から日本を支えて行きたいという強い想いがあります。
こうした造り手の立場としての強い想いを持つ一方で、消費者に日本酒に親しんでもらうための工夫も積み重ねています。 消費者の日本酒離れの要因の一つに表示の難しさがありますが、「生」「生貯蔵」「生詰」は消費者には区別が難しくどれも生酒だと認識されてしまうこともあります。
「飲み手目線で表示をわかりやすくしていくことが、売り場で手に取ってもらいやすくなることに繋がるのではないだろうか」 そうした考えから、大矢孝酒造のお酒は「生原酒」か「火入れ」のみの、わかりやすくシンプルなラインナップ をとっています。そしてアルコール度数12%とトランプの12をかけて低アルコール商品の名前を「Queeen」とするなど、独自のユーモアのセンスも日本酒に興味を持ってもらうための楽しい要素のひとつになっています。
大矢さんの堅実で地元に深く根をおろした酒造り、そして飲み手にとっても分かりやすく楽しい酒は、今後も多くのファンを集めていくでしょう。
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