名門蔵の杜氏が40歳で新天地へ。醸造家・北原亮庫が北海道で新たな日本酒づくりに挑む - 北海道・森ノ醸造所

2026.04

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名門蔵の杜氏が40歳で新天地へ。醸造家・北原亮庫が北海道で新たな日本酒づくりに挑む - 北海道・森ノ醸造所

山本 浩司(空太郎)  |  酒蔵情報

実家の酒蔵である山梨銘醸(山梨県北杜市)の醸造責任者として、「七賢」の酒質向上と新商品開発に力を尽くしてきた北原亮庫(きたはら・りょうご)さんが、新たな勝負に出ました。2024年秋に山梨銘醸を退職し、北海道蘭越(らんこし)町にスパークリング日本酒専業の蔵をゼロから立ち上げ、2025年暮れから新天地での酒造りに乗り出しています。
現地を訪れ、「醸造家として理想の酒造りを極めたい。それが人生の最終目標」と言い切る北原さんの思いを探りました。

実家の山梨銘醸で「七賢」の酒質向上に努める

北原亮庫さん

山梨銘醸の12代目蔵元、北原兵庫さんの次男に生まれた亮庫さんは、一歳上で長男の対馬(つしま)さんが蔵を継ぐものと思い、中高時代は大好きなサッカーに夢中になり、将来はスポーツに関わる仕事に就きたいと考えていました。大学進学時にも勉強の傍ら、スポーツを続けるつもりで、東京農業大学に進学します。

20歳になったころ、父から「蔵に開いたレストランや直売所が順調なうえに、農業生産法人も作って米作りも始めて、とても忙しい。蔵に帰って、酒造りを担当してくれないか」との打診がありました。反発する気持ちもありましたが、「僕が断ったら、他の兄弟にその仕事を押し付けることになるし、それは申し訳ない」と考えた亮庫さんは、蔵に帰ることを決意します。大学卒業後、米国の酒の販売代理店で半年学び、次に岡山の地酒蔵で3造り修行をし、仕上げに酒類総合研究所の研修を受けてから、25歳で蔵に帰ってきました。

蔵に帰ってきた時の酒造りの体制は、出稼ぎ型の杜氏と蔵人が冬場にやってきて酒造りをする旧態依然型のスタイルでした。本醸造酒主体の大仕込みで1700石を造っていましたが、「酒質はそれなりで、可もなく不可もなく。都内の居酒屋で飲んだ美味しい地酒とは全然違っていました」と亮庫さん。
そんな蔵に蔵人の一人として加わった亮庫さんは3年間、じっと観察を続けました。そのうえで、父に造りを抜本的に変えることを提案。2011年から南部杜氏を新たに招いて、亮庫さんは3造りをかけて二人三脚で新しい体制への移行を進めました。

手始めに着手したのは、七賢らしさを出すために造りをシンプルにすることでした。それまでの七賢は多様なニーズに答えようと、次々と商品を追加して、精米歩合も使う酒米も、酵母も麹菌もまばらでした。味わいも拡散して、「七賢といえばこの味」というものがなかったのです。
亮庫さんは、蔵が使う水の良さが酒に現れるように、酒米や酵母、麹菌などを絞り込んでいきました。七賢のイメージに合わないとみなし、山廃酒母のお酒は終売に。設備面でも 麹室を一新し、仕込みタンクを小仕込み用に入れ替え、最新の自動洗米機を導入するなど矢継ぎ早に改革を実施します。純米酒以上はすべて火入れを一回にして、瓶での貯蔵に切り替えました。

その結果、年々、七賢の評判は良くなり、売れ行きも向上していきました。

蔵を成長軌道に乗せたあと、独立を決意

森ノ醸造所の外観
北海道蘭越町の森ノ醸造所

2014BYからは晴れて杜氏に就任し、2015BYから瓶内二次発酵のスパークリング日本酒を発売しました。これが大ヒットして、現在では蔵のラインナップの大黒柱に育っています。
2017年6月に開かれた市販酒の日本酒品評会「SAKE COMPETITION」では、若手の最優秀な造り手に贈られる「若手奨励賞」を獲得して、亮庫さんの存在は業界で広く知られることになりました。
2020年ごろのコロナ禍も、七賢の主な販路は個人の自宅消費用であったことから、蔵の売り上げは落ち込まずに成長路線を維持しました。 「生産量は1700石から3500石と2倍にすることができて、山梨銘醸の醸造責任者としては達成感もありました」と亮庫さん。

成長軌道に乗った2018年に兄の対馬さんが13代目蔵元として社長に就任し、亮庫さんも常務から専務に昇格しました。ところが、このころから亮庫さんは自分の立ち位置に違和感を覚えるようになります。

「蔵人も育ってきて、北原家としては、僕の後の杜氏は創業家以外から選ぶことが決まり、むしろ僕には専務という立場で会社を見てほしいという雰囲気が強くなってきたのです。

でも、ここまで七賢が成長できたのは、酒造りという専門領域に全集中してきたからです。創業家でたまたま順番が回り専務という役職について、専務らしいことをしてほしいというのであれば、その役職を降ろしてしてほしいとさえ思いました。

次第に、このままだと自分の不満がよくないかたちで噴出してしまうのではないかと不安になってきました。そうなる前に、山梨銘醸を去った方が周りに迷惑をかけない。2024年に40歳になり、もうひと勝負するための時間はたっぷりある。それなら新天地を求めるしかない、と気持ちを固めていきました」

北海道蘭越町での“自然に近い酒造り”

吉野杉で作られた木桶

そんな折、運命ともいえる出会いがありました。以前から深い交流があった地元・北杜市の美術館「中村キース・へリング美術館」オーナーの中村和男さんから、北海道の蘭越町を紹介されたのです。
蘭越町は酒米を町の特産品に育てようと、2016年秋に「地酒開発プロジェクト」を立ち上げ、町内の農家と酒米の栽培に取り組んでいましたが、なかなか思うようにいかず停滞していました。そこで、蘭越町で薬用植物の栽培を始めるなど新規事業を展開していた中村さんに、金秀行(こん・ひでゆき)町長が 「アドバイスをしてくれる酒蔵を探している」と相談を持ち掛けます。そこで中村さんは迷わず亮庫さんを紹介し、2021年秋に両者が対面しました。

町長から話を聞き、アドバイスをしながら、亮庫さんは「自分が目指す酒造りの新天地はここなのではないか」という気持ちを膨らませます。 「蘭越町はもともと米の美味しい地域で、湧水も豊富。なのに、町内に日本酒の蔵はない。僕が酒蔵を建てれば、町とWin-Winの関係になれるはず」と、2022年暮れに酒蔵の立ち上げを決心しました。

町内を巡って清らかな小川が流れる森林3.6ヘクタールを購入し、敷地に酒蔵と自身の住宅を建て、不退転の決意で臨むことにしました。2024年9月には山梨銘醸を円満退社し、翌月に移住して、蔵の建設に着手。構想初期の段階から、造るお酒は瓶内二次発酵のいわゆるスパークリング日本酒に絞るつもりでした。

「これから、日本酒の市場に新規に参入するのだから、特徴がなければ生き残れない。それなら、七賢時代にしっかりと実績を上げ、造りのノウハウは誰にも負けない自信がある瓶内二次発酵のお酒で勝負するのが自然でした

加えて、もう一つのテーマはかつての日本でおこなわれていた“自然に近い酒造り”でした。

「日本には四季があるので、その移り変わる季節が漂う蔵で酒造りをしたいと考えました。現代の多くの酒蔵は、空調を利かせた蔵の中で、季節の変化をあまり感じることなく酒造りをしている。電気の消費が多く、自然に優しいとはいえない方法です。

そこで、新しい蔵では、空調は設置せず、自然の換気だけで温度管理をしています。仕込みに使うのは、吉野杉の木桶(2000リットル)5本です。麹室も全量秋田杉でつくりました。

さらに、使う米は地元、蘭越町で有機栽培で作られた食用米のななつぼしのみとしました。 仕込みは週一本のみ で、昨年(2025年)暮れに初めての仕込みで酒を搾りました」

瓶内二次発酵のスパークリング日本酒専業蔵として勝負

スパークリング日本酒 UPAS

新製品の銘柄には、北海道の原住民であり自然と共生してきたアイヌの言葉を使っています。第一弾「UPAS(ウパシ)」は、雪という意味の名前です。今後は順次、樽熟成や、海底熟成などの工夫を凝らした新商品をアイヌ語の名称でリリースしていく予定です。

お酒の値段は4合瓶(720ml)で税別4500円からと、日本酒の平均的な価格としては比較的高価な設定です。

「有機栽培米の農家から米を高く買っていることもありますが、生産量をあまり拡大しないでもていねいに酒造りをしながら経営を続けられるようにしたいと思っています。現状、営業も一切せずに、蔵の直売所とオンラインショップ、それに酒販店経由で販売していく予定です。

最低120石(1石=一升瓶100本)で採算が乗るようにするのが目標です。あくまでも醸造家である僕が北海道の大自然の中で造った作品として、飲み手にお酒の魅力を伝えていきたい。『スパークリング日本酒といえば森ノ醸造所』と言われるようにすることが最終目標です」

そう言い切る亮庫さん。醸造家・北原亮庫の新天地に、世界の愛好家から注目が集まろうとしています。

酒蔵情報

森ノ醸造所
住所:北海道蘭越町吉国7-8
電話番号:080-1986-6048
創業:2023年
社長&杜氏:北原亮庫
Webサイト:https://morino-brewery.jp/

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