米不足の時代に生まれた「日本酒のニセモノ」?合成清酒と三増酒から日本酒の“影”を学ぶ

2026.04

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米不足の時代に生まれた「日本酒のニセモノ」?合成清酒と三増酒から日本酒の“影”を学ぶ

熊﨑 百子  |  日本酒を学ぶ

日本酒が生まれてから今日までの長い歴史の中には、日本酒のようで日本酒ではない酒や今日では日本酒とみなされなくなった酒が求められ、大量に造られた時代がありました。その代表として知られるのが「合成清酒」「三増酒(三倍増醸酒)」です。

これらの酒は時代が進むにつれ、”甘い”、”二日酔いしやすい”といったネガティブなイメージから敬遠され、次第に消費が低迷するなか、三増酒は酒税法の改正により姿を消し、合成清酒も今日では見かける機会が減ってきています。

では、合成清酒と三増酒はどのようにして生まれ、どこにいったのでしょうか。この記事では、これらの酒の定義や歴史を紐解きながら、今日の日本酒を際立たせる”影の酒”が担った役割を見つめていきます。

合成清酒・三増酒の定義

合成清酒とは

合成清酒とは、「米または米を原料の一部として製造した物品を原料とし、清酒に似た性状・香味を有するように製造した酒類」と定義されています。 (酒税法 第3条 その他の用語の定義より引用)

この「米または米を原料の一部として製造した物品」には、必ずしも清酒のように 原料に米そのものを使う必要はなく、「米を原料の一部として製造した物品」がアルコールを含んでいるかどうかも問いません。そのため、清酒はもちろん、米からつくったブドウ糖やアミノ酸、麹菌で分解した米由来の糖化液なども含まれます。

一方で、米焼酎のように米を発酵させて蒸留したアルコールは、使用することは可能ですが、主原料となる「米を原料とする物品」には該当しません。さらに、酒粕については、合成清酒では使用を認められていません。これは、酒粕を使用すると、混合後に二次発酵などが起こることで成分に新たな変化をもたらす可能性があり、合成清酒の定義から外れてしまうためです。

また、できあがった合成清酒のアルコール度数を20%に換算したとき、「米または米を原料の一部として製造した物品」の重量が全体の5%を超える場合も、合成清酒とはみなされなくなり、「その他の雑酒(ざっしゅ)」に分類されます。つまり、より清酒らしい味わいにするために米由来の成分を多めに使ってしまうと、合成清酒ではなくなってしまうということです。

三増酒とは

三増酒とは、第二次世界戦後、合成清酒の製造技術を応用して開発された酒です。清酒の製造工程でできる醪(もろみ)に醸造アルコールや糖類、酸味料を加えます。米だけで造った清酒の三倍量を醸造できることから、三増酒(三倍増醸酒)と呼ばれるようになりました。

2006年までは清酒に含まれていた三増酒ですが、現在の酒税法では、醸造アルコール、糖類、酸味料などの重量の合計が米の重量の50%を超えるものは清酒として認められていません。三増酒と同様の製法で酒を造ることは可能ですが、「その他の雑酒」扱いになります。

合成清酒・三増酒の歴史

米を使わない酒の誕生

明治初期の酒造りにおいて、腐造や火落ちが大きな問題となっていました。1891(明治24)年から1892(明治25)年ごろに欧州からジャガイモを原料とする蒸留アルコールが輸入されるようになると、腐敗のリスク軽減のため、清酒にアルコールと調味料を加えた「混成酒」が発売されるようになります。この「混成酒」は、製造原価が安価なことから、手頃な価格で販売されたため人気を博しましたが、アルコール飲料に対する税法が変わり、アルコール輸入関税が引き上げられたことで衰退していきました。

大正時代に入り、人口増加と第一次世界大戦参戦による米の供給不足が起こると、商人や資本家が米の買い占めに走り、米の価格が暴騰します。その結果、 1918(大正7)年に米騒動が発生しました。原料米の確保が難しくなる中、1921(大正10)年に制定された「米穀法」を皮切りに、政府による米穀流通の規制が始まります。1939(昭和14)年に政府から減産命令や原料米の統制があった際には、清酒が不足し、闇価格が急騰。販売業者が 酒に大量の割水をして薄くした「金魚酒」や「水酒」と呼ばれる悪質な酒が市場に出回るようになるほどでした。

こうした原料米不足に対応するため、米を使用しない「合成清酒」の研究が本格化しました。合成清酒の醸造法確立において中心的な存在となったのが、理化学研究所です。1919(大正8)年、鈴木梅太郎研究室で合成清酒の開発に着手し、清酒を化学的に分析。アミノ酸、糖類、コハク酸などの成分とその比率を突き止め、それらを糖蜜やイモなどからつくったアルコールに配合することで清酒特有の香味を持つ純合成法の確立を目指しました。1924(大正13)年に「理研酒」の開発に成功した後も研究を続け、1930(昭和5)年には「理研発酵法」を確立。1943(昭和18)年には47社52工場で理研酒が量産され、その生産量は76万石を超えました。この「理研発酵法」は、1951(昭和26)年ごろまで中心的な合成清酒の製造技術となりました。

戦後生まれの三増酒

同じ頃、海の向こうの満州では、駐屯する日本陸軍向けの酒の供給に対応するため、現地醸造した醪へのアルコール添加試験が始まっていました。満州での好成績を踏まえ、1942(昭和17)年には日本の醸造試験所においても試験を開始。翌年の 酒税法改定で、原料米不足を解消するために清酒の醪に醸造アルコールの添加が認められると、アルコール添加酒は国内に普及していきました

1939(昭和14)年に始まった第二次世界大戦下、さまざまな物資が不足する中、清酒の製造も困難を極めました。合成清酒においても粗悪な原材料しか入手することができず、大きく評判を落とすことになります。灘の大手酒造家の多くは空襲によって被災し、天候不順が重なったこともあり、終戦後も数年間、清酒製造は不安定な状態が続きました。深刻な酒不足で、密造酒が出回り、工業用メチルアルコール中毒による失明や死亡が相次ぐなど、社会問題にも発展しました。

こうした状況の中、1949(昭和24)年、大蔵省指導のもとで増醸法が採用されます。増醸法は、合成清酒の製造技術を応用した醸造法で、清酒醪に同濃度の水で希釈した醸造アルコールを添加、さらに糖類や酸味料を加えることで、清酒の味を残したまま増量することが可能になりました。できた酒は「三増酒(三倍増醸酒)」と呼ばれ、1953(昭和28)年には清酒全生産量の59.3%を占めるようになったといいます。

この三増酒の承認は、合成清酒業界にとっては競合品の登場として捉えられ、合成清酒へ米の使用承認を求める運動が展開されました。結果として、1953(昭和28)年に合成清酒にも米の使用が認められることとなりました。

量から質の時代へ

経済合理性を優先し、三増酒が量産されるなど、高度経済成長期に清酒の工業製品化が進む一方で、清酒の原点回帰を目指す清酒製造業者が出てきました。ナショナルブランドメーカーと一線を画し、独自路線を貫く清酒製造業者は、地元市場向けに三増酒ではない本来の造りに則った清酒を醸造。1973(昭和48)年には純米酒の復興に関心を持つ清酒製造業者によって「純粋日本酒協会」が設立されるなど、高い酒質にこだわった酒造りが目指されました。

変化は、消費者側にも現れました。もともと品質が高いとは言い難かった三増酒は”ベタベタと甘く、二日酔いする酒”とされ、人気が低迷。ビールをはじめとする他の酒類との競争に敗れていきます。一方で、各地の地酒を楽しむという地酒ブームや1980年代に純米酒ブーム、吟醸酒ブームといった質の高い清酒を評価する動きが高まり、三増酒は1973(昭和48)年をピークに製造量が低下していきました。

こうして純米酒や吟醸酒など、品質を重視した清酒が広く製造、販売されるようになり、増醸法は2006(平成18)年の酒税法改定で清酒の定義から外れ、三増酒が製造されることは基本的になくなりました。

合成清酒・三増酒のいま

戦中、戦後の米不足の時期には大量に生産されていた合成清酒・三増酒ですが、現在ではその姿を消しつつあります。また、消費者の間に広がった”安価な酒は甘く、ベタベタする”、”アルコールが添加されているので二日酔いしやすい”というネガティブな印象は払拭できておらず、清酒離れを招く一因となったとも言われています。

しかしながら、アルコールや糖類などが添加された清酒がなくなったわけではありません。2006(平成18)年の酒税法改定において、三増酒が廃止された際にも「醸造アルコール、糖類、酸味料などの重量の合計が、米の重量の50%を超えない」清酒の製造は許可されています。これが、今日「普通酒」「一般酒」と呼ばれるお酒です。

2023(令和5)年に醸造された清酒のうち、約半分は普通酒であり、今日において清酒市場を生産量の面で支えています。これは、三増酒の系譜を汲む酒といえるかもしれません。

一方で合成清酒は、「料理酒」や「調理用清酒」としてその姿を残しています。最盛期にその中心的役割を担った理研酒も、かつてのブランド名「利久」の名前でアサヒビールが販売を続けてましたが、近年、生産を終了するなど、飲料用としての生産は少なくなってきています。

こうした流れの中、海外では少し違った動きがありました。2020年に、アメリカ・サンフランシスコのスタートアップ企業・Endless Westがエタノールやその他の化合物を組み合わせてSAKEの味や香り、テクスチャーを再現した酒を開発したのです。米を使用しないことで従来の日本酒造りに比べ、75%の節水、60%の土地削減、40%の炭素排出削減を達成できるとしています。サステナブルな側面を再評価する動きは、合成清酒の今の時代ならではの可能性を示しています。

おわりに - 清酒の歴史を繋いだ、"影"の立役者

日本酒とは呼べない合成清酒と三増酒ですが、誕生の背景や衰退の理由を知ることで、清酒の醸造が困難な時期において、清酒の代役を務めてきたことがわかります。これらの酒は”ただの偽物”ではなく、“清酒の影”でありながら、清酒の技術的な発展や、清酒が飲まれ続ける歴史を支えた功労者と言えます。

米価格の急騰や高温障害による米の品質低下などの課題がある今だからこそ、改めて影が歴史上で担った役割を評価すると同時に、今日まで続く日本酒造りが、いかに特別に守られてきたものであるのか再確認することができるのではないでしょうか。

参考資料

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