【完全版】酒母の歴史:日本酒の誕生から最新トレンドまで千年の沿革を徹底解剖

2026.05

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【完全版】酒母の歴史:日本酒の誕生から最新トレンドまで千年の沿革を徹底解剖

熊﨑 百子  |  日本酒を学ぶ

酒母とは、日本酒を造る土台となる液体のことで、「酛(もと)」とも呼ばれます。「一麹二酛三造り」という日本酒造りの格言がありますが、その2番目に来るほど重要な工程とされています。

現代の酒造りにおいて、「速醸酛」「生酛」など、酒母の製法は多岐にわたります。日本酒の風味にも大きく影響する要素のひとつでもあるため、製法の選択に蔵の特徴が色濃く反映されているといっても過言ではありません。

今回の記事では、酒母の誕生から現代の酒造りにおける酒母製法まで、酒母の発展の物語を紹介します。今私たちが飲んでいる日本酒にどのように関係するのか、その系譜を遡ってみましょう。

乳酸を活用した「菩提泉」の登場

菩提泉が造られていた菩提山正暦寺(出典:国立公文書館デジタルアーカイブ『大和名所図会』)
菩提泉が造られていた菩提山正暦寺(出典:国立公文書館デジタルアーカイブ『大和名所図会』)

日本酒造りの始まりは、紀元前600年ごろ、弥生時代に大陸から水耕稲作が伝わったころとされていますが、初めから酒母造りの工程があったわけではありません。

平安時代に編纂され、初めて日本の酒造りの技術的記述がなされた『延喜式』(927年完成)の中には、天皇が飲用する最高級酒である「御酒(ごしゅ)」の製法が記録されています。蒸米、麹、水を仕込んで発酵させ、ざるなどで濾過した液の中に、さらに蒸米と麹を仕込むという方法を繰り返す醞(しおり)方式で造られ、酒母の工程はありませんでした。

室町時代に入ると酒造りにも変化が現れます。鎌倉幕府滅亡後、南北朝の戦乱が終息した14世紀の終わりごろから戦国時代の末ごろまで、もともとは神事で供える酒を造っていた寺院が、寺の財源にするために造った「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ばれる酒が発展したのです。

室町幕府全盛期における酒造技術書である『御酒之日記(ごしゅのにっき)』には、僧坊酒をはじめとするさまざまな酒の造り方が記録されました。その中で、「酘(とう)方式」(段掛法)と呼ばれる製法が紹介されています。この製法は、酒母造りを独立させ、熟成させた酒母に蒸米、麹、水を仕込むという、それまでの酒造りと異なる方法でした。

酘方式は、当時の京都の銘酒「柳酒」や河内天野山金剛寺の「天野酒」に用いられたと記されています。一方、同じく『御酒之日記』に記載のある菩提山正暦寺の「菩提泉(ぼだいせん)」という酒の製法では、酒母造りと醪造りの工程は分離されていませんでした。しかしながら、この 菩提泉がその後の酒母の発展に大きく関わることになります。

菩提泉の大きな特徴は、はじめに生米と炊いた米を水に浸して乳酸発酵させた「そやし水」と呼ばれる酸性水をつくる工程があることです。できあがった酸性水と蒸米、麹を合わせて発酵させることで酒を造るこの製法は、中国の臥漿(がしょう)と呼ばれる乳酸発酵液を用いた酒造りに大変よく似ており、留学先の中国から戻った学僧たちがもたらしたものとも考えられています。当時は微生物学などはなく、あくまで人々の経験から行われていた酒造法ではありますが、この菩提泉の醸造で初めて、醸造プロセスにおいて乳酸を活用して雑菌の混入を防ぐ技術が登場したのです。

夏の酒母「菩提酛」と秋の酒母「煮酛」

実際におこなわれた酒の飲み比べ合戦を題材にした物語『水鳥記』(1648年)(出典:京都大学附属図書館所蔵 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ )
実際におこなわれた酒の飲み比べ合戦を題材にした物語『水鳥記』(1648年)(出典:京都大学附属図書館所蔵 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ )

江戸時代初期まで、酒造りは年中おこなわれており、酒の呼び名は仕込みの季節や製法によって異なっていました。17世紀半ばから台頭した銘醸地、現在の伊丹市にある摂津鴻池(こうのいけ)の流派を中心とした酒造技術を論じた『童蒙酒造記(どうもうしゅぞうき)』(1687年)にも複数の酒の製造方法が詳細に記されています。

暑い季節にも仕込むことができるとされているのが「菩提性(ぼだいしょう)」です。ルーツである菩提泉では仕込みが1回であったのに対し、菩提性では2回に分けて麹と蒸米、水を加えるように変化をしています。つまり、菩提泉を酒母としてお酒を仕込むようになったのが菩提性であるといえます。ここで生まれた酒母が 「菩提酛」と呼ばれている酒母です。気温の高い季節や温暖な地域でも比較的安全に造ることができたので広く普及し、 「水酛」と名を変えて、大正時代まで日本各地で造られたとされています。

夏に仕込む菩提性に対し、秋に仕込みを行うのが「煮酛(にもと)」です。仕込んで3〜10日目経った酒母に一度火を通す方法で、40〜50℃ほどで加温されていたと推測されています。温めることで糖化が進み、その後冷ますことで酵母を繁殖させることができるという利点がある一方で、加温により乳酸の生成が抑えられてしまい、雑菌に汚染されやすいという欠点もありました。

寒造りから生まれた「生酛」

1799年に発刊された『日本山海名産図会』には、伊丹でおこなわれた山卸しの様子が描かれている。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 1巻』)
1799年に発刊された『日本山海名産図会』には、伊丹でおこなわれた山卸しの様子が描かれている。(出典:国立国会図書館デジタルコレクション『日本山海名産圖會 1巻』)

江戸時代に人気を博していたのは、麹米と掛け米の両方に精白米を用いる「諸白(もろはく)」という酒でした。安土桃山時代に奈良の寺院および町方醸造家によって生み出された諸白は、「南都諸白」というブランドで定着し、その製法は次第に全国へ普及していきました。季節を問わず造られていた諸白ですが、中でも 寒造りが最も適した時期とされていました。

そんな中、17世紀末になると、伊丹で造られる「伊丹諸白」が高い評価を得るようになります。その理由の一つが、寒造りの仕込み技術の開発でした。

1658年に書かれた南都諸白についての資料では、一日二回朝晩、手でかき混ぜる「手酛」と呼ばれる作業がありました。『童蒙酒造記』で立冬から12月上旬ごろの仕込みとして紹介されている「水もと仕込み」(※1)では、これが朝昼晩の一日三回ずつに変化。さらに、11月ごろから立春まで造られる「寒造り」では、棒櫂(※2)を使った攪拌もおこなわれるようになりました。 「酛摺り(もとすり)」「山卸し(やまおろし)」と呼ばれるこの作業をおこなうことで、蒸米がすり潰されて糖化が進みやすくなり、寒中でも発酵に必要な時間を短縮することができるようになったのです。

※1 前出の「水酛」とは全く異なる製法のため、本記事内では差別化のため「水もと」と表記しています。
※2 櫂棒の一種で、撹拌部分が平らなヘラ状になっているもの。

1754(宝暦4)年、幕府が出した法令を契機に灘での酒造りが本格化すると、伊丹諸白までの季節に応じた酒造りは、寒造りに一本化されていきました。灘酒の寒造りでは、冬至前後の寒冷期に1年の酒造りに必要な酒母を集中して仕込むことで、雑菌の繁殖を抑えて腐造のリスクを減らし、高品質な酒を醸造することができるようになったのです。この 寒造りにおける酒母は後に「生酛」と呼ばれるようになり、200年以上酛造りの主流であり続けました。

しかしながら、すべての酒が生酛で造られたわけではありません。『童蒙酒造記』と同年代に書かれた『寒造酒屋永代記伝』(1699年)には、山卸しについては記載がなく、毎日手で混ぜるとされています。また、灘の剣菱酒造では、生酛が生まれる以前である1505年の創業以来、現在に至るまで500年以上山卸しのない製法での酒造りが続けられています。さらに、江戸時代中期に編纂された百科事典『和漢三才図会』(1712年)には「本醅(もとのもろみ)」として、はじめに水と麹をあわせて水麹をつくった後、現在の生酛と同じ工程を踏む酒母製法が紹介されるなど、独自の製法も生まれていたようです。

技術革新で生まれた「山廃酛」「速醸酛」「高温糖化酛」

国立醸造試験所(出典:国税庁「醸造試験所の創設」)
国立醸造試験所(出典:国税庁「醸造試験所の創設」)

明治に入ると、日本政府に雇用されたいわゆる「お雇い外国人」や大学によって微生物学研究が進み、日本酒造りも微生物的・科学的に解析されるようになります。1904(明治37)年、大蔵省が国立醸造試験所を設立すると、日本酒の品質、醸造方法を改良するため研究が続けられ、醸造技術は大きく進歩しました。

酒母製法開発の鍵となったのが、清酒酵母の分離でした。1891(明治24)年に東京帝国大学農科大学の古在由直(こざい よしなお)が酵母の純粋培養の必要性を指摘したことをきっかけに、門下生の矢部規矩治(やべ きくじ)との共同研究で1895(明治28)年には醪からの分離に成功。清酒酵母を人工的に培養できるようになりました。その後、1906(明治39)年に醸造協会(現・公益財団法人 日本醸造協会)が設立され、分離と育種の研究が加速していきました。

江戸時代から灘を中心に続いていた生酛造りは、依然その酒質は高く評価されていたものの、重労働を要する山卸しの作業もそのまま続けられていました。そんな中、醸造研究所の技師・嘉儀金一郎(かぎ きんいちろう)は、米をすりつぶさなくても、よく撹拌すれば麹中に酵素が溶出されることに気づきます。1909(明治42)年には、水と麹を撹拌し混和した「水麹」に適温にした蒸米を入れて撹拌し、暖気樽で加温しながら発酵させる酒母製法の開発に成功。この製法は、山卸しを廃止できる醸造法という意味で「山卸廃止酛(山廃酛)」と命名されました。福島県会津若松市の末廣酒造で試験醸造をおこなわれ、生酛の成分との違いがないことが判明すると、次第に山廃酛を採用する酒蔵も増えていきました。

同じ時期、技師・江田鎌治郎(えだ かまじろう)によって、仕込み初期に必要な乳酸を加えて雑菌の増殖を防ぐ酒母の研究がなされ、1910(明治43)年には「酸馴養連醸法(さんじゅんようれんじょうほう)」という名前で現在の「速醸酛」が開発されました。この酒母製法には、山卸しや暖気樽を必要とせず、短期間で酵母がよく増殖する優良な酒母が、安全かつ確実にできるといった多くのメリットがありました。大蔵省では1910(明治43)年に税務監督局鑑定課長会議を開催して協議し、山廃酛とあわせて速醸酛を奨励し、講演会を開いて全国に普及させていきました。その結果、速醸酛は現代の主流の酒母製法となりました。

煮酛を系譜に持つ酒母の研究も進められました。酵母の分離に成功した古在由直は、蒸米のでんぷん糖化をおこなった後、別に培養しておいた酵母を加えてアルコール発酵をさせるという「純粋酵母仕込み法」を研究します。60℃で3時間ほど糖化させる煮酛のようなものに純粋培養した酵母を加えて酒母を造りましたが、この方法では煮酛同様、乳酸が存在しないと雑菌による汚染が起きやすいという欠点がありました。

この欠点を補ったのが江田鎌治郎が速醸酛と同時期に研究をしていた「酸基醴酛(さんきあまざけもと)」です。著書『乳酸馴養 最新清酒連醸法』の中で、加温糖化した甘酒に乳酸等の酸類と培養酵母を加えた「加酸醴酛」と、加温糖化した甘酒に乳酸菌と培養酵母を加えた「生酸醴酛」を紹介しています。しかしながら、当時は多量な微生物の純粋培養や加温・糖化、冷却を行える設備のある酒造施設および研究機関が少なく、取り組みは進みませんでした。

こうした中、1947(昭和22)年、広島県の中尾醸造の中尾清麿が吟醸酒開発の過程で「高温糖化酛」の開発に成功します。蒸米・麹・水を合わせて仕込んだ酛の品温を一気に55℃まで上げて8時間おき、その後20℃まで急冷して乳酸と純粋培養した酵母を加えるという製法で、これにより 江田の分類における加酸醴酛が現実のものとなりました。

技術の発展が可能にした酒母の復活

発酵中の日本酒のもろみ表面のイメージ画像

戦後、高度経済成長期に日本酒の工業製品化が進む一方で、原点回帰を目指す酒蔵も現れ、高い酒質にこだわった酒造りが目指されました。こうした動きの中で、速醸酛の普及によって姿を消していた酒母製法に再びスポットライトが当たりはじめます。

原点回帰の菩提酛

大正には姿を消したといわれてきた菩提酛造りは、昭和に入り、微生物相の変遷を調べる研究によ り、その技術が再検討されはじめます。1996(平成8)年になると菩提酛を復活させるため、奈良県内の酒造会社有志、正暦寺、奈良県工業技術センターが協力し、「奈良県菩提酛による清酒製造研究会」(菩提研)が立ち上げられ、調査・研究を開始。1999(平成11)年から正暦寺にて、共同で菩提酛を造っています。現在は7社の酒蔵が研究会に所属し、菩提酛造りの日本酒を商品化しています。

また、岡山県の辻本店では、奈良県の活動より10年以上早く菩提酛の製法に着手しており、その中で独自のそやし水の造り方が生み出されました。『日本山海名産図会』(1799年)という古文書の記述をもとに、少量の米麹に水を加えてつくったそやし水を加熱殺菌し、蒸米と麹を加えて発酵させる酒母製法が確立され、1984(昭和59)年から試験製造を開始。1986(昭和61)年に「菩提もとにごり酒」として商品化成功しています。

生酛造りの再興

伝統的な酒母製法である生酛造りも復活を果たしています。1982(昭和57)年には、灘においても採用が2社まで激減していた生酛でしたが、速醸酛では出せない味わいを求めて、使用が少しずつ回復。多くの人手を必要としていた 山卸しは機械化が進み、簡易式酛摺りを行っているメーカーもあります。また、他の蔵との差別化のため、古くからその酒蔵、酒造場に棲みついている「蔵付き酵母」を分離、培養して生酛造りをおこなっている蔵もあります。

酸基醴酛の再評価

明治時代には、酒母製法として確立されなかった生酸醴酛ですが、現在では「酸基醴酛」と呼ばれ、いくつかの酒蔵からこの酒母を使った商品が販売されています。微生物である乳酸菌を投下し乳酸を生成させるため、工業用の乳酸を添加する必要がなく、速醸酛とほぼ同等の酒造スケジュールで製造可能な方法も確立されています。生酛ほど日数を要さず、速醸よりも微生物の営みを尊重する点において、サステナビリティの視点からも評価され、造り手たちから注目を集めています。

時代に即した新しい酒母の誕生

実験のイメージ画像

一度はその姿を消した酒母製法が復活を遂げるのと同時に、現代のニーズに応えられる新たな酒造技術も開発されています。

酒母なしの酒造り(酵母仕込み)

このように酒母製法の多様化が進む一方、酒母を必要としない「酒母廃止醪」は、酵母を乾燥させて粉末状にした乾燥酵母を使うことで、酒母造りの工程を省略して仕込みを始めることを可能にしました。製造期間を短縮でき、コストを削減できることに加え、乾燥酵母は常温で長期保存できるため、計画外の仕込みにも使用できるといったメリットもあります。その後、乾燥酵母以外の培養酵母も使われるようになり、「酵母仕込み」という名でも呼ばれるようになりました。

新しい無添加酒母(乳酸無添加速醸酒母)

焼酎製造に用いられる白麹菌を使った酒母造りも注目を集めています。白麹菌が生成するクエン酸を速醸酛に添加する乳酸の代わりにすることで、雑菌の繁殖を抑えて安全な酒造りをおこなうことができる手法です。長野県の研究では、黄麹と白麹を混合した種麹を使用した試験もおこわなれており、同じように乳酸を添加しない生酛や山廃酛よりも時間や設備を必要としない乳酸無添加酒母として活用が期待されています。

まとめ

長い歴史の中で、変化を重ねていった酒母製法。一度は姿を消した酒母も、今日の技術や衛生管理のもと、より安全な酛となって日本酒の多様性を支えています。

安全に酒造りをする上で欠かすことのできない工程となった酒母造りは、先人たちの経験や研究の結果から生まれ、発展した努力の結晶と言えます。これだけの酒母がある時代、今も続く蔵人・研究者に感謝をしながら、飲み比べを楽しめるのはとても幸せなことかもしれません。

参考文献

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  2. 日本酒を学ぶ
  3. 【完全版】酒母の歴史:日本酒の誕生から最新トレンドまで千年の沿革を徹底解剖

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