2022.10
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亡き父に捧げる一本が蔵の未来を拓いた。地元を想い醸す酒 - 広島県・旭鳳酒造(旭鳳)
先代の急逝により、26歳という若さで蔵を継いだ濵村洋平さん。「亡き父に贈る酒」を自らの手でタンク一本仕込んだことをきっかけに、創業以来初の蔵元杜氏となりました。 “可部(かべ)でしか造れない酒”を目標に掲げ、土地の水を大切に、父が開発に関わった酵母の使用を復活させ、広島県産米に絞った酒造りをしています。理想の味に到達するため、模索する現在の等身大の姿を追いました。
蔵の運命を変えた“亡き父に捧げる酒”
濵村さんの父である、6代目・泰司さんが急逝したのは、2015年のこと。旭鳳酒造では代々、蔵元は経営に専念し、酒造りは季節雇用の杜氏に任せており、大学卒業後蔵に戻った濵村さんも酒造は時々手伝いに入る程度でした。しかし父の葬儀の日に「親父のための酒を1本、自分で仕込みたい」と強く決心しました。
「大の酒好きだった親父に捧げる酒を造ろう、と決めてから、酵母と米は何にしよう、と初めて細部まで悩みぬきました。たどり着いたのは親父が愛着を持っていた『KB酵母』と広島県の八反錦を使った純米吟醸酒。泰司と洋平の名前から一文字ずつとり『泰平(たいへい)』と名付けました」と、濵村さんは当時の様子を丁寧に思い出しながら、言葉を紡ぎます。
杜氏に基本的な酒造りの流れだけ教わり、なんとか完成させた「泰平」を販売する過程で、自らが手掛けた酒と他の酒との思い入れの差を感じ、問題意識を持ちました。時同じくして土居亨杜氏が退職することになり、別の杜氏を探して来てもらうか、自ら杜氏になるかの岐路に立たされます。思索し、父・泰司さんが亡くなってから1年後の2016年、濵村さんは社長業と杜氏を兼務し、蔵元杜氏になることを決意したのです。
まず着手したのが「旭鳳らしさ」の見直しでした。濵村さんは、祖父の代からの杜氏、父・泰司さんの同級生の但馬杜氏、広島の杜氏、土居杜氏と、これまで4人の杜氏の酒造りを見てきました。泰司さんは「杜氏自身が良いと思ったもんを造らんと良い酒にならん」と言い、全面的に杜氏に委ねるスタイルを採っていたといいます。しかし、良い酒ができる一方で、杜氏ごとに蔵の味が変わってしまう問題も抱えており、濵村さんは今一度見直す必要がある、と危惧しました。
前任杜氏は商品の約9割にカプロン酸エチルが強い「広島吟醸酵母」を使用していたため、「香りの旭鳳」と呼ばれていました。しかし濵村さんは長期的視点から「旭鳳」ブランドの確立を考え、比較的香りがおだやかな酵母「KB-1」「KB-2」をほとんどの商品に使用するよう転換。酒質を変えるのは怖いことでもあり、悩んだといいますが、この時の英断を証明するように「泰平」は、「全国燗酒コンテスト」2020年で金賞を受賞、またフランスで行われた「Kura Master」2021年でも金賞を受賞しています。
「『泰平』がなければ現在の自分はいません。最初は酒造経験もほぼなく、周囲に助けてもらいながらここまでやってきました。コンテスト審査員の方々に評価されたことを心から嬉しく思っています」と、濵村さん。
地元・可部の素材を大切に、オンリーワンの個性を醸す
「旭鳳」が目指すのは、香りがおだやかで、酸が際立ち、熟成とともに深みと旨みが出るような味わいの食中酒です。そのため、できるだけ原料である米と水と酵母が持つ力に任せ、手を加えすぎることはせず、環境を整え手助けをしてあげる気持ちで造りに携わることを信条としています。
「祖父の代に導入した機械も多く、リニューアルしたい部分も多いですが、もし設備を一新できるとしても、冷房完備の蔵にはしないと思います。個性を出せる余白がなくなってしまう。可部の気候を活かす酒造りがしたいです」と、濵村さん。
原料米は全量広島県産米で、酒米の「八反錦」「中生新千本」「千本錦」「雄町」、食用米の「コシヒカリ」「ヒノヒカリ(照日米)」を使用。米の特徴を押し出すため、麹米と掛米の品種は統一しています。酵母は「KB-1」「KB-2」の他にも、わずかに「広島21号」「広島吟醸酵母」も使用。
仕込水は、蔵の敷地内にある井戸から引く根谷川水系の地下水です。日本屈指の超軟水どころとして知られる広島県ですが、「旭鳳」の水は硬度40ほど。浅井戸ということもあり、軟水の中でもやや硬めといえるでしょう。口当たりよく、スルスルと喉に滑り込むようななめらかな水です。
「KB(可部)酵母」は、30年以上前に父・泰司さんが広島県立総合技術研究所の先生方の研究開発に携わり生み出した自社酵母。香りがおだやかで発酵力が強く、米をしっかり溶かして、酸もしっかり出るのが特徴です。「KB-1」は2より香りが華やかで、甘みがありゴージャスな酒に適しているので、大吟醸などに使用します。「KB-2」は香り控えめで、ドライタイプによく向くため、キレを重視する酒に使用しています。
多くの人に支えられ確立された「旭鳳」の醸造現場
濵村さんの酒造りは、最初から順風満帆だったわけではありませんでした。酒類総合研究所での酒造研修は受けていたものの、研修用の小仕込みとは設備も何もかも勝手が違います。
「最初は、ほんまに周りの方々にお世話になりっぱなしでした。特に親父と仲良かった『蓬莱鶴』を醸す原本店の原さんには、ほぼ毎日電話で質問して。全部丁寧に教えて下さいました。一度、醪に異変が起き“これはまずいぞ”という時にご連絡すると、『近くに予定があるけぇ、見に行くよ』と、30分かけて車で来てくれたことも。原さんだって一人で酒造りしている最中だったのに……。そういう温かい方々のおかげで、何とか1年目を乗り切りました。
2年目からは、前年の経験を活かしながら手探りで進めました。今になって当時の酒の経過簿を振り返ると、よく無事だったな、と震えるほどですよ」と、駆け出しの頃の自身を回想し笑う濵村さん。
現在は杜氏である濵村さん、頭(かしら)の役割を担う製造部長の本田さん、年間雇用のパートさん、季節雇用の2名、という全5名で、1仕込み500~1,200㎏で年間26本、約400石(1石=一升瓶100本)を製造しています。朝7時に始業し、16時終業。築40年のコンクリート造りの建物の2階部分にある洗米輸送装置で米を洗い、回転式甑を使って米を蒸し、放冷機にかけます。大吟醸や精米歩合の低い割れやすい米などは、ネットで手洗いし、担いで降ろし、手作業で広げ自然放冷しています。
麹は先々代の時代に導入したというハクヨー社の3段式の製麴機を使い、しっかり総破精気味に仕上げます。現在流通している全自動の製麴機と違い、夜中に段の入れ替えをして風の当たり方を変えるなど、手入れが必要ですが、最高品温を取った後や突き破精気味にしたい時、作業のタイミングによって麹箱と使い分けています。酒母は普通速醸のみ。醪は全量ヤブタで搾っています。
米作りや町興し……可部の町のシンボルという責任
旭鳳酒造の前を通る可部街道は、古く江戸時代には出雲と広島城とを行き交う多くの人で賑わった旧街道。さらに可部の町は太田川を利用した物資流通の要所でもあり、「かつて可部以北の人たちは、可部に行くことを『可部に上る』というような言い方をしたらしい」というほど、宿場町として栄えていました。100年を超える老舗企業が未だ多く存在し、瓦屋根の日本家屋が散見されます。そのため広島市に編成された現在でも、住民の「可部」へのアイデンティティは根強いものなのです。
濵村さんは企業活動のかたわらで、「噂通りの会」など町興しの地域活動にも積極的に参加しています。全盛期には地域に8軒あった酒蔵も、現在では旭鳳酒造を残すのみ。可部の人々から「酒造り頑張ってや」「絶対蔵はなくしちゃいけんよ」と声をかけられることも多いそう。
濵村さんは「うちは可部の町に支えられて、商売を続けることができた。流行を取り入れるのも大事だけど、可部でしか造れない普遍的な酒を目指したい。それに『旭鳳酒造もあるし、面白い取り組みをしているから可部に行ってみよう!』って、人が遊びに来てくれる町にしたい。町の方たちと手を取り合いやっていきたいです」と、微笑みます。
地元を想う活動のひとつとして、米作りへの参加とその米を使った酒造りがあります。2014年8月に発生した豪雨により、蔵がある安佐北区と隣の安佐南区が、崖崩れ、水没など甚大な被害を受けました。その中でも特に被害の大きかった安佐北区の大林地区は、多くの史跡があり、山に囲まれた自然の美しい場所。地域再興を目指す一般社団法人ふるさと楽舎の呼びかけにより、旭鳳酒造では2017年から被災休耕田の復興事業への参加を始めました。
害虫被害による不作など困難も乗り越え、2021年にようやく特別栽培米認定「照日米(てるひまい)」が収穫され、タンク1本1,500リットル分の酒が出来上がりました。このお酒は、千年先も集落が続くように、との願いを込めて「大林千年」と命名され、2022年に旭鳳酒造で発売されました。
父が遺してくれたご縁に支えられ、未来へと紡ぐ
父・泰司さんがどのような人物だったのか、濵村さんに聞きました。
「親父は本当に人が大好きで、人と人とを繋げるのも好きだったのかなと思います。根は繊細だけど、外目には“昭和の旦さん”といった感じで、豪気に映ったでしょう。祖父とは疎遠で、広島でアパレル業を営み、海外に買い付けに行ったり、小料理屋や喫茶店をしたり。
それが一転、祖父が急逝して、親父は蔵を継ぎました。無縁の酒造業界に38歳で入って、馴染むまでに苦労もあったようです。だからこそ、広島県の酒蔵同士がもっと繋がりを持った方がいいと考え、蔵にはほとんどおらず、外交のため毎日出歩いていました。
僕は会社で一緒に働くことも話す機会もあまりなかったけれど、親父亡き後、県内の多くの先輩蔵元たちから、“親父にしてもらったことはお前に返す”と言って温かく迎えてもらいました。遺してくれたご縁は本当にありがたく、そのおかげで今があります。皆さん僕の後ろに親父を見ながら接して下さっている。だからその分まで、広島酒を盛り上げていきたいですね」
また母・郁子さんに、夫・泰司さんについてうかがうと、
「お父さんはともかく“昭和の旦さん”。そして奇想天外、面白い人でしたね。家じゃあ悪い子じゃったよ(笑)。でも人のことに一生懸命。広島の地酒全体を想う人でした。会社は私が見て。じゃけぇお父さんが亡くなった時もあんまり困らんかったね。そういう意味では、練習させてもらってたのかもしれない。お父さんを偲ぶ会が開かれた時には、蔵元さんたちが皆さんわざわざ市外からも来て下さって。洋平も皆さんに可愛がっていただいて、本当にありがたいです。お父さんは、まさか洋平が杜氏になるとは、思わんかったでしょうね」と、凛とした笑顔で答えてくれました。
視野広く、人のため、広島酒全体のために貢献し、みんなを愛し、みんなから愛された父・泰司さん。それを支え、現在も蔵の裏方を仕切る気っ風のいい女将である母・郁子さん。ふたりの姿を知った時、濵村さんの人懐っこい笑顔の裏側にある、粘り強く、地元にこだわり続ける、芯のある頑固な部分を理解できた気がしました。
「全く新しい何かを立ち上げるというより、父や先代たちが残してくれたものを整理し、拡げ、深く追求していくのが自分の役目かな、と考えています。現在の『旭鳳』の味わいはバランスが良い反面、少し個性に欠けるかもしれない。手段の一つとして、いつか生酛造りにも挑戦してみたいです。発酵期間の長さが表現してくれる味の膨らみにはとても興味があるし、自分の目指す酒質に近付くのではないかと興味があります」
濵村さんは「旭鳳」を客観的に分析しながら、アンテナを張り、常により良い酒に進化させていきたいという意気込みを見せてくれました。これから自らの手で味わいをさらに確立し、いつかは杜氏の座を若者に譲り、経営に専念すべきだろうとのこと。そのためにも然るべきタイミングで、共に歩む同世代の仲間を見つけたいといいます。社長になり7年、杜氏になって6年。濵村さんが仕込んだ「旭鳳 純米大吟醸」は、「Kura Master」2019年に金賞、2021年にはプラチナ賞に輝くなど、着実に実力を証明しています。まだ始まったばかりの濵村さんのストーリーを、空から父が温かく見守っていることでしょう。「旭鳳」のこれからに、胸が高鳴ります。
酒蔵情報・蔵元情報
旭鳳酒造株式会社
住所:広島県広島市安佐北区可部3丁目8-16
電話番号:082-812-3344
創業:1865年
代表取締役・杜氏:濵村洋平
Webサイト:http://www.kyokuhou.co.jp/
プロフィール:濵村洋平
1989年生まれ。広島修道大学商学部経営学科を卒業後、旭鳳酒造に入社。26歳の時、父が急逝したのを機に、7代目として代表取締役に就任。その後前任杜氏の退職をきっかけに、2016年から杜氏も兼任している。
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