日本酒偉人伝 - 「吟醸酒の父」三浦仙三郎

2024.10

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日本酒偉人伝 - 「吟醸酒の父」三浦仙三郎

新井 勇貴  |  日本酒を学ぶ

広島の酒造りが大きく転換するきっかけを作り、「吟醸酒の父」とも呼ばれる明治期の醸造家・三浦仙三郎。軟水に適した醸造方法を確立し、広島県内のみならず、日本酒全体の品質向上に貢献しました。

フルーティな香りを持つ吟醸酒は、現代でも多くの人々を虜にしています。その繊細さと華やかさから、和食はもちろん、それ以外にも合わせられる点が魅力です。

本記事では、現代の酒造りに通じる多大な功績を残した三浦仙三郎の生涯を振り返り、その挑戦の歴史的な意義を探ります。

三浦仙三郎の生涯

現代の日本酒造りに大きな影響を与えた醸造家・三浦仙三郎。ここでは、その生涯を振り返っていきましょう。

雑貨問屋の長男として生まれる

1847年(弘化4年)3月8日、三浦仙三郎は広島県賀茂郡三津村(現:東広島市安芸津町三津)にて、雑貨問屋の長男として生を受けます。1862年(文久2年)、15歳になった仙三郎は、病気になった父に代わり商売の世界へ足を踏み入れました。

幕末の動乱の中、なかなか思いどおりにならない商売に苦労しつつも、米穀商、肥料商として成功。1876年(明治9年)には家業を弟に譲り、その資金を元手に東広島安芸津で酒造業を開始します。当時の酒造りは自由免許制であり、余裕のある地主や商家が新規参入することは珍しくありませんでした。

腐造克服へ向けた研究

ところが当時、安芸津の酒蔵では毎年のように「火落ち(※1)」をはじめとする腐造が発生しており、安定した生産が実現しないという問題がありました。当然、仙三郎もこれらの被害に悩まされます。

1881年(明治14年)、蔵の衛生環境に問題があると考え、課題解決のために蔵の移転を決意。同時に設備投資も積極的に行いますが、根本的な解決には至りませんでした。

1883年(明治16年)、仙三郎は灘の酒蔵で1年間修行し、技術を吸収すると同時に灘流の酒造りを学びます。翌年には灘で学んだ「ぎり酛法(※2)」で仕込みを行い、腐造被害を抑えることに成功。以降、「ぎり酛法」での製造割合を増やしつつ、詳細なデータを蓄積させていきます。

また、1886年(明治19年)には創業以来の杜氏を更迭し、新しい杜氏を採用。品質の高い酒を安定して造るためには、杜氏の技術を向上させる必要があると実感したからです。こうした姿勢は、仙三郎が晩年、杜氏教育に尽力するきっかけになったとして語られています。

※1:アルコール耐性のある特殊な乳酸菌(通称:火落ち菌)による日本酒の白濁、酸敗被害。味わいと香りに著しい劣化をもたらす。
※2:酛(酒母)づくりの際に、お湯を詰めた樽(暖気樽)を用いた温度管理を夜通しおこなうことで、酛の仕込み日数を短縮する丹波杜氏の手法。

広島酒の弱点を見抜き、改善

1892年(明治25年)、杜氏と共に再び灘ヘ足を運んだ仙三郎は、水質の違いに気が付きます。灘の「宮水」は硬水である一方、広島の水は軟水。酵母の栄養となるミネラル分が少ない軟水では、発酵途中で雑菌が入りやすいことから腐造が発生しやすかったのです。

従来の造り方を根本的に変える必要があることを理解した仙三郎は、広島の軟水に適した醸造方法を研究します。麹造りから水、米を加える時の温度など、各工程の作業を詳細に調べ上げました。

そして生まれたのが、醪、酒母(酛)、麹の最高温度をそれぞれ華氏70度(21℃)、90度(32℃)、100度(38℃)にする「七、 九、十法」です。低温でじっくりと発酵させることで、軟水でも腐らない日本酒造りが誕生しました。

この技術を県内に広めたことで、広島の酒蔵の技術は大幅に向上します。1907年(明治40年)の第一回清酒品評会では、広島の酒が48点中18点を占める快挙を達成。江戸時代から続く銘醸地である灘を擁する兵庫県の受賞率約58%を上回る、約75%という結果に繋がったのです。

町会議員としても活躍

現代に繋がる清酒技術発展に大きく貢献した仙三郎ですが、その傍らでは市町村議員としても活躍しました。

  • 1887年(明治20年)7月:三津村村会議員に当選
  • 1895年(明治28年)4月:三津町町会議員に当選(※3)
  • 1898年(明治31年)4月:三津町町長に当選
  • 1898年(明治31年)9月:三津町長を辞職
  • 1901年(明治34年)4月:三津町町会議員に当選
  • 1902年(明治35年)4月:三津町学務委員に当選
  • 1907年(明治40年)4月:三津町町会議員に当選

1908年(明治41年)、技術者としてだけではなく政治的にも活躍した仙三郎は、61歳という若さでこの世を去りました。

※3:1893年(明治26年)に三津村から三津町へ変更。

三浦仙三郎の功績

三浦仙三郎が残した功績は、以下の3点にまとめることができます。

  • 軟水醸造法の確立
  • 広島県全体の酒造りを向上
  • 吟醸酒の普及に貢献

軟水醸造法の確立

仙三郎は灘と広島の水質の違いを理解し、軟水に適した醸造技術として「七、 九、十法」を提唱。この手法は、現代では「軟水醸造法」として広く知られています。勘や経験に頼った江戸時代以前の酒造りから、温度管理や衛生環境の徹底など、科学的なアプローチによる近代的な酒造りを実現する手法でした。

仙三郎は、軟水醸造法は以下の理由によって「お酒の品質を高める酒造り(※4)」であると述べています。

  • 酒造りに関わるあらゆる温度を計測して明確にした
  • 質の高い麹を生み出す麹室を設けた
  • 熟成の速度に応じ臨機応変にもろみを搾るようにした
  • 醸造所の衛生環境を整えた

これらの特徴はその後、低温で長期間吟味しながら醸したお酒である「吟醸酒」の誕生に繋がります。これが軟水の多い日本の各地に銘醸地を生み出すきっかけとなった点は、彼の最も注目すべき功績といえるでしょう。

※4 引用:三浦仙三郎と安芸津の酒造り(令和3年10月23日~11月26日開催)p.9

広島県全体の酒造りを向上

1889年(明治22年)、仙三郎は長年かけて開発した「七、 九、十法」を『改醸法実践録』としてまとめ、広島県酒造組合を通して積極的に技術を伝えました。自身の蔵だけの技術とすることなく、同業者に共有したことが、広島県全体の酒造りの向上に繋がったのです。

また、1900年(明治33年)に勃発した北清事変の軍用酒に広島のお酒が採用され、全国の兵隊に飲まれたことは、愛好家を増やすきっかけになりました。同時に、三津杜氏研究会などを通じて杜氏育成にも注力。こうした活動が実を結び、1907年(明治40年)に実施された第一回清酒品評会では広島酒が上位を独占するなど大きな成果に繋がりました。

日本醸造協会が頒布する協会酵母は、江戸時代から続く銘醸地であった灘から1号、伏見から2号が採取されましたが、3〜5号は広島県内の蔵から採取されています。このことからも、広島の酒が全国的に高い評価を得ていたことがうかがえるでしょう。

吟醸酒の普及に貢献

現在の吟醸酒には「精米歩合60%以下」という条件があるように、吟醸香を出すためには雑味となる米の表面を大幅に磨く必要があります。しかし、仙三郎の時代の精米は水車や足踏みといった、米を割らずに十分に磨くことが難しい手法が主流でした。

1908年(明治41年)、東広島の佐竹製作所が「竪型(たてがた)精米機」を開発。機械化による労力削減によって、磨いた米が手に入りやすくなりました。これは、現代の吟醸酒並みの高精白をも実現します。

参考:

これらを受けて、広島県西条の木村酒造(現:賀茂鶴酒造)が「竪型精米機」と「軟水醸造法」による酒造りをはじめました。この組み合わせは、現在の「吟醸酒造り」の根幹をなしています。

精米技術と醸造技術が生まれた東広島は吟醸酒発祥の地であり、仙三郎の研究は吟醸酒誕生に計り知れない影響を与えました。こうした事実から、仙三郎は「吟醸酒の父」と称されています。

三浦仙三郎の座右の銘

仙三郎は「百試千改(ひゃくしせんかい)」を座右の銘としていました。

幼少の頃から商売の世界で揉まれた後、未知の酒造りに飛び込んだ仙三郎。どちらもはじめから順風満帆にはいかず、多くの苦労を乗り越えてきたことが彼の人生からうかがえます。

「百回試し、千回改める」を意味するこの言葉は、粘り強く一つのことを達成させる、彼の人生を象徴するものといえるでしょう。

三浦仙三郎の著作

仙三郎は、1898年(明治31年)、自身が完成させた「七、 九、十法」を『改醸法実戦録』としてまとめて公開しています。前述した通り、これが広島県内の酒質を大幅に向上させることに繋がりました。

書籍は第一章〜第五章に分かれており、その内容は製麹から麹室の構造、酒母、醪の仕込み、上槽、火入れと多岐にわたります。

現在は国立国会図書館がWeb上で公開していますので、興味のある方はぜひご覧ください。

参照:『改醸法実戦録』

まとめ

本記事では「吟醸酒の父」と称される三浦仙三郎の人生とその功績を振り返りました。

腐造の原因を突き止め、全く新しい醸造法を確立させた業績は、現代の日本酒造りの根幹を作ったと言っても過言ではありません。「軟水醸造法」は広島県内だけではなく、全国各地の軟水地域の酒蔵にも大きな影響を与えました。

低温でじっくりと発酵させる技術は吟醸造りにも繋がり、竪型精米機が可能にした高精米との組み合わせは、これまでにない香味を日本酒に与えました。

近代的な日本酒造りの礎を築いた三浦仙三郎。彼の功績がなければ、今の日本酒はまた違ったものになっていたかもしれません。吟醸酒の華やかな香り、繊細な味わいは明治時代の挑戦と革新の賜物です。グラスを傾ける時、その一杯の背後にある歴史と造り手たちの情熱に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

連載:日本酒偉人伝
第1回:「吟醸酒の父」三浦仙三郎

参考文献

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