2024.10
08
酒販店から酒蔵へ。廃校した小学校跡でオーダーメイドの日本酒を造る - 栃木県・小林醸造
2024年7月、栃木県西部・鹿沼(かぬま)市の山あいで、廃校となった小学校の体育館をリノベーションして新しい酒蔵が誕生しました。同市の酒販店・小林酒店の小林一三(いちぞう)社長は東京農業大学で学び、卒業後も多くの蔵元との縁が深く、「いつかは自分も酒造りに関わりたい」と漠然と思う日々を過ごしていました。
そんな小林さんのもとに、県内の酒蔵の事業承継の話が飛び込んできました。チャンス到来と承継を決断し、酒造免許を取得後、新しい酒蔵を造る鹿沼市に移転。ほかの地酒蔵との差別化を目指し、安定的な経営を目指すためオーダーメイド主体の酒蔵としてスタートすることにしました。そんな小林醸造の誕生秘話を追いました。
実家の酒屋を日本酒専門に方向転換。酒造りに興味が芽生える
東北自動車道の栃木インターから車で40分。利根川水系の一級河川・思川(おもいがわ)沿いを上流へとひた走り、鮎釣りの客がひしめく清流沿いの道を進んでいくと、鹿沼市上粕尾地区にたどりつきます。地区のやや高台にあるのが、2017年に閉校した上粕尾小学校の校舎と体育館。そのかまぼこ形の赤い体育館が小林醸造の前日光醸造所です。
約550平方メートルの体育館の中には木製の麹室や仕込み用の冷蔵庫、搾り用の冷蔵庫、原料処理場、精米所、瓶詰め区画など、日本酒造りに必要な設備がコンパクトにまとめられています。訪問したときは、2024BY(醸造年度)の造りが始まったばかりで、オーダーメイド用の小さなタンクの中で醪がフツフツと発酵を始めていました。
「2021年8月に池島酒造(栃木県大田原市)の事業を承継し、準備を始めて丸3年。夢だった日本酒造りがいよいよ始まりました。わくわくしています」と小林さんは感慨深げに話してくれました。
小林酒店は小林さんの父、敏郎さんが1955年に設立。本家が薬問屋でその三男に産まれた敏郎さんは、結婚した妻の実家が宇都宮の酒販店、親戚筋に造り酒屋があったことから、鹿沼市に酒販店を開きました。
1974年、その一人息子として生まれた小林さんは、将来、店を継ぐつもりで東京農大に入学。大学では当時すでに発酵学の権威として有名だった小泉武夫さんの研究室に入り、「弟子として小泉先生について各地を回り、醸造の知識も人脈も広げることができました。研究生として残った3年間を含めた7年間が私ののちの人生に大きな影響をもたらしたと思っています」と振り返っています。
「あの頃は、ずっと小泉先生の助手として働き続けるのもいいな、と考えることもあったのですが、一人っ子の宿命を感じて2001年に店に帰ってきました」と小林さん。小林酒店は業務用酒卸(B to B)が主体で幅広いお酒を扱っていましたが、農大時代に知り合って後に結婚した妻の礼美子さんと、会社の将来はこのままで良いのかと悩み始めます。そして、東日本大震災をきっかけに、「自分たちがやるのは日本酒専門の店だ」と思い定めました。
日本酒専門を名乗るには、最初からそれなりの数の銘柄が揃わなければなりません。農大時代に繋がりがあった同期、先輩、後輩の伝手を頼って、取引を申し込んでいき、次々と銘柄を増やして、小林酒店は2016年に現在の地に日本酒専門の酒販店として変身を果たしました。
小林酒店はかつて、プライベートブランドの日本酒「鹿沼娘」 というお酒を販売していたことがあり、小林さんはこの復活を目指します。大田原市で「大那」を醸している菊の里酒造に醸造を依頼し、2014BYに「鹿沼娘 本醸造」、さらに2年後には別の蔵に委託して「鹿沼娘 純米吟醸」を復活させました。その過程で麹造りなどにも深く関わり、小林さんの胸には「いつか自分の蔵を持ち、酒造りがしたい」という思いが募っていきました。
県内の酒蔵を事業承継。関谷醸造に支援を依頼
そんな折、地元の信用金庫から「県内の酒蔵で事業承継の話があるが、興味はあるか」との話が持ち込まれます。大田原市で「池錦」を醸す、1907年創業の池島酒造でした。同酒造は現在のJR東北本線野崎駅の近くにあり、「野崎村(現大田原市)の池錦」として地元の人に愛されていましたた。
1993年に4代目蔵元になった池嶋英哲(ひであき)さんは「主人自ら蔵に入るべし」との家訓を守り、杜氏と二人三脚で酒造りを続けてきましたが、体力に限界を感じた矢先の2016年に杜氏が病に倒れ、造りを続けることができなくなりました。他の酒蔵に醸造を委託することで急場を凌いだものの、造りを再開する目処が立たないため、栃木県事業承継・引き継ぎ支援センターに相談を持ちかけます。センターはいろいろな伝手を使って、事業承継に関心のある会社を探し、話が小林さんの所にたどり着いたのは2020年の春でした。
「同じ栃木県内と言っても、距離が離れていて、酒蔵どころか、池錦という銘柄も知りませんでした。でも、清酒製造免許の取得は自分が望んでいることだし、金融機関などが間に入ってくれるのならば、検討してもいいと考え、交渉に臨みました」と小林さん。懸案を一つずつ解決することで、事業承継は現実味を帯びていきましたが、承継後、どのようにして酒を販売していくかが課題となりました。
「池錦の地元の取引先や鹿沼娘の販路は維持するにしても、それだけでは事業として成り立たない。親しくしている蔵元たちが銘柄を育てるのに大変な苦労をしているのを見てきたので、何か違うやり方はないかと考えたとき、ずっと以前から家族ぐるみで交流が深かった関谷醸造(愛知県設楽町)のオーダーメイドの酒造りに思い至りました」(小林さん)
関谷醸造は、2004年、本社蔵とは別に、オーダーメイドの酒造りと酒造り体験を主体とした「吟醸工房」をオープンさせた珍しい酒蔵です。企業向けには四合瓶で1400本から、個人向けには同100本から注文ができ、実際の酒造りにも参加できる仕組みで、東海地方の法人&個人からの注文が繰り返し来て、事業は軌道に乗っています。「ここは、関谷さんに指導をお願いして、スタートダッシュをかけるしかない」と小林さんは気持ちを固めました。
体育館を再利用したオーダーメイド主体の酒蔵
年が明けて2021年の正月に礼美子さんに事業承継について話したところ、「関谷さんのアドバイスを受けるなら賛成する」と、小林さんと同じ意見が返ってきました。早速、関谷醸造の関谷健社長に頼むと、快諾を得ることができました。
「東海圏と首都圏で商圏がかぶらないことも承諾をもらえた理由だと思っています」と小林さん。事業承継交渉はその後も順調に進み、2021年3月に契約締結、2021年8月に譲渡が完了しました。2022年12月には社名を小林醸造に変更しています。
関谷社長の最初のアドバイスは、新しい蔵の立地でした。小林さんは当初、小林酒店の建物の一部を再利用するつもりでいましたが、関谷社長から「市街地ではダメだ。首都圏から車で行きやすく、かつ、豊かな自然がある場所がよい」と言われ、小林さんは閉校になった学校の校舎などを活用することを考えます。そして、鹿沼市役所の提案の中から、2番目の候補だった上粕尾小学校の体育館と校舎の再利用で、酒蔵を立ち上げることを決めました。
造り手については、東京農大の小泉研究室で一緒に学んで以来の交流がある寺澤圭一さんが醸造責任者になってくれることが決まりました。寺澤さんは愛知県出身。大学卒業後は香川県の醤油会社に就職。その後、山形県の酒蔵に移り、そこで杜氏になっています。卒業後も交流の続いていた小林さんから酒蔵を作る話を聞いて魅力に感じ、「一緒にやろう」という誘いに応じて鹿沼に移ってきました。
小林酒店の社員になるとともに、関谷醸造の吟醸工房に行き、1年半に渡ってオーダーメイドの酒造りの研修を受けた寺澤さん。
「一回の仕込みに使う総米が60kgというのは、一般的な地酒蔵の10分の1から20分の1のサイズで、麹造りも醪の管理もまったく異なるノウハウが必要です。吟醸工房での経験は驚くことが多く、仕込みもワンシーズンで250本も経験しました。新しい蔵でもいい酒ができる自信をつけて帰ってきました」(寺澤さん)
新しい蔵の冷蔵庫になった醗酵室には、一般的な酒蔵では酒母タンクとして使われる200リットルのステンレスタンクが所狭しと並んでいました。
オーダーメイド以外には、事業承継をした池島酒造の「池錦」と、自社ブランド「鹿沼娘」の二つの酒を中心に造る予定です。
「池錦のお酒はずっと取引のあった県北部の酒販店が引き続き取り扱ってくれるということで、通年商品として出荷します。承継した池島酒造への敬意を表するために、蔵にあった麹室の古い扉を新しい麹室にも流用しました。また、鹿沼娘に使う米は全量鹿沼市産の米に限定し、新しい麹室に使用した杉材も全量栃木県鹿沼産で作ってもらいました。事業が軌道に乗れば、新しい銘柄のお酒もリリースしたいと考えています」(小林さん)
酒造り体験企画や宿泊施設開業も視野に
事業の根幹となるオーダーメイドのお酒は、発注者側が種麹や酵母、精米歩合、速醸酒母か山廃(生酛)酒母か、香りのあるタイプ、甘口辛口などをすべて選べます。さらに、セールスポイントは最新鋭の精米機があることで、発注者側が自身で調達した米を持ち込むことができるほか、仕込水も持ち込めるのだそうです。
最低の注文量は個人は四合瓶100本(一升瓶で40本)で20万円から。法人は四合瓶1200本(一升瓶で500本)で180万円からです。発注者は、希望すれば自身の酒造りにも参加できます。
「関谷醸造のスタイルを基本的には踏襲しています。おかげさまで、すでに着々と注文が入ってきています。お酒の注文とは別に酒造りの体験サービスも始める予定です。将来は校舎を改装して、宿泊施設やレストランも作り、新しいタイプの酒蔵オーベルジュも実現させたいですね」
そう意気込む小林さん。全国でもほとんど例がないユニークな酒蔵として、これからの日本酒市場を切り拓いていきます。
酒蔵情報
小林醸造
住所:栃木県鹿沼市上粕尾393-1
電話番号:0289-62-3072
創業:2022年
社長:小林一三
製造部長:寺澤圭一
Webサイト:https://smallforest.co.jp/
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