アメリカの酒文化に学ぶSAKEの未来(2/2) - クラフトビールの歴史から読む日本酒業界のこれから

2020.05

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アメリカの酒文化に学ぶSAKEの未来(2/2) - クラフトビールの歴史から読む日本酒業界のこれから

木村 咲貴  |  SAKE業界の新潮流

このシリーズの前編では、 ①行政による制度面での支え ②それぞれの醸造所の活発な取り組み の二点により、アメリカのSAKE文化はこれからますます発展してゆくことが期待できるというお話をしました。

一見、別の動きのようにも見えるこの二点ですが、実は密接に関わっています。前編で例に挙げた、Colorado Sake Co.がSAKE醸造所設立のためにコロラド州の法律を変えたエピソードと同じように、アメリカにおける小規模醸造所興隆の背景には、現場の各プレイヤーの尽力があったのです。

後編では、アメリカのクラフトビールの歴史の中で、小規模醸造所のプレイヤーたちがどのようにして望ましい制度をつくりあげてきたかをひも解いてゆきましょう。そこから導き出される答えは、近年注目される日本国内の日本酒にまつわる制度をめぐる議論にとっても、参考になる部分があるかもしれません。

※この記事は、スティーブ・ヒンディ著『クラフトビール革命 地域を変えたアメリカの小さな地ビール起業』をメインに、BA(ブルワーズ・アソシエーション)やビール協会など、アメリカのビール業界団体が発信している情報を基に作成しています。

小規模醸造所にまつわる制度の歴史

まずは前編のおさらいです。「小規模醸造所」とは、大手メーカーに比べて生産量の少ない小さな醸造所のことであり、その生産量や形態に応じて「クラフト・ブルワリー(craft brewery)」、「マイクロブルワリー(microbrewery)」、「ナノブルワリー(nanobrewery)」などと呼称が分かれます。アメリカにおけるこれらの言葉の定義は時代に応じて変化してきましたが、この中では、「クラフト・ブルワリー」が最も広汎な意味合いで使われることが多く、その定義は①小規模②独立している③伝統的な醸造所であるとされています。

それでは以下に、アメリカの歴史の中で、小規模醸造所に対してどのような制度が儲けられてきたのかを見てゆきましょう。

①1976年 小規模醸造所を対象とした減税 年間生産量200万バレル未満の醸造所に対して、1バレルあたり9ドルが課されていた連邦酒税が、6万バレルまで7ドルに減額(合衆国法第5051条)。これにより、小規模醸造所は最大12万ドル(当時のレートで約3500万円)の節税が可能となりました。

②1978年 ホーム・ブルーイングの合法化 ジミー・カーター大統領が法案(H.R. 1337)に署名し、ホーム・ブルーイング(自家醸造)を合法化。この合法化をきっかけに、クリエイティブなビール醸造家たちが次々と誕生。その中には、趣味をビジネスに変え、有名ブランドを築き上げた造り手が多数存在します。

③1991年 小規模醸造所の連邦酒税は7ドルで据え置き 大手ビール企業に課されていた1バレルあたり9ドルの連邦酒税が、18ドルに増額。しかし、年間生産量200万バレル未満の小規模醸造所に関しては、1976年の減税のまま、1バレルあたり7ドルで据え置きとなりました(①が継続)。

④2015年 優遇措置が年間生産量200万バレルから600万バレルへ拡大 「Small BREW法案」と呼ばれる法案が可決し、年間生産量200万バレル未満の醸造所に限定されていた連邦酒税の優遇措置が、600万バレル未満の醸造所まで適用拡大(①の対象となる醸造所が増加したということ)。さらに、最初の200万バレルにかかる酒税も、1バレルあたり18ドルから16ドルに減額されました。

⑤2018年 1バレルあたりの連邦酒税が7ドルから3.5ドルに減税 Craft Beverage Modernization and Tax Reform Act(クラフト飲料現代化税制改革法)により、1バレルあたり7ドルだった連邦酒税(①)が半額の3.5ドルに減額。当初は2018〜2019年の2年間限定での施行が予定されていましたが、2019年12月、2020年末までの延長が決定しました。

クラフト・ブルワーたちが制度を変えてきた

これらの制度は、実は行政主導──つまり“トップダウン”のかたちで決定されたわけではなく、民間サイド──小規模醸造所の醸造家たち自ら改革に関わり、“ボトムアップ”の形式で実現されてきたものです。

例えば、1976年の減税は、小規模醸造所の業界団体である「BAA」(※1)が、大手ビール企業の団体「USBA」(※2)に打診。業界内でより強い影響力を持つUSBAが連邦議会議員に交渉したことが、制度実現のきっかけとなりました。

このBAAという業界団体、1942年の設立からしばらくは形骸化しており、「単なるクラブのような存在で、めぼしい活動といえば(中略)会員が年に一度集まって、飲んだり、食べたり、踊ったりしながら、小規模ブルワリーの惨状について同情的な会話を交わすくらい」だったそう(※3)。 ところが1990年代後半、小規模醸造所の境遇に危機感を覚えたことをきっかけに(※4)、醸造家同士が活発に意見交換し、政治や広報スキルを育成する場へと成長。2005年に、もうひとつの業界団体「AOB」(※5)と合併して「BA」(※6)を設立しました。

AOBとは、米国のホーム・ブルーイング文化の立役者、チャーリー・パパジアンが立ち上げた団体。当初は主に教育を目的とした機関でしたが、「クラフト・ブルワリー」という言葉を定義したり、小規模醸造所の権利をめぐる政治的な活動を行ったりと、次第に業界団体としての色を強めていきました。しかし、中心人物に実際の醸造家がいないことから必ずしも醸造家の利益を代表した活動ができておらず、一時はBAAと対立。その後、互いの強みを活かすためにその対立を乗り越え誕生したBAのメンバーは、醸造家、ブルーパブ、ホーム・ブルワーなど多岐にわたり、クラフトビール業界の声をバランスよく反映するとして高い評価を得ています

ニューヨークのビール醸造所ブルックリン・ブルワリーの創設者であり、「クラフトビール革命 地域を変えたアメリカの小さな地ビール起業」著者でもあるスティーブ・ヒンディは、「アルコール飲料に関する政策に我々の声を反映するには、政治的活動を積極的に行い、政界に働きかける必要があることに我々はようやく気づいた」と当時の心境を語ります ──「どんなにおいしいビールを作っても、政治的にうまく立ち回ることができなければ、成功はおぼつかない」

また、1978年のホーム・ブルーイングの合法化には、カリフォルニアのホーム・ブルワー(自家醸造家)たちが大きく寄与しています。1933年に禁酒法が撤廃されたあと、ワイン造りはすぐ合法化されたにもかかわらず、ビールの自家醸造は依然として違法。これに不満を覚えたホーム・ブルワーたちがカリフォルニア州の上院議員に交渉し、合法化へとつなげたのです。

※1:正式名称は「Brewers Association of Amrica」

※2:正式名称は「United States Brewers Association」。1986年に組織変更によりBeer Institute(BI)となる

※3:スティーブ・ヒンディ著『クラフトビール革命 地域を変えたアメリカの小さな地ビール起業』(DU BOOKS2015年刊)より。

※4:小規模醸造所が直面した問題には、「流通三層構造」というアメリカならではのアルコール流通システムが関わっていますが、この記事には関係しないため、説明を省きます。しかし、アメリカに輸出された日本酒にとっても決して避けて通れないシステムのため、いずれ別の記事で詳しくご説明する機会もあるかもしれません。

※5:正式名称は「Association of Brewers」。1978年に設立されたAmerican Homebrewers Association(AHA)を吸収する形で1983年に発足した。

※6:正式名称は「Brewers Association」

クラフトビール業界の発展と経済貢献

もちろん、行政サイドも単純に業界団体の言うことを聞いてくれた……というわけではありません。小規模醸造所の地域・国への貢献が大きく、優遇措置を講じれば、自分たちにとってもメリットになると考えたからこそ、制度を認可するに至ったのです。

小規模醸造所を対象とした減税が決定した1976年時点、米国内におけるビール醸造所数は100軒程度でした。それが、43年後の2019年には、8000軒を超えるまでに拡大。 2018年の米国におけるビール販売量は前年比0.8%減となりましたが、小規模ビールメーカーの販売量は数量比3.9%のペースで成長。数量ベースで米国ビール市場の13%超、売上ベース24%超のシェアを獲得しています。

2015年に認可された上記「Small BREW法案」は、ボストン・ビア社のジム・コッホが提案したものですが、「雇用創出策」という名目がいくつかの州の議員から支持を得た要因となりました。事実、2015年以降、アメリカのビール醸造所数は毎年1000軒単位で増えており、現在、小規模醸造所だけでも55万人以上のフルタイム雇用を実現しています。

ボトムアップの動きは、日本でも実現され得るのか

行政の取り決めた制度にただ従うのではなく、現場のニーズに応じて醸造家たち自身がロビー活動を行い、行政に掛け合って制度を変えてゆく──アメリカのビール業界では、制度が業界を動かすのではなく、業界が制度を動かしてきました。そしてそれは、業界の訴求する内容が、行政側(州・連邦)にとって有益なものであったからこそ実現されてきたことです。

Colorado Sake Co.は、醸造所内のタップルーム建設を目的に法改正を求め、見事成功しました。彼らは現在、酒粕を使用した焼酎を自社タップルーム以外の取引先に販売できるよう、流通可能な商品の最高アルコール度数を21%から24%へ引き上げるために行政へ交渉しているのだとか。その結果がどうなるかはさておき、アメリカの醸造所と行政の間には、トップダウン(制度→現場)とボトムアップ(現場→制度)のサイクルがうまく成り立っているということができます。

現在、日本では、清酒醸造所の新規参入をはじめ、日本酒にまつわる制度に対して活発な議論が起こっています。現場のプレイヤーが声を合わせ、行政側のニーズを汲みつつも生産的な政治活動を行い、望ましい制度を実現する──創造的で野心的なアメリカのアルコールの歴史と文化から、日本が学べることはたくさんあるのかもしれません

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