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新品種は日本酒の救世主となるか?品種開発、成功の鍵を探る:気候変動と酒米【後編】
地球規模での気候変動にともない、昨今の日本酒産業では、お米の高温障害が問題化しています。SAKE Streetの特集「気候変動と酒米」前編では、現在の日本の気候変動とお米の被害について解説し、農家・酒蔵それぞれが取りうる対策についてまとめました。
止まらない気温上昇に対し、近年は食用米・酒米ともに高温耐性のある品種の開発が進められています。しかし、前編のインタビューでは、酒蔵にとって新品種を導入することにはリスクがあり、酒造技術による調整が優先されやすいのではないかといった意見も聞かれました。
そこで、特集の後編では、気候変動に対する高温耐性米の可能性について掘り下げていきます。はじめに、SAKE Streetにも寄稿している酒米農家であり、一級酒造技能士として冬季は酒造りに務める島根の米農家さんに、農家と蔵人双方の立場から見える課題についてお聞きします。
その後、地域内における連携による品種開発の成功例として、山形県酒造組合の取り組みを紹介。全国的な対策をおこなうにあたって、どのような施策を取りうるかを考察していきます。
農家における新品種導入の壁
農家として酒米を育てるかたわら、食用米や野菜も作る島根の米農家さん。冬季には県内の酒蔵で酒造りをおこない、今年で12年目になるといいます。
農家の高齢化や後継者不足、米の需要減少など、現在の日本の稲作は課題が尽きません。さらに、2024年は価格高騰が問題になり、その影響は酒米にも及びました。
「生産者も消費者も『去年に比べて高いか安いか』で判断しがちで、適正価格について明確な基準を持っていないように感じます。ただ、実際に生産を継続できるかという視点から考えると、問題は販売価格だけではありません。
全国平均の耕作面積(180a)や年収(約6万円)を考えると、米農家は大規模化しない限り専業として生計は立てられない。しかし酒米は大規模化で使える技術が向かないものも多く、前年の需要にともなって作られるため、簡単には規模拡大ができません。
高齢化が進む中で、機械に投資するための高額な費用を負担できず引退する農業従事者は少なくありません。特に、食用米に比べて酒米農業は小規模なところが多く、新しい設備投資がより難しくなります」
こうした課題が山積する中、県が新品種を導入しようとしても、対応しきれる農家は決して多くありません。近年は「地酒」や「テロワール」などをキーワードにそれぞれの生産地で育てられた酒米への注目が集まっていますが、島根の米農家さんは、そうしたニーズへの対応がうまくいっていない地域もあると指摘します。
「農家にとっては新しい品種を導入することで品質や生産量が変動することはリスクになりますし、酒蔵にとっては既存のラインナップがあるうえ、新しいものが扱いやすいとも限りません。
また、酒米の生産に力を入れている地域は、酒造組合が技術指導をしっかりおこなっていますが、そうでないところは基本的に個人の農家が作るため、品質にばらつきが生まれてしまいます」
高齢化などの根本的な問題が据え置きのまま、新品種開発などの取り組みがますます事態を複雑化してしまっていることを指摘する島根の米農家さん。こうした中で、気候変動という全国規模の問題に対応していくにはどのような対策が求められるのでしょうか。
次の項では、県単位での酒米生産に成功している事例として、山形県の取り組みを見ていきましょう。
使いやすく、売れる酒米を開発する。山形県の連携モデル
県ぐるみでの酒米の発展を支える二つのコミュニティ
地元産の酒造好適米の生育に注力し、これまで出羽燦々・出羽の里・雪女神という独自の酒米の開発・プロモーションに成功している山形県では、酒造組合以外に農家、流通、県行政関係者が一堂に会するコミュニティがあるといいます。山形県酒造組合の前会長を務めた出羽桜酒造・仲野益美社長に、コミュニティごとの酒米への取り組みについてお話を聞きました。
「山形県では、酒造組合が複数の委員会を運営しており、その中に原料米委員会があります。さらに、独自の取り組みとして、『山形県研醸(けんじょう)会(以下、研醸会)』 と『山形県酒造適性米生産振興対策協議会(以下、協議会)』という二つの大きな会を有しています。
研醸会は、酒蔵の杜氏を中心とした組織です。ここでは、酒造技術の向上を目的とした勉強会や情報交換が活発におこなわれており、原料米を研究する班、市販酒を研究する班、貯蔵技術を研究する班など、分野ごとに研究班が設けられています。各蔵が集まり実験や研究を重ね、その成果を発表するほか、全国新酒鑑評会で金賞を受賞した蔵に講演をおこなってもらうこともあります。
協議会は、その名のとおり、県の酒米生産の発展のために設立された組織です。酒蔵の代表者のほか、農家、流通関係者、行政関係者が所属しており、酒造りや米作りの現場の声を反映させながら研究・開発をおこなっています。ここでは年に一度、『優良酒米コンテスト』を開催し、優秀な農家の技術を地域内で共有するほか、報奨金や海外研修といった特典により、米作りのモチベーションを上げる工夫をしています」(仲野さん)
長期的な戦略に基づいた新品種の開発
新しい品種の酒米を開発しようとしても、一つの酒蔵だけでは実現が難しいのが現実です。そのため、山形県では研醸会や協議会を通して農業従事者や行政担当者と意見交換をしながら、県ぐるみでの研究・開発をおこなっています。
「新品種を導入するには、現場のニーズを吸い上げるだけでなく、長期的な普及戦略が必要になる」と話す仲野さん。
「新しい酒米品種は市場に浸透しにくいという課題もあります。造り手にとっては、酒米の品質だけでなく使い慣れていることが重要ですからね。特に、山田錦のように長年の歴史がある酒米はあらゆる地域を含めたデータが蓄積されていますが、県産米は歴史が短く、検証されていないことも多いため、特性をつかむのが難しいんです」(仲野さん)
そのため、山形県では新品種を開発する際には、特定名称酒用の品種をブラッシュアップするのではなく、既存の酒米と競合せず、異なる特性を持つ品種として展開する戦略をとっていると仲野さんは解説します。出羽燦々はもともと山形県で多く使われていた美山錦に対抗できるお米として作られ、そこから差別化する形で出羽の里、雪女神が開発されました。
品種 | 開発年 | 適したカテゴリ | 想定販売価格(開発当時) | 酒質の特性 |
---|---|---|---|---|
出羽燦々 | 1995 | 純米吟醸クラス | 1.8Lで2800円程度 | 雑味が少なくやわらかな幅のある酒質 |
出羽の里 | 2004 | 純米酒・本醸造クラス | 1.8Lで2000円程度 | 低精米でもきれいな酒質 |
雪女神 | 2015 | 大吟醸クラス | - | 山田錦と比較して味の膨らみを持たせつつ、切れ味はスッキリ |
また、こうした品種開発は農家側のニーズにも適っています。山形県高畠町で約50年にわたり酒米作りに務めてきた農家の志賀良弘さんは、2019年まで冬季は米鶴酒造の蔵人として働いており、研醸会と協議会の両方で酒米研究をしてきました。
「農家としては、育てやすく、収量も安定し、粒が大きい品種が欲しいという要望があり、そこから『出羽の里』が誕生しました。 ただ、出羽の里は心白が大きすぎて、酒蔵側としては削るのが難しい。そして改良されたのが『雪女神』です。酒蔵や生産者の意見が研究機関にしっかり届いているのは、山形県の大きな強みだと思います」(志賀さん)
近年の気候変動を受け、山形県では食用・酒造用ともに高温耐性のあるお米の品種改良を進めています。これまで、目的を分けてカニバリゼーションが起きない酒米開発をしてきましたが、「高温耐性米についても同じように、高温に強いという特徴だけではなく、酒質もこれまでの3種類とは違う方向性になるように開発中を進めているところです」と仲野さんは話します。
志賀さんが米作りをおこなう地域は宮城県との県境にある中間山地で、標高が高く風通しも良いため、高温障害を受けづらいそうです。しかし、県内には被害が出ている地域もあるといいます。
「県全体の米作りの水準を上げるため、年に3回、農業普及課の巡回指導の際に農家と酒蔵が一緒に圃場視察をおこなうのですが、農家同士で意見を交換したり、専門家の指導を受けたりしています。水温管理の工夫など、他の農家の田んぼを見て学ぶことは非常に大きいですね」(志賀さん)
高温耐性米の開発・普及、成功の鍵は?
山形県のように、連携による新品種開発に成功している地域の存在を踏まえながら、これを全国的に拡大し、安定させていくにはどうしていけばよいのでしょうか。
なぜ、全国的な品種開発・普及は難しいのか?
もともと、日本におけるお米の品種改良は、各地域が農業試験場(農業研究センター)に育種部門を持ち、都道府県単位で進められてきた歴史的経緯があります。日本は南北に細長い地形で気候が多様なため、こうした体制は地域ごとの特性に応じた品種の開発・育成に貢献してきたのです。
一方でこうした構造は、記事の冒頭で島根の米農家さんが指摘するように、優れた品種であっても他地域へ広がりにくく、地域による品質・リソースのばらつきが生まれやすいという問題にもつながっています。特に、高温耐性米のような目標は広い地域で共通するにもかかわらず、全国的な視点で戦略を立てづらく、重複投資が起きるといった非効率性も指摘されています。
さらに、日本のお米は産地と品種を組み合わせた銘柄で販売されるのが一般的であり、他県由来の品種を採用することを「ブランド力が劣る」と捉えてしまう傾向にあります。生産者や農協が求めるのは市場価値の高い品種であり、他県の品種はどれだけ優れていても「よそ者」として扱われてしまうという実態が、品種の共有・導入を妨げる要因となっているのです。
海外から学ぶ農業のオープンイノベーション
気候変動への対応は、ひとつの地域、ひとつの酒蔵、ひとつの農家だけではなく、それらの連携が必要な課題です。地域や企業を超えた対策の事例としては、海外の取り組みが参考になります。
フランスでは、国立農業研究機構(INRAE)と種苗企業・農協が協力し形成した全国規模の育種コンソーシアム「BREEDWHEAT(ブリードウィート)」が存在しました。13の公的研究機関(INRAEの各研究センターや大学)と10の種苗会社・協同組合、技術機関など計26団体が参加する大型プロジェクトで、2011年から2019年にかけて気候変動に適応する新品種開発を目的とした研究をおこない、約3,400万ユーロ(約55億円)もの予算を投じました。
また、欧州連合(EU)には、加盟国で登録された農作物や野菜の品種を「Common Catalogue」と呼ばれるカタログに掲載することで、ある加盟国で認定された品種を、他の加盟国でも販売が可能とする制度があります。これは、品種の品質を評価するDUS試験(※)の結果を共有することで、広域適応性の高い品種を追求し、多様な環境下で性能を検証する体制を整えているからこそ実現できることです。
※DUS試験:Distinctness(区別性)、Uniformity(均一性)、Stability(安定性)を基準に品質を評価する試験。
日本国内でも、こうしたオープンイノベーション型の品種開発は徐々に広がってきています。東北地方の研究機関である東北農研センターでは、地域ごとの試験結果を持ち寄って品種適応性を評価するモニタリングツアーを実施し、他県の研究を直接観察できる機会を設けています。
また、農林水産省は気候変動対策を重視事項に位置付け、高温に強い品種・技術の開発普及を推進する方針を示し、令和6年度補正予算にて「革新的新品種開発加速化緊急対策」と銘打ち、気候変動適応品種や多収・機械適応性品種の育成を公募型で支援。これを受けて、産官学連携による研究プロジェクトが各地で実施されようといます。
まとめ
今回は気候変動という切り口から、現在の日本の稲作が抱える問題を明らかにし、その対策として各セクションの連携が必要であることを分析しました。環境問題のほかにも後継者不足や価格高騰など、米作りにまつわる課題は尽きず、あらゆる側面での革新が求められています。
持続可能な米作りこそが、日本酒の未来を切り拓く。日本酒の主原料であるお米の課題について、SAKE Streetではこれからもさまざまなテーマを取り上げていく予定です。
参考文献
- 「農業経営統計調査 農産物生産費 確報 令和5年産農産物生産費(個別経営体) 年次 2023年 | ファイル | 統計データを探す | 政府統計の総合窓口」
- 滝田 正、Renand O. Solis 「東北農研センターにおける稲育種および日本における稲品種普及システム」、東北農業研究センター研究報告 第100号
- やまがたアグリネット「なんで、お米を全部有名な「コシヒカリ」とかにしないの?」
- 藤井みずほ・鴨下顕彦「日本の主要農作物種子法廃止後の稲種子生産の現状と課題」、日本作物学会紀事 93(2)
- 農林水産省「主要農作物種子法を廃止する法律案の概要 背景」
- Inrae Transfert「BREEDWHEAT」
- 生物系特定産業技術研究支援センター(BRAIN)、農林水産省 農林水産技術会議事務局 研究統括官室「令和6年度補正予算「革新的新品種開発加速化緊急対策のうち政策ニーズに対応した革新的新品種開発(提案公募型)」の公募について」
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