2023.05
09
課題が多い、酒蔵の防災対策:火災や地震から建物や日本酒を守るために何ができるのか?
昨年2022年5月、茨城県・結城酒造で、国の有形文化財に登録されている建造物2棟が火災によって全焼するという事故が起きました。日本酒の蔵は数百年を超える歴史を持つものが多く、劣化・老朽化によって、近年頻発する災害の影響を受けやすくなっています。一般には、火災や地震などの備えとして防災対策をすることで、被災の軽減を図ることができますが、そのような設備投資ができるのは、資金力のある一部の蔵に限られているのが現状です。 この記事では、酒蔵が防災面でどのような課題を抱えているのかを分析し、その解決策を探っていきます。
酒蔵の防災をめぐる課題
(1)なぜ、酒蔵の防災が進まないのか?
「防災」という概念は、大きく「減災」「救援・応急対応」「復旧・復興」という3つのプロセスに分かれます。減災とは、事前の対策によって、災害時の被害を最小限にとどめること。救援は、災害時に被害に遭ってしまった人や建造物などへの応急対応のこと。復旧・復興は、被災した建造物や地域を元に戻し、新たな展開につなげること。この3つの相互作用により、災害に対峙するのが、防災の基本的な考え方です。
しかし、酒蔵の被災の事例を見ると、救援や復旧といった被災後のプロセスに力が注がれ、事前に準備を進める「減災」にはほとんど着手されていない状況が多く見受けられます。その理由としては、以下のことが考えられます。
1. 防災対策には、多大なコストと時間がかかる
2. 酒蔵自身がそれを負担できる財政状況にはない
3. 防災対策に取り組むインセンティブが働きにくい
防災のための改修を行うとしても、規模が大きい場合、建築基準法や消防法といった現行の法令に適合させなければならず、多額の費用がかかってしまうことも、防災対策に躊躇する大きな理由の1つとなっています。
(2)文化財(酒蔵)への公的支援はないのか?
前述の結城酒造も含めた一部の蔵は、その歴史的価値を認められ、国登録の有形文化財となっています。こうした建造物に対する公的支援が期待できそうなものですが、実のところ限定的な措置しかありません。具体的な制度内容は、以下のようになっています。
①登録有形文化財建造物修理事業費国庫補助:
修理・設計監理事業に関する費用のうち、設計および監理費用の50%(災害復旧の場合は70%)が補助され、場合によっては地方自治体による補助がプラスされることがあります(10~25%)。設計および監理事業は一般の建築士に依頼できますが、文化庁の補助事業の場合は文化財専門家の技術指導を必要とします((公財)文化財建造物保存技術協会、(株)文化財保存計画協会など)。
参考:登録有形文化財(建造物・美術工芸品)修理等事業費国庫補助要項
また、公共団体や営利団体以外の場合、公開活用のための事業として、保存活用計画策定費や耐震対策費などの50%が補助されることがあり、「文化財磨き上げ事業」として、観光拠点の核となる場合にも補助されるようになっています。
参考:観光拠点整備事業(文化観光充実のための国指定等文化財磨き上げ事業)国庫補助要項
②文化財保護に関する税制優遇措置:
固定資産税の50%、相続・贈与税の30%が控除されます。
参考:文化財保護に関する税制優遇措置について | 文化庁
③その他の補助金・助成金
重要伝統的建造物群保存地区内や重要文化的景観保存地区内の特定物件であれば、登録の有無に関わらず、設計監理費、工事費ともに補助されます。
参考:重要伝統的建造物群保存地区保存等事業費国庫補助要項
ポイントとして、①の補助制度では設計等に関する費用のみが対象となっており、工事にかかる費用は補助対象となっていないことがあります。つまり、文化財に登録されたとしても、建物の修理や、防災のための工事費用は、原則的に所有者が負担するということです。文化財に登録を受けていない多くの老朽蔵の場合は、なおさら厳しい状況にあると想定できます。
ただし、上記以外にも自治体独自の補助制度が設けられている場合もあります。2016年の熊本地震では、県の「被災文化財等復旧復興基金」により復旧費用の3分の2が補助されました。こうしたさまざまな制度を組み合わせて活用するために、自治体との日頃の情報交換が必要だといえるでしょう。
(3)登録文化財となった酒蔵の現状
登録文化財となった酒蔵の現状は、どのようになっているのでしょうか。蔵の一部が登録されている笹正宗酒造(福島県喜多方市)社長・岩田悠二郎さんにお話を聞きました。
文化財登録のメリットについて、岩田さんは、「まず、蔵の補修への補助金や、固定資産税などの優遇措置はとても役に立っています。また、歴史的建築物としての価値が認められたことで、見学や視察の要望が増え、私たちも蔵の掃除など維持管理に対する意識が高まるといった効果もありました」と話します。
喜多方市では前述した国からの補助制度に加えて、工事費用にも適用可能な補助金(補助率50%、上限200万円)を設けています。
参考:喜多方市歴史的建築物の保存および活用に関する条例について
しかしその反面、「文化財登録により、ちょっとした蔵の改修・補修であっても、文化財への対応が可能な建築士に相談が必要になりますし、補助金申請のためにも、ある程度まとまった単位でしか工事を進められないという課題はあります。また、その歴史的意匠を大きく変えるような改変を行う場合は、文化庁に現状変更の届出が必要ですし、文化財登録を外れてしまうおそれもあります」と指摘します。さらに、その改修工事にしても、市や文化庁からの財政支援も受けられるとはいえ、酒蔵側で負担すべき額も少なくないことから、抜本的な修理や防災対策が進みにくい現状があるといいます。
岩田さんは酒蔵の経営者として、防災の意識は常に持ち続けているものの、どのような対策を進めたらいいのか、悩む時があるそうです。
「どこの蔵も、火災が発生しやすい場所はおおむね把握しており、日常的に確認はしていると思います。しかし、スプリンクラーの設置や、建築物の耐震補強といった、酒蔵を地震や火災から守る構造に変える取り組みは、多額のコストがかかるのが現実です。品質や経営安定につながる投資も考えなければならないなかで、防災に優先的に投資はしづらいという側面はあります」
このように、経済的要因や文化財保護の観点から、酒蔵の抜本的な防災対策が進んでいないのが現状です。
酒蔵の減災対策
それでは、酒蔵が防災を進める上での望ましい仕組みとはどんなものが考えられるでしょうか。まずは、酒蔵が被災する可能性がある中でも、被害が大きくなりがちな火災・地震の対策を紹介します。
具体的な対策は、建物の構造や材質により変わってきます。多くの市町村で相談窓口を設置しているので、そこで防災診断をして耐震補強や防災計画などを個別に創案することになりますが、その対策の一部は下記のとおりです。
(1)火災に対する減災対策
老朽蔵の多くは木造建築物であり、常に火災リスクと隣り合わせです。対策の基本は、消火用の水源の確保となります。具体的には、防火水槽を近隣に整備することになります。そして地震の際には、消火栓に接続する上水道が被災してしまう可能性もあるので、防火水槽に接続する配管の耐震性能を確保する必要もあります。また、ポンプの動力は停電時のことを考え、モーターではなくエンジンを使うこととなります。
火災を自動的に感知するスプリンクラー設備は、初期消火の観点からとても有効な防火対策です。しかし費用が高額であることと、登録文化財への影響といった課題があり、なかなか整備が進んでいないのが現状です。現段階では、重要文化財に対して国庫補助金による支援があり、今後、適用対象が登録文化財にまで拡大されることがあれば、一部の酒蔵の防火対策が飛躍的に進むことが期待できます。なお、大規模な蔵の場合は、避雷設備を備えた方がよいかもしれません。
(2)地震に対する減災対策
震災の対策の基本は、現在の建物の耐震性能を把握することです。建物所有者ができる耐震診断もありますが、歴史のある酒蔵の場合は、増改築などにより構造が複雑になっているケースが多いため、建築の専門家による耐震予備診断を行います。そこで補強の必要性が生じた場合は、さらに詳細な精密な耐震基礎診断や耐震専門診断を行い、対策を講じるのが一般的なプロセスです。この耐震のための補強については国庫補助の対象になることもあります。
基本的な補強対策としては、耐力壁のバランス配置、接合部の金物補強、基礎の補強、床や壁、小屋組の補強、屋根の軽量化などがあり、蔵の構造により、それら対策を組み合わせて補強が行われます。また、蔵が文化財等の建築物である場合は、元の歴史的意匠を損なわず、できるだけ部材を痛めない補強が求められます。もちろん、これらの補強は、酒蔵としての醸造能力を保持させることが大前提です。
(3)酒蔵周辺の減災対策
前述の岩田さんのコメントにもあるように、酒蔵自体を補強する場合は、所有者の負担が大きく、対策が進みにくいのが実情です。しかし、防災の意識を酒蔵周辺の町並みまで広げ、行政や地域住民と連携することで、建物被害を最小限に抑える手法もあります。
酒蔵周辺にある電柱・電線や幅の狭い道路、入り組んだ町並みなどは、消防車や救急車が通りにくく、防災活動を困難にします。 積雪寒冷地の東北や北海道では、雪の重さにより電線が切断される事故もあり、厳寒期における電源が喪失するリスクも想定されます。また、木造家屋が密集した市街地にある酒蔵の場合は、第三者からの延焼リスクにさらされる危険性もあります。このような 町並みを改善する3つの対策の対策として、次の3つの手法が考えられます。
1. 電線・電柱の地中化
2. 土地区画整理事業
3. 市街地再開発事業
1は蔵周辺の道路を拡げ、電柱・電線を地中に埋め込むことで、災害時の迅速な救助活動が保証されます。2は、酒蔵周辺の町並みを1つのエリアとしてとらえ、土地所有者を整理、全体の区画形状を改善し、周辺の道路の拡幅を一気に行うことで、町並みが整然化され、防災機能が高まります。3は、1つの集合建築ビルを建設し、住宅や事業者を集約する事業で、その際空いた土地に防災上の空き地を設ければ、救援・避難活動の拠点を確保することが可能です。
こうした周辺道路や防災空地を含めた町並みの改善は、規模も大きく、周辺住民を巻き込むことになるため、行政の助力が不可欠です。この3つの施策の場合、一定条件をクリアすることで、国からの補助金などを受けられるので、酒蔵や地域住民に大きな財政負担を強いることなく、地域全体で防災に対峙することが可能となります。
建築物としての「酒蔵データベース」化
酒蔵の建築年や老朽の程度、周辺の地理状況というのは、酒蔵個々で把握しているのが現状ですが、これらをデータベース化し、一元管理するシステムを構築することで、「どの蔵が緊急性を要するのか」「火災・地震に弱い蔵はどこか」といった具体的な課題が見えてきます。
参考事例として、橋梁や上下水道などの施設が挙げられます。これらのインフラも酒蔵同様に、老朽化が顕著で、災害に対する脆弱性が大きな問題となっています。そのため、政府は全国の施設をデータベース化し、優先度を設定した上で、施設の更新や耐震化を効率的に進めていますが、これを酒蔵に応用することで、酒蔵の防災上の課題を可視化することができます。
例えば、人口の密集した市街地にある酒蔵や、背後に斜面や崖を抱えた酒蔵などは、それぞれ火災、土砂崩れや地滑りといったリスクを想定することができます。また、酒蔵単位、設備単位で優先順位を付け、そこに設備投資するという手法もあります。例えば、醸造の骨幹をなす麹室、発酵タンクに限定して耐震化を進めることで、被害を最小限に抑えることもできるでしょう。
酒蔵が中心となったまちづくり
近隣住民や自治体との協働により、酒蔵を生かしたまちづくりを進めている地域もあります。主な目的は防災対策ではなく、観光振興やまちおこしの側面が強いのですが、地域と酒蔵が協力体制を敷くことで、結果的に、酒蔵を含めた地域全体の防災に寄与しています。
富山市の桝田酒造店の当主桝田隆一郎氏は、地元有志を集め、自らまちづくり株式会社を設立し、蔵周辺の土地の所有権の整理、伝統的家屋の修復、修復家屋の賃貸・買収を進めました。空き家の商家や土蔵などを改築して芸術家の拠点を造り、バーやレストラン、クラフトビール工場を誘致。また、蔵の前の道路から電柱をなくし、防災機能の向上も実現しています。
まさに、酒蔵が主体となり、行政や地域住民を巻き込んだ、まちづくりのお手本のような事例です。規模が大きく、真似しにくい事例ではありますが、大なり小なりこうした地域協働を行うことで、近隣住民の防災意識を高める効果は期待できます。酒蔵がリーダーシップをとり、地域が一体となるまちづくりをおこなうことで、円滑な防災活動が可能になるだけでなく、「互助・共助」の意識を持った救援活動が実現できるのです。
まとめ:酒蔵の防災の目指すもの
防災対策は、酒蔵単体での取り組みではなく、行政の資金や、近隣住民や顧客のマンパワーを活用しながら、災害に対する共助体制を構築することが重要です。そこに、技術や制度に精通した建築や都市計画の専門家が助言を与えることで、その安全性に信頼が生まれます。仕組みとして、酒蔵を中心として、地域住民・学識経験者・地域に根づいた建築士(特にヘリテージマネージャー※)・顧客(ファン)が連携した防災体制を構築することが重要です。
また、それに加えて、酒蔵の状況把握、全体的な補修計画、行政への橋渡しなどを担うマネジメント組織を作ることで、日本全国の酒蔵を長期的な視点から、効率的なメンテナンスを進めることが可能となります。具体的な役割としては、以下のことが想定されます。
1. 老朽化した酒蔵に公的支援を与えるための要望活動
2. 酒蔵の耐震診断などを行う大学や研究機関および構造や文化財の専門家との連携
3. 酒蔵のデータベース化による現状分析と方向性の提示
4. 酒蔵が被災した場合の支援体制の構築
5. 地方自治体の文化財部局やまちづくり部局との情報交換
これまで、酒蔵の防災対策が進まなかった原因には、防災対策に多額なコストがかかることや、マンパワー、専門的知見が不足していることがあったと考えられます。このような体制を構築し、役割分担を明確にして、責任・権限・資金などを集中させ、そこから大局的な方針を打ち出すことで、酒蔵の防災対策は大きく改善されるはずです。
組織化された防災体制は、日本酒業界のみならず、どの業界も喫緊に対応していかなければならない課題です。ハードルの高いものではありますが、酒蔵の防災を計画的に進めるうえで、重要な仕組みとして機能することになります。
防災対策は、業界にとって直接的な経済利益にはなりにくいように見えがちですが、歴史価値の高い酒蔵が地震・火災に見舞われた場合の文化的損失は甚大なものがあります。日本酒文化を安心して次世代に繋げるためにも、酒蔵の防災を組織的に進める取り組みは、とても意義の大きなものになるのではないでしょうか。
※「ヘリテージマネージャー」:阪神淡路大震災の教訓から1996年に登録文化財制度が創設され、2001年に兵庫県教育委員会と建築士会がその制度を支える人材の養成講座を開講し、定義付けしたもので、その後全国に広がった。歴史的建造物の修理技術者という枠を超えて「地域文化活性化の一翼を担う人材群」とされている。
監修:(株)文化財保存計画協会
文化財の保存と活用のための調査・研究、保存活用計画策定、文化財建造物の修理の設計・監理、史跡の保存整備の設計・監理、文化施設の設計・監理、歴史を生かしたまちづくりの策定支援等を行う。重要文化財建造物や登録文化財建造物の国庫補助事業において設計・監理、あるいはその技術指導を行う主任技術者(文化庁承認)が複数在籍。
https://www.b-hozon.co.jp/
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