日本酒造りの責任者「杜氏」とは?女性も活躍するその仕事、流派、その他の役職を解説

2021.12

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日本酒造りの責任者「杜氏」とは?女性も活躍するその仕事、流派、その他の役職を解説

酒スト編集部  |  日本酒を学ぶ

日本酒造りの責任者「杜氏(とうじ)」とは? - 杜氏の仕事から杜氏の流派、蔵人たちの役職まで 日本酒好きな人でなくても、「杜氏(とうじ)」という言葉を聞いたことがあるという人は多いのではないでしょうか。「杜氏が変われば酒の味も変わる」と言われるほど、酒造りにおいて杜氏の役割は大きく、責任も重大です。

では、杜氏の仕事とは具体的にどのようなものなのでしょうか?また「○○流杜氏」と言われるような、杜氏の流派にはどんなものがあるのでしょうか?今回は酒造りのキーパーソンである杜氏という役職についてご紹介します。

杜氏の仕事とは?

多岐にわたる杜氏の仕事内容

杜氏とは、酒蔵における酒造りの責任者を指す言葉です。酒の原料を選ぶところからはじまり、製造・貯蔵・品質管理まで酒造りのすべてを統括しているのが杜氏です。

また酒造り以外にも、酒蔵が持つ設備の管理、酒税などのための帳簿管理、蔵人たちのマネジメントなど、仕事内容は広範囲にわたります。杜氏とは、酒造りのプロであると同時に、酒蔵の製造・技術面での最高責任者でもあるのです。

杜氏には、酒造りの経験で培われた知識や技術を伝承するだけではなく、蔵人たちのリーダーとして、酒蔵内の人間関係を円滑に保ったり、蔵元と交渉をしたり、ときには蔵の顔として宣伝や販売の現場に立ったりと、あらゆる面での活躍が求められます。

杜氏と蔵元と蔵人の違い

杜氏のことは「酒造りの最高責任者」として紹介しましたが、他にも酒蔵で働く人を指す言葉として「蔵元」や「蔵人」といったものがあります。それぞれどのような位置づけなのでしょうか?

「蔵元」は酒蔵のオーナー(経営者)を表す言葉で、経営全般のほかに、営業や出荷管理など、製造以外の部分を全面的に担当することもあります。そして、「蔵人」とは杜氏の下で働く、酒造りの技術者のことを指します。

蔵人にはどんな役職がある?

杜氏の指揮のもとで、蔵人たちがさまざまな役割を担うことで、酒造りの規模や効率、安全性を高めることができます。

杜氏の下で酒造りをする蔵人にはいくつもの役職がありますが、分け方は杜氏の流派や蔵によって異なりますし、小さな蔵では一人でいくつかの役職を兼任することが多いです。「酒造習俗」(2006)では、頭、麹師、酛師、槽頭(船頭)、釜屋、精米屋、働き(道具廻し・上人・中人・下人・飯屋)に杜氏を含めて8つの役職があるとされています。

この8つの役職を図にしたものがこちらです。なお頭(かしら)・麹師・酛師は三役(さんやく)と呼ばれ、三役以下の蔵人は役人(やくびと)とも呼ばれます。

それぞれの仕事内容は以下のとおりです。

役職名仕事内容
杜氏最高責任者、酒蔵管理、帳簿管理、蔵人管理
頭(かしら)杜氏の補佐役、蔵人の指揮
麹屋(大師・代師)麹造りの責任者(助手は「相麹(あいこうじ)」と呼ばれる)
酛屋(酛回り)酒母造りの責任者(助手は「室の子」と呼ばれる)
釜屋蒸米の責任者(助手は「相釜」と呼ばれる)
精米屋精米の責任者
船頭上槽工程の責任者(搾りに使う道具が「槽(ふね)」と呼ばれるためこの名になった)
道具廻し酒造り道具の管理や水の運搬など
上人(じょうびと)主に桶洗い、水汲み、道具の準備
中人(ちゅうびと)主に水汲み、米洗い、蒸米運搬
下人(したびと)主に洗い物、米洗い、水汲み
飯屋(ままたき、かしき)食事一切の世話、掃除、風呂焚き等の雑用、新人の仕事

※流派や蔵により役職や職階は異なる
参考:文化庁文化財部編「酒造習俗」(2006)

杜氏と資格

杜氏に関連した資格として、国家資格である酒造技能士(酒造技能検定)や、のちほど紹介する各杜氏組合による認定があります。

なお、酒造技能士は、日本酒造りに関する唯一の国家資格です。受験資格として、1級は7年以上、2級は2年以上の実務経験が原則要求され、学科試験と実技試験の両方に合格する必要があります。学科試験では、微生物や関係法規などに関する知識を問う内容が出題されます。実技試験では、白米の精米判定やきき酒判定など、清酒の製造等に関わる知識・技術を問う内容が網羅的に出題されます。一方、これらの資格や認定があっても杜氏になれるとは限りません。杜氏は基本的に各蔵に1人のみであるため、その蔵の製造のトップとして指名される必要があるのです。反対に、資格がなくても、実務経験を積んだ結果として、杜氏に指名される場合もあります。

杜氏という言葉と、杜氏集団の歴史

「杜氏」の語源

杜氏という言葉の語源には諸説ありますが、その一つが「刀自(とじ)」という言葉です。古代から平安時代頃にかけて、日本では家庭内で酒造りが行われており、その担い手は女性でした。今では「主婦」と呼ばれるこうした女性たちのことを「刀自(とじ)」と呼んでいたのです。

鎌倉時代・室町時代頃から、酒造りは事業として行われるようになり、担い手も男性中心に変わってきました。さらに江戸時代になると、大量生産化に伴って酒造りにも複数の役職が生まれます。そのなかでも責任者を指す言葉として、かつての「刀自」から派生した「杜氏」という言葉が使われるようになった、とされています。

杜氏集団の形成と出稼ぎ

江戸時代には米の価格を安定させるため、不作などの時期には冬季以外の酒造りを禁じる政策を取ることがありました。こうしたこともあり、農閑期の働き口として多くの出稼ぎ労働者が酒造りを担うようになります。

これらの出稼ぎ労働者のうち、特定の地域から来る人々は、「杜氏集団」を形成して、技能を継承しながら酒造りを請け負うようになり、彼らによる酒造りが産業として定着していきました。なお、出稼ぎのスケジュールは以下の通りです。

カレンダー内容
10〜11月上旬酒造りの成功と安全を祈願し、酒の神を祀る松尾大社(京都市)や梅宮神社(京都市)、大神神社(おおみわじんじゃ・奈良県桜井市)などに参詣しつつ、蔵入り。
最初の洗米(初洗い)や、蒸きょう(初甑/はつこしき)で酒造りがスタート。
1〜2月吟醸酒造りが佳境を迎える。鑑評会出品酒もこの時期に造られることが多い。
3月最後の洗米や蒸きょう(甑倒し)に伴い、道具の片付けもはじまる。
4月上旬仕込んだお酒をすべて搾り終える(皆造)。
酒蔵での作業がすべて終了し、神社にお礼参りしつつ故郷に帰る。

変わりゆく杜氏の姿

かつて杜氏といえば、このように出稼ぎで酒造りを担う人々を指しており、こうした働き方は江戸時代から300年以上続いてきました。

しかし近年になると、これまで杜氏集団を送り出してきた地域の過疎化や、現役杜氏の高齢化、日本酒の消費量・製造量が減少したことなどを理由に、杜氏の雇用形態にも変化が見えます。

それまでの季節雇用ではなく通年で雇用される「社員杜氏」や、蔵元が杜氏も兼ねる「蔵元杜氏」が増加する傾向にあるほか、若手の杜氏や女性杜氏も多く誕生するようになっています。

杜氏の流派とは?

〇〇流、〇〇杜氏とは

「南部杜氏(南部流)」「越後杜氏(越後流)」のように全国各地にはさまざまな杜氏の集団があり、各流派・地域ごとにそれぞれ独自の酒造りが受け継がれていると言われています。

これは地域内での技術の伝承であると同時に、蔵元にとっても大きな安心材料でした。杜氏の引退や不意の交代の必要が生じても、同じ流派の杜氏に依頼することで酒の品質を保つことができると考えられていたからです。

2021年現在、日本杜氏酒造連合会には18組合が登録されていますが、こちらに所属していない流派も合わせると全国には30以上の流派があると言われています。

これらの杜氏集団の中でも越後杜氏、南部杜氏、丹波杜氏の3つは「三大杜氏」と呼ばれており、各地の酒蔵に特に多くの杜氏を送り出しています。それぞれ特徴を見ていきましょう。

越後杜氏

越後杜氏は現在の新潟県を発祥とする流派です。新潟県三島郡、刈羽郡、旧中頸城郡など各地に多くの杜氏集団が形成されており、1958(昭和33)年の組合設立時には900名余りが登録していました。

雪深い越後からは冬季の出稼ぎ者が多く、18世紀後半以降から関東や尾張(現在の愛知県)を中心に酒造りを担ってきました。現在でも新潟県内の多くの酒蔵を中心に全国各地で越後杜氏が活躍しています。

南部杜氏

南部杜氏は現在の岩手県を発祥とする全国最大規模の流派です。17世紀から杜氏集団が形成され、明治時代後期には近代的な組合もできるほど、長い歴史を持っています。これらの杜氏集団の技術は紫波町、石鳥谷町を中心に継承され、現代では岩手県出身者に限らず多くの杜氏に技術が受け継がれています。

2020年時点でも南部杜氏協会には600人を超える会員がおり、依然として大規模な杜氏集団が技術を継承しながら全国での酒造りを担っています。       

丹波杜氏

丹波杜氏の発祥の地である丹波篠山(たんばささやま)市の農民は、厳しい自然環境にあった地元から、近接した摂津・灘方面への出稼ぎを盛んに行っていました。

18世紀後半以降、灘は日本でも一番の酒どころとなっていきますが、その灘の酒を造り続けてきたのが丹波杜氏です。銘醸地としての灘の名声が高まるとともに、全国で酒造りを担うようになりました。南部杜氏と同様に、近代的な組合も早期に作られ、1902年には全国で初めて「醸造法講習会」を開催しています。      

その他の杜氏流派

三大杜氏以外で覚えておきたいのは次の3流派です。

①能登杜氏
能登杜氏は、石川県能登半島の珠洲市周辺を発祥とする杜氏集団です。江戸時代後期から近江(現在の滋賀県)や山城(近畿地方)を中心に発展、最盛期である昭和初期には北海道をはじめ樺太、朝鮮、満州、シンガポールなど、能登杜氏による酒造りは世界各地に及んでいました。

能登杜氏を語るときに必ず名前が挙がるのが「能登四天王(※)」の一人である農口尚彦杜氏です。杜氏として初めて「現代の名工」に選出され、その後「黄綬褒章」も受賞しています。能登四天王の中で唯一、今も杜氏として酒造りを行っており、通算での酒造歴は72年にも及びます。

(※)波瀬 庄吉氏:「開運」土井酒造場、三盃 幸一氏:「萬寿泉」桝田酒造店、中三郎氏「天狗舞」車多酒造、農口 尚彦氏。中 三郎氏は現在、車多酒造の「名誉杜氏」を務める。波瀬 庄吉氏、三盃 幸一氏は故人。

②山内杜氏(さんないとうじ)
山内杜氏は、秋田県横手市山内を発祥とする杜氏集団です。農家が多かった山内村、明治時代末期から大正時代にかけて発展した県内の酒蔵に出稼ぎに向かった「酒屋若勢」と呼ばれる若者たちがのちに発展して杜氏集団となりました。

③常陸杜氏
常陸杜氏は、茨城県酒造組合が独自に設けた杜氏の認証制度です。それまで茨城県の酒蔵は南部杜氏による酒造りが主流でしたが、茨城県産日本酒の知名度、ブランド力向上、そして後継人材の育成という目的で2019年に認証制度を創設しました。

酒造歴や技術、受賞歴等をもとに条件を満たした杜氏に受験資格が与えられ、合格すると常陸杜氏を名乗ることができます。2019年に3名、2020年にさらに3名が認定され、現在合計6名の常陸杜氏が誕生しています。

※常陸杜氏について詳しくはこちらの記事をお読みください。

まとめ

今回は日本酒造りにおける杜氏の役割や、各地の杜氏集団について解説しました。杜氏たちが技術を継承し続けてきたことは、現在私たちが美味しい日本酒を飲めることにも繋がっています。時代の変化とともに杜氏のスタイルも変わってきていますが、これからも文化として継承され続けていくことを願っています。

参考文献

関 千里「酒造業における作業組織の変化」(2010)
月桂冠株式会社Webサイト「杜氏と蔵人」(2021年12月10日閲覧)
文化庁文化財部編「酒造習俗」(2006)
新潟県Webサイト「新潟文化物語」file-85「越後杜氏と酒造り唄」(2021年12月10日閲覧)
岩手県酒造組合Webサイト「岩手の技・南部杜氏」(2021年12月10日閲覧)
佐藤正「酒造業の近代化と労働市場の構造変化(Ⅰ):南部杜氏の分析」(1974)
岩手日報Web版「2020年7月23日:発祥の地から20年ぶり輩出 南部杜氏協会会長に紫波・梅沢さん」(2021年6月10日閲覧)
丹波杜氏酒造記念館Webサイト「丹波杜氏とは」(2021年12月10日閲覧)
兵庫県篠山市Webサイト「杜氏ものがたり」(2021年12月10日閲覧)
日本酒造協会中央会Webサイト「日本酒の歴史」(2021年12月10日閲覧)
能登町Webサイト「能登杜氏の酒」(2021年12月10日閲覧)
又木実信「宝立地区の酒造り」(金沢大学文化人類学研究室調査実習報告書第30巻、2015)
秋田県酒造組合Webサイト「秋田の杜氏の秘密」(2021年12月10日閲覧)

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