2021.07
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日本酒造りで使う「泡なし酵母」とは?歴史や泡あり酵母との違いを解説
日本酒づくりに使われる清酒酵母には、「泡あり酵母」と「泡なし酵母」が存在するのをご存知でしょうか。
もともと清酒酵母は「泡あり」が普通でしたが、酒造り現場のニーズに応える形で「泡なし」の酵母が開発されました。
この記事では、泡なし酵母開発の背景やその歴史、泡なし酵母の特徴や泡あり酵母との違いについて解説します。
記事冒頭写真提供:株式会社下村酒造店(「奥播磨」)
清酒酵母が持つ「高泡形成」の性質とその問題点
日本酒を仕込む際に使われる清酒酵母には、もともと「高泡形成」の特性があります。アルコール発酵の過程で発生した炭酸ガスの気泡に酵母が付着し、発酵が進むにつれてもろみがどんどん泡立って、かさ高になっていくという特性です。
酵母が生み出す泡は、発酵の進み具合によって見た目が変わるため、もろみの状態を見極めるための指標として使われてきました。
一方で、泡は造り手にとっての悩みの種でもありました。高泡が形成されるともろみのかさが増え、タンクからあふれてしまうおそれがあります。もろみがあふれるとタンクの周囲が汚れてしまい不衛生なのはもちろん、泡の中にたくさんいる酵母が流出し、もろみ内の酵母の量が減ってしまいます。こうなると、その後の発酵がうまく進まなくなります。
もろみをあふれさせないためには、タンクのサイズに対して仕込み量を控えめにしなければなりません。具体的には、タンク容量の半分〜3分の2程度の量でしか仕込めず、コスト面でどうしても無駄が生じます。泡が出てもタンクからあふれにくいように、タンクの上部に取り付ける「泡笠」という道具が活用されることもあります。
また、タンクに余裕を持たせて仕込んでも、放っておくとどんどんもろみが泡立ち、あふれそうになってきます。そこで必要なのが「泡消し」の作業です。昔は人の手で夜通し泡を消していました。今はモーター付きのミキサーのような道具を使って機械化されていることが多いですが、発酵具合の異なるさまざまなもろみに対して、その設備を適切なタイミングで使えるように管理する必要があります。
こうした問題の解決を目指して研究が進み、発酵中に泡を形成しない酵母が開発されました。泡なし酵母は、優れた泡あり酵母の変異株として開発されることが多く、7号酵母の泡なし変異株は701号、9号酵母の泡なし変異株は901号など、もとの酵母名の数字の後ろに「01」を付ける形で命名されています。
泡なし酵母 発見と発展の歴史
泡なし酵母が発見され、広く使われるようになるまでの歴史を見ていきましょう。
最初に泡なし酵母が発見されたのは1916年のこと。このとき泡なし酵母を分離したのは、広島税務監督局の高橋源次郎と大蔵省醸造試験所の善田猶蔵でした。それ以前にも、もろみが高泡になる場合とならない場合があることは知られていましたが、高橋・善田の両氏はそれが酵母の性質によって決まることを明らかにしたのです。
しかし、少量仕込みが一般的で、労働力もそれほど不足していなかった当時は、まだ高泡のデメリットがそれほど問題とされていませんでした。「泡なし」が異常現象としてとらえられる傾向もあり、高橋・善田の分離した泡なし酵母は業界に広まることなく、失われてしまいます。
それから50年近く経った1963年、再び泡なし酵母の研究が始まります。きっかけは、島根県の酒蔵で偶然泡なし現象が連続発生したことです。これを知った国税庁醸造試験所の秋山裕一は、泡なし現象を起こしたもろみから泡なし酵母A-63を分離します。
A-63酵母の研究過程で、泡なし酵母の性質が徐々に明らかになってきました。その研究成果をもとにして1971年に開発されたのが、きょうかい7号酵母の泡なし変異株、701号です。
その後も、仕上がる酒の香りや味わいの面でも泡あり酵母に引けを取らない、優秀な泡なし酵母が次々と生まれました。今では、各きょうかい酵母の泡なし版が配布されているほか、1601号以降の酵母や28番酵母など、近年開発された酵母は泡なしのみとなっています。
泡なし酵母は酒造りの現場で好評を博し、2015年時点では頒布される酵母のうち約83%が泡なしであったというデータもあります(※)。
(※)参考:佐藤和夫「日本酒と微生物」(「モダンメディア」61巻 9号, 2015)
また、分子遺伝学分野の発展により、もろみでの高泡形成を支配する遺伝子(AWA1)も同定されました。AWA1遺伝子は清酒酵母に独特な遺伝子の一つです。現在では、高泡がどのような仕組みで形成されるかも明らかになっています。
泡なし酵母の性質 - 発酵の進み方や味わいの差は?
泡なし酵母と分離元の酵母を比べると、発行経過などの面で若干の差が見られます。
一番の差は、泡あり酵母は炭酸ガスの泡に付着するのに対して、泡なし酵母は炭酸ガスの泡に付着しないという点です。この違いが、高泡を形成するか否かを決定づけます。というのも高泡は、酵母が付着することで気泡が安定化するために生まれるのです。泡なし酵母は炭酸ガスの泡に付着しないため、もろみ内の泡はすぐに崩れ、高泡は形成されません。
また、泡あり酵母のもろみでは、泡のなかに多くの酵母が存在します。そのため、高泡形成中にもろみ全体の酵母密度が下がります。一方、泡なし酵母では、高泡が形成されないのでもろみ内の酵母密度を維持でき、その結果、泡あり酵母に比べて発酵速度が上がります。
しかし全般的に見れば、泡なし酵母は分離元の親株とよく似た特徴を持ちます。できあがる酒の特徴がほぼ変わらないからこそ、泡なし酵母がこれほど広まったとも考えられるでしょう。
それでも高泡の問題点に対処しつつ、発酵特性の差を酒質に活かす、もろみの状態を見極める指標としての一面を重視するなどの理由で、あえて泡あり酵母にこだわって使用する蔵もあります。酵母は日本酒の味わいを左右する重要な要素。それぞれの蔵がこだわりをもって、最適な酵母を選んでいるのですね。
まとめ
泡なし酵母をはじめとする新しい酵母の開発は、酒造技術の進歩や、それによる日本酒のさらなる普及に大きく寄与してきました。現在でも、さまざまな特徴を持った酵母が開発されています。今後も、泡なし酵母開発のようなイノベーションが起きるかもしれません。醸造現場に加えて、研究現場の動きにも注目していきたいものですね。
参考文献:
泡なし酵母 | 灘の酒用語集
大内弘造「泡なし酵母の歴史」(日本醸造協会誌105巻4号, 2010)
佐藤和夫「日本酒と微生物」(モダンメディア61巻 9号, 2015)
下飯仁「清酒酵母の高泡形成に関与する遺伝子AWA1」(日本醸造協会誌97巻7号, 2002)
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