
2021.07
29
日本酒づくりに使われる清酒酵母には、「泡あり酵母」と「泡なし酵母」が存在するのをご存知でしょうか。
もともと清酒酵母は「泡あり」が普通でしたが、酒造り現場のニーズに応える形で「泡なし」の酵母が開発されました。
この記事では、泡なし酵母開発の背景やその歴史、泡なし酵母の特徴や泡あり酵母との違いについて解説します。
記事冒頭写真提供:株式会社下村酒造店(「奥播磨」)
日本酒を仕込む際に使われる清酒酵母には、もともと「高泡形成」の特性があります。アルコール発酵の過程で発生した炭酸ガスの気泡に酵母が付着し、発酵が進むにつれてもろみがどんどん泡立って、かさ高になっていくという特性です。

酵母 が生み出す泡は、発酵の進み具合によって見た目が変わるため、もろみの状態を見極めるための指標として使われてきました。
一方で、泡は造り手にとっての悩みの種でもありました。高泡が形成されるともろみのかさが増え、タンクからあふれてしまうおそれがあります。もろみがあふれるとタンクの周囲が汚れてしまい不衛生なのはもちろん、泡の中にたくさんいる酵母が流出し、もろみ内の酵母の量が減ってしまいます。こうなると、その後の発酵がうまく進まなくなります。
もろみをあふれさせないためには、タンクのサイズに対して仕込み量を控えめにしなければなりません。具体的には、タンク容量の半分〜3分の2程度の量でしか仕込めず、コスト面でどうしても無駄が生じます。泡が出てもタンクからあふれにくいように、タンクの上部に取り付ける「泡笠」という道具が活用されることもあります。

また、タンクに余裕を持たせて仕込んでも、放っておくとどんどんもろみが泡立ち、あふれそうになってきます。そこで必要なのが「泡消し」の作業です。昔は人の手で夜通し泡を消していました。今はモーター付きのミキサーのような道具を使って機械化されていることが多いですが、発酵具合の異なるさまざまなもろみに対して、その設備を適切なタイミングで使えるように管理する必要があります。

こうした問題の解決を目指して研究が進み、発酵中に泡を形成しない酵母が開発されました。泡なし酵母は、優れた泡あり酵母の変異株として開発されることが多く、7号酵母の泡なし変異株は701号、9号酵母の泡なし変異株は901号など、もとの酵母名の数字の後ろに「01」を付ける形で命名されています。
泡なし酵母が発見され、広く使われるようになるまでの歴史を見ていきましょう。
最初に泡なし酵母が発見されたのは1916年のこと。このとき泡なし酵母を分離したのは、広島税務監督局の高橋源次郎と大蔵省醸造試験所の善田猶蔵でした。それ以前にも、もろみが高泡になる場合とならない場合があることは知られていましたが、高橋・善田の両氏はそれが酵母の性質によって決まることを明らかにしたのです。
しかし、少量仕込みが一般的で、労働力もそれほど不足していなかった当時は、まだ高泡のデメリットがそれほど問題とされていませんでした。「泡なし」が異常現象としてとらえられる傾向もあり、高橋・善田の分離した泡なし酵母は業界に広まることなく、失われてしまいます。
それから50年近く経った1963年、再び泡なし酵母の研究が始まります。きっかけは、島根県の酒蔵で偶然泡なし現象が連続発生したことです。これを知った国税庁醸造試験所の秋山裕一は、泡なし現象を起こしたもろみから泡なし酵母A-63を分離します。

A-63酵母の研究過程で、泡なし酵母の性質が徐々に明らかになってきました。その研究成果をもとにして1971年に開発されたのが、きょうかい7号酵母の泡なし変異株、701号です。
その後も、仕上がる酒の香りや味わいの面でも泡あり酵母に引けを取らない、優秀な泡なし酵母が次々と生まれました。今では、各きょうかい酵母の泡なし版が配布されているほか、1601号以降の酵母や28番酵母など、近年開発された酵母は泡なしのみとなっています。
泡なし酵母は酒造りの現場で好評を博し、2015年時点では頒布される酵母のうち約83%が泡なしであったというデータもあります(※)。
(※)参考:佐藤和夫「日本酒と微生物」(「モダンメディア」61巻 9号, 2015)
また、分子遺伝学分野の発展により、もろみでの高泡形成を支配する遺伝子(AWA1)も同定されました。AWA1遺伝子は清酒酵母に独特な遺伝子の一つです。現在では、高泡がどのような仕組みで形成されるかも明らかになっています。