2020.06
05
菩提酛(ぼだいもと)・水酛(みずもと)とは - 原点回帰の「新」製法?について学ぼう
「菩提酛(ぼだいもと)」「水酛(みずもと)」といった言葉をご存知でしょうか。これらは、中世の日本で開発された酒母(=酛)の製法です。一時は酒造りの現場から姿を消した菩提酛や水酛ですが、近年の研究によって復活し、その独特の味わいで日本酒愛好家を楽しませています。
今回は、そんな菩提酛や水酛の製法や歴史、味の特徴を学んでみましょう。
菩提酛、水酛とは
「菩提酛」とは、室町時代に奈良県で編み出されたとされる伝統的な酒母(=酛)造りの手法です。速醸酛や生酛系酒母の原型と考えられているこの酒母は、温暖な気候のもとでの酒造りを可能にするという長所を持っていました。 菩提酛を一言で説明すると、「そやし水」と呼ばれる酸っぱい水を製造し、そのそやし水を使って酒母を育成する手法です。
参考:日本酒の「酒母」とは?
そやし水とは、乳酸発酵によってできあがる酸性水のことで、ヨーグルトのような酸っぱい香りがします。酸性であるそやし水を用いることで、発酵を邪魔する雑菌がいなくなり、酵母菌が活動しやすい環境がつくられます。そして、酵母菌が一定量のアルコールをつくると乳酸菌も淘汰され、優良な酵母菌のみが生き残るので、うまく酒が造れるというわけです。
菩提酛で造られる酒の味わいは多様ですが、生酛系のルーツというだけあって、天然の乳酸菌を活かしたそやし水に由来する個性的な酸味が感じられ、しっかり飲みごたえのある濃醇旨口のものが多い傾向にあります。
このような酒母の造り方は、「菩提酛」以外に「水酛」と呼ばれることもありますが、本記事ではそれら他の呼称も含めて「菩提酛」と呼ぶこととします。
菩提酛の歴史
菩提酛は、室町時代中期に、奈良市の郊外にある菩提山正暦寺で開発されました。菩提山正暦寺は、東大寺、興福寺に次ぐ大きな寺院で、少なくとも数百人、あるいは千人以上の修行僧がこの寺院で生活を送っていたと言われています。菩提酛で造られた酒の販売が、この巨大寺院を経済的に支えました。
合理的な方法としてしばらく重宝された菩提酛ですが、欠点もありました。自然に集積する微生物を利用する手法であるため、どうしても安定性に欠けるのです。また、製造工程が煩雑であることも問題でした。
そこで明治時代に、この欠点を克服する「速醸酛」が開発されます。この革新的な発明をきっかけにして、菩提酛は大正時代にはほぼ途絶えたと考えられていました。しかし2002年、奈良県香芝市にある大倉本家で、御神酒として造られる濁酒に使われている酒母が菩提酛であることが判明します。
また、昭和時代末期ごろ、奈良県と岡山県で、まったく別々に菩提酛を復活させる試みがなされました。平成に入ってからは、微生物や米、水などの原料も菩提山正暦寺のものを利用し、より本来に近い形で菩提酛の復活を目指すプロジェクトが奈良県でスタートしました。こうした研究を経て、菩提酛は現代の酒造りの現場に見事復活したのです。
菩提酛の造り方
ここでは、菩提酛の造り方を詳しく解説します。上述のとおり、現代においては奈良と岡山の2箇所で別々に菩提酛が復活しました。それぞれ製法が異なりますので、違いを確認しておきましょう。
(※1)日本醸造協会誌 110巻10号「米麹を用いた古くて新しいそやし水製造」伊藤 一成、辻 麻衣子、三宅 剛史 p.671 第1図をもとに作成
奈良の製法
平成に入ってから奈良県で再現された菩提酛は、中世の酒造りに関して記録されている技術書、『御酒之日記』にしたがって製造されています。
まず、使用する米の一部を炊き、よく冷ました上で、残りの生米の中に埋めます。全体を水にひたして、温暖な環境に3日ほど置くと、そやし水ができます。その後、米をそやし水から取り出し、蒸して再びそやし水に戻し、麹を加えます。1〜2週間ほど経つと、菩提酛の完成です。
奈良の製法では、正暦寺の乳酸菌を使用しています。この乳酸菌は、復元プロジェクトの最中に寺の山中の湧き水から発見されたもので、Lc. lactis subsp. lacti と同定されています。菩提酛復活プロジェクトの一員であった、奈良県工業技術センター統括主任研究員の松澤一幸氏によれば、この菌は「一夜のうちに、ほかの微生物を駆逐するような強力な乳酸菌」(※2)で、温暖な環境におけるそやし水の製造に重要な役割を果たしているのだそうです。
(※2)アゴラ : 天理大学地域文化研究センター紀要 4号「清酒のルーツ、菩提酛(ぼだいもと)の復元:奈良の『産』『官』『宗』連携プロジェクトの記録」住原則也(2006年) p.18
岡山の製法
岡山では、真庭市勝山にある蔵元が所蔵していた『日本山海名産図会』という古文書の記述をもとに、独自のそやし水の造り方が生み出されました。
米を用いる奈良とは異なり、岡山では少量の米麹に水を加えてそやし水を製造します。10〜20日ほどでできあがったそやし水を加熱殺菌し、蒸米と麹を加え、約1〜2週間で酛が完成します。
米麹には、生米に比べて多様な微生物が存在しています。したがって、米麹から造ったそやし水の中では、目的とする乳酸菌以外にもさまざまな微生物が増殖・活発化することになります。このそやし水をそのまま酒造りに用いると、乳酸菌以外の微生物が酒質に悪影響を及ぼす危険があります。そこで岡山の製法では、そやし水を加熱殺菌してから使用しているのです。一方この過程で乳酸菌も殺菌されてしまうため、奈良の製法に比べてそやし水の段階で酸度を高くしておく必要があります。この高い酸度を実現しているのが、適切な量の米麹と、そやし工程にかける長い期間なのです。
こちらの製法には、身近な場所に広く生息する菌種が用いられています。そのため、そやし水の製造技術の一般化につながるのではないかと期待されています。
まとめ
菩提酛は、そやし水を用いた伝統的な酒母造りの方法です。一時は姿を消していましたが、近年の研究によって復活し、個性的で飲みごたえのある酒造りに活かされています。
ルーツである菩提山正暦寺の菌種を用いた製法だけでなく、身近に生息する乳酸菌を使った製法も編み出されているので、菩提酛による酒造りは今後さらに広まってゆくかもしれません。酒本来の味わいを楽しめる古くて新しい製法として、引き続き注目していきましょう。
参考文献
日本醸造協会誌 110巻10号「米麹を用いた古くて新しいそやし水製造」伊藤 一成、辻 麻衣子、三宅 剛史(2015年)
生物工学会誌 8号「菩提酛のメカニズムと微生物の遷移」松澤一幸(2011年)
アゴラ : 天理大学地域文化研究センター紀要 4号「清酒のルーツ、菩提酛(ぼだいもと)の復元:奈良の『産』『官』『宗』連携プロジェクトの記録」住原則也(2006年)
日本釀造協會雜誌 74巻11号「『御酒之日記』とその解義:佐竹文書より」松本武一郎(1979年)
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