
2022.08
19
酒造りの最初のプロセスである「精米」。かつては手作業で長い時間をかけておこなう大変な工程で、なおかつどれだけ苦労しても、人の手で磨ける範囲は限られていました。
しかし明治時代に「動力式精米機」 が発明されたことをきっかけに、精米の技術は飛躍的に発展します。精米歩合60%などの高精白が可能になったのも、精米機のおかげ。この発明がなければ、吟醸酒は存在しなかったのかもしれません。
そんな動力式精米機を発明し、進化させ続けてきたのは、広島県東広島市西条に本社を構える株式会社サタケです。創業以来、精米の研究に取り組んできたサタケは、2018年に新しい精米機を開発。自社が提唱する「真吟精米」を実現できる画期的な精米機として、徐々に注目を集めています。
今回は西条にあるサタケ本社を訪問し、動力式精米機の発明と進化の歴史、業界のパイオニアから見た醸造用精米の要、そして「真吟精米」の開発ストーリーなど、精米について幅広くお話を伺いました。
動力式精米機が発明されたのは、今から120年以上前の1896年。その発明から現在にいたるまでのサタケの歴史をたどりましょう。

サタケの本拠地である広島・西条は、昔から日本酒の名産地。しかし地理的な条件から、かつての西条の酒蔵は「精米」に課題を抱えていたといいます。
ほかの銘醸地、たとえば灘や伏見には、急な流れの川が通っているため、水車を使った精米が可能でした。しかし西条には、水車での精米に適した河川がありません。そのため人力での精米に頼らざるを得ず、酒造りの負荷がとても大きかったのです。

そんな精米の課題を解決しようとしたのが、地元の酒蔵・小烏屋木村屋(のちの賀茂鶴酒造)の当主、木村和平と地元でも有名な技師、佐竹利市でした。従来より、辛い精米作業から農民を解放したいと考えていた佐竹に対し、木村は「動力式の唐臼を作成してくれないか」と依頼します。こうした経緯で1896年に作られたのが、日本で初めての動力式精米機。そしてこれが、サタケの事業の始まりです。

その後もサタケは、精米機の機能向上を目指して研究開発に邁進。1908年には、竪型研削精米機の開発に成功します。これは酒造り史上、とても大きなイノベーションでした。この竪型研削精米機の誕生以来100年ほどにわたって、醸造用精米機の理論や構造に大きな変化はないのだとか。それほど大きな発明だったわけです。

サタケでの開発をきっかけに、精米機のメーカーは広島を中心に広がっていきました。現在でも醸造用精米機を手がける企業はサタケと、岡山県の新中野工業の2社のみ。しばらく前に撤退したチヨダも広島県の会社でした。このように地域独自の課題が生んだ動力式精米機は、日本全国に広まって、精米と醸造の技術を飛躍的に発展させました。
精米機から始まったサタケの事業は、現在さまざまな分野へと拡大しています。米に関する各種設備の開発はもちろん、麦やとうもろこしなど、酒米・食用米以外の原料に関わる設備の開発にも取り組んでいます。

たとえば、私たちの身近なところでは「ドトールコーヒー」のコーヒー豆を選別するのにも、サタケの選別加工技術が使われています。

またサタケでは、食品事業で培った技術を、環境分野や産業機械分野にも応用しています。なんと、新幹線のモーターまで手掛けているのだとか。

1932年から始めた海外展開も好調です。現在、13の国に 17の拠点を持ち、150か国に商品を出荷しています。海外では、精米機が「サタケ」と呼ばれることもあるそう。まさに「世界のサタケ」です。