常陸杜氏一期生の酒造り(3) 南部杜氏3人の下で腕を磨いた鈴木杜氏 - 茨城県・吉久保酒造(一品)

2021.04

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常陸杜氏一期生の酒造り(3) 南部杜氏3人の下で腕を磨いた鈴木杜氏 - 茨城県・吉久保酒造(一品)

山本 浩司(空太郎)  |  酒蔵情報

茨城県で日本酒造りに携わる杜氏&蔵人を対象にした新しい資格制度「常陸杜氏(ひたちとうじ)」。
茨城の風土と水と米で美酒を醸す人だけが名乗れる常陸杜氏は2019年からスタートし、一期生として3名が認定されました(2020年に二期生3名が追加認定)。
茨城の酒造業界の将来を牽引することが期待される一期生3人の杜氏の酒造りに迫ります。
三人目は吉久保酒造(水戸市)の杜氏、鈴木忠幸さんです。

常陸杜氏とは
茨城県酒造組合が茨城県産日本酒の知名度&ブランド力向上のために2019年度に創設した資格制度。年に一回の試験を受験するためには①造り手として7年以上、あるいは製造責任者として3年以上が経過②酒造技能検定1級(国家資格)合格③茨城県産業技術イノベーションセンター主催の杜氏育成コースなどの研修受講④各種鑑評会などの受賞実績――などを基にポイントを加算。一定ポイントを超えた人が受験資格を得られる。受験内容は「小論文」「筆記試験」「実技」「面接」の4つ。「小論文」では茨城の地酒を盛り上げるためのアイデアなどを提出。「筆記試験」は酒造りと茨城の日本酒の現状などを解答する40問。「実技」はマッチング形式の利き酒で、最も重要視される。
ここまでで合格したのは6人(敬称略、あいうえお順)。
《一期生》
浦里美智子(結城酒造)=主要銘柄は、結ゆい、富久福
鈴木忠幸(𠮷久保酒造)=一品、百歳
森嶋正一郎(森島酒造)=森嶋、富士大観
《二期生》
久保田通生(廣瀬商店)=白菊
深谷篤志(武勇)=武勇
松浦将雄(稲葉酒造)=男女川、すてら

「社員蔵人一期生」、困難の日々

鈴木さんが吉久保酒造の求人票を偶然目にしたのは、1993年のことでした。このころの吉久保酒造はまだ、出稼ぎの杜氏と蔵人に酒造りを任せていましたが、当時の蔵元・吉久保冨美さんは「農閑期に家族と離れて長期間仕事をするというのは若い人たちには受け入れられない。出稼ぎ志望者はどんどん減り、将来的には社員だけで造る日が来るに違いない」とそのときに向けた準備をすべく、製造に加わる社員を初めて募集することにしたのです。

1975年に茨城県勝田市(現ひたちなか市)に生まれ、1994年に県立水戸農業高校を卒業した鈴木さん は、就職氷河期の初期世代。面接に臨んだところで求人の趣旨について説明を受けましたが、「高校時代、発酵の勉強は好きだったし、手に職をつける仕事がしたいと考えていたので抵抗はなかったですね」と振り返ります。こうして1994年4月、社員蔵人第一期生として吉久保酒造に入社しました。

入社後、冬場の造りが始まるまでは瓶詰め工場で働きました。その冬、いよいよ造りの時期になると岩手から南部杜氏のほかに蔵人が12人ほどやってきます。一方の社員蔵人は鈴木さんともう一人の同期の新入社員、それに他の部署から1人が選ばれて3人が造りに加わりました。

社員の3人は「あれやってくれ」「これやってくれ」と言われるがままに米を運び、洗い、蒸した米を仕込みタンクや麹室に運び、あとはひたすら水洗いと掃除に明け暮れました。杜氏からは一言「見て覚えろ」で、うかつに杜氏や蔵人に質問をすると、「聞くやつがあるか。本でも読んでろ」と怒鳴られる始末。「見て覚えろと言われても、何を覚えればいいのかわからなくて目を白黒させる日々でした」(鈴木さん)

このように当時は社員が製造に関わり始めたばかりで、社員蔵人が働く環境が十分に整ってはいませんでした。他にもたとえば 吉久保酒造の社員が定時の8時に出社すると、早朝から作業を行っていた杜氏と先輩蔵人たちが その日の酒造りの仕事の半分を終えていることも。杜氏や蔵人たちに溶け込めるチャンスが少なく、疎外感もあったことでしょう。

こうした環境で鈴木さんの同期も3年目に退職してしまいますが、鈴木さんは「僕の父は料理人で、小さい頃から職人の世界の独特な雰囲気を聞かされていました。なので、酒造りも料理の世界と同じようなものだなと驚きながらも冷静でいられました」と言います。

南部杜氏との仕事を通じた交流で技術を習得

転機は入社3年目にやってきました。1996年度の造りから新たな南部杜氏・佐々木征志さんに代わってしばらくすると、鈴木さんは「分析の仕事をやってくれ」と指示を受けます。これが、初めての目的がはっきりとした仕事でした。

分析は、刻一刻と変化する醪の状態を把握するために毎日必ず実施しなければなりません。当時は浮秤(ふひょう)や密度計などを使って手作業で、常に20本前後ある醪のアルコール度数、日本酒度、酸度、アミノ酸度などを計っていました。作業量も多く大変な仕事でした が、「醪が日々変化していく様子が手に取るようにわかるようになって、酒造りへの興味がぐんと増しました」(鈴木さん)。

また分析の作業場が杜氏のデスクの隣にあったことが幸いして、酒造りについて少しずつ教わることができたというメリットも。数年が過ぎると杜氏が行う重要な計算なども「間違いがないか確かめてくれ」と頼まれるようになりました。

さらに鈴木さんは、これより少し前の20歳の時に南部杜氏組合に入会することができました。夏場に南部杜氏組合が実施する講習会にも2年に1度程度のペースで出席し、「講師の先生達の丁寧な説明で、酒造りの仕組みも、南部杜氏が造る酒が透明感のある綺麗な酒だということもここで学びました」と意欲的に知識と技術を身に付けていきます。

こうして酒造りの全貌が見えてくるようになった入社10年後の2004年度の造りのとき、杜氏が佐々木勝雄さんに交代します。その頃には杜氏との付き合い方も覚えた鈴木さんは、佐々木勝雄さんに対しても自分の思ったことをぶつけることもありました。

「最初は口げんかになったこともありますが、より良い酒造りのための議論だったので、少しずつ理解していただけるようになりました。結果的にそんなやりとりを経ることで杜氏の私への信頼も深まったのだと思います」

岩手から来る蔵人も年々減っていき、ナンバー2の頭(かしら)が不在となった2008年度の造りから鈴木さんは副杜氏になりました。

「初の社員杜氏」として、チームで挑む酒造り

2011年夏、36歳の時には南部杜氏の資格選考試験に一発合格を果たしました。

2011年3月の東日本大震災があった時も、杜氏は岩手には帰らず造りを続けていました。そんな姿を見て、後は任せて下さい、と胸を張って言うには南部杜氏の資格が必要だな、と痛感したのです。一発で合格して、杜氏にも喜んでもらえました」

そして、佐々木勝雄杜氏の「技術は鈴木にすべて教えた」との言葉を聞いた吉久保博之社長から「岩手から次の杜氏は来ない」と伝えられた鈴木さんは社員杜氏となることを決意。入社から20年が経った、2014年度の造りから吉久保酒造の造りの総責任者に就いたのです。

佐々木勝雄杜氏は鈴木さんにバトンを渡すタイミングで、岩手から毎年連れてきていた蔵人がゼロになるよう徐々に減らしていってくれていたため、2014年度からはすべて社員蔵人による酒造りに移行しています。現在の酒造りは鈴木さんを含めて5人で、全員が鈴木さんよりも年下の若いチームです。

「でも、僕は親分ではなく、チームリーダー程度の位置づけです。みんながそれぞれ考えながら働き、対立してでもいいから意見をぶつけ合いながら、いい酒を造っていきたい。僕よりも麹造りに詳しい蔵人もいるし、それぞれが分担された役割をきっちりこなせるようにサポートするのが杜氏の役目だと思っています。僕自身が判断するのは搾るタイミングだけですね」

10年、20年後に常陸杜氏の名が広がっているように

鈴木さんの杜氏就任後、吉久保酒造は全国新酒鑑評会で3年連続の金賞受賞を果たします。 そんななか、制度の始まった常陸杜氏については、吉久保博之社長の「受けてみたら」と鈴木さんの「受けてみたい」がほぼ同じタイミングだったのだそう。

しかし試験準備には苦労したそうで、「南部杜氏の筆記試験には過去問題集があるのですが、常陸杜氏は一期生だったので過去問がないため、何を勉強すればいいのかわからず困りました(※)。特に茨城に関する問題が出ると言われて、茨城の地域特性や水系、農産物、気候など幅広く勉強しました」と鈴木さんは話しています。

一期生としての使命感について聞いてみると、「10年、20年後に常陸杜氏の知名度が今よりも上がっているようにしなければならない。この資格制度は茨城県で酒造りに従事している人なら誰でも取れるので、うちの蔵人たちは順番に資格を取得して欲しい。将来、『吉久保酒造は造りに携わっている全員が常陸杜氏』と対外的に胸を張れる日が来たら楽しいですね」と話していました。

(※)出題内容は非公開となっているため、2期生以降も同じ条件

蔵の味の伝統を守り、蔵元の新しいアイデアにも応えるパートナーとして

そんな鈴木さんは吉久保酒造の看板商品である「一品」の目指す酒質について次のように話しています。

「地元の水戸市では、『吉久保の酒と言えば、一品の辛口』と合い言葉のように言われて愛されてきおり、父も愛飲していました。ですから、キレのある辛口という部分は絶対に変えません。ただし、現代の日本酒に対する飲み手の嗜好の変化もあって、ただキレがある辛口というだけでは、味気ないとの指摘も出てきます。『甘味やコクをほんのわずかに残した辛口のお酒』が現在の目指す方向です。また、個人的には大半の飲み手がすぐに理解できるわかりやすい特徴を持つ酒も造ってみたいですね」。

森嶋酒造は「蔵元」、結城酒造は「酒蔵の嫁」、吉久保酒造は「社員」、と常陸杜氏の一期生の三人はそれぞれ立場が異なります。鈴木さんは社員として、蔵元の考えも造りに反映しなければならない立場ですが、「社長とは常に意見交換をしながら酒造りの方向性を決めているので、ストレスはない」と言います。

最近話題になっている「サバに合う日本酒:SABA de SHU」や「サーモンに合う日本酒:SALMON de SHU」などのユニークな商品も社長のアイデアでしたが、これらについても鈴木さんは次のように話していました。

「実際に魚を食べながら、うちの日本酒ラインナップを飲んでみて、どれと相性がいいか、さらにどう修正を加えればいいかを社長と蔵人と一緒に議論して結論を出します。そのうえで、目指す酒質を実現するための方策、たとえば麹の種類や、醪の温度経過などを決めました。

社長が次々と新しい提案をしてくるので慌ただしいですが、造ってみて評価されると苦労も吹き飛びます。各種の鑑評会で表彰されるのと同じぐらい嬉しいですね」

初の社員杜氏が誕生し、蔵元・杜氏・蔵人が一体となって酒造りに取り組めるようになった吉久保酒造。常陸杜氏をリーダーとして、より一層地元に愛される酒を造り続けることでしょう。

酒蔵情報

吉久保酒造
住所:茨城県水戸市本町3-9-5
電話番号:029-224-4111
創業:1790年
社長:吉久保 博之
杜氏:鈴木 忠幸
Webサイト:https://www.ippin.co.jp/

連載:「常陸杜氏一期生の酒造り」
第一回:森島酒造編 森嶋杜氏の酒は苦味/渋味が鍵

第二回:結城酒造編 浦里杜氏のこだわりは「麹造りは自分だけで」

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