長野の地酒ブランド「水尾」が酒蔵ツーリズムに挑む理由 - 長野県・田中屋酒造店

2024.11

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長野の地酒ブランド「水尾」が酒蔵ツーリズムに挑む理由 - 長野県・田中屋酒造店

山本 浩司(空太郎)  |  酒蔵情報

食中酒として人気の「水尾(みずお)」を醸す長野・田中屋酒造店が、酒蔵ツーリズムに取り組み始めています。

普通酒だけを製造していた蔵に帰ってきた後継ぎの田中隆太さん(6代目蔵元・現社長)が、理想的な仕込み水の水源を見つけ、地元で栽培される良質な酒米を調達できるように努め、小仕込みでの酒造りを実現させた「水尾」の35年間。「その歴史を日本酒愛好家に体感してもらいたい」との想いから、「麹造りを核とした本格的な水尾の酒造りを体験する」「取水地に足を運び、美酒造りにおける水の大切さを知る」「看板商品の酒米、金紋錦を育てる田んぼに行き、米と酒の深い繋がりと気候風土の意味を感じる」という3つの企画を立ち上げました。

酒蔵持ち出しのファンサービスではなく、収益を上げる新規事業と位置づけ、半日~1日コースで15,000~20,000円の料金設定にしています。この酒蔵ツーリズムについて、田中さんの目指す先を探りました。

仕込み水を求めて周囲の湧き水を巡る

田中さんは大学卒業後、システムエンジニアとして働いていましたが、蔵の将来を案じて1990年に実家に帰ってきました。当時の田中屋酒造店は「金瓢養老(きんぴょうようろう)」という銘柄の普通酒主体の造りで、「バリバリの安酒屋で、とにかくアルコールが造れればいいという雰囲気でした」と田中さんは振り返ります。

しかし、日本酒の等級制度が廃止され、今後は特定名称酒を造らなければ生き残れないと、国税庁の醸造試験場の先生に指導を仰ぎます。すると、先生から「浅井戸のこんな仕込み水を使っていては未来永劫いい酒はできない。新しい井戸を掘りなさい」というアドバイスがありました。

蔵があるのは飯山市の中心部で、新たに深井戸を掘ってもいい水が出るという保証はありません。田中さんは散々悩んだあげく、「美しい山々に囲まれた飯山なら、仕込みに適した湧き水などがあるはず。それを探して、仕込みに使えばいいのではないか」と考えました。

そこで、この地域でコーヒーやお茶を飲むのに水を汲みに行っている人たちの話を聞いてまわりました。その中には、蔵の営業担当者が定期的に足を運んでいた酒販店で、「出してもらうお茶がすごくうまい」という情報もありました。

そのなかから6、7カ所ほどの候補を挙げて、実際に水を飲みに行きました。どの水も美味しかったそうですが、「口に含んだ瞬間、酒に使うにはこれしかない、と一瞬で心に決めた水がありました」(田中さん)。営業担当者が推薦した野沢温泉村虫生(むしう)地区の湧き水でした。

虫生地区は野沢温泉の北東部に聳える標高1044メートルの水尾山の北西斜面にあり、山から湧き出る豊富な水を用いた水田が山の高いところまで広がっている地区でした。湧き水は灌漑用だけでなく、地区にある民家の家庭用にも使われていますが、美味しいと評判で、野沢温泉の飲食店がこの水を詰めてミネラルウオーターとして販売もしているほどでした。 この水を醸造試験場の先生に持参すると、「理想的な軟水。この水ならいい酒が造れる」と太鼓判を押してもらいました。

しかし、水源は蔵から15キロメートルほど離れていて、車で30分ほどかかるために、父は「そんな手間をかけても酒が高く売れるわけではないのに無駄だ」と反対意見を見せました。同意を得られないなら自力でやると決めた田中さんは、昼休みを使って水を汲みに往復し、汲んだ水を杜氏に見せて「大吟醸の酒の水に使ってみて下さい」と頭を下げました。

すると、その冬、田中さんの運んだ水で造ったお酒が鑑評会で高い評価を得たのです。結果がついてきたため、蔵はすべての仕込み水を虫生地区から運ぶことにしました。その後、水尾山の湧き水から生まれた美酒として「水尾」という名を冠した銘柄が1992年にデビューしました。田中さんが蔵に帰って3年目のことでした。

以来、今日まで仕込み水はずっとこの湧き水を使っており、現在でも一回に500リットルのポリタンク3本に計1.5トンを汲んで蔵まで運ぶ作業を、年間150回繰り返しています。田中さんは「ここの水に出会わなければ水尾は生まれていなかった。我々にとっては生命線とも言える水です」と話しています。

良質な酒造好適米を探し、金紋錦に出会う

理想的な水に出会った田中さんは次に、純米酒を造ることを決めました。それまで、蔵では普通酒と本醸造酒しか造っておらず、高価な酒造好適米を使うことはありませんでした。

周囲に勧められるがままにいろいろな酒造好適米を使ってみましたが、事前に聞かされたように、兵庫県産の山田錦が使いやすく、良い酒質に仕上げやすいことを知ります。しかし、田中さんには違和感がありました。

「当時はいまほど『地元の米でないと真の地酒とは言えない』などという酒蔵は多くはありませんでしたが、僕は単純にそんな遠いところから運んでまで山田錦を使わなくてもいいのではないか。山田錦よりも多少劣ったとしても、欠点を個性に変えて、プラス志向で酒造りをして行くべきではないかと考え、使うのは長野県産の酒米にしようと決めました」(田中さん)

当初は主に美山錦を使っていましたが、あるとき、飯山市の南隣の木島平村で、石川県の福光屋が金紋錦という酒米を契約栽培していることを聞きつけました。

金紋錦は1960年代半ばに山田錦とたかね錦の交配で、長野県が開発した酒造好適米でしたが、長野県の酒蔵は安くて使いやすい他の酒米に流れて金紋錦を使う蔵は減り、栽培適地だった木島平村の農家も1980年代には栽培を止める瀬戸際に追い込まれました。

そんなピンチに手を差し伸べたのが福光屋でした。自社ブランドの掛米として使うことで狙い通りの酒ができると確認し、農家から安定的に仕入れることを約束し、幻の米になるのを防いでくれたのです。しかも、福光屋は農家に対して、より高い品質の米になるように情報をフィードバックするなどして、金紋錦の心白中心率や整粒歩合の改善にも貢献していました。

2000年を回ったころ、長野県内の有志の酒蔵が金紋錦に関心を寄せ、福光屋の好意で一部の米をもらって酒造りを始めます。田中屋酒造店も2002BYで初めて純米酒に使ってみたところ、「すごくいい酒になって、水尾の取引先の間でも評判になりました」と田中さん。

そこで、金紋錦を入手するために動きます。まずは農協に行くものの、契約栽培だから福光屋が承知しないだろうと言われて、福光屋に電話しました。酒米調達担当の役員に「金紋錦を使いたい。今からお願いに伺います」と申し出ましたが、このときは電話口で断られてしまいます。

難航を予感しながらも、なんとしてでも金紋錦が欲しいという強い思いから田中さんは諦めず、手紙を書いたり、何度も電話をしたりを繰り返します。田中さんの熱意で福光屋が「そこまで言うなら出しましょう」という返事を得るまでに半年以上がかかりました。

2004年秋からは田中屋酒造店と田中さんが声をかけた長野県内の酒蔵数軒が安定的に金紋錦を調達できるようになり、その後、酒蔵による「金紋錦の会」もできました。栽培適地が標高400メートル以下と言われる金紋錦は木島平村では毎年安定的な収穫が続き、現在では約2500俵(1俵=約60kg)の金紋錦が収穫され、およそ2分の1が福光屋、3分の1が田中屋酒造店、残りを長野県内の10軒あまりの酒蔵に配分されています。

田中屋酒造店はこの金紋錦のほか、飯山市内のひとごこちを使っていますが、蔵の看板商品となる純米大吟醸酒や純米吟醸酒などはすべて金紋錦で造っています。

「お酒の味を決めるのは25%が水、25%が米、残りは蔵元と杜氏の造りに対するポリシーとそれを現場で的確に実践することだと思っています。湧き水を見つけ、金紋錦を手に入れることができたことで、水尾の味の半分が決まり、あとは着々と酒造りの設備を充実させると共に、酒造りの腕を磨いていきました」(田中さん)

水尾の知名度をさらに上げる酒蔵ツーリズム

味を左右する残りの要素である酒造りについては、田中屋酒造店が持っているこだわりがいくつかあります。醪の温度管理徹底のために総米は700kgから1400kgに絞り、仕込みタンクと酒母タンク、搾り機のある部屋は低温を維持。搾った後の酒の火入れでは目標の温度(63℃)に達した後は一気に急冷し、酒のダメージを最小限にします。

定番品(純米)を除いたお酒はすべて瓶貯蔵。 定番品は火入れ後瞬間急冷してタンクに貯蔵しますが、貯蔵部屋は5℃で、さらに タンクに貯蔵したお酒の表面には窒素ガスを乗せて、酸化を防いでいます。分析にも力を入れているものの、データ任せにはせず、人間の五感を重視しています。

お米の蒸し具合は必ず、ひねり餅を作り、酵母はほぼ全量泡ありで、泡の様子から醪の状況を推測して管理。上槽(搾り)のタイミングは「毎日醪を口に含んで、ベストなタイミングを数人で決めています」(田中さん)

こうした努力の積み重ねもあって、水尾の酒質は向上し、ファンも確実に増えてきました。2005年ごろには普通酒と特定名称酒の売上が逆転し、新型コロナウイルス感染症が拡大する直前には醸造期間は10月から5月に延び、生産石数も1000石に近づきました。

醸造期間をさらに延ばして醸造量を増やすこともできましたが、田中さんは「量を追うのはもう止めよう」と考えます。付加価値の高いお酒の売り上げを増やすことで、利益を増やそう。それには水尾のブランドイメージをさらに高めることを考えなければ。

そんな折、国が酒蔵ツーリズムの振興へと動き出します。田中屋酒造店の蔵から30分の野沢温泉には、特に冬場たくさんの外国人がやってきて、蔵の売店にも外国人客が増えてきていたこともあり、チャンスはありました。

「海外のワイナリーでは訪問客は原料となるブドウ畑を眺めながら、ワインを楽しんでいます。日本酒でも同じことはできないか。薄暗い蔵の中で日本酒を飲むよりも、明るい空の下で飲んだ方がよほど印象がよいのではないかと思いました。だから、水尾の故郷である金紋錦の田んぼや虫生の取水地に案内するツアーは喜ばれるに違いないと考えました

ちょうど蔵の床を打ち直して、清潔な雰囲気になったので、蔵内部の見学もお客には好印象を持ってもらえるし、ここで美味しい酒ができているんだと実感してもらえるので、酒蔵見学もじっくり時間をかけて案内しよう。また、酒造り体験もまねごとではなく、酒造りの真髄である麹室の作業も組み込もう。ツアーの中身を充実させて、価値を上げ、料金設定も高くして、日本酒愛好家へのサービスではなく、事業として継続的に利益を上げる態勢にしようと考えました」

2022年には社内に6人からなる検討チームを設けて議論を始めます。モニターを募って試験的な企画を実施したうえで、2023年12月から本格的にサービスを開始しました。

外国人観光客誘致にも力点を置く

1年目に実施したコースは大きく分けて3つです。

・酒蔵見学(約60分)と酒米・金紋錦の田んぼツアー(軽食付き3時間半で15,000円)

・酒蔵見学(同)と仕込水の取水地ツアー(昼食付き5時間で20,000円)

・本気の酒造り体験と酒蔵見学(昼食付き5時間で20,000円)

酒造り体験では蒸したお米の放冷や仕込みタンク・酒母タンクの櫂入れのほか、スケジュールが合えば、麹室に入って麹の世話や種切りまで体験できます。

田中さんは「酒造り体験の定員は6人ですが、全員を麹室に入ってもらうのは多少、リスクもあります。しかし、水尾の味の背景を体感してもらうにはここまでやってこそ意味があると判断しています」と話しています。筆者はすべてのツアーに参加しましたが、いずれのツアーの参加者も「水尾が美味しい理由がよくわかった」と満足そうな表情で蔵を後にしていました。

2年目になる今季は「本気の酒造り体験と酒蔵見学」は引き続き、定期開催&募集をします。「金紋錦の田んぼツアー」と「仕込水の取水地ツアー」については定期開催ではなく、少人数(5、6人)の予約申込みに対応するよう、メニューを作り込んでオーダーメイド的な内容で実施するほか、年に数回大人数募集のイベントとして開いていく計画でいます。また、英語対応の体制が整ったので、野沢温泉にやってきた外国人観光客もどんどん誘致して行く構えです。

酒蔵自身が単独で取り組む酒蔵ツーリズムは非常に珍しいもの。田中屋酒造店の挑戦に多くの酒蔵が注目しています。

●酒蔵情報
田中屋酒造店
住所:長野県飯山市大字飯山2227
電話番号:0269-62-2057
創業:1873年
社長:田中隆太
杜氏:久保田剛光
Webサイト:https://www.mizuo.co.jp/

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