SAKE COMPETITON2023で純米酒部門1位に。宮城の日本酒蔵として遅まきながら栄冠を獲得できた理由 - 宮城県・大和蔵酒造

2024.05

07

SAKE COMPETITON2023で純米酒部門1位に。宮城の日本酒蔵として遅まきながら栄冠を獲得できた理由 - 宮城県・大和蔵酒造

山本 浩司(空太郎)  |  酒蔵情報

宮城県大和町の大和蔵(たいわぐら)酒造は、2023年に開かれた市販酒の品評会「SAKE COMPETITION」の純米酒部門にて、「雪の松島 KAI 純米原酒 ひとめぼれ」で純米酒部門1位を獲得しました。あわせて、杜氏の関谷海志(せきや・かいし)さんが、40歳以下の杜氏の最優秀賞(ダイナーズクラブ若手奨励賞)を獲得します。

高品質の特定名称酒分野では県内の他の酒蔵にやや遅れを取ってきた大和蔵酒造の“ダブル受賞”の裏には、有望な若手の杜氏への抜擢を決断した山内信雄社長と、期待に応えて短期間に蔵のお酒をトップレベルに押し上げた関谷杜氏の尽力がありました。

山形の酒蔵をやまやが買収。宮城に大和蔵酒造を新設

大和蔵酒造のルーツは、1798年に山形県高畠町で創業した大勘酒造店(代表銘柄は「羽陽花心」)です。大勘酒造店は石油ショック後の日本酒の需要落ち込みに苦しむ一方で設備老朽化が進み、しかも後継者不在に直面して、事業譲渡先を探す事態に陥りました。

1982年には、酒類ディスカウンター分野に進出したやまや(仙台市)が、自社で取り扱う日本酒のラインナップ強化の狙いもあって、1993年に子会社に収めます。酒類ディスカウントの事業急拡大で新たな物流拠点を求めていたやまやは、有力候補に選んだ宮城県大和町の県営工業団地が、製造部門があることを進出条件としていたため、酒蔵を山形から大和町に移転することを決めます。やまやの物流センターの一角に鉄筋コンクリート2階建の酒蔵を建て、最新の設備を導入し、1996年に大和蔵酒造が誕生(大勘酒造店を吸収合併)しました。

新しい醸造所を建設するにあたって、やまやは「高品質な酒をできるだけ安いコストで造る」ことを目指し、当時としては最新の設備を導入。山形の蔵で働いていたベテランの杜氏や蔵人たちの手で、純米酒や大吟醸酒などの特定名称酒を造り始めました。

2002年、そんな大和蔵酒造の社長として、やまやの役員から移ってきたのが現在の山内社長でした。特定名称酒を造っていた蔵だったので、宮城県内の他の酒蔵の酒と遜色のないものを造っているものと思っていた山内さんは、実際に飲んでみたところ、「宮城の他の酒蔵のお酒に比べると明らかに味が落ちる」と実感したといいます。

自動製麹機を撤廃。次々と改革の手を打つ

品質面で遅れを取っていると感じた山内さんは、最も大きな課題として麹のレベルアップを掲げます。1996年に導入した自動製麹機は当時としては最新鋭でしたが、やはり、手作業で造る麹の方が優れている。そう感じた山内さんは、親会社のやまやを説得し、自動製麹機の撤廃と、新しく広い麹室の新設という英断を下しました。

「残る課題は、杜氏と相談して優先順位を付け、毎年少しずつ改善していきました。宮城の他の酒蔵さんのレベルに近づいたなと実感したのは2010年を回ってから。その頃から全国新酒鑑評会でも頻繁に金賞が取れるようになりました」(山内さん)

そんな折の2014年春、東京農業大学を卒業した関谷海志さんが蔵に入社しました。関谷さんは父も祖父も宮城県白石市の蔵王酒造で酒造りに従事している、生粋の酒造家系。自身も成人するといろいろな日本酒を飲み、好きになり、就職先は日本酒の蔵にしようと決めていました。

父のアドバイスを受けながら、宮城県内の酒蔵を就職先に絞って、ちょうど大和蔵酒造が新入社員を募集していたので応募したところ、入社が決まりました。宮城にはもっと有名で人気な酒蔵もありますが、関谷さんは「入る蔵はどこでもよかった。むしろ、まだ先頭集団にいない蔵の方が伸びしろがあるし、自分で変えて美酒蔵にしていけばいいと考えていました」と話します。

農大出身の若手・関谷さんを後任杜氏に抜擢

南部杜氏の佐々木政利さんの薫陶を受けた関谷さんは、酒造りを猛然と学んで行きます。他の酒蔵にもせっせと足を運び、知識を貯めていくうちに、大和蔵酒造の造りが先進的な地酒蔵とは違うことを知りました。

多くの銘酒蔵は、お米を10~15kg単位で洗っているのに対して、大和蔵では多量のお米を一度に洗います。蒸しも甑によるバッチ式ではなく、連続蒸米機を使い、仕込みの総米も他の地酒蔵の2倍以上にあたる3トン仕込みです。

「美酒を造るためにはハンデとも言えますが、工夫をすればなんとでもなると考えていました。むしろ、改善の余地を探し、次々にトライしていくことで、酒造りの腕前は上がると信じていました」と関谷さん。佐々木杜氏の下で数年学ぶうちに、「自分だったらこうするのに」 という考えが次々に浮かぶようになり、「僕なりの考えで少しずつ、原料処理や麹造りを変えていきました」と話します。

関谷さんの働きぶりを見守っていた山内社長は、「まだ入社して10年にならないものの、将来性はあるし、やる気に満ちている。少し早いが杜氏に引き揚げよう」と決意し、2021BYを前に30歳だった関谷さんを杜氏に抜擢しました。 関谷さんは、「自分が杜氏になったらやろうと考えていたことが山積していて、それを一気に実行に移しました」と語ります。

いち早く変えたのは、麹造りでした。

「うちの蔵のクセだと思いますが、基本的に味が濃厚になりやすい。それなのに、佐々木杜氏からは『味噌麹を造るイメージで、しっかりと破精が回った総破精を目指せ』と繰り返し言われました。でも、私は大和蔵酒造の酒がもっと評価されるには綺麗な酒質に変えていかなければならないと考えていて、麹菌が蒸した米の中心に向かって伸びて行く突き破精になるように変更しました。もやし(麹菌)を振る量も減らしました。

結果として、味わいは以前よりも軽快になったと思います。このほか、米の洗い方もより糠が落ちるように改善し、酵母の死滅によるオフフレーバーを出さないように適宜追い水をして、搾る段階のアルコール度数を17〜18度から16度に引き下げました。酒質がぐんと良くなるのを実感しました」

銘柄デビューから、いきなりの栄冠獲得

そんな中で、造り手による工夫だけでは限界があったのが、搾った後の火入れと貯蔵です。蔵には生酒を65℃前後まで上げた後に急冷する設備はなく、また、火入れ後はタンクに貯蔵するのが基本でした。「宮城の他の酒蔵に負けない酒にしたいという杜氏の思いに応えたい。新しい銘柄のお酒もリリースしたい」と考えた山内社長は、やまやに掛け合って、加熱・急冷ができるパストライザーという設備を導入しました。

急冷後はすぐに瓶詰めして冷蔵庫に貯蔵するというスタイルで、2022BYから造り始めたのが「雪の松島 KAI(海)」。関谷さんの名前から一字を取っています。一年目は兵庫県産山田錦、宮城県産のひとめぼれ、蔵の華、吟のいろはの4種の米でそれぞれ純米と純米吟醸を造りました。「いずれも明らかにそれまでのうちの酒よりも美味しくなった」と山内社長も実感しましたが、そのうちのひとめぼれで造った純米原酒がいきなり2023年のSAKE COMPETITION純米酒部門で1位になったのです。

SAKE COMPETITIONでは、それぞれの部門で10位以内に入った蔵には最終発表会・表彰式に出席するよう促していますが、山内社長と関谷杜氏は「十傑に入っただけでも満足していました」と話し、山内社長は「ステージに上がることなど想像もしておらず、ネクタイもして行きませんでした」と振り返ります。10位からカウントダウンしていく発表に、関谷杜氏は「いつまでも呼ばれないので、ひょっとして10位以内でなかったのかも」とまで思ったそうです。

SAKE COMPETITIONでは、40歳以下の若手で一番上位に入った人をダイナーズクラブ若手奨励賞として個人表彰しています。コロナ禍でコンペが中断される直前の2年は2018年に蔵王酒造(宮城県白石市)の大滝真也氏、2019年は萩野酒造(宮城県栗原市)の佐藤善之氏と、宮城県の酒蔵が続いていました。そのため、関谷さんは純米酒部門の1位と言う発表を聞いた瞬間、「宮城県が3回連続して若手奨励賞を獲得できたんだと飛び上がりたい気分でした。表彰式後、この結果に一番喜んでくれたのが、父も祖父も働いていた蔵王酒造の大滝さんでした」と話していました。

表彰式の翌日から「雪の松島 海」への注文が殺到して、すぐに在庫は完売。通常のシーズンは6月一杯で造りを終え、7~8月は機械や設備のメンテナンスにあて、9月から酒造りをスタートさせていますが、「欠品が数カ月も続くのは惜しいし、ひとめぼれは食用米なので入手できる」(山内社長)からと、7月から酒造りを再開し、そのまま休みなく酒造りを続けています。若く、まだまだ伸びしろのある関谷杜氏がこれからどんな酒を造っていくのか、興味は尽きません。

酒蔵情報

大和蔵酒造
住所:宮城県大和町松坂平8-1
電話番号:022-345-6886
創業:1996年
社長:山内信雄
製造責任者(杜氏):関谷海志
Webサイト:https://taiwagura.co.jp/

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