2021.01

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目指すのは「明るい酸」。復活の酒蔵、笑顔で醸す個性豊かな酒 - 奈良県・大倉本家

瀬良 万葉  |  酒蔵情報

大倉本家は、奈良県香芝市にある酒蔵。住宅が立ち並ぶ中を進むと、門の向こうにかやぶき大和棟の事務所が見えてきます。

1896(明治29)年の創業以来、大倉本家で造られた酒の大部分が、山廃仕込みによるもの。力強く個性的な味わいが、今も昔も高い人気を誇ります。

2000年、3代目の大倉勝彦さんが病に倒れたことにより、休造となっていた大倉本家。そこで伝統を守ったのが、今回お話を聞いた4代目の大倉隆彦さんです。

一度は酒造りをストップした蔵がいかにして復活したのか、横浜の会社員だった隆彦さんがどうやって酒造りを始めたのか……その道のりとともに、大倉本家の酒造りの様子をお伝えします。

創業以来、力強い酒を生み出し続ける大倉本家の蔵

木と土壁で造られた伝統的な建築が目を引く、蔵の建物。隆彦さんに案内され、事務所と調理場を抜けて醸造スペースに入るとすぐに、原料処理の設備があります。

米作りも一部自社で手がけている大倉本家。大事に育てられた米は、機械で少量ずつ洗米し、手作業で浸漬されたあと、甑を使って蒸されます。

その先にあるのは、隆彦さんが蔵に戻ってから新設されたピカピカの麹室。近年になって、さらにハクヨー社製の床用製麹機も導入しました。

麹室に引き込む際に、やむなく温度を低くして水分調整をするときがあります。これを再び適温まで戻すため、これまでは木製の床(とこ)の下にホットカーペットを敷いて対応していましたが、この機械では専用のヒーターが設置され、温度ムラが生じにくくなるとともに、作業の効率も向上しました。

急勾配の階段で2階に上がると、そこは酒母室。今も昔もここで酒母が仕込まれています。無事に出来上がった酒母は、なんと人力で1階まで運ばれるそうです。何も持たずに降りるのも難しいほど急な階段を、酒母を抱えて、何度も繰り返し降りるなんて!と驚いてしまいました。

1階に降り、もろみが入ったタンクが立ち並ぶゾーンへ。大切に仕込んだもろみへの、隆彦さんの優しい眼差しが印象的でした。

取材に訪れた10月は、ちょうど水酛のもろみが仕込まれていた頃。柔らかくも個性的な酸っぱさのある、とてもいい香りが漂ってきます。この香りを画面越しに伝えられたら、と思うほどの魅力的な香りでした。

「蔵、やめてええんか?」その一言から復活への道が開けた

横浜でサラリーマン生活を送っていた隆彦さんが蔵へと戻ってきたのは、先代である父・勝彦さんが病に倒れた翌年、2001年のこと。当時、大倉本家は休造状態にありました。

会社勤めをやめて地元に戻り、経験ゼロの状態から酒造りを受け継ぐというのは、とても大きな決断だったはずです。やはり「なんとしても大倉本家を途絶えさせてはならない」という熱い思いがあったのでしょうか?

「都会にかぶれていましたので嫌々帰ってきたんです。やっぱり田舎に戻るの嫌やなあと思いながら。帰ってきてからも、酒造りをやる気はありませんでした」

もともとは蔵を継ぐためではなく、蔵の清算のために帰ってきたという隆彦さん。父・勝彦さんもそのつもりだったといいます。酒造りの大変さを知っているからこそ、息子に苦労をかけられないと思ったのかもしれません。

そんな状態から、大倉本家はどうやって復活したのでしょうか?きっかけとなったのは、ある日隆彦さんが配達に行った、地元の酒屋さんの言葉でした。

「蔵、やめてええんか?」

「いや、父親がやめると言うてますので……」としか答えられない隆彦さんに、酒屋さんはこの蔵の歴史、そして大倉本家がいかに「すごい蔵」なのかを、とうとうと語りました。

「えっ、うちの蔵ってすごいんや!」

驚いた隆彦さんはさっそく、蔵を継ぐ決意を勝彦さんに伝え、説得しようとします。すると、勝彦さんは憮然と言いました。

「お前なんかに何が分かる!!」

勝彦さんのこの一言こそ、自分が心から「酒を造りたい」と思い始めるきっかけだったーー「僕は昔から、天邪鬼なんですよね」と、隆彦さんは懐かしそうな表情で語ります。

それから、2年もの年月をかけて病床の勝彦さんを説得。さらに、休造前まで采配を振るっていた杜氏も呼び戻し、2003年、大倉本家は見事復活したのです。

蔵を継ぐ決意をして以来、独学で酒造りを学んできた隆彦さん。蔵にあった書物はすでに先代が処分しており、知識を得る術も自分で探す必要がありました。インターネットもそれほど普及しきっていなかった当時。酒造りの勉強は、携帯電話(ガラケー)の小さな画面で「日本酒」と調べて大手酒蔵のサイトを閲覧したり、黎明期のAmazonで日本酒の本を片っ端から取り寄せるところから始まったそうです。

もちろん、知識だけでは酒は造れません。隆彦さんは、但馬流の杜氏のもとで5年間みっちり修行。そして蔵復活後の6期目である2008BY(醸造年度)から蔵元杜氏に就任し、名実ともに、大倉本家の伝統を受け継ぐ存在となりました。

こうしてバタバタと酒造りを学びながら、さらにほぼ同時に手掛けたのが米作りでした。「最初は、作った米で酒を造るつもりはなかった」と語る隆彦さん。蔵の裏手にある田んぼが作り手不在のため放棄されそうになっていたところ、「それならば自分が」と手を上げたのが始まりだったそうです。

しかし「はじめはトラクターとコンバインの違いさえ分からなかったですから」と隆彦さんが語るとおり、米作りも酒造りと同様まったくの未経験からのスタートでした。蔵周辺の地域では、若い人が農作業をする光景が珍しかったそうで、道端にたくさんの観客が集まったとか。ある時、隆彦さんの慣れない作業を見かねたギャラリーの中から「下手くそ!俺に代われ!」という声が次々と上がるようになります。こうして先輩たちに教わりながら、米作りの技術を身につけていったそうです。

「人と違うことをやりたい」。伝統と革新が共存する、独自の酒造り

大倉本家の酒造りを特徴付けるものといえば、山廃仕込みです。創業時から山廃仕込みにこだわり続ける大倉本家の酒は、「どしっとした、腰の入った酒」を好む地域の人々に愛されてきました。

山廃の酒質はこの土地に合っていると語る隆彦さん。これからの時代に造りたいのは、とっつきにくくない、明るい酸を持つ山廃だそうです。

サンセット(夕暮れ)ではなく、サンライズ(日の出)のような。フレッシュで若々しい酸のあるお酒を目指したいですね」

もう一つ、大倉本家で特徴的なのは伝統的な水酛仕込みの濁酒。1932年(昭和7年)頃より奈良県神社庁から委託を受け、新嘗祭の御神酒として、長年変わらぬ方法で造り続られています。これまでは神様のためだけに造られてきた水酛のお酒ですが、2004年から市販され、私たち人間もその美味しさを味わえるようになりました。

水酛濁酒の市販も蔵の復活と同じく、酒屋さんの一言がきっかけだったそうです。まだ先代が蔵を切り盛りしていたある日、水酛での御神酒造りをたまたま見てしまった酒屋さんが、蔵を継いだ隆彦さんに言うのです。

「お前、あの酒を造るべきや。造ってくれ」

杜氏にもこの話を共有すると、「ぜひやらせてほしい」と強く賛成されました。それらの声に背中を押され、隆彦さんたちが初めて造った水酛濁酒。通常は乳酸菌の働きやすい暖かめの時期に仕込んでいた水酛の酒母ですが、冬季に仕込んだところ非常に酸の高い酒に仕上がってしまいました。

その酒を唎いたときのことを「あまりに酸っぱくて、これは失敗したかな、と思いました」と隆彦さんも振り返りますが、市販してみればなんとその酒が大好評。グレープフルーツのような爽やかな酸を楽しめる酒として人気を獲得しました。初年度は12月に仕込みましたが安定性を追求した結果、今は古式に則り9月に仕込み始めています。

野生の乳酸菌の力で仕込む水酛濁酒は、独特の酸味とピチピチとした泡が非常に美味しい反面、失敗のリスクも高く、世話が焼けるお酒です。さらに御神酒として奉納するお酒は、全て瓶燗での火入れをするのですが、この作業がまた大変。もともとドロドロなお酒を瓶燗するのですから、煮詰まっておかゆ状にならないよう、1本1本、棒を突っ込んでかき混ぜながら火入れする必要があるのです。2,000近い本数に対し、2〜3人がかりでこの瓶燗作業に取り組むというから驚きです。

非常に手間がかかる、山廃や水酛。これらを造るだけでも大変なはずですが、大倉酒造ではそれに加えて、「麹四段」や「一段仕込み」など、独特なアイディアを取り入れた酒も造っています。

「やるからには人と違うことをやりたい」と話す隆彦さん。これまでと違う酒を造るときには、いわゆる「米違い」や「酵母違い」を試すのではなく、米も酵母もガラッと変えてしまいます。

「古い酒造りの本に載っていて、人がやっていないことを見つけると、やりたくなってしまうんです。せっかくいくつも酒を造るなら、重箱の隅をつつくような微細な違いではなく、圧倒的な違いが欲しいですね。そっちの方が分かりやすくて楽しいですから

最初から最後まで、苦労の2文字を一切感じさせることなく、明るい笑顔で酒造りを語ってくださった隆彦さん。大倉本家ではこれからも、楽しい酒が次々誕生しそうな予感です。

まとめ

蔵の復活を父に突っぱねられたときから、隆彦さんは変わらぬ思いを持ち続けています。それは、「ダメ」をなんとかしたい、というもの。この思いに支えられて再び動き出した大倉本家では、伝統の酒造りが復活しただけでなく、「新時代の酒」も続々と生み出されています。

「蔵を復活させようと思い始めたときの自分に、酒造りはやめなさい!と言ってあげたい。大変すぎるから(笑)」

本当に大変な思いをしながら、丁寧で、かつチャレンジングな酒造りをおこなっている隆彦さん。その苦労にもかかわらず、いつも驚くほど明るく笑っておられるのが印象的でした。

酒の縁で人とつながっていくのが、心のよりどころ」だと隆彦さんは言います。

確かに今回聞いたお話から、大倉本家の酒は、いろいろな人の温かみが重なり合って造られてきたことがわかりました。それは、この先もきっと同じ。大倉本家の酒が持つ個性と力強さの理由が、すとんと腑に落ちた取材でした。

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