2024.09
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府中で約40年ぶりに酒造りが復活。東京生まれの米を使う東京の地酒造り - 東京都・野口酒造店
東京都府中市の野口酒造店が、約40年ぶりに酒造りを復活させました。武蔵国府の総社である大國魂(おおくにたま)神社に御神酒を納めるために酒造りを始めた野口酒造店は、蔵の周辺の都市化などから1985年に酒造りをやめ、他の酒蔵に酒造りを委託し、そのお酒を瓶詰め&ラベル貼りをして出荷する酒蔵として存続してきました。
「いつかは酒造りを復活させたい」と考えていた7代目の蔵元、野口英一郎さんのところに、ある日、同じ府中市にある東京農工大学から、大学が独自に開発した米を使った酒造りの依頼が舞い込みます。東京で生まれた米を地元の農家が育て、地元の酒蔵が造る真の“東京の地酒”は復活の起爆剤になると考えた野口さんは、再開を決意。酒造りの経験豊富な杜氏を招いて、この4月から酒造りをおこなっています。野口蔵元が目指す酒蔵像に迫りました。
復帰を願う蔵元に思いがけない訪問者が
野口家は大國魂神社の隣接地にあり、大國魂大神が降臨した際、一夜の宿を提供したという言い伝えとともに、江戸時代には大國魂神社の神人としての役割を担っていた家です。大國魂神社から御神酒造りの命を受け、江戸末期の1860年に分家した一族が、まずはお酒と煮物を商う店を始め、続いて1869年から酒造り(当初は濁酒)を始めました。御神酒のほか、府中市に武蔵国の国府が置かれていたことから「國府鶴(こうづる)」の銘柄名で売り出したところ、たちまち、地元の人たちに愛される地酒となりました。
しかし、戦後は府中駅にほど近い蔵の周辺の市街化が進み、蔵元は酒造りを1985年に他の酒蔵に委託。できあがったお酒の瓶詰め&ラベル貼りをして販売するスタイルに切り替えました。野口家のメインの業務は市内の別の場所にある酒販店「酒座 中久本店」となり、野口酒造店では御神酒を含めたお酒を細々と神社と飲み手に届けてきました。
1970年生まれで7代目蔵元の野口英一郎さんは勤め先を辞めて、1996年に府中に戻ってからも、しばらくは、酒販店の仕事が忙しく、野口酒造店の業務の見直しには至りませんでした。しかし、2000年以降、全国各地で休眠していた酒蔵の酒造り復活の動きが増え、その活動が注目されるようになると、「いずれ、酒造りを復活させたい」との思いを募らせます。
そんな野口さんのところに2020年夏、予期しない人物が訪ねてきました。蔵の北方、車で5分とかからない場所にある国立東京農工大学の大川泰一郎教授でした。彼は開口一番、こう頼んできたといいます。
「うちの大学で米の新品種を開発しました。食用だが、酒米としても優れた特性を持っていると思われます。この米でお酒を造ってくれませんか?」
真の東京の地酒誕生を目指すことを決意
東京農工大学は、地球温暖化によって今後ますます台風の規模や襲来頻度が増え、収穫期を迎えた稲の倒伏被害が増えると見て、倒伏しにくい稲の新品種開発に着手。ゲノム育種などの技術を使い、耐倒伏性に優れた米「さくら福姫」を開発し、2022年夏に農林水産省に品種登録を果たしました。
武蔵国に生まれた新しい米として都民に広く食べてもらいたいと動き出した大川教授は、「食べるだけではなく、この米でお酒を造って、地酒にするのはどうか」と思い至ります。しかし、日本酒については門外漢の大川教授は、野口酒造店がすでに酒造りを止めて久しいことは知らないまま、大学から一番近い酒蔵だからと造りを依頼してきたのです。
話を聞いた野口さんは「チャンスが転がり込んできた」と感じたそう。
「酒造りを再開するにしても、超ミニプラントでごく少量だけを造るつもりでした。しかし、この話に乗るからにはそれなりの規模の酒蔵にしなければならない。地酒としての國府鶴の存在を大きく広めるには、それなりの挑戦が必要だし、農工大との連携はまたとない機会だと確信しました」(野口さん)
話はトントン拍子で進み、2022年7月には東京農工大学農学研究院(院長・船田良氏)との間で基本協定を締結。新種の米の栽培拡大と日本酒醸造を通して地域の農業振興や水田の維持、環境保全にも連携して協力することで合意し、野口さんは約40年ぶりの酒造り復活に向けて動き出すことになりました。
上川大雪と天吹から助っ人が集まる
ところが、すぐに壁が立ちはだかります。瓶詰め&出荷をしていた蔵は古く、一度取り壊して建て直すつもりでいましたが、市街地の用途区分のからみで、「工場」としての新築の建物は延べ床面積150平方メートルが上限であることを知りました。
「そんなに狭くては酒造りができないので、建物の躯体は残して内部を改修し、延べ床面積350平方メートルの広さを確保することにしました。さらに酒造り復活の手法について模索する過程で、地域振興や大学との産学連携に取り組み、コンパクトな酒蔵でありながら高品質な酒を醸していた北海道上川町の上川大雪酒造と出会いました。まさに当社が目指す方向にぴったりでした」(野口さん)
上川大雪酒造は上川町に緑丘蔵を作った後に、帯広市に碧雲蔵、さらに函館市に五稜乃蔵とコンパクトな酒蔵を次々と建てるなど、ノウハウが十分にあることからコンサルティングを依頼。建物のリノベーションが動き出しました。
もう一つの課題は、杜氏選びでした。造りから離れて久しく、野口酒造店には造り手を探す人脈もありません。そこで、東京農工大学経由で東京農業大学に杜氏探しを依頼します。
この話に興味を示したのが、佐賀県・天吹酒造で専務だった木下大輔さんでした。天吹酒造の10代目蔵元、木下武文さんの次男に生まれた木下さんは、東京農大を卒業後、2000年に蔵に帰ってきます。帰った当時はほとんどが普通酒だった蔵を、小仕込みによる特定名称酒主体の地酒蔵に変身させることに杜氏として貢献した酒造りのベテランです。
酒造りは軌道に乗り、蔵人たちの経験も積み上がったこともあって、兄で社長の木下壮太郎さんから、「造りは蔵人たちのチームに任せ、経営をサポートしてほしい」と言われ、2015年からは製造を離れて管理職を担当していました。しかし、時間が経つにつれて、「もう一度酒造りをしたい」という思いを募らせるようになります。
他の酒蔵からの話はいくつかあったものの、踏ん切りがつかずにいた矢先に、野口酒造店の話が舞い込んできました。酒蔵の設計や設備導入など一から理想的な酒造りに関われる話を聞いて、「絶好の機会」と感じた木下さんは2022年初めに野口さんと面会。同世代の二人はすぐに意気投合します。父や兄も大輔さんの酒造りへの思いを聞いて野口酒造店行きに理解を示し、天吹酒造を円満退社した彼は、2023年4月、家族と共に東京へ引っ越してきました。
コンパクトながら必要な設備が充実
この1年間は上川大雪酒造のコンサルタントと共に、理想的な酒蔵作りに邁進してきました。蔵の入口にはエアシャワーを設置。10kg単位で洗米するための最新鋭機、甑も放冷機も新品を導入しました。パネル式の麹室の中には種切りと盛りを共用できるユニークな台が並びます。仕込み室には2700リットルのサーマルタンクが6基。狭い建物を有効に使うため、市販のサーマルタンクよりも背の高い特注品です。
搾り機が入る部屋も冷蔵庫になっています。瓶詰めなどのラインはU字型になっており、ワンオペでも動きやすい動線を確保しています。さらには、良質な水を求めて、敷地内に井戸を掘り、160メートルの深さで理想的な軟水を確保することに成功しています。
「仕込みタンク6基で最大300石。あと2基追加して期間を延ばせば500石まで造れますが、焦らず少しずつ増やしていきたいです」(木下さん)
2023BYは4月から6月にかけて短期間で5種類の「國府鶴」を醸し、日本中の酒蔵のお酒が集結する「日本酒フェア」の東京都のブースには、真新しい「國府鶴」のラベルが初お目見えしました。仕上がったお酒について木下さんは、「お酒に新品の袋のにおいが移らないように、搾り機などは事前に徹底的に洗い、問題が起きないよう最大限の配慮をしました。なんとか合格点をつけられるお酒になったと思っています」と話していました。
お酒に使った酵母はきょうかい酵母のスタンダードなタイプで、天吹酒造時代、木下さんが得意とした花酵母ではありません。
「まずは正統派の、引き締まった旨味と後味の切れがよい酒でスタートします。いずれ、いろいろなタイプの酒を造ってもらい、國府鶴の知名度を広げていこうと思っています」(野口さん)
「さくら福姫」を栽培する農家はまだまだわずかなので、当面は武蔵国である埼玉県産の米を中心に、他県産の山田錦や雄町も使う予定です。しかし、いずれは「さくら福姫」を徐々に増やし、東京で生まれた酒米と水で東京の酒蔵が造った真の“東京の地酒”を目指すそうです。
また、東京23区内の酒販店や料飲店と至近距離にある立地の優位性を活用して、「その日に搾ったお酒を瓶詰めして、当日あるいは翌日にはお店に届ける『しぼりたて生酒』の販売にも力を入れていくつもりです」と野口さんは意気込んでいました。40年ぶりに動き出した酒蔵が醸す新しい東京の地酒を、楽しみに待ちましょう。
酒蔵情報
野口酒造店
住所:東京都府中市寿町2-4-8
電話番号:042-361-2221
創業:1869年
社長:野口英一郎
杜氏:木下大輔
Webサイト:https://www.noguchi-brewery.co.jp/
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