2024.12
03
史上初の3年連続世界一。技術の追求で実現する高品質の日本酒 - 宮城県・新澤醸造店(伯楽星・あたごの松)
日本酒コンクールの上位受賞で名前を聞かないことがないほど、品質の高さに定評のある宮城県・新澤醸造店。過去には脅威の精米歩合0パーセントや当時22歳の若手杜氏抜擢で話題をさらい、近年はジン蒸溜所や人材派遣会社といった関連企業を設立するなど、前例のないチャレンジを続けています。
5代目蔵元・新澤巌夫(にいざわ・いわお)さん曰く、引き継いだ24年前時点では2億円の負債を抱え、品評会では県内最下位レベルだったという同社。東日本大震災を含む逆境を乗り越えながら、若手女性杜氏を中心とした技術者集団を築きあげ、蔵を世界トップの地位まで躍進させた新澤社長の取り組みと、その蔵の組織力についてお話を聞きました。
負債と震災。逆境に育てられた5代目蔵元
テイスティング能力を伸ばし、課題に気づく
約150年前の1873年(明治6年)、宮城県大崎市(旧・三本木町)で創業した新澤醸造店。地酒「愛宕(あたご)の松」が長く愛されてきましたが、1970年代に日本酒業界全体が下火になると、次第に赤字経営へと陥りました。
「僕が農大(東京農業大学)に入るときは、売上2000万円に対して借金が2億円以上ある状況。大学の入学金が払えないほどで、親が親戚中をまわってお金を借りている状態で、新聞奨学生のアルバイトをしながらなんとか生計を立てていました」
学生時代には、大学近くの地酒専門店・朝日屋酒店で修行。このころ、朝昼晩それぞれで5種類ずつ利き酒する特訓をしながら、「時間帯や気温によって味の感じ方がまったく違う」ということに気づきます。イベントのたびに残ったお酒を持ち帰り、テイスティングに明け暮れた結果、20歳のときに「純粋日本酒協会」主催の利き酒大会にて全問正解し最年少で優勝しました。
「東京でいろいろなお酒を飲み比べる中で、実家の酒蔵が美味しいお酒を造れていなかったということがわかりました。利き酒から日本酒の世界に入ったのは良かったと思っています。そうじゃなかったら、味のことがわからないまま、いろんな人に頭を下げて無理に買ってくださいとお願いしていたかもしれないですから」
酒蔵の後継者が多く通う東京農業大学では、取引先の酒販店などと会食する機会もありましたが、「他の同級生とは話すのに、自分には話しかけてもらえなかった」と振り返る新澤さん。
「2時間ずっと相手にされない会合を終えて、一人で家に帰りながら、いろいろなことを考えるんです。『お金がないなら、知恵を働かせなければいけないし、情報を手に入れないといけない』。今、社員にも伝えている言葉です」
“究極の食中酒”での躍進から、3.11で蔵が全壊
塾講師のアルバイトをしながら、教育の道へ進むことを考えたこともあったといいますが、蔵元の後継が多い農大の環境に意志が固まり、2000年の卒業後には新澤醸造店に入社。2002年には新ブランドとして、食中酒「伯楽星」を生み出しました。
これが2003年発売の『dancyu』で「隠れた地方の銘酒」として紹介され、一躍脚光を浴びます。
「売れなかったころは誰も声をかけてくれなかったのに、一気に何百件と問い合わせがきて、『載らなくなったら売れなくなるんだろうな』という怖さも感じました。そのため、販路はほとんど広げず、既存の取引先の在庫が切れないようにすることを優先しました」
当初200石だった生産量は1500石へ、売上は3〜4億円規模に成長。ようやく負債の全額返済が見えてきたころ、新澤醸造店を襲った次なる試練は、2011年3月11日に起きた東日本大震災でした。
大崎市にあった3棟の蔵は全壊。従業員の多くが行方不明の家族を探す中、宮城県産業技術総合センターの指導の元、3日後にはもろみの救済を始めたといいます。
「全国から50軒ほどの酒蔵が手伝いに来てくれたおかげで、なんとか途切れずに出荷を続けられました。同業者から応援してもらえるというのは、ありがたいことだと感じましたね。何も返せるものがないので、こちらの技術を伝えることでお返しをしようと、過去最高の精米歩合7%で非売品の『Unite 311 Super7』を共同醸造しました」
翌年度以降の酒造りを継続するため、震災で廃業した川崎町の酒蔵・まるや天賞の跡地を買い取り、2012年には現在の川崎蔵を建設。80kmも離れた土地とあって、当時の従業員の9割は退職することになりました。
世界一の武器は“データ”と“情報”
2024年には、国内外の16のコンテストで合計115もの賞を受賞。世界酒蔵ランキングの第1位を、史上初となる3年連続で獲得しました。
新澤さんは、それだけ多くのコンテストに挑戦するのは、新型コロナウイルス感染症が拡大した時期に、従業員のモチベーションを上げようとしたことがきっかけだったといいます。
「受賞して初めて、業界外からの反応が変わる事に気が付きました。そこから、まだ誰も達成していないこととして、連覇をしてみようと考えたんです」
品評会に挑戦するうえでの新澤醸造店の武器は、新澤さんおよび渡部七海(わたなべ・ななみ)杜氏をはじめとする卓越したテイスティング能力と、徹底したデータ管理です。
テイスティングでは、60種類の日本酒を蔵人全員でブラインドテイスティングする「利酒サーキットトレーニング」を定期的に実施。どんな環境でも審査員から高い評価を得るため、部屋の温度を3段階に分け、自社のお酒の特徴を体で理解していきます。コンテストの受賞酒はすべて酸度やアミノ酸度、グルコースなどのデータを分析し、エクセルのシートにまとめて年ごとの傾向をつかんでいます。
ロットごとにグルコース値を0.1ずつずらし、一升瓶・四合瓶の規格、地域などに応じて異なるスペックを出荷しているという新澤醸造店。こうした出荷方法は、カップ酒からプレミアム酒に至るまで、すべての商品の酒質を上げることに役立っています。
この施策は、全国の取引先を周って飲みごろを過ぎた商品を入れ替える「フレッシュローテーション」をおこなってきた結果として誕生しました。
「毎年一回、北は北海道から南は九州まで、約4,000㎞を約2週間で縦断します。その中で、同じ酒でも気候や食事によって味が変わることを実感し、取引先ごとに数値を調整するようになりました」
2023醸造年度のロットごとのサンプルを並べながら、「今年は暑かったから、グルコース値1.0未満のスッキリしたロットはすべて捌けてしまいました」と説明する新澤さん(取材は2024年9月実施)。
「人間は、暑いときと寒いときで味の感じ方が変わります。だから、同じものだけを出していると『味が変わった』と言われてしまう。 甘めに造れば多少の誤差は隠せるんですが、食中酒として料理を引き立たせるためにはあまり重たくしたくありません。
どんな酵母を使っているか、どんな麹をつくっているかなど、 酒蔵はどうしても製造工程のパフォーマンスの話をしがちで、出口の話が後回しになることがあります。弊社は、『どんな酒造りをしているか』ではなく『どんなお酒を出荷しているか』 を重視しています」
経営者視点を培う組織力
新澤醸造店では、こうしたすべてのデータを含めた情報を社員同士で共有し合うシステムを構築しています。狙いは、蔵の酒造り・経営に至るまで一人ひとりが主体的に考えること。その結果、「使用する洗剤や名刺のデザイン、排水装置の配置に至るまで、3日ごとに2件の課題が改善されている」と新澤さんは話します。
よい人材を確保するための条件は、「その会社に入ってエキサイティングであるかどうか」。厚生労働省が労働環境の優れた”ホワイト企業”に対して与えるユースエール認定を取得したうえで、経営に関わるレベルの情報を常に共有しながら各自の意見を求めています。
「社員には年3回の面談をおこないます。さらに、会社の経費に対する決裁権も少しずつ与えていき、毎年の予算の中で何に投資するかを社員全員で決めています」
取材中に見せてもらった社員用の掲示板には、冷蔵庫の増設、麹室の蒸気コントロール装置、フォークリフト交換など、現場で改善が必要だとされる項目が見積もりとともにまとめられ、毎年の予算に応じて振り分けられていました。
「弊社では営業担当は立てませんし、個人の結果も出しません。モチベーションが下がる可能性があるし、取引先に『なんとか買ってくれませんか』と無理をして売上を作ることにつながってしまうからです。数値的な評価はあくまで取引先にお願いしつつ、コンペティション同等の出荷、つまり『良い酒を届けられているか』で判断しています」
こうした日々の業務の改善に加え、新規事業の立ち上げも積極的に実施。精米事業、クラフトジン蒸溜所、人材派遣会社などを関連企業として立ち上げ、社員を役員に登用して決裁権を与えています。
「精米事業を手掛けるライスコーポレーションは、自社ですべての酒米を管理するために2008年に設立しました。自社精米の大きな強みは、玄米のコンディションに合わせた精米ができること。現在、有機JAS認証の日本酒を造るため、無農薬専用の精米所を増設する計画も立てています」
「株式を持ち、自分でお金の使い道を決める側になることで、社員一人ひとりが経営者目線になる」と新澤さん。データや日常業務にまつわる課題のほか、取引先とのやりとりや他社から提供された情報を社員間で共有し、「自分だったらどんなことができるか」という意見を積極的に出し合っています。
「一人の目で見て、考えて改善ができる範囲には限界があります。新澤醸造店は、社員が40人なら40人の目と頭を使って改善していきたいと考えています」
品質を保つ技術にすべてを懸ける
酒蔵には、現場視点で必要と判断した機材を積極的に導入しています。
靴箱はオゾンで殺菌できるタイプのもので、パイプに長靴をかけ、靴底が手前に見える状態で保管・殺菌することで雑菌のつきやすい靴底まで徹底的にケア。
アルコール度数や酸度など、日々のもろみの分析は、午前中に機材をセットした後は無人で実施できるようにすることで、効率化を図っています。麹などの菌数を測る装置も備えるほか、グルコース量の測定には医療用の高性能な機器を酒蔵ではじめて使用するなど、最新の機材がそろっており、データを基にした管理・改善を徹底しているそうです。
取材時は、ちょうど麹づくり用の網箱を洗浄しているところで、新澤さんがその様子を見ながら「お湯で洗ったほうが良いのではないか」と提案。その後、すぐにメールで担当者から「お湯で洗浄したところ雑菌がこれだけ減りました」という報告が届きました。
仕込みから瓶詰めまで、どの部屋も寒いほどの温度設定がされています。瓶詰めは自動でパレットに詰むまでの作業をする産業用ロボットやラインを活用し、なるべく人員を削減。「品質が上がりも下がりもしないのに人間が関わっていることは積極的に減らしていく」という考え方です。
「借金で潰れそうだったからこそ、何か一点突破しなきゃいけないと考えたとき、自分は技術者ですから、技術者のチームにしようとしたんです。わからないことをなくすため、徹底的にデータを取り、理想の味わいの数値にいかに持っていくかというところに対して、限りある予算をかけていく。数値というわかりやすい指標を使ったうえで、それを超えるテイスティング能力を利き酒で融合しています」
「技術で勝負して売れないんだったら日本酒をやめてもいいと思えるくらい、悔いのないようにしたい」と力を込める新澤さん。蔵元就任から20年以上の躍進を辿ると、ひたすら地道に投資と改善をしたことがわかります。
「酒蔵の成功にウルトラCはありません。寝る間を惜しんで勉強して、自分の蔵に何が必要なのかを考え抜くだけです」
圧倒的な投資と、圧倒的な実績により日本酒業界に名を轟かせる新澤醸造店。その華やかな功績の裏には、逆境が培った高い技術と、貪欲に勝つための地道な努力があります。
酒蔵情報
新澤醸造店
住所:宮城県大崎市三本木字北町 63番地
創業:1873年
代表:新澤巖夫
Webサイト:https://niizawa-brewery.co.jp/
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