2020.02
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洛中最古の歴史、最新の設備・グローバルなチームでの酒造り - 京都・松井酒造(神蔵)
京都市左京区、出町柳駅から徒歩5分あまり。近隣には下鴨神社や吉田神社、京都御所などの有名な観光地も位置する市街地です。京都大学からほど近く、学生や外国人観光客も多いこの土地のマンションの1階に、創業300年近く(1726年創業)、洛中でも最古の歴史を誇る酒蔵・松井酒造があります。
実は、松井酒造がこの地で造りを再開したのは2009年のこと。蔵の創立から造りの再開に至るまでのストーリー、そしてここで醸される「神蔵」に込める想いを、松井治右衛門社長に伺いました。
大学院で法学を学ぶ時に訪れた突然の転機、洛中最古の蔵の復活
ーーまずは、松井酒造の歴史について教えてください。
松井さん「松井酒造は、享保11(1726)年に但馬国城崎郡香住、現在の兵庫県香住町で創業し、その後幕末期に京都の河原町竹屋町に移転しました。現在蔵がある土地で酒造りを始めたのは今から100年ほど前、大正末期の頃です。その頃にはこの近辺にも3軒ほどの造り酒屋があり、地下15mほどの浅井戸からの水で酒造りを行なっていたようです。
しかし太平洋戦争の終結後、京都では鉄道や地下鉄の工事が行われ、それに伴い地下水の水質変化も起こりました。それに加え、しばらくすると日本酒の需要も低下し始めたことから、いくつかの酒蔵で合同会社を設立し、伏見に移転して酒造りを行うという形態を取るようになったのです」
ーーそうすると、松井さんは「酒蔵の息子」として育ったわけではなかったんですね。
松井さん「はい。父は先ほどご説明した合同会社で働いていたのですが、私は酒蔵のことは意識せずに育ち、大学も法学部を選びました。そうして東京の大学院で進路を決める時期に差し掛かった頃、突然父から『酒蔵を復活させるぞ。実家に戻ってこい』という連絡を受けたんです。
法学部の大学院ということもあり、周りの友人の多くは法曹関係の進路を選ぼうとしていました。私も父から連絡を受ける前はそのように考えていましたが、同時にもともと物作りにも興味を持っていたので悩みました。
しかし父からの 『弁護士になれる人間は他にもいるが、松井酒造の酒はお前にしか作れない』という言葉に動かされて、実家に戻り酒を造る決意をしたんです」
ーーそれまでは文系の進路で、酒造りも未経験だったんですよね。酒造りの技術はどのように学ばれたのでしょうか。
松井さん「2008年に実家に戻ってから酒蔵ができるまでは、伏見の黄桜さんで修行させていただきました。黄桜さんには、三栖蔵(みすぐら)という手造りの酒を造る蔵があり、そちらで実際に働きながら、手造りスタイルの製造を学ばせていただくことができたんです。
しかし手造りとはいっても、黄桜さんの酒造りは分業で行われ、一回の造りでは限られた工程しか担当できません。 私は自分の酒を造れる技術を身につけるため、短期間で全工程について学ぶ必要があったので、空いた時間があると別の工程の作業も見せてもらうなどして、勉強していましたね」
ーーその後、2009年には現在の酒蔵での酒造りが始まっています。
松井さん「本来はまだ修行期間が続くはずだったのですが、父からの要請もあり松井酒造に戻ることになりました。父も酒蔵で働いてはいましたが製造担当というわけではなく、私自身も酒造りについてはまだまだ分からないことも多かったので、職人の杜氏さんに来ていたくことになったんです。
石川県の宗玄酒造で長年杜氏を務められた道高 良造杜氏に来ていただくことができ、3年間はその方の下で酒造りをしていました。道高杜氏は、通算40年あまりという杜氏歴を持つ職人さんで、多くのことを学ばせていただきました。そして2012年からは、私が杜氏を務めさせていただくことになったんです。
黄桜さんにも、初期に製造したお酒の分析に協力いただくなど、ここで製造を始めてからもお世話になっており、今でも良い関係を続けさせていただいています。伏見の大手酒蔵さんは、懐が深いんですよ。」
わずか40坪の製造施設、ここでしかできない酒造りを
ーーお父様も松井さんご自身も酒造りの経験がないなかで、蔵の設備はどのように準備されたのでしょうか。
松井さん「ちょうど、当時かなり小規模な製造設備を持っていた醸造所が閉業することになり、その設備を購入させていただくことができたんです。
現在の松井酒造の製造施設は、わずか40坪程度の面積です。手狭なスペースで復活を遂げた蔵として、一時期は復活を志す蔵の方々がよく見学にいらっしゃっていました。」
ーー移転のきっかけの一つでもあった、地下水の水質影響についてはいかがでしたか。
松井さん「現在は、当時よりも深い地下50mから汲んだ水を使っています。これも、酒蔵の復活にあたり10mおきに水質分析を行った結果から、最も酒造りに適している箇所を選んでいます。水質は軟水で、ちょうど伏見の水にも近い特徴があります」
ーーこのスペースで、現在の製造量はどれぐらいなのでしょうか。
松井さん「300石ほどを造っています。以前は7月を休造期間としていたのですが、今期からは製造が追いつかず完全な四季醸造となっています。
発酵タンクは5つありますが、全て温度管理が可能なサーマルタンクです。また、蔵の中も空調により温度管理をしています。搾った後のお酒は、4つの貯蔵タンクを使って-2℃〜-5℃の氷温で保管しています」
松井さん「このような設備だけを見ると、『松井酒造は自動で酒ができるような造りをしている』と誤解されることもあるのですが、そうではありません。私たちは品質を高める部分だけに機械を使っているんです。
温度管理などは、人間が行うよりも機械が行った方が精度が高い作業の代表だと思います。人間が行うと、たとえば0.1℃の誤差をコントロールするのは難しいことがあります。しかし 機械は、0.1℃単位のコントロールを、それも24時間続けてくれるんです。
逆に私たちは、『人間が楽をする』ための機械化は行っていません。たとえば、蒸米の運搬などもエアシューターを使わず、全て人手で運んでいます 」
ーーこのスペースで酒造りを行うには、設備面でも様々な工夫が必要そうですね。
松井さん「酒蔵見学、というとやはり白壁に下見板張りの立派な建物を想像して来られる方が多いと思うんです。そうした方々の期待に対しては、どうしてもがっかりさせてしまう。そうであるならば、『ここでしかできない酒造りをする』ことをコンセプトに、他の設備も導入しています。
例えば麹室はステンレスの壁を採用しています。これは、清掃のしやすさを重視してのことです。他の部分も含めて、衛生管理、品質管理のレベルは全国でもトップクラスだと考えています」
松井さん「また、製造に使う電力のうち約60%は、太陽光発電でまかなっています。 四季醸造で蔵内、タンク内の温度管理を行なっていることもあり、このスペースで中堅酒造会社レベルの電力を使ってしまうんです。それに対して、少しでも環境への負荷を減らせればと考えています。
神蔵には『美酒如日輪(びしゅ にちりんのごとし)』というキャッチコピーがあります。これは『太陽のような美味しいお酒』という意味もあるのですが、この太陽光発電を示しているものでもあるんです」
ーー「神蔵」の目指す酒質について教えてください。
松井さん「まずは、香りと味のバランスをどちらも高いレベルでとること です。酒造りでは、どうしても香りと味がトレードオフの関係にある。誤解を恐れずに言えば、精米というのはそういうことだと考えています。しかし私は、どちらも高いレベルでのバランスを実現したい。そこで、たとえば大吟醸では味を出すように、純米では香りを出すように、という造りをしています。これは天邪鬼な性格のためかもしれませんね(笑)。
次に、初めて日本酒を飲んだ人でも美味しいと感じてもらえること です。松井酒造には、土地柄もあり外国人観光客にもよく訪れていただきます。そうした方々が初めて飲んだ日本酒が『美味しい』と感じてもらえなかったら、その先何十年も『また日本酒を飲もう』とは思ってもらえなくなる可能性がある。そうした考えから、初めて日本酒を飲む方にも美味しいと感じてもらえるお酒を造ることを意識しています」
公用語は英語。チームも販売先もグローバルに!
ーー製造を担当される社員さんは何名いらっしゃるのですか。
松井さん「合計で4名です。私と、日本人の2名の社員、そしてアメリカ出身のジョージさんという構成です。私ともう1名は英語を話すことができるのですが、ジョージさんは今、日本語を勉強中なので 製造上のコミュニケーションは英語で行うことが多い ですよ。」
ーー公用語が英語!最先端のIT企業のような環境ですね。
松井さん「勤務時間も9時から18時になるよう、きちんと管理しています。繁忙期には少し残業が発生することもありますが、基本的にはこの時間内に収めることができています。伝統産業では労働環境が厳しいところも多いですよね。守るべき伝統はありますが、伝統に甘えてはいけないと考えています」
ーー試飲・販売スペースにも、外国人観光客が多く訪れていますね。
松井さん「はい、こちらを訪れるお客様の7割程度は外国から来られた方です。 英語で見学できるという情報がインターネット上にもあるようで、それを見られたお客様が多く訪れて来られるようです。ラグビーワールドカップが開催されていた時期には、ほぼ全員が外国からのお客様だったぐらいですよ。ジョージさんにも、英語で酒蔵の案内をしてもらえるので非常に助かっています。
ここ2ヶ月ほど、世界地図上にお客様がどこから来たか、シールを貼っていただいているのですが・・・」
ーージンバブエ、ブラジル、カタールなど・・・本当に、2ヶ月だけで世界中埋まっていますね。
松井さん「過去のお客様と同じ場所から来た方は、シールを貼っていない場合もあるので実際にはさらに多くの方に訪れていただいています。
最近では少しずつ、海外への輸出も増えています。国内向けの商品は基本的に火入れせず生で販売しているのですが、海外向けには火入れの商品も販売しています。今年からは、火入れ用の新たな設備としてパストライザーも導入しました」
ーー四季醸造も始まり、販売量も増えているかと思います。今後、製造施設を拡張されることもあるのでしょうか。
松井さん「既存の設備もあり、スペースの確保も難しいことから色々と検討しなければならないことはありますが、将来的には製造施設も拡張していきたいと考えています」
まとめ
「神蔵」は、透明感がありつつも味わい深い、華やかに香りつつも上品で心地よい、バランスの優れたお酒です。
蔵の長い歴史、酒造りの伝統を大事にしつつも、設備や働き方は合理的に新しいものを取り入れる。松井さんのこうしたバランス感覚が、酒造りでの「香りと味の高いレベルでのバランス」という点にも反映されているように感じられます。
海外にも販路を広げる松井酒造。復活してから10年間の進化の道筋を知り、今後の10年間にもどんな進化を見せてくれるのか、ますます楽しみになりました。
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