“小さな酒蔵”から“強い組織”へ――六代目蔵元が挑む攻めの経営 - 岡山県・菊池酒造

2024.03

05

“小さな酒蔵”から“強い組織”へ――六代目蔵元が挑む攻めの経営 - 岡山県・菊池酒造

市田 真紀  |  酒蔵情報

「燦然(さんぜん)」「木村式 奇跡のお酒」で知られる岡山県・菊池酒造はこれまで、五代目蔵元の菊池東(とう)さんが蔵元杜氏として酒造りをけん引。大吟醸、吟醸クラスの商品を中心に根強いファンを獲得してきました。

東さんの長男・大輔さんは、蔵に帰った2010(平成22)年から国内外の市場に販路を拡大するなど営業面の強化に奔走。蔵内の設備や体制面の整備にも力を入れ、売り上げの拡大に貢献するとともにブランド力の強化にも尽くしています。

そして2023(令和5)年9月には大輔さんが代表取締役に就任。東さんは会長に就くとともに、引き続き杜氏を兼任する形で今酒造年度を迎えました。今後の動向が注目される中、大輔さんは六代目としてどんな蔵の未来像を描き、経営していくのでしょうか。これまでの軌跡とともに紹介します。

「燦然」菊池酒造のお酒一覧はこちら

備中杜氏のふるさとで「燦然と輝く酒」醸す

1878(明治11)年創業の菊池酒造は、北前船と高瀬舟が往来する水上航路の結節点として栄えた倉敷市玉島に位置します。蔵のある仲買町は、かつて玉島港で荷揚げされた商品を取引する問屋街として発展。菊池家は庄屋として玉島港の繁栄に貢献する立場にありましたが、その後、酒造業に転じて現在に至ります。

岡山三大一級河川のひとつである高梁川(たかはしがわ)の河口付近に広がる玉島地区は、米の一大集積地であるとともに豊富で良質な水にも恵まれてきました。また、備中杜氏のふるさととしても知られ、古くから酒造りが盛んな地域でもありました。

そんな酒どころにあって「燦然と輝く酒でありたい」との願いを込めて付けられた酒銘が、代表銘柄の「燦然」。1996(平成8)年に菊池東さんが蔵元杜氏として酒造りに携わると、岡山県内の品評会で4年連続県知事賞を受賞するなど、高品質な酒を醸す酒蔵として存在感を増していきます。

大輔さんが蔵に帰ってきた2010(平成22)年には、肥料や農薬、除草剤に頼らず自然栽培した「雄町」や「朝日」で醸す「木村式 奇跡のお酒」ブランドが新たに誕生。「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」をはじめとする品評会で好成績を残す一方、海外市場でも高い評価を得続けており、さらなる成長が期待される酒蔵の一つです。

研究者の道を断ち、家業を立て直すため帰蔵

昨年9月に代表取締役に就いた大輔さんは、早稲田大学大学院理工学研究科(菅野重樹研究室)を修了後、日立製作所機械研究所に就職。幼い頃からの夢だったメカトロニクスやロボティクス分野の研究開発に明け暮れる日々を送ってきました。

ところが入社して3年目のある日、東さんから突然「帰ってきてくれないか」との連絡が舞い込みます。蔵が存続の危機にさらされる中、先代から受け継いだ蔵や銘柄をなんとかして守りたいと願う東さんにとって、大輔さんこそが頼みの綱だったのでしょう。

大輔さんは悩みます。ようやくつかんで走り出した研究者の道を全うしたい。でも、長男としては蔵の行く末が気になる。それ以上に募る、醸造家としての東さんへの尊敬の念や、高齢の父を案ずる思い……。最終的には3年間の会社員生活に別れを告げ、菊池酒造に帰ることを決意。これまでのキャリアを投げ打って転身した背景には「僕が蔵に帰れば、なんとか蔵を立て直せるんじゃないか」という「根拠のない自信」もあったといいます。

しかし、組織のしっかりとした大企業から玉島の小さな酒蔵に帰ってきた大輔さんを待ち受けていたのは、想像を上回る厳しい現実でした。

一番やばいなと思ったのは、組織ができていないということ。父がいないと蔵の仕事がとにかく回らない状態だったのです」

人手不足の折、東さんが自ら洗瓶作業を行っている様子を目の当たりにしては「人員を増強して、社長にもっと経営者としての仕事をする時間を増やしてあげたい」と強く誓ったといいます。

こうした想いを胸に大輔さんが最初に取り組んだのが、自ら「苦手」と認める営業でした。「とにかく売り上げを得て人材を揃えないと、会社として生きていけない」状況だったからです。しかし、慣れない営業活動は苦労の連続。当初は売り方さえわからず「1本売れるまでが本当につらかった」と打ち明けます。

それでも地元の百貨店や問屋への訪問を地道に重ねるうち、次第に出荷数量が拡大。さらに首都圏をはじめ県外への進出を図る一方で、2013年にはアメリカへの輸出を始めるなど、新たな市場を開拓する動きを加速させていったのです。

あえて通訳を介さず交流し信頼関係を構築

現在「燦然」や「木村式 奇跡のお酒」の輸出先は、前述のアメリカをはじめ中国、オーストラリア、シンガポール、イギリスなどへと広がっていますが、大輔さんが海外での営業に本腰を入れ始めたのは、初めての輸出からしばらく後のことだったといいます。はじめは倉敷市の補助事業でオーストラリアへ赴き、現地のコーディネーターの協力を得て商談会に参加。続く岡山県内の有志5蔵と備前焼作家によるプロジェクト「Quality Okayama」では、同国を再訪するとともにイギリスやシンガポールにも進出し、徐々に市場を切り拓いていきました。

ちょうどその頃、日本酒専門輸出商社を立ち上げた同世代の社長との出会いもまた、輸出事業の弾みになったと大輔さんはいいます。その人とは中国市場の開拓をともに頑張った間柄で、「彼のおかげで非英語圏への渡航や営業もあまり苦にならなくなった」とも。

海外では大手の商社に極力頼らず、現地在住のローカルインポーターやディストリビューターと直接コミュニケーションを取ることにこだわり、販路を構築。多くの酒蔵が通訳を介して商談する中、大輔さんはあえて英語でのコミュニケーションに心を砕くことで、信頼関係を築いていきました。

特にメールや複数のSNSを駆使したやりとりは、両国の距離や時差を超えた効果をもたらしたとか。「英語で直接やりとりをする。それだけで同業者間の競争がかなり楽になるんだったら、そっちの方で攻めた方がいいですよね」と、戦略家の一面もちらり。取引先の中には日本語で会話はできても読み書きが苦手なクライアントもあり、「そこをあえて英語でやりとりした」というニューヨークのインポーターとは、長い交流が続いているそうです。

それにしても、菊池酒造はなぜ海外への輸出にこれほど力を注ぐようになったのでしょうか。大輔さん曰く、首都圏をはじめとする国内市場でも努力すれば十分売れる余地はある半面、より伸びしろがある輸出にチャンスを見出し、リソースを割くようになったことが理由の一つだったといいます。

「特に東京は品質にすぐれた人気の銘柄で占められていて、後発の蔵はすぐに分け入ることが難しい。その一方で、そうした酒は海外まで十分な数量が行き届かない分、僕たちにもチャンスがあると考えました。実際、たとえ知名度が低くても『おいしいから売りたい』という海外の販売先はまだまだ多いですね」

輸出にあたっては、東京の大手地酒問屋から品質やそれを担保する設備、体制面など多くのアドバイスをもらい、一つずつ改善を重ねてきたことも輸出の後押しになったと振り返る大輔さん。こうした努力が、ひいてはお酒の品質向上を招き、銘柄の価値を引き上げることにつながっていったともいえるでしょう。

当初は取引先とのコンタクトから現地の営業までを一人でおこなっていた大輔さんですが、最近は書類の作成やメールでのやりとりの多くを社員に任せられるようになり、ずいぶん楽になったといいます。また、2022年秋には妻で取締役の陽子さんがフランス・リヨンで行われた「ジャパン・タッチ」などの催しに参加。陽子さんは英語が堪能でコミュニケーション能力も高いことから、将来的には大輔さんが市場を開拓し、現地で開催される展示会や試飲会については、英語圏を中心に陽子さんに徐々に任せていけたらと考えているそうです。

酒質の安定化を図るため、設備投資を強化

国内外の営業活動と並行して大輔さんが特に力を入れてきたことがもう一つあります。それは、お酒の品質向上と安定化を目的とした設備投資。 中でも上槽後から出荷までの貯蔵管理は喫緊の課題だったといい、2013年に大型の冷蔵設備を導入したことをきっかけに「35磨き(精米歩合35%)の大吟醸酒に代表される高級酒が1回火入れで瓶貯蔵できるようになったのは大きかった」と振り返ります。

また近年導入している1000リットル容量の角タンクも、搾ったお酒の品質維持に大いに役立っているといいます。たとえば2000リットルのお酒を上槽したとして、半分の1000リットルは瓶貯蔵し、残りの1000リットルを角タンクに詰めて冷蔵します。その後、先に瓶詰めしておいた1000リットル分の出荷が終わったところで、角タンクで冷蔵貯蔵しておいた残りのお酒を一気に瓶詰めすれば、先に出荷したお酒とほぼ変わらない品質を保つことができるというわけです。さらに、端桶(はおけ=タンク内にお酒の一部が残った状態)による品質の劣化が防げるメリットも。

このほかにもお酒をろ過するためのSFフィルターなど、酒質向上のための設備投資を継続的に進めていますが、大輔さんは蔵の屋台骨を支える吟醸酒系の仕込み本数がタンク20本超にも上る現状から「搾った後の処理にまだ課題が残る」とみています。

そこで「今後2~3年かけて製造スケジュールを見直し、全体の品質のさらなる底上げを図りたい」と大輔さん。具体的には瓶詰め工程や冷蔵用角タンクの空き状況から逆算した製造スケジュールを組むことでお酒の品質レベルの底上げを図るとともに、徹底した品質管理態勢を構築することで製造の効率化を果たし、人員面や働き方の改善にもつなげていきたい考えです。

「お酒の質を上げて、銘柄に力をつけたい」

このほかにも、大輔さんが蔵に帰ってきてから行った改革は多岐にわたります。自社運営のECサイトはコツコツとアップデートを重ねて、今では蔵の販売を支えるキラーコンテンツに。業務の効率化を目指して導入したビジネス版のチャットツール「LINE WORKS」は、日々の出荷状況や確認事項、海外出張先の現地市場やブース出展したイベントの様子などといった情報共有の場としても機能し、社内のコミュニケーションを円滑にしたほか、業務上のミスの軽減にもつながったといいます。

こうしてさまざまな工夫や改善を積み重ねて迎えた2023(令和5)年6月期には、過去最高の売り上げを達成。同9月には大輔さんが満を持して代表取締役に就きました。それから数カ月が経った今、これからの蔵の経営や将来の展望についてはどのように考えているのでしょうか。

「蔵に帰ってきてからこれまでは、営業に力を入れるとともにお酒全体の品質の底上げに努めてきました。というのも、『燦然』や『木村式 奇跡のお酒』といった銘柄自体に力をつけていきたいと考えたからです。特に通年商品の輸出が多い海外では、安定した品質やブランド力が必須。造り手の人柄やストーリーも大事ですが、お酒の品質やブランド価値を上げて、今以上に競争力をつけたいところです。

そして、安定的な製造体制や定常的な品質向上のための設備投資を継続するには、売り上げを1.5倍程度に伸ばしたいと考えます。そのためには社内で研鑽を積み、一人ひとりのパワーアップを図らなければいけないと思っています」

また、営業戦略については、ECサイトでの実績を振り返って、「販売チャネルを一つでも多く持つことが大事」と話します。

「コロナ禍の影響で輸出が一時期滞ったときには、ECサイトの急成長で売り上げをカバーすることができました。その一方で、これからは酒造りに携わる蔵人にもお酒の販売を経験していってもらいたいと思っています。時にはお客様や取引先から厳しいことを言われる場面もあると思いますが、彼らの声に直接耳を傾けることで、もっといい酒を造ろうという動機付けにつなげてもらうことが狙いです。

海外についてはすでに話したとおり、輸出先の開拓は僕が行い、その後のフォローやイベントは徐々に妻(陽子さん)に任せていきたいと思いますね」

最後に、酒造りについての展望をお聞きしました。

「これまで時間をかけて行ってきた設備投資の効果があらわれ、酒質の底上げもさることながら、会長がつきっきりで酒造りに携わらずとも安定した品質の酒を醸せるようになりつつあります。今後は徐々に蔵人に任せられるところは任せ、味を大きく左右する重要なジャッジは自分が責任を持って行っていける態勢にもっていきたいですね。そしてゆくゆくは僕が父の技術を受け継ぎ、杜氏を目指したいとも思っています」

取材を終えて

若いころからの夢だったロボット研究の道に一度は進んだ大輔さんですが、実は大学に進学する前から「将来は自分が蔵を継いだ方がいいのでは」と葛藤する日々を送っていました。大学受験では早稲田大学とともに、東さんの母校(醸造学系の学科を持つ大学)にも合格。最終的に早稲田大学を選んだのは「うちは継がんでええから好きなことをやりなさい」という東さんの一言が決め手だったといいます。

しかし、大学から大学院、社会人と進み、研究者の夢を掴んでなお、大輔さんの心の中には蔵の将来を案じる自分がいました。最終的に戻る選択をしたのは「蔵が廃業すれば『燦然』がなくなり、帰る場所(家)がなくなる」との危機感や長男としての責任感から。蔵に帰ってから断行した蔵改革の数々も、そうしたいきさつに裏打ちされた覚悟あってのことだったのです。

それだけに、蔵の経営を軌道にのせ「燦然」や「木村式 奇跡のお酒」の魅力を発信し続ける大輔さんの今後の動向に期待せずにはいられません。職人肌の東杜氏とは対照的に経営者の視点も持つ大輔さんが、将来どんな杜氏像を描いていくのかにも注目していきたいものです。

酒蔵情報

菊池酒造
住所:岡山県倉敷市玉島阿賀崎1212
電話番号:086-522-5145
創業:1878年
社長:菊池大輔
杜氏:菊池東
Webサイト:https://kikuchishuzo.co.jp/

「燦然」菊池酒造のお酒一覧はこちら

話題の記事

人気の記事

最新の記事