2024.08
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事業譲渡が、杜氏の夢を実現。日本酒「雨降」は神奈川随一の個性を目指す - 神奈川県・吉川醸造
神奈川県伊勢原市の吉川(きっかわ)醸造が2021年春にデビューさせた「雨降(あふり)」。1年目から90%という超低精白のお酒やユニークな酵母を使った商品を売り出し、翌年には室町時代の酒造りである「水酛(菩提酛)」や酵母無添加、花酵母、黒麹などチャレンジングな製法・原料で、話題をさらいました。味わいも洗練され、わずか2年でかつてのイメージを一新しています。
その背景には、2020年に代わった新しいオーナーが送り込んだ経営陣たちによる現場との連携と、「いつか思い切り自由な酒造りをしたい」とチャンスをうかがっていた杜氏たち造り手の熱い想いがありました。今回は、吉川醸造が変身に至るまでの軌跡を追いました。
兄を応援するつもりで蔵人に。7年目に杜氏に抜擢
今回の変革の立役者の一人である杜氏の水野雅則さんが吉川醸造に入社したのは2006年。きっかけは、2000年に兄の水野武洋さんが吉川醸造に入った時に遡ります。
武洋さんは早くから米作りや日本酒に興味を持ち、神奈川県内の酒蔵が主催する田植えや稲刈りに参加していました。日本酒の世界で働くことを切望し、蔵人になれる酒蔵を探して、辿り着いたのが吉川醸造でした。当時は杜氏も蔵人も新潟からやって来て、半年間泊まり込みで酒造りをする体制で、武洋さんもその輪の中に入って働きました。
仕事に慣れるのに時間がかかり、当初は実家に連日のように電話で愚痴をこぼしていたそうです。物流倉庫で働いていた弟の水野さんはその話を聞いて、「兄の下支えをして、将来、兄と二人で酒造りをして、兄弟で力を合わせて造った酒が有名になるのもいいな」と考えるように。ちょうど蔵人を募集していた蔵の動きを聞いて、手を挙げて吉川醸造に入りました。
水野さんは1年目から麹造りに専念します。吉川醸造は新潟杜氏のこだわりもあって、蔵で造る大吟醸酒から普通酒まで、すべての麹を手間のかかる蓋麹法で造っており、造りの期間中は夜中も頻繁に起きて麹の世話をするハードな作業に携わることになりました。「酒造りの全体像を学ぶのは遅れましたが、麹造りの真髄を初めに理解できたことはのちのち役に立ちました」と水野さんは振り返ります。
杜氏の高齢化から、蔵元はいずれ社員化を念頭に置いており、水野兄弟もその前提で採用されたようです。ところが、兄の武洋さんが一身上の都合で2010年に退職。結局、水野さんが社員杜氏の候補になり、6年目となる2011BY(醸造年度)はナンバー2の頭に据えられ、2012BYを前にして晴れて杜氏に就いたのでした。
一年目は年末から正月までは前任杜氏が来てくれたものの、あとは前任杜氏が残してくれた仕込み配合や経過簿などを見ながら、必死に酒造りに取り組んだといいます。
シマダグループへ事業譲渡。杜氏らしい酒造りへ
ただし、杜氏になってみると、蔵の事情もあり、酒造りを自由にやらせてもらえない環境であることを改めて思い知ります。蔵元は手堅く経営をすることを最優先としていて、設備投資にも消極的。毎年同じように酒を造ることが重要で、余計なことはしなくていいという雰囲気でした。
「神奈川の酒蔵の中では相当遅れを取っていました。胸を張れるような酒質ではなく、杜氏をしていても内心、忸怩たる思いでした」と水野さん。酒造りは秋に現金で仕入れたお米が、お酒になって現金が戻ってくるまでに半年ぐらいかかりますが、蔵元は「借金をしてまで米を仕入れたくない」と考えていたようで、2015BYはついに米を仕入れず、酒造りをストップしました。
翌2016BYには再開しましたが、蔵人はほとんど戻ってこず、水野さんともう一人の二人体制になります。
「麹造りはとても蓋麹には戻れず、酵素剤を使う事態に陥り、さらには、酒母を省略した仕込みまでやりました。目標の酒の量を造るのが優先で、納得のいく酒造りにはほど遠い状態になっていきました」(水野さん)
その後も酒の評判は上がらず、じり貧の状態が続きました。さらに、新型コロナウイルスの影響で、2020年春には蔵からのお酒の出荷が完全に止まってしまいました。酒造りの続行は無理という雰囲気になりましたが、「吉川醸造に来た時は定年までここにいようと決めていたし、杜氏は責任者なのだから、仮に蔵を閉めることになっても最後まで見届けるべきだ」という想いから、毎日蔵に通っていたそうです。
実はこの時、すでに蔵元は事業譲渡先を探し、不動産、ホテル、介護、飲食などを幅広く手掛けるシマダグループが名乗りを上げていました。シマダグループのトップが吉川醸造の立て直し役として選んだのが、後に社長になる合頭義理(ごうとう・のりみち)さんと常務になる二宮慎介さんでした。
内示を受けて、二人は夏の終わりに蔵の様子を見に行きました。
「その時には、蔵が次のシーズンに使う米を一切発注していないことを知っていたので、蔵にはもう誰もいないと思っていました。ニノさん(二宮さん)とは『我々が酒類総合研究所の研修に行ったり、他の酒蔵で造りを教えてもらったりして、3年後に造りを再開させるか』などと話しながら蔵に向かいました。ところが、蔵に行ってみると、水野杜氏が一人でがらんとした蔵の中を掃除していました。驚いて思わず、『まだいるの?』と聞いてしまったんです」
合頭さんは、当時の様子をこう語ります。水野さんから返ってきたのは、「それが酒蔵の杜氏というものです」という言葉でした。
合頭さんは感激し、「これですぐに今季から酒造りを始められる」と、ただちに酒米の調達に動きました。水野さんも、「ここで酒造りを続けられるんだな」と、涙が出るほどうれしかったそうです。
幸い、コロナ禍で全国に酒米は余っており、必要な酒米を必要な量、確保することができました。シマダグループが正式に吉川醸造を傘下に収めたのが2020年10月。合頭さんと二宮さんは水野さんに対して、「オーナーが代わったのだから、心機一転、好きなように酒造りをしてほしい。酒質向上のために必要なことはなんでもする」と告げました。
土田に感銘を受け、低精白米のお酒への挑戦を決意
新生・吉川醸造でどんな酒で勝負するか、水野さんには腹案がありましたが、合頭さんと二宮さんは、「まずは評判のお酒を片っ端から飲んでみよう」と次々と日本酒を買い集めては3人で試飲を重ねました。
全国新酒鑑評会で金賞を取ったお酒も何種類も飲みましたが、「綺麗で正統派のお酒だけど、個性を感じず、私たちが同じことをする意味はないと思いました」(合頭さん)。そんななか、3人が口を揃えて「綺麗ですごくうまい。あまり米を削らなくても、こんな美しい酒になるんだ」と絶賛したのが、群馬県の土田酒造が造った90%精米の純米酒「研究醸造」のひとつでした。
「社長と常務の驚き具合を見て、低精白米の純米酒に挑戦しようと腹をくくりました。ただし、やったことがないので当たり前ですが、10%しか削らない低精白米で、納得のいく酒を造れるかどうか自信はありませんでした。もともと、私は引き出しの多くないタイプですが、手持ちの引き出しを全部開ける勢いで必死にやろうと覚悟を決めました。直近の造りで山廃酒母の酒は一度造っていたので、雄町90%精米の山廃純米酒を最初の1本に据えました」(水野さん)
一造り目には、ほかに90%雄町で赤色酵母を使った純米酒と、リンゴ酸多産生酵母を使った純米酒の3種類に挑戦しています。
搾ったお酒の出来について水野さんは「正直、米由来の穀物感はしっかり残っていて、独特のフレーバーがありました。味わい自体に問題はないものの、どれぐらい市場で受け入れられるだろうか、と不安でしたね」と語ります。しかし、4月に売り出された3種類の「雨降」はどれも大評判で、一部の品目は一カ月も経たずに完売となりました。
「神奈川県内にはこの手のお酒を造っている蔵がないことも、とがった酒を造っている蔵というイメージを一気に広げるのに幸いしました。後発中の後発なのだから、90%精米の純米酒を蔵の看板商品のひとつにしよう、失敗を恐れずに頑張ろうと3人で確認し合いました」(合頭さん)
新しい蔵人も加わり、さらなるチャレンジへ
2造り目(2021BY)を前に、続々と新しい設備を導入する一方で、蔵人も追加募集。そこに登場したのが井内智章さん(いうち・ともあき/現、醸造・蒸留責任者)でした。井内さんは大学を卒業後、神奈川の酒蔵に就職。冬場は日本酒、夏場はビールの造りに携わり、7年余りの経験がありました。
「もっといろいろな酒造りに挑戦したくなり、そういうことをさせてもらえそうな酒蔵に移りたい」という気持ちを募らせて、吉川醸造の門を叩いたという彼は、蔵に入ると早々に、「まずは水酛をやりたい、酵母無添加もやりたい」と直訴。「それじゃあやってみろ」と任せたところ、上質な味わいのお酒ができあがり、低精白純米酒のほかに、水酛仕込みと酵母無添加仕込みが雨降の有力なラインナップに加わったのでした。
いい方向に回り出した新生・吉川醸造は、以降も白麹や黒麹を使ったお酒や花酵母、四段目に古代米を使ったものなど、多くの酒蔵が「試験醸造」と称するような酒を矢継ぎ早に投入してきています。
美味しい日本酒を造るために必要な設備投資が着々となされたことも、躍進を支えました。小ロットでの洗米、麹米専用の電気甑、可動式の放冷機。仕込みタンクに送るエアシューターには冷風が吹き込めるタイプを採用し、仕込みはステンレス製の3300リットルサーマルタンクを6基手配。麹造りにも、樹脂製の大箱を導入しています。
酛部屋は冷蔵設備付きの3部屋に分けられて、多彩な酵母が相互に混じり合うのを避けられるようになっています。搾り機はこの規模の酒蔵としては珍しい2基体制で、それぞれ別の冷蔵庫の中に配置。極めつきは、上槽後の工程の設備です。火入れは熱交換式のプレートーヒーターで65度まで上げた後、10度まで一気に急冷。さらに酸素を除去する装置を通してから瓶詰めします。ガス感を残したい場合には、生酒のまま瓶詰めしてから火入れ&急冷し、そのまま冷蔵庫に運び入れています。
動線も劇的に改善しており、「正直、ここまで設備を入れてくれるとは思わなかった。ここまでやってくれたからには、期待に応えるしかありませんよね」と水野さんは微笑みます。
合頭さんは今季から、井内さんに醸造・蒸留責任者の肩書きを与えました。理由については、「水野は感覚派、井内は理論派でタイプが違う。二人はそれぞれが自己完結した形で酒造りに取り組んだ方が、今後も面白い酒が出てくると思っての判断でした」説明。仕込み計画などの全体像は水野さんが担当するものの、仕込みごとに担当を分けることで、酒造りはスムーズに進んでいるようです。
取引先も増えて、お酒の販売も順調に推移しています。2023年夏にラーメンチェーンAFURIの運営会社が吉川醸造の「雨降」に対して商標権侵害訴訟を起こし、現在も係争中ですが、「我々は淡々と、美味しくて楽しいお酒を造るのみです」と合頭さん。今後もとがったお酒でファンを新たに増やす一方で、オーソドックスな速醸酒母の純米酒にも力を入れ、各種コンクールなどにも積極的に参加しながら、ブランド価値の向上に取り組んでいく構えです。
酒蔵情報
吉川醸造
住所:神奈川県伊勢原市神戸681
電話番号:0463-95-3071
創業:1912年
社長:合頭義理
杜氏:水野雅則
Webサイト:https://kikkawa-jozo.com/
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