世界的日本酒コンテストIWCで二度チャンピオンに。「澤姫」の妥協を許さない酒造り - 栃木県・井上清吉商店

2024.04

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世界的日本酒コンテストIWCで二度チャンピオンに。「澤姫」の妥協を許さない酒造り - 栃木県・井上清吉商店

山本 浩司(空太郎)  |  酒蔵情報

「澤姫」を醸す栃木県宇都宮市の井上清吉(いのうえせいきち)商店は、IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)SAKE部門の最高賞にあたる「チャンピオン・サケ」を、2010年と2022年の二回勝ち取っています。IWC・SAKE部門の17年間の歴史で、2回のチャンピオン・サケ獲得は、山形県の出羽桜酒造と井上清吉商店だけです。

全国新酒鑑評会の金賞の常連蔵でもある井上清吉商店の酒造りをリードしてきたのは、蔵元の井上裕史(ひろし)さん。2013年の代表取締役就任を契機に、杜氏を若手の佐藤全(さとう・たもつ)さんに譲っていますが、いまでも麹の世話は主に井上さんがおこなっています。

理想の麹を目指して一切の妥協をしない独自の麹造り、酒造りを極めようとしている井上清吉商店。その現場を訪ねました。

トップ画像:蔵元・井上裕史さん(左)、杜氏・佐藤全さん(右)

蔵元として生まれるも、酒造りに興味を持つ

華々しい実績を持つ井上さんですが、その始まりは苦難の連続でした。

4代目蔵元の長男として生まれた井上さんは、中高生時代には、家業にはあまり魅力を感じなかったそうです。戦後、日本酒業界では、酒造りは冬場にやってくる杜氏と蔵人に全面的に任せ、蔵元は営業と経営をするというのが標準的なスタイルでした。

井上清吉商店もご多分に漏れなかったわけですが、「営業や経営よりも、高校時代の冬場、杜氏に求められて手伝った酒造りの方に引かれました。ちょうど、日本全国で杜氏の高齢化と人材不足がささやかれていたころで、いずれ自分は酒造りも手掛ける蔵元杜氏になるべきだという気持ちを強く持つようになりました」と井上さん。こうした思いのもと、1993年、東京農業大学醸造学科に入学しました。

大学には同じような境遇の仲間も多く、大学で学んだ後は他の酒蔵や酒販店などの酒類流通会社で修行をしてから実家の蔵に戻るという流れが主流でした。井上さんも同じように考えていましたが、長年、井上清吉商店の杜氏として働いていた南部杜氏・小田中良夫さんから、「一刻も早く酒造りのすべてを教え込みたいから、卒業したらすぐに帰ってこい」と要請が。

やむなく1997年秋に蔵に帰った井上さんは2シーズン、小田中さんの下で寝食を共にしながら酒造りを学びました。昔気質の小田中さんの教え方は、「見て覚えろ、やって覚えろ、それから必死に考えろ。成功例だけではなく、むしろ失敗から多くを学べ」というスタイルで、「2回の造りを終えた段階ではまだまだ無我夢中の駆け出し蔵人でした。ただ、親方のフォローの下で、貴重な実戦経験を積ませてもらっているという確かな実感はありました」(井上さん)。

ところが、井上さんにとって3造り目となる1999BYのシーズンが目前に迫ったある日、小田中さんの家族から「ドクターストップがかかって、今季は酒造りに行かせられない」という連絡が飛び込んできました。

3年目にも関わらず杜氏代行を務める

蔵は大騒ぎになりました。南部杜氏のネットワークがあるとはいえ、造りが始まる目前では代わりの人を探すのは困難で、井上さんの父は「息子がすぐに杜氏をやれるとは思えない。一造り完全に休むか、他の蔵からお酒を未納税移入するか」のどちらかを考えていました。

ところが、井上さんはそんな状況下でも反射的に、「俺がやる。なんとか酒を造る」と直訴したそうです。

「若気の至りでした。でも、小田中杜氏の性格を知っていたから、もし造りを休むという決断をしていたら、医者に止められても、這ってでも来てしまうのではないかとも思っていたのです。親方に治療に専念してもらうためにも、不安だらけでしたが、やるしかないなと腹を括りました」

結局、小田中さんは来ることはありませんでしたが、その代わり、栃木県内の酒蔵に従事する多くの南部杜氏たちに、造りの支援を頼んでいたことがわかりました。

「南部杜氏の繋がりの深さに驚きました。すごいもので、3日に一人のペースで入れ替わり立ち替わり、たくさんの杜氏さんがやってきて、酒造りのアドバイスをしてくれました。実際には誰もが自分の考えを主張して、それぞれ言うことが違うので、こちらは目を白黒させることも多かったですが(笑)。ただ、酒造りは酒屋萬流であることを知るいい機会になり、その後の自分の方向性を固めることになりました

しかしながら、2000年頃はまだ蔵元自身が杜氏になるという例は少なく、「昔ながらの杜氏がいなくなった蔵は酒の品質が落ちる」という根も葉もない噂が独り歩きする時代。井上さんは杜氏が不在であることを隠しつつ、酒造りに必死に取り組むことになりました。

その冬、一本目の仕込みの「澤姫」のお酒ができ、県の先生や教えに訪れた南部杜氏や先輩などに利いてもらったところ、「『まあ、いいだろう』と合格をもらい、ホッとしました」(井上さん)。その冬の造りは30本ほどでしたが、杜氏の教えを受け継いだ井上さんと蔵人たちが一丸となることで、大きな失敗や事故はなく、乗り切ったそうです。

それどころか、その年(2000年)の春に開かれた栃木県酒造組合主催の吟醸酒出品酒研究会では、井上さんが造ったお酒が第一位という高い評価を受け、多くの指導者や杜氏、先輩たちが驚くことになりました。「あれは完全なビギナーズ・ラックでしたね」と振り返る井上さん。その後29歳で南部杜氏認証試験に合格し、正式に杜氏就任となるまで、対外的には「杜氏代行」を名乗っていたそうです。

栃木県産の酒米だけでの造りを宣言

杜氏を招かないというのは、酒蔵にとってはピンチともいえますが、井上さんはあえて前向きに捉え、自社の酒造りのやり方を根本から見直し、大きく変えるチャンスだと考えました。そんな井上さんが目指したのが、普通酒から最高レベルの大吟醸酒まで、すべてのお酒に使う米を栃木県産米だけにして、真の地酒造りを実現させるというものでした。

「全国新酒鑑評会などのコンテストで高い評価を得るには、酒米の王様と言われている山田錦、特に兵庫県産の米を使うというのが業界の常識でした。もちろん、山田錦は素晴らしい米で、理想的な麹を造るのが他の酒米に比べて容易です。でも、栃木県の酒蔵が兵庫県産の山田錦を使って金賞を取っても意味があるのだろうか? 地域経済のためになるのだろうか、と学生時代から疑問に思っていたので、父の反対を押し切って、実行に移しました。たとえ自分を縛ることになったとしても、それが新時代の澤姫のアイデンティティになるのであれば、それでいいと思いました」

そんな自分の決心が揺らがないように、すべてのお酒のラベルに「真・地酒宣言」と明記した井上さん。2004BYの造りから、全量栃木県産米化を実現させています。

山田錦などの県外の優秀な酒米を使わないと宣言したことで、麹造りの難易度はぐんと高くなりました。

「大吟醸酒を造るためには、麹菌が蒸した米の周りに繁殖する総破精(そうはぜ)ではなく、米の内部に向けて繁殖する突き破精(つきはぜ)に仕上げなければならないのですが、マニュアルが多く存在する山田錦に対し、栃木県産の五百万石やひとごこち、とちぎ酒14といった酒米は、すべて自力で試行錯誤しながらチャレンジしなければなりませんでした

一方で、栃木の米にこだわるやり方に周囲からは、「あそこはイロモノ的な酒ばかり造る蔵だ」「皆と違うことをやることで、単に目立ちたいだけ」と批判も起こり、取引先の銀行からも「夢みたいな事は考えず、現実的になれ」と言われたのだとか。

「それでも、地元の米を用いて最高に美味しい酒を造るという地酒職人としての純粋な気持ちに変わりはなく、そのハードルが他の蔵よりもはるかに高くなっただけ。結果として、山田錦で酒造りをしていた頃よりも、ずっと自由で面白い体験ができたし、地元農家との絆も深まり、独自の地酒造り理論の礎を築くことができたのではないかと思っています」

栃木県産ひとごこちで全国新酒鑑評会金賞、チャンピオン・サケ獲得

井上さんの新たな挑戦が具体的な成果として表れたのが、2006BYの造りでした。この冬、栃木県産ひとごこちで造った大吟醸酒が全国新酒鑑評会で初めて金賞を獲得したのです。全国の酒蔵から出品されたお酒は981点。うち金賞は252点ありましたが、そのうち山田錦以外の米で金賞を獲得したのは20点余りに過ぎず、栃木県の酒蔵で山田錦以外の酒米で金賞を獲得するのは異例ともいえる快挙でした。

翌年も連続で金賞を獲得し、栃木の酒米でもハイレベルの酒を造ることができることを証明した井上さん。刺激を受けた県内外の意欲的な酒蔵が以後、地元産の酒米で鑑評会に挑戦するという風潮も生まれました。

「品評会などで評価されることが最終目的ではない」と語る井上さんですが、毎年イギリスのロンドンで行われるIWCに2007年からSAKE部門が誕生したことを知ったときは、興奮を覚えたといいます。

全国新酒鑑評会の金賞受賞率が、毎年出品酒全体の25%前後にもなるのに対して、IWCはゴールドメダル(金賞的な評価)で全体のわずか3〜5%。しかも、国内だけにとどまらず、世界中から集まった全出品酒の中のナンバーワンである『チャンピオン・サケ』を決めると聞きました。栃木県産の米で造られた地酒が全国各地の銘醸蔵のお酒に肩を並べるだけではなく、もし頂点に立つことができれば、地域経済の活性化にも繋がる。大きな夢とやりがいを感じ、挑戦を始めました」

その結果、2010年大会で蔵の看板商品「澤姫 大吟醸」がチャンピオン・サケに選ばれました。「国際的な品評会でナンバーワンになれたのも嬉しかったですが、そのお酒の原料米が山田錦ではなく、栃木県産ひとごこちだったことで、県内の同業者や農業関係者、自治体も受賞を自分のことのように喜んでくれました。真・地酒宣言というコンセプトを掲げ、10年間自分を信じて頑張ってきて良かったなと感じた瞬間でした」と、井上さんは当時を振り返ります。

杜氏の座を譲った後も、異色の麹造りのスタイルを守る

理想を極める酒造りが一定レベルに達したのを確認できた井上さんは、2013年の代表取締役就任を機会に、長年、井上さんの右腕として共に奮闘してきた佐藤全さんに杜氏の座を譲りました。「原料処理から麹造り、酒母造りや醪管理など蔵としてのスタンダードがある程度出来上がり、すべて任せることができると判断しました」(井上さん)

井上清吉商店の麹造りの基本は、「すべてを麹菌の都合に合わせる。人間の都合で決めない」こと。多くの酒蔵は、働いている蔵人の労働環境改善という目的もあって、麹の作業は勤務時間内に一定の決められた時刻にできるように調整しています。

ところが井上清吉商店では、すべての作業が麹の様子をみながら柔軟に決めるスタイルを貫きます。取材に伺った日もインタビューの途中で、「仲仕事をしたいので、しばらく中断させて下さい」と言われ、筆者も井上さんの仲仕事の様子を間近で観察することになりました。麹の都合に合わせると勤務時間外はもちろん、夜中に作業がずれ込むことも当たり前で、「そうなると、蔵に住んでいる蔵元がやらなければならない。だから、いまでも麹の世話の大半は私がしています」。49歳でも麹屋であるゆえんです。

もう一つの麹造りの特徴が、麹室を極端な乾燥状態にすることです。井上清吉商店の目指す酒質は、味の膨らみがあって、後味が軽く飲み飽きしない酒。それを実現するには、しっかりと内部に菌糸が食い込んだ麹にしなければなりません。

「そのためには、米の表面がカラカラに乾いていて、内部にのみ水分がある状態がいいわけです。生き物である麹菌は、水分と酸素を求めて中心に伸びて行くので。山田錦などにある心白は、その部分に保水力と酸素を含んだ層があるので、そのような状態を作りやすい。一方、栃木県産米の多くはそこまで心白がないので、洗米の後の吸水で山田錦よりも多く水を吸わせます」

その後は、どんどん表面を乾かすため、室の湿度を8~15%にします。3~4時間は米の表面を乾かすのに使い、それからようやく種切りをおこないます。通常の教本では、引き込む麹室の湿度は40%以上ですから、極端に違うやり方です。

「県の先生からは『こんな状態では麹がまともに繁殖できない』と心配されますが、大丈夫です」と話す井上さん。二日目の盛りの作業以降でも、乾かすだけでなく、あえて表層が酸素不足となる状況を作ることで、麹菌が米の内部に食い込むように誘導しています。

室から出した後は隣の出麹部屋で除湿機をフル回転。扇風機を二日間回し続けて、やっと完成としています。菌糸の繁殖量に関わらず、使用する時に硬く締まった米麹にすることで、醪の下部に沈んでじわじわと酵素を出すことを目指しているのだそうです。

2度目のチャンピオン・サケを得て、販売力の強化へ

IWCには2010年にチャンピオンを獲得した後も毎年出品を続け、高い評価を得てきましたが、2022年にはついに、2度目のチャンピオン・サケに輝きました。全出品点数はSAKE部門史上最高の1732銘柄で、今回も酒米は栃木県産のひとごこち。しかも、大吟醸酒ではなく吟醸酒だったことに手ごたえを感じたそうです。

コロナ禍で2年続けてオンラインだった発表・表彰式は3年ぶりにロンドンで候補者が集まってのリアル開催でした。「最終候補(トロフィー)に選ばれただけでも誇らしいので、リアルでの開催と聞き、迷わずロンドンまで行くことにしました」と井上さん。審査員などの関係者に囲まれた井上さんは、2010年の表彰式よりも貫禄が増し、日本酒の頂点に二度までも立った充実感でいっぱいでした。

また、全国新酒鑑評会でも栃木県の新しい酒造好適米、夢ささらを使って出品したお酒が2回連続で金賞を獲得。近年は、こうした経験を、自身が一期生となった栃木県の杜氏制度「下野杜氏」の勉強会を通して、若手に伝えることにも尽力しています。

「味の膨らみがあって、しかも後味が軽い究極の地酒」を目指し、周囲にも高い評価を受けるようになった今、今後の課題は何かと聞くと、販売力の強化という答えが返ってきました。

「この20年余り、酒造りに没頭しすぎて、営業をおろそかにしてきたことは否めません。品評会や鑑評会の高い評価で自然と売れていけばいいなと甘く考えていた部分もあったと思います。その結果、うちのお酒の出荷先は地元60%、海外35%、県外5%。国内の大市場である首都圏などにお酒がほとんど届いていないのです。お酒は評判も大事ですが、やっぱり、飲んでもらわないことには始まらないので、今後は地道な売り込みなどの営業活動にも時間を割いていこうと思います」

「とにかく飲んでみてほしい」との思いから、蔵に併設した販売所では、澤姫のお酒が常時16種類、自動サーバーで自由に試飲できるようになっています。その味わいから熱い思いを体感するために是非、一度足を運んでみませんか。

酒蔵情報

井上清吉商店
住所:栃木県宇都宮市白沢町1901-1
電話番号:028-673-2350
創業:1868年
社長:井上裕史
製造責任者(杜氏):佐藤全
Webサイト:http://sawahime.co.jp/index.html

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