2021.07
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「2020年の女性100人」に選出、広島杜氏の技を世界へ - 広島県・今田酒造本店(富久長)
イギリスの公共放送BBCが毎年秋に発表している「今年の女性100人」。各方面で顕著な活躍をしている女性達が選ばれていますが、2020年11月には「富久長」を醸す今田酒造本店の蔵元杜氏、今田美穂さんが選出されました。
もちろん、日本酒に関わる女性が選ばれるのは初めて。女性杜氏の先駆けの一人である今田さんは、どのようにして「富久長」を全国で注目される銘柄に育ててきたのかを追いました。
蔵の仕事はしないと心に決め、東京へ
今田さんは今田酒造本店4代目蔵元の長女として生まれ、弟1人と妹3人とともに酒造りの街・安芸津で育ちました。
広島杜氏発祥の地である安芸津は酒造りに関わる人が多く、今田酒造本店の杜氏や蔵人も地元の人たちでしたが、冬場は麹の世話などのため5人前後が蔵に泊まり込んでいました。そのため今田さんの母は家族を含めて十数人の三度の食事を用意し、そのかたわら蔵の経理事務もこなしていました。
「子供の頃、母が寝ているのを見たことがなかった。やることが多すぎていつも時間に追われている姿を見て、私は同じ人生は歩まないぞ、と心に決めていました」と今田さんは振り返ります。
高校生の今田さんは「早くこの環境から抜け出したい」と思いながら東京の大学に進学を目指し、明治大学に入学。雑誌研究会に所属し、4年間でお酒も随分飲んだと言いますが「たまに飲む日本酒は灘などの大手の酒で、実家のお酒を飲んだ記憶はないですね」と、家業とは無縁の生活を過ごします。大学卒業後は、当時流行の先端をリードしていた西武百貨店に入社しました。
蔵へ戻ったのは「日本酒 激動の時代」
今田さんはカルチャースクールなどを手掛ける教育関連事業に配属され、さまざまな講座や講演会などを企画する仕事に携わりました。その仕事のつながりで、1990年から能楽を主催する団体に移って働き始めます。
当時はバブル景気も絶頂の時代。今田さんも「次から次へと面白い企画が持ち込まれて、目の回る忙しさでしたが非常に充実していました」と振り返ります。
そしてフランスの「アヴィニョン演劇祭」での創作能に関わる仕事を最後に、今田さんは広島に帰ることを考え始めます。父は60歳を超え、唯一の男兄弟である弟も医者になっていたため、蔵を継がないことは明らかという状況だったのです。バブルが崩壊を迎えた1994年のことでした。
「帰って蔵を継ぐのであれば、造りにも参加したい。幸いに広島杜氏の世界には女性もちらほらいて、女人禁制の雰囲気はない。帰ってみようかなと。そのことを告げると両親は賛成も反対もしなかったので、結局、広島に帰ってくることにしました」
この頃、日本酒業界は激動の時期でした。1990年に特定名称酒制度が導入されて、1992年に級別制度が廃止 。1989年の酒販免許に関する規制緩和以降は、お酒のディスカウンターが登場して、流通にも激しい変化が訪れていました。一方で、新しい人気地酒蔵が台頭して、吟醸酒に注目が集まる時代でした。
力のある地酒蔵がどんどん酒質のレベルをあげている中、蔵に戻った今田さんはお酒を持って、首都圏の地酒を扱う酒販店を巡りましたが、そこも茨の道でした。
「当時は、若い女が業界の商慣習もわからずに何しに来た、という感じでしたね。しかも、お酒がとびきり美味いわけじゃないから、相手にもされませんでした(笑)」
それでも繰り返し足を運ぶに連れて、目をかけてくれる店主も現れ「売れているのはこういう酒。最初は真似でもいいから造って持ってこい」と言われるようになります。
粘り強く取り組んだ酒質改善への道
今田さんもこうしたやりとりの中で、売れている蔵と自分の蔵の酒質の違いについて実情を理解してきました。 しかし技術や教育システムが進歩し、情報の流通が進んだ現代とは異なり、当時は「真似でもいいから」と言われても、簡単にはいきません。
そんな状況の中で今田さんが最初に手をつけたのは、特定名称酒に関しては、全てのお酒を搾ってすぐに瓶詰めし、冷蔵庫で保管することでした。
生酒は出荷まで冷蔵庫に保管し、火入れを行う場合は瓶詰め後1週間以内に実施することに。火入れを早く、かつ一回で済ませることで、搾った後のお酒の劣化を抑えつつ、生酒の良さも残る。これなら、新たな技術を習得しなくても先進的な蔵と同じことができます。
しかし当時まだ広島県には「全量瓶貯蔵」の例がなかったこともあり、蔵人たちは「濾過と二回の火入れを行うタンク貯蔵の方が安全」「保管中に瓶のキャップが錆びたりしないのか」「1週間以内の火入れは、定時の勤務時間ではとても無理」と揃って反対しました。
今田さんはそれでもあきらめずに、火入れのタイミングによって酒の味に違いがでることを、実際に蔵人たちに繰り返し飲んでもらうことで理解を得て、火入れ作業の段取りや人繰りも勤務時間内に納まるように見直しました。
こうして数年かけてようやく、全量瓶貯蔵と早期火入れを実現させたのです。
※日本酒の「火入れ」についてはこちら
蔵元杜氏への就任、美酒の評判固める
そのかたわら、今田さんは酒造りの技術習得にも注力しました。今田さんが蔵に帰った時は地元の広島杜氏、保広清孝さんが杜氏をしていましたが、1998年に引退の申し出を受けてからは 今田さんが麹造りの夜の世話をすべて担当するように。
それから4年かけて、現在は製造部長である杉浦弘真さんと一緒に保広杜氏から酒造りの薫陶を受けた後、2002年の酒造りから杜氏職を受け継いだのでした。
2002年当時、女性の杜氏は全国にも数えるほどしかいませんでしたが、「当初はあまり話題にもならず、自分自身も杜氏です、なんて胸を張れる状態ではありませんでした。ただひたすら、富久長の酒を美味しくするにはどうしたらいいかを考え、試行錯誤の連続でした」と振り返る今田さん。
その後、設備も徐々に新しくし、酵母や麹菌を変えるなどして、美酒としての評価が固まったのが2010年頃。ちょうど、広島の地酒蔵の有志が「魂志会」というグループを作り、今田さんが唯一の女性蔵元として参加した頃でした。
ゆとりが生まれてきたこの頃からは、新しいコンセプトの酒造りにも挑戦をするようになりました。そのうちの一つ、白麹を使ってさっぱりとした酸味を前面に出した海風土(シーフード)はヒットして看板商品に育つなど、順調に酒造りを続けてきています。
杜氏の一番重要な仕事は段取り
杜氏に就いてまもなく20年になる今田さんは、男性に比べて女性が杜氏になるのにはハンディを感じたことは、との質問に「ありませんよ。むしろ、女性の方が向いている面もあります」と言い切ります。
「そりゃあ、男性に比べて体格面で劣りがちな女性は米袋などの重い物を運ぶのには苦労します。でも私が重いと感じる物を、男性だって、さすがに軽いとは思いませんよね。場合によっては男だからとやせ我慢して力仕事を率先しているかもしれない。
一方で、杜氏の一番大切な仕事は総合的な仕事の段取りです。蔵の中では多種多様な作業が同時並行で進んでいます。それを限られた人数できっちりこなさなければならない。しかも、人間だけの都合で段取りを決められません。すべては、麹や酒母や醪の状態を見ながら、彼らの都合に合わせて作業のタイミングを決めなければなりません。このように、さまざまな事柄に目を行き届かせる必要のある仕事は女性の方が向いています。
うちの蔵も今は男女半々の6~7人で酒造りだけでなく、ウェブサイトの更新や広報などあらゆる業務をこなしていますが、段取りを組むのが得意なのは女性蔵人のほうだと感じますね 。私も酒質向上を最優先にしながらも、蔵人たちがいかに安全に、効率的に働き、定時に帰れるかに気を配る毎日です」
広島杜氏の「酒造りへの熱い思い」を継承したい
そんな今田酒造本店が目指す理想の酒造りは、広島杜氏発祥の地である安芸津(東広島市安芸津町)に残る2軒の酒蔵の一つとして、その地域性を表現すること。瀬戸内の温暖な気候に育まれた海産物と共に楽しめる、軟水の広島らしい吟醸酒造りを目標としています 。
明治時代以来、広島のお酒の評価を高めてきた「軟水醸造法」を開発したのは安芸津出身の酒造家・三浦仙三郎氏でした。その功績によって、硬水に比べて発酵が進みにくい広島地域の軟水でも優れた酒が造れるようになったのです。以降も多くの広島杜氏の努力と研鑽で、円やかで繊細な、きめの細かい酒質の酒が生み出されてきました。
「安芸津は瀬戸内海の魚が豊富に水揚げされる場所で、ここに住んでいる人たちは同じ白身の魚でも魚種による違いが簡単にわかります。四季を通じていつでも新鮮な食材が手に入り、同じ種類の魚でも季節ごとに味わいの変化を楽しめる。こうした豊かな自然の恵みを受けて育まれた味覚センサーが、広島杜氏の造る吟醸酒の味の背景になっていると思います。そんな広島杜氏たちの熱い思いを受け継いで後世に繋げていくのが私の使命です」
「今年の女性100人」選出をきっかけに、「世界の日本酒」へ
イギリスの公共放送・BBCの「今年の女性100人」は、発表の数ヶ月前に「候補にノミネートされました」とのメールが来たそうですが、その時は「なりすましメールかいたずらメールだと思った。候補に選ばれることさえ信じられなかった」と今田さんは話します。
選ばれた背景として今田さんが挙げてくれたのは、2019年4月に封切りされた映画「カンパイ!日本酒に恋した女たち」に出演したこと。同年5月にイタリアで開かれた映画祭でも紹介され、今田さんも監督と一緒に舞台挨拶に登壇しました。
「これがきっかけで、欧州の人たちが私の存在を知ってくれたのかも知れません。女性杜氏として初の選出と聞くと面映ゆいですが、広島杜氏の存在を世界にアピールできてよかったと考えるようにしています。
日本酒は国や宗教、人種を越えて人と人をつなぎます。それこそが日本酒の力だとも感じています。日本の豊かな酒文化や伝統、卓越した醸造技術を知っていただきながら、もっともっと世界の日本酒になる未来を楽しみに頑張っていきます」
今回の選出をきっかけに、「世界の日本酒」になる未来がさらに近付いているのかもしれません。
BBC「今年の女性100人」について
イギリスの公共放送・BBCが2013年に開始した、卓越した影響力を持って活躍する世界の女性を毎年100人を選んで表彰する制度。
日本人として初めて選ばれたのは、2016年、乳がんで闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さん(故人)。
以後、下記のとおり毎年日本人女性が選ばれている。
2017年:
・伊達公子さん(元プロテニスプレーヤー)
2018年:
・大小田結貴さん(生まれたばかりの原始星に惑星系のもとになる円盤構造を発見)
・高見澤摂子さん(当時90歳から英語学習を始め東京五輪の通訳ボランティアを目指す)
2019年:
・石川優美さん(ハイヒール、パンプス着用義務付けへの反対運動「#KuToo」提唱者)
・今日和さん(女子相撲選手)
2020年:
・今田美穂さん(今田酒造本店 蔵元兼杜氏)
酒蔵情報
今田酒造本店
住所:広島県東広島市安芸津町三津3734
電話番号:0846-45-0003
創業:1868年
社長兼杜氏:今田美穂
Webサイト:https://fukucho.info
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