2024.01
09
「羽根屋」ブランドの日本酒を届け続けるため、四季醸造蔵に転身 - 富山県・富美菊酒造
富山の銘酒「羽根屋(はねや)」を醸す富美菊(ふみぎく)酒造は、2012年夏に大きな決断に踏み切りました。それまでは10月から4月までの季節醸造をおこなっていましたが、通年で酒造りをする「四季醸造蔵」へと転換したのです。
7~8月の最も暑い時期の酒造りは特に難易度が高く、多くの酒蔵は避けていますが、春先に注文が急増して在庫が尽きたため、「お客様の期待に応えるには、いつでも柔軟に醸造ができなければならない」と考えての切り替えでした。
この決断は吉と出て、「常にフレッシュな美酒を提供してくれる地酒蔵」として評価を高め、人気ブランドとしての地位を固めてきました。転換から10年を超えた今、四季醸造蔵への転換の背景と、その苦難の実情に迫りました。
普通酒から特定名称酒「羽根屋」誕生へ
1916年(大正5)創業の富美菊酒造は、戦後の日本酒の需要拡大に合わせて生産を増やし、ピーク時には6000石を造る規模にまで拡大しました。
現在の蔵元社長(4代目)、羽根敬喜(はね・けいき)さんが他社での酒造りの修業を終えて、1995年に帰ってきた時にも、まだ3600石の規模がありましたが、ほとんどが普通酒、とりわけパック酒が中心でした。日本酒の需要低迷でご多分に漏れず経営不振に陥っていましたが、低価格帯市場への大手の攻勢が激しくなるに連れ、苦境は深刻になるばかりでした。
この状況を見て、羽根さんは、ほかの小さい地酒蔵と同じように特定名称酒に軸足を移す決意をし、それまでの「富美菊」ではなく、新しく「羽根屋」を2002年、デビューさせることにしました。
名前だけ新しくしても、酒質が向上しなければ苦境を打開することはできません。羽根さんは美味しいお酒を造るために、最大の鍵となる原料処理の見直しを考えました。
当時の酒造りは、冬場にやってくる杜氏と蔵人に委ねていました。そこで、彼らに「全国新酒鑑評会に出す出品酒である大吟醸酒と同じように、10キログラム単位の小ロット洗米を、普通酒含めたすべての酒に適用したい」と提案しました。
ところが、これには杜氏だけでなく蔵人全員が猛反発。「そんなことをやったら、体が持たない。絶対にお断り」と拒否されてしまいます。困った羽根さんは考えた末、「洗米は私たちでやるから、それ以降(蒸しから)の作業をお願いしたい」と提案。杜氏と蔵人たちは渋々受け入れてくれたそうです。
造りの期間中は、蔵元の羽根さんと兄、アルバイトの3人で、朝から夕方までひたすら洗米に明け暮れました。その結果、富美菊酒造のお酒の質は一気に良くなりました。「これには当初反対していた蔵人たちも驚いていました」と羽根さんは振り返ります。
人気急上昇で四季醸造へ踏み出す
「羽根屋」のお酒の評判も上がり、手ごたえを感じた羽根さんは、酒質を向上させるのに欠かせない設備を順次導入していきました。
2010年には自ら杜氏になって、酒造りの先頭に立ちました。首都圏の有力酒販店との取引が増えていったタイミングで新シリーズとして投入した60%精米の純米吟醸生原酒「煌火(きらび)」がヒット。2011年3月の東日本大震災後の「被害を受けた日本酒蔵を飲んで応援しよう」との運動の広がりで、日本酒全体の需要が増えたところに、有力取引先からの注文が急増するという事態に嬉しい悲鳴が上がりました。
2011BYには前年よりも生産を増やす計画でしたが、2012年の年明けからお酒の追加注文が予想を超えて殺到。蔵の在庫はみるみる減っていき、2月には「4月末までに造り終わる今季のお酒は夏まで持たない」という事態に陥りました。
「せっかく羽根屋の知名度が上がって、扱ってくださる店も飲んでくださる人も順調に増えている局面で、数ヶ月の空白はまずい。欲しい人がいる限りは、それに応えるのが我々造り手の義務だと思いました。さらに、売れる物がなくなって、月次の売り上げゼロが続くのは、巨額の貸し付けをしてもらっている金融機関が見逃してくれないのではという危機感もありました」
このため、2012年の4月から、5月以降も酒造りを続行する「四季醸造」(に乗り出すことを決心しました。
酒米探しに奔走。夏場の麹造りに大苦戦
もちろん、四季醸造の開始にあたって、クリアしなければならないハードルがいくつかありました。
一つ目はお米の調達です。例年、春先になると、余った酒米が市場に出回ることが多いのですが、この年はそういう話もなく、羽根さんはありとあらゆる伝手をたどって酒米入手に奔走。その結果、滋賀県産の玉栄と吟吹雪という酒造好適米が手に入ることになりました。
ただし、これまでに使ったことのない米だったので、いきなり玉栄と吟吹雪で麹を造るのは難易度が高い。そこへ幸いにも、石川県の酒蔵から余った山田錦をもらえることになり、麹米は慣れた山田錦で、玉栄と吟吹雪は掛米に使うことで、煌火の仕込み5、6本分の造りを賄うことができました。
二つ目の課題は設備面。仕込みについては、先代が大吟醸を造るための冷蔵仕込み部屋を作っていたので、そこを使うことにし、あとは搾りの部屋を冷蔵庫化する必要がありました。また、通年で造るための留意点などを学ぶために、「獺祭」を醸す山口県の旭酒造に足を運び、いろいろな情報を得たといいます。
そうして実際に5月中旬から造りを始めてみたところ、最大の難関は麹造りでした。
「酒造りの指導をしてくださっている富山県の先生からは『夏場に麹造りをするのはうまくいかないからやめた方がいい』と釘をさされていたので、それなりの覚悟をしていました。前の年の秋に収穫した米は硬くて、吸水を多めにして蒸したところ、見た目には順調に破精回りしたように見えたのですが、実際には菌糸が米の中へと入ってくれず、できあがった麹を分析してみると糖化酵素が不足気味。
どうすればいいのだろうと悩んでいたとき、旭酒造で『夏場は思い切り水を吸わせるといい』と言われたことを思い出して、さらに吸水率を上げたところ、なんとか麹はできました。醪の温度管理は無難にこなしたのですが、それでも、最終的に搾ってみたら、思ったよりもスッキリと、悪く言えば水っぽい感じがして。なんとか格好をつけて出荷しましたが、取引先の酒販店の方々は気づかれた方もいらっしゃったと思います。
在庫を切らさないように頑張って夏場に造ったことを評価してくださり、酒の品質アップを見守ってくださったのだと思います。幸い秋口になるといつもどおりの酒に戻り、いかに夏場の酒造りが難しいかと改めて痛感させられました」
造りが平準化し、蔵人の習熟度が向上
吸水を含めて修正しなければならない点を確認したうえで、翌年も5月以降の酒造りを続けましたが、「仕込み1本目から冬場に負けないレベルの酒ができました。『あ、これで四季醸造をずっと続けることができるな』と確信した瞬間でした」と羽根さん。そこで、冬場に厚く、夏場に薄くなる人員態勢を見直し、夏場も余力を持って酒造りができるようにしました。
また、杜氏役の羽根さんは酒造りに専念するために、一年中蔵の中に貼り付き、奥様の千鶴子さんが営業部長となって全国を駆け回る“製販分離”体制を整えて、現在に至っています。夏場の麹造りにはゴールはないそうで、「今年からは試験的に、前の日に洗った米をナイロンの袋に密封して、冷蔵庫の中に翌朝までしまうという試みを始めました。そうすると、翌朝もいい感じの湿り気が残っていて、蒸し上がりもより望ましいものになっています。来年以降はすべてこれに改善するかもしれません」と試行錯誤を重ねています。
注文があれば造って、在庫切れを起こさないことをモットーに取り組んで10年。結果として売り上げも伸び、目標だったという1000石を超えて、「羽根屋」は人気ブランドとしての地位を確立しつつあります。
四季醸造に切り替えた結果、売れ行きが良い年は夏場に造る量を増やすことで、春先にお酒の在庫を積み上げる必要がなくなったのは、経営的にもメリットになっているそうです。さらに、1年中途絶えることなく仕込みをすることで、蔵人の酒造りの習熟度が早くなるという効果もありました。
取材にお邪魔した2023年9月も仕込みがあり、3本の仕込みタンクでは発酵が順調に進んでいました。現在は夏場に週2本、冬場に3本仕込むサイクルで回しているそうです。人気商品になっても、在庫切れを起こさない。これからも、この体制で羽根屋ブランドをさらに高みへと押し上げていく構えです。
酒蔵情報
富美菊酒造株式会社
住所:富山市百塚134-3
電話番号:076-441-9594
創業:1916年
社長:羽根敬喜
製造責任者(杜氏):羽根敬喜
Webサイト: https://fumigiku.co.jp/
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