2020.12

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原点を追求する営みが、長い歴史と未来をつなぐ - 奈良県・菩提山正暦寺の菩提酛づくり

瀬良 万葉  |  酒蔵情報

日本清酒発祥の地として知られる正暦寺は、奈良県の山間にある真言宗の寺院。500年以上も前に生酛系酒母の元祖といわれる菩提酛造りを産み出し、諸白、段仕込み、火入れ殺菌など、現代の酒造りにつながるさまざまな技術を活用した酒造りをおこなってきました。

室町の昔からこの地に伝わる酒造りの伝統は、現代の醸造環境の中でどのように守られ、どのように未来へ引き継がれていくのでしょうか。

今回は、正暦寺住職の大原弘信(おおはら こうしん)さんへのインタビューをもとに、正暦寺における酒造りの今昔をご紹介します。

さらにこの度の取材では、今年から新たに始まるプロジェクトについてもお話を聞くことができました。記事の最後にご紹介しますので、ぜひご覧ください!

正暦寺の酒造りの歴史

清酒発祥の地である正暦寺。そもそも、なぜこの正暦寺で酒造りが始まったのでしょうか。寺の歴史を確認しつつ、その謎を紐解いていきましょう。

正暦寺は、一条天皇の勅命によって992年に創建された寺院です。現在は福寿院と本堂・鐘楼堂などわずかな建物のみから成る正暦寺ですが、創建当初は86坊が立ち並ぶ壮麗な大寺院でした。

正暦寺は、興福寺に次ぐ「藤原家のお寺」でもありました。当時、絶大な政治権力を持っていた藤原家。政局争いの原因となる、藤原氏の当主以外の子孫を寺に住まわせ、不自由のない暮らしをさせつつ政治力を削ぎ、かつ後継ぎ不足が生じた際にはすぐに引き抜けるようにプールしておく目的があったといわれています。

そんな正暦寺も、室町時代には深刻な財政難に陥ります。政治の混乱によって、国のお金が寺院に行き届かなくなったのです。そこで、なんとかお金を稼ぐ手段として始まったのが酒造りでした。

当時の納税記録からは、この酒造り事業によって、多い時で今の20億円程度の利益が寺にもたらされたと推測できます。膨大なお金に思えますが、菩提山全体が宗教都市として機能していた当時の正暦寺は、それほどの収入がなければ成り立たないほどの大寺院だったとも言えます。

室町時代中期(15世紀)には始まっていたとされる正暦寺の酒造り。当時からその酒質の良さが評判となりました。織田信長が、当時家来だった徳川家康の功労を称えて開いた宴の席でも、諸国から集めた美味しいものの一つとして正暦寺の酒が提供されたそうです。

繁栄を誇った正暦寺ですが、日本の統一が進む中、徐々にその収入が減っていきます。豊臣秀吉が実施した「検地」によって荘園制度が廃止され、江戸時代の寺社領政策でさらに寺の収入が削られました。こうして寺内経営は窮地に追いやられ、ほとんどの堂塔が失われます。同時に、材料である米も余らなくなり、酒造りも途絶えてしまいました。

菩提酛復活プロジェクトの展開

正暦寺での酒造りが途絶え、菩提酛の技術そのものも姿を消したあと、時は流れて平成の世。バブル経済崩壊後の不況と、ワインやビールのような新しいアルコール飲料の登場によって、日本酒の人気には陰りが出てきていました。

※「菩提酛造り」の解説はこちら

そんな中で奈良県の酒造家たちは、新しい日本酒を生み出して、なんとか日本酒人気を再興できないだろうかと考えます。こうして始まったのが「菩提酛復活プロジェクト」です。酒造家たちと正暦寺、そして奈良県の研究者たちが協力して、伝統製法による清酒の復活を目指しました。

「風の森」で有名な油長酒造の先代社長で、惜しくも2017年に亡くなった12代山本長兵衛さんも、この復活プロジェクトに関わりました。試行錯誤を重ねる中、東京農業大学の師である鈴木明治教授に相談したところ、山本さんには次のようなアドバイスが授けられたといいます。

「生米を水につけて乳酸発酵を促し、それをもう一度仕込み直すという手法、これは紹興酒と似ている醸造法だ。紹興酒の造り方をよく調べて、菩提酛の復活を進めた方がいい。」

菩提酛造りの清酒と紹興酒との違いは、清酒は長期熟成させないことと、もち米でなくうるち米を原料にしていることの2つ。紹興酒にもさまざまな製法がありますが、上記の2点以外は菩提酛造りの清酒と非常によく似た特徴を持ったものもあります。 正暦寺のお坊さん、あるいは寺に出入りする誰かがなんらかの経緯で紹興酒の造り方を知り、試しにうるち米を使って、菩提山でお酒を造ってみたのではないでしょうか。そこにちょうど有能な菌が働いたおかげで、美味しいお酒を仕込むことができたと推測できます。

そうすると次に浮かぶ疑問は、その「有能な菌」とは何なのか? ということ。かつて菩提酛の仕込みを可能にした菌が、今も菩提山に生きているのではないかと考えたプロジェクトメンバーは、菌を探す取り組みを始めます。発酵工学の研修者たちは、菩提山の至るところにシャーレを置き、菌を呼び込もうとしました。天井裏、池の水、川の水……あらゆるところから水を汲み取り、調査しました。

別の調査で有能な野生酵母が見つかるも、乳酸菌に関しては手がかりが掴めないまま、調査は3年目に突入。プロジェクトメンバーも「この山から乳酸菌を探し出すのは宝くじに当たるより難しいな」と話していたある日のこと、仕込み水に使おうとしていた岩清水をたまたま実験用に使ったところ、なんとそこで強力な乳酸菌が増殖しているではありませんか!

こうして1998年、偶然のような形で、極めて有能な乳酸菌が発見されました。メンバーが口を揃えて「奇跡」と呼ぶ出来事です。

乳酸菌が見つかり、酵母も見つかったことで、菩提酛造りの復活が現実的になりました。では、この菩提酛をどういう形で復活させるべきなのか? プロジェクトメンバーが出した結論は、「正暦寺のこの空気の中で復活させる」というものでした。

しかしそのためには、正暦寺が清酒・酒母の製造免許を獲得する必要があります。そこでメンバーは国税局に足を運び、数々の資料を提示して、経緯の一部始終を説明。国税局の職員と膝を付き合わせ、すったもんだの末に、正暦寺は酒母酒造免許を取得したのです。

以来、正暦寺で造られた酒母をもとにして、いくつもの酒蔵で菩提酛造りの美味しい酒が造られています。

菩提酛の酒造り

現代における菩提酛の酒造りについて、テクニカルな部分を詳しく見ていきましょう。

菩提酛の大きな特徴といえば、酸っぱい水である「そやし水」を造ること。生米を水に付けて乳酸菌を呼び込み、乳酸発酵を促して、酸性水を造ります。こうして雑菌の繁殖を防ぎつつ、酵母の発酵をうまく進めるわけです。

菩提山川流域で栽培された米と、菩提山に湧き出す岩清水を使用して仕込まれます。工業試験センターでは「この水は美しすぎて、酒造りには向かない」と言われたほど、ミネラルの少ない水です。そんな「美しすぎる水」から、あの強力な乳酸菌が発見されました。そしてこの乳酸菌は、生まれ故郷(?)であるこの岩清水を使ったときにこそ、よく発酵するのだそうです。この現象には、酒造りの専門家も首をひねるのだとか。

「この大地に染み込んでそれから湧いて、岩のその隙間からにじみ出るように出てくる水っていうのはね、やっぱり大地のエネルギーをもらってる時間が長いんですよ。」

住職がこのように語る岩清水を、筆者も飲ませていただきました。お湯呑みから口に含むと、全くなんの引っ掛かりもなく、つるっと喉に入っていきます。今までに飲んできたどの軟水よりも柔らかく、優しく感じました。

また、高温で仕込まれるのも菩提酛の特徴です。経過簿を見せていただいたところ、そやし水を造る工程では、品温が30度を軽く超えています。税務署の書類ではグラフのスペースが30度までしか用意されていないため、グラフが上限を突き抜けてしまうこともよくある、とのこと。かつては夏に仕込まれていた菩提酛。正暦寺の乳酸菌は、高い温度の方がよく働くそうです。冬に仕込みを行う現在では、ストーブなども使って品温が高くなるよう調整しています。

その後、高い品温のまま放置するとすぐに酒母ができあがるのですが、現代ではここで意図的にぐっと品温を落としているそうです。これは、じっくり熟成させることによって、菩提酛の持ち味である濃醇な旨味をさらに引き出すため。伝統を受け継ぎつつも、より美味しい酒造りを目指し、製法を進化させているのですね。

仕上がった菩提酛は、正暦寺から各酒蔵へと大切に持ち帰られ、美味しいお酒になります。酒を造るにあたり、そやし水の中に浸した生米を蒸すと、独特の香りが立ってくるとか。馴染み深い「ご飯の香り」とは全く違う、乳酸菌の香り際立つ、なんともいえない芳香が立ち込めるのだそうです。

この香りは、毎年1月に正暦寺で開催される「菩提酛清酒祭」で体験できます。ぜひ足を運んで、ここでしか嗅げない香りを楽しみたいですね!

原点の原点、「菩提泉」への挑戦

住職によると、今年からまた新たなプロジェクトが進行中とのこと。なんと、『御酒之日記』に登場したあの「菩提泉」が、現代の姿で復活するというのです。

菩提泉は、菩提酛の大元となる「源泉」のような存在。というのも菩提酛づくりの清酒は、段仕込みによって菩提泉を10〜15倍程度に増やして造られているのです。それに対して今回の新たなプロジェクトでは、あえて段仕込みを採用せず、一度の仕込みだけで「純粋な菩提泉」を仕上げます。

このプロジェクトの新しさは、仕込み方だけではありません。米には奈良の奨励米・露葉風を使用。それも、正暦寺の境内で住職自ら栽培したものを使用する予定だそうです。もちろん、仕込み水には正暦寺の岩清水が使われ、酵母や乳酸菌も正暦寺由来のものが使われます。

歴史の中の菩提泉を復活させるのではなく、現代の新たな菩提泉を造って、奈良の財産に加えることを目指すこの試み。菩提酛復活プロジェクトから約20年が過ぎ、酒造りを担う人々の間で世代交代が起こりつつある今、改めて菩提泉造りに挑む意味はどこにあるのでしょうか?その問いに、住職はこう答えます。

「菩提酛造りというのは、すごく味わい深い、良い造りなんやということは、ほぼ浸透したと思う。菩提酛復活プロジェクトから20年経って、どの造り酒屋さんも、菩提酛造りをしようと思えばできるようになった。こちらも手綱を離したわけですよね。そしたら今度は、やっぱりピュアな菩提泉も造っておいた方が良いだろうと。 菩提酛復活プロジェクトを通して、一つの奈良文化を皆さんに広めるという点では、ある程度貢献できた。今度は、その原点の原点の原点をきちんと造っておくのが、私達の使命ちゃうかということになってきたわけです。歴史的にあった菩提泉とはまた違う、今の新たな菩提泉を造って、奈良の財産に加えていくという営み、新しい営みですね。

「そんなにたくさん造ってへんから、めちゃくちゃ高いと思いますよ」と明るく笑う住職。伝統を背負い、次世代へ引き継ぐことの苦労と誇りがにじむその表情に、奈良の酒、ひいては日本酒の輝く未来が見える気がしました。

正暦寺で育った米と正暦寺に湧き出る水、正暦寺の酵母や乳酸菌を使い、正暦寺伝統の造りで仕上げた、ピュアで濃厚な菩提泉。商品としての発表は、春頃以降になるとのことです。奈良の文化をぎゅっと凝縮した味わいが、今からとても楽しみですね!

伝統と革新をつなぐ、核となる場所

取材に伺うまでは、正暦寺という場所について、「歴史」や「伝統」のようなイメージしか持てなかった筆者。実際に足を運んで住職にお話を聞いたところ、そこには確かに長年の伝統が息づいていると同時に、「未来」も芽生えつつあることがわかりました。

酒造家の世代交代が進む中、正暦寺は、伝統と革新をつなぐ核としての役割を果たしているように思います。また、本記事でご紹介した酒造りだけでなく、代々伝わる古文書を読み解いて活字化するなど、住職はさまざまな文化の継承につとめておられます。酒造りをはじめとする奈良文化のさらなる発展に、胸がわくわくしますね。

ちなみに、正暦寺は紅葉の名所でもあります。360度どこを見ても美しい景色が広がる菩提山。機会があれば、ぜひ足を運んでみてください。

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