2022.05
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日本酒ラベル そのデザイン変遷の歴史(中編) -洗練されて 「昭和クラシック」
前編では日本酒ラベルの起源が明治時代にさかのぼることや、それが酒樽に貼られた木版の刷り物であり、浮世絵のように芸術性が高かったことをお伝えしました。
中編ではラベルのデザインが次第に洗練されて昭和30年-40年代にひとつの完成期を迎え、そこから少しずつ個性を失っていく流れをたどります。
酒銘と響き合う窓枠、ハレの日を演出
明治初期の木版手刷りは、中期には近代印刷に代わっていきます。当初は古典的な花鳥や縁起物の意匠をそのまま受け継いでいました。しかし西洋文化が台頭するなかで、人々の感覚も変わり、デザインの幅も広がっていきます。
それでも「美しさ、上品さを目指す」という基本的な方向性は失われませんでした。酒はハレの場のものであり「その場にふさわしく、華やかでめでたいものでありたい」という明治・木版時代のDNAが健在だったからでしょう。デザインは徐々に、ひとつの型に収束していきます。
正面に「窓」を開けて、肉太のひげ文字で酒銘を据え、バックを酒銘にちなんだ絵柄で飾るパターンです。付随して右上と左下には朱印、左上には雅詞を置いて格調を出します。朱印は、前編で説明した落款(自筆の証明印)のようなものです。
「梅錦」を例にとってみましょう。
中央の窓に酒銘があり、窓枠を梅の花でかたどっています。背景には梅の古木が枝を張り、雅詞は「天下一品」。酒銘がすっきりと際立っているように見えませんか?
それまでは「一本鎗」のように、強い絵柄に埋没しているような例もありました。しかし「商品として打ち出すにはまず酒銘を」との意識が出てきたようです。容器が樽から一升瓶に変わって、それが加速しました。
というのも、樽なら直径は約50cmあるので、ラベル全体(幅25cm前後)が見渡せますが、一升瓶で棚に並べられると、わずか10cmの幅しか見えません。そこでとにかく酒銘を目立たせようとしたのでしょう。
キレとまとまりの「昭和クラシック」
この型のラベルは、窓枠に目配りが利いています。「梅錦」の場合は梅の花弁でしたが「戎鯛」を見てください。一見、単なる楕円の窓枠のようですが、よく見ると細い竹であり、糸が絡み、下の方には赤い浮きやおもりが……。
そう、釣り竿ですね。酒銘の鯛や戎(恵比寿)から釣りを連想し、ついでに魚籠を持ってきて「吟造」の文字を放り込んでいます。当時の画工さんが、ニヤリとしている風景が思い浮かびます。ラベルを読み解く面白さですね。
さて手刷りから機械印刷へ、和紙から洋紙へ、樽貼りから一升瓶ラベルへと形態が変わっていくにつれ、伝統的な意匠もひげ文字も、近代デザインとして洗練されていきます。戦争前後の停滞を経て、その完成を見たのが昭和40年代(1965〜1974年)でしょう。私は「昭和クラシック」と名付けました。戦前までのものよりキレがあり、まとまっています。
秀逸なのは「菊水」です。色味は薄青を基調に、黄色と赤をアクセントにしただけで地味ですが、じっくり眺めると実に緻密です。
ラベルの形からして気合が入っています。単純な四角ではなく三十二弁の菊文。切り抜きの型をつくるだけでもかなりコストがかかったでしょう。
その内側の青色の流水文は、「菊水」の意匠化。あえて手間をかけて、左右を非対称にしているのがニクい。
さらに内側には咲きこぼれる白菊を細い描線で型取り、これが窓になっています。池に浮かぶ花の上に、酒銘が載っているようにも見えますね。
ほかにも典型的なものを4点紹介します。これらも、酒銘と窓枠が響き合っています。
お多福、真珠の首飾り、打ち出の小槌、鈴をかたどっているのがわかると思います。
イメージチェンジ急ぎ、捨てた伝統
美術や音楽では、ひとつの型が完成すると、今度はそれを打ち破ろうとする内在的な力が働き始めます。クラシックに対してモダンや前衛が立ち上がってくるのは、自然な流れといえましょう。ラベルも同じように、完成された型が変化していきます。しかしそこには別の事情もありました。メーカーがイメージチェンジを狙ってあえて崩して、伝統を捨てていったのです。
日本酒メーカーにとって戦後の30年間は、ほうっておいても売れるいわば「楽勝期」でした。戦後は米不足で食べるのにも困っていた時代ですから、酒造りに使用する米も当然足りません。そんな状況でも市場に酒を供給するために、糖類やアルコールを添加してカサ増しする「三増酒」も流通しました。しかも今と違って競合する酒類も少ないので、品質を良くしようと努力しなくても済んでしまいます。
ところが貧しかった日本は、高度成長を経て豊かになりました。サントリーが巧みなCM戦略でウイスキー攻勢をかけ、ビールも熾烈な販売合戦を繰り広げます。九州からは装いを新たにした焼酎が、全国に打って出てきました。
ライバル酒に後れをとった日本酒の製造量は、昭和48(1973)年をピークに坂道を転がるようにして減少の一途をたどります。
状況を打破しようとメーカーがまず考えたのは、目先を変えることでした。本醸造や純米という規格が定まった(昭和50年=1975年に制定)こともあり、さまざまな企画商品を出して、これまでとは変わったラベルでアピールすることにしたのです。
「違う」ことを強調するわけですから、デザインは一変します。洋風にしたり、写真を使ったり、ひげ文字のひげを外したり……。ポップ化、カジュアル化の方向です。しかし中身が驚くほど変わるわけではなく、飲み手には見透かされてしまいます。
結果的には小手先の策でした。不振は止まらず、蔵の数もまた、櫛の歯が欠けるようにどんどん減っていきます。
気概の「シンプル」も、いつしかパターン化
転機になったのは、昭和60年代から平成にかけての吟醸酒ブームです。危機感に駆られて本気になった若手の蔵元が、これまでの日本酒像を覆し、飲み手をうならせるような高いグレードの酒質を実現させました。代表的な銘柄は「十四代」(山形県村山市)です。
ラベルは高級感を出すために和紙のような白無地の紙を使い、銘柄よりも「吟醸」「大吟醸」など特定名称の文字を大きく記して、これまでの酒ともう一段の差別化を図りました。シンプルだからこそ格調の高さが感じられ、「中身で勝負するぞ」という心意気も伝わってきます。すっきりしたラベルの中に込められた作り手の熱を、飲み手は感じました。
「文字だけラベル」はここから始まり、多くの蔵が追随して今や主流のデザインになっています。
しかし、そうしたラベルばかりが並ぶ酒屋の棚は果たして魅力的でしょうか。パターン化したラベルは、きつい言い方をすれば平板で没個性。当初の気合が感じられなくなってしまいました。
酒質が今よりずっと低かった時期に、ラベルのデザインは洗練されて完成期を迎えました。ところが酒質が高まっていくにつれて、ラベルの「味わい」が消えていく。皮肉なことです。「こんなに素晴らしい吟醸酒のラベルがこれ?」と、ため息をつきたくなることもあります。
今回は、昭和期にラベルデザインが洗練され「昭和クラシック」として完成してから、近年までに没個性化、パターン化が進むまでの歴史を見てきました。次回の後編では、いま起きている新たなラベルへの挑戦、そして今後の日本酒ラベルの在り方について考えてみます。
連載:日本酒ラベル そのデザイン変遷の歴史
前編
後編
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