2024.09
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日本酒テロワールをひも解く「水」の可能性 - 山梨県の水質調査プロジェクトを通して
日本酒造りの主な原料のひとつである水。原料の8割を占めるほか、水を使わずに造られるワインとの差別化要素として、その重要性を謳う造り手は少なくありません。お米は運ぶことができますが、酒造りに必要なほどの大量の水は運ぶことが難しいため、醸造所の場所を選ぶ際にも、「良い水が採れるかどうか」は古くから重要な条件でした。
一方、水の地域性は軟水・硬水などの硬度のみについて語られることがほとんどで、土地ごとの詳細な水質についてはいまだわからないことが多くあります。そこで、2023年から2024年にかけて、山梨県酒造組合が、水質調査プロジェクトを実施。地質学者率いるチームが山梨県の地質を分析し、日本酒の仕込み水にどのように影響するのかを探る取り組みをおこないました。
日本酒の仕込み水とその土地の関係は、どこまで解析することができるのでしょうか。プロジェクトの調査過程を追いながら考察します。
仕込み水は、どこから来たのか?
地酒を掲げる酒蔵の多くは、仕込み水に酒蔵近辺の湧き水や井戸水を使っています。これは、地下に蓄えられたいわゆる「地下水」の湧き出したものであり、味わいや含有成分には、その水が通ってきた地層や岩盤の質が影響しています。
一方で、その酒蔵の庭に湧き出しているからといって、そこに水が蓄えられているわけではありません。水を知るためには、その水がどこから来たのかを特定する必要があります。
今回、山梨県の仕込み水調査プロジェクトを先導したのは、地質学者の久田健一郎氏。過去にも、2021年に実施された国税庁「地質に対応した日本酒仕込み水の水質分析体系化によるテロワール・ブランディング」プロジェクトにて、全国の酒蔵から集めた283点のサンプルを分析し、地質と水質に因果関係があることを明らかにしています。
2021年に指定されたGI山梨の日本酒は、その原料の水を南アルプス山麓、八ヶ岳山麓、秩父山麓、富士北麓、富士・御坂及び御坂北麓の6水系に限定しています。しかし、久田氏によれば、同じ水系でも場所によって水質は異なるため、その地下水の水源や、蓄積されていた涵養域(かんよういき※)がどこなのかを特定することが重要だといいます。
水源や涵養域を明らかにするには、溶存イオン(水に溶け込んだイオン)成分を分析するという方法があります。今回のプロジェクトでは、山梨県の地質の特徴をその成り立ちに応じて4つに区分(①西南日本外帯の付加体地域/②伊豆半島衝突に伴う堆積岩露出地域/③南部フォッサマグナの深成岩(花崗岩類) 露出地域/④南部フォッサマグナの火山岩露出地域、図1)。それぞれのエリア内のいくつかの湧水や河川水、および12の酒蔵の仕込み水を分析し、それぞれがどの地質から影響を受けているのかを明らかにしました。
(※)涵養域:地下へ浸透した水が帯水層に供給されることを「涵養」といい、その供給元となっている河川域を「涵養域」という。
複雑な地質が導く多様な水質
それでは、山梨県の地質にはどのような特性があるのでしょうか。
日本列島の中央には「フォッサマグナ」と呼ばれる大きな溝があります。新潟県の糸魚川から長野県の諏訪湖を抜け、山梨を通って静岡に至る地帯であり、山梨県はそのほとんどがこの地帯に含まれています。
現在の日本列島は、もともとユーラシア大陸の一部でしたが、約2200万年前頃に始まった日本海の拡大により大陸から分離しました。この時の地殻変動によるフォッサマグナの形成後に、火山島の複数回にわたる衝突によって形成されたのが、山梨県を含む「南部フォッサマグナ」であり、久田氏によれば、その地質は世界でも類を見ないほどの複雑性に富んでいるといいます。
こうした複雑な地質を湛える山梨では、水質も複雑になっています。調査時に訪問した大月市の笹一酒造代表・天野怜氏によれば、世界の権威的なソムリエが蔵で仕込み水をテイスティングした際に、「ひとつの水から3つの味わいがする。こんな水は今まで飲んだことがない」とコメントしたというエピソードがあります。
笹一酒造では、仕込み水にミネラル分が豊富に含まれているため、いわゆる「淡麗辛口」のお酒を造るにはフィルターにかけなければいけないと指導されたことがあるほど。この水質を生かした複雑な味わいの日本酒は、海外では赤ワインの代わりに肉に合わせられる点が評価されているといいます。
久田氏は、この「3つの味わい」に対して、笹一酒造が位置する御坂山地北東部というエリアが、前述の図1の①日本列島の付加体地域(泥岩や砂岩)、②伊豆半島衝突に伴う堆積岩露出地域(ここでは火山岩の安山岩が露出)、③南部フォッサマグナの深成岩(花崗岩類)露出地域に区分されるという根拠を示します。この3種類の地層を通った水に対して、そのソムリエは3つの味わいを感じたのかもしれないというのです。
これはあくまで仮説ですが、地質や水質を掘り下げることで、日本酒の官能評価に対する論拠を強化できる可能性は未知数だといえるでしょう。
テロワールをひも解く「水」の可能性
本プロジェクトと関連し、2024年7月13日に開催された「美酒美県やまなしセミナー」では、久田氏と笹一酒造・天野代表のトークセッションがおこなわれました。
その中で、「山梨は日本のお酒の源流の地であった可能性がある」と話した久田氏。
約5,000年前にあたる縄文時代中期、山梨〜長野エリアは黒曜石の交易の場として栄え、日本の人口の4分の1が住んでいたといわれています。2018年に「星降る中部高地の縄文世界─数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅─」としてこの地域の歴史文化が日本遺産に登録されたように、同エリアからは数多くの土器が出土していますが、この中に、果実酒造りに使われていたと考えられる土器があるというのです。
従来、山梨県はお米の生産量が少なく、GI山梨の日本酒の条件も、お米については「3等級以上の国産米」という指定しかありません。そのような決して好条件といえない中でなぜ山梨で日本酒が造られ続けているのか、多様な角度からヒントが見つかる議論が展開されました。
会場には、世界のトップソムリエたちが参列し、マスターオブワインの大橋健一氏による山梨ワインに関する講演もおこなわれました。会の最後にはテイスティングがおこなわれましたが、酒蔵ごとの仕込み水の飲み比べに行列ができ、日本酒造りにおける水の役割に注目が集まっていることがよくわかりました。
近年、世界各国へ日本酒が広まるに従い、「テロワール」というキーワードを用いてワイン市場にアプローチする酒蔵が増えてきています。しかし、ブドウというひとつの原料の生育環境を見るワインに対し、日本酒の地域性を構成する要素は入り組んでおり、その矛盾を問う声も聞こえます。
ワインにとってのテロワールとは、ブドウが育つ土地の自然環境です。そのひとつはブドウを育てる土壌であり、そこでは当然ながら地質にも着目する必要があります。日本酒にとってテロワールはまだ探求の余地がある概念ですが、地質を通して水をひも解くことは、地域性を語るために今後求められることなのかもしれません。
参考文献
- Sake Business Laboratory「「美酒美県やまなし」日本酒テロワール確立事業 報告」(2024年8月15日閲覧)
- サントリー「サントリーのエコ活 第3回 “水の世紀”を担う子供たちにこそ知ってもらいたい 『水の知』最前線」(2024年8月15日閲覧)(Wayback Machineアーカイブ モバイル用 / PC用)
- 久田 健一郎, 藪崎 志穂, 唐田 幸彦「日本酒仕込み水の水質と地質」(日本地質学会, 第128学術大会, 2021)
- 地下水マネジメント推進プラットフォーム「地下水の基礎」(2024年8月15日閲覧)
- 金澤 瑛, 正岡 直也, 小杉 賢一朗, 勝山 正則, 中谷 洋明「山地源流域における湧水の涵養域の推定」(水文・水資源学会誌, 第34巻2号, 2021年)
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