「辛口」はまだまだ役に立つ - 私の「辛口」論(2) 「辛口の日本酒」愛好家の視点

2021.04

07

「辛口」はまだまだ役に立つ - 私の「辛口」論(2) 「辛口の日本酒」愛好家の視点

河島 泰斗  |  私の日本酒「辛口」論

筆者は、一介の飲み手として「辛口」の日本酒を愛しています。 居酒屋や酒販店では、ラベルに「辛口」と記載されている商品を積極的に選び、それなりの確率で好みの一本に出会えています。 ところが、悲しいことに、日本酒のプロや愛好家の間では、この「辛口」という味覚表現の評判があまり芳しくありません。

自らの嗜好を離れ、なるべく客観的に見れば、「辛口」が時代に合わなくなってきていることは認めざるを得ません(それは、本連載の他の記事でも触れられているとおりです)。 一方、「辛口」がいまだに人々の会話やお酒のラベルなどに多く現れることは、それに対して一定の支持があることを物語っています。

表現は時代に応じて変化します。 役に立たない表現は消え、新しく生まれ変わります。 裏返して言えば、残っている言葉には、何らかの役に立っていると言えます。

この記事では、「『辛口』は役に立つので生き残っている」という仮説を立て、その実像に迫るため、表現の成り立ちや歴史について調査し、整理していきます。

日本酒の「甘口-辛口」の歴史

日本酒の「辛口」は、原則として「甘口」とセットで用いられます。 この「甘口-辛口」のルーツは定かではありませんが、その歴史は長く江戸時代の初期にはかなり広く用いられていたようです。

例えば、江戸時代の最高レベルの酒造技術書とされる『童蒙酒造記』(1686年刊行と推定)には、次のような文章が見られます。

・当流(中略)、風味甘口にして尻口しゃんとする物也
 →当流(=鴻池流)は風味は甘口で最後のキレが良い味わいである
・伊丹流者辛口之根源
 →伊丹流は辛口の元祖である
(出典:『日本農書全集51 農産加工2 童蒙酒造記・寒元造様極意伝』(農山漁村文化協会)

また、同時代の有名な文学作品である井原西鶴の『日本永代蔵』(1688年刊行)にも「から口」という言葉が見られ、造り手だけではなく、飲み手の間でもこうした表現が使われていたことが伺えます。

所酒(=地酒)のから口、鱶(ふか)のさしみを好み
(出典:『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫))

当時から使われていた甘口、辛口という言葉は、どういった味を指していたのでしょうか? 堀江修二氏の著書『日本酒の来た道』(今井出版)では、当時の「甘口酒」の日本酒度はマイナス60~70程度、「辛口酒」はマイナス30~40程度だったと推計されており、江戸時代の日本酒は、現代から見るとかなり甘口だったと言えます。また、酸度やアミノ酸度が現在よりもかなり高く、甘味の中に酸味や苦味が含まれた荒々しい味わいだったと考えられます。

これらから、全体として甘味が強い当時の日本酒のなかで、比較的甘味が少なく、酸味や苦味などの刺激が強く感じられるものが「辛口」と評され、「甘口-辛口」という対立軸ができあがったのではないかと推測できます。

「甘口-辛口」の構造と成り立ち

「甘口-辛口」という味覚表現は、日本酒やワインのような酒類だけでなく、カレー、あるいは塩鮭などに幅広く使われています。そこで、少し視野を広げ、この表現の構造と成り立ちを探ってみます。

「甘口-辛口」のように、二つの概念が互いに対立又は矛盾している状態のことを「二項対立」といいます。たとえば、「天と地」「昼と夜」「海と陸」「善と悪」なども「二項対立」の表現です。二項対立の長所は、何と言っても、そのシンプルな構造ゆえの「分かりやすさ」と「使いやすさ」です。一方、短所は、「どちらとも言えない事象」や「両極の間にあるグラデーション(程度の違い)」などを説明し切れないことです。

先ほど挙げた例のように、私たち人間ははるか遠い昔から、自分たちが存在する世界について二つの対立する概念を用いて表現してきました。これは二項対立の長所を踏まえた、「人間に備わった基本的な物事の考え方」と言えるでしょう。日本酒をはじめとする飲料・食品の「甘口-辛口」は、二項対立という構造を用いて、味覚の大まかな方向性を示す役割を担っていると考えられます。

続いて、「甘口ー辛口」という表現の成り立ちを見てみます。 昔の日本語では、味覚の基本は、甘味・辛味(塩味を含む)・酸味・苦味の「四味」だと考えられていました。 そして、このうち「甘味」と「辛味」は、古くから対義語とされてきました。

「からし」は、もともと塩の味を表す語であり、「あまし」の対義語、「舌をさすような鋭い味覚の辛み」を形容する例が平安時代頃から見られる。
(出典:『日本語源大辞典』(小学館))

実は、このような対義関係は、世界的に見て珍しいそうです。 英語の sweet の対義語は状況に応じて salty, sour, bitter, dry などが使われます。また、中国語や韓国語では、甘いの対義語は「苦い」を意味する言葉だとされています。

この「甘い-辛い」という強い対義関係に基づき、日本語では「辛い」によって「甘くない」こと,逆に「甘い」によって「辛くない」ことが表現されました。 例えば、日本酒の味わいは「甘さ」が基本であり、味わいの事実としては「甘味が強い-弱い」ですが、「甘くない→辛い」という転用が起こり、「甘口-辛口」になりました。 また、「辛さ」を基本とするカレーは、「辛くない→甘口」という転用が起こり、やはり「辛口-甘口」になりました。

「甘口-辛口」は、人間の思考方法、そして日本語の味覚表現に根差した(味わいの事実を表現するよりも)「使いやすいセットの表現」として、多くの飲料・食品に広まったと考えられます。

時代が変われば「辛い」も変わる

続いて、本記事の主題である「辛口」の元となった「辛い」という言葉の変遷を見ていきます。

先程の『日本語源大辞典』(小学館)の記述から、平安時代の「からし(「辛い」の意)」は、現代の塩味を含む「鋭い味覚」全般を指し、対象範囲がとても広かったことが分かります。
その後、「辛い」から「塩辛い(しょっぱい)」が独立しましたが(※1)、現代の「辛い」も依然として幅広い表現であり、唐辛子のような熱さや痛み、山椒のような痺れ、わさびのようなツーンと鼻に抜ける感覚など、多様な味わいに対して使われます。

(※1)西日本などでは「辛い」から「塩辛い(しょっぱい)」の独立が遅く、地域や世代によっては現在も「辛い」が塩味を含むことがあります。

「辛い」は、このような多様性を持つがゆえに、海外から渡来したもの、新しいものの味覚表現にも適用されてきました。
戦国時代(16世紀)に伝来したと考えられ唐辛子は、それまでの日本食材にない激烈な刺激を持つ食材でしたが、江戸時代初期(17世紀後半)の文献で「辛い」と表現されています。そして、近現代のアジア各国の料理(カレーライス、麻婆豆腐、キムチなど)の影響とともに、幅広く普及してきました。
酒類では、洋酒(ワイン、ウイスキーなど)の dry(英語)・sec(フランス語) の訳語として「辛口」 が定着し、近年はビールやチューハイ等の商品名や売り文句としても「辛口」が使われるようになっています。

こうした中で、近年は「辛い」という表現のイメージが変化し 唐辛子の味を指すという認識が向上しているようです。
岐阜大学が高齢者と高校生に対して実施したアンケート調査では、質問「まっさきに思い浮かぶ辛い食べ物は?」に対して、高齢者はトウガラシ系食品が66.7%・ワサビ系食品が23.1%でしたが、高校生はトウガラシ系食品が88.4%・ワサビ系が6.3% であり、「若い人たちが身近な食材としてトウガラシをより好む傾向になりつつある現状が浮かびあがった」と結論付けています。

現代の「辛い」は、全体として従来からの高い多様性を保持している一方で、「唐辛子」へのイメージの集中が起こっていると考えられます。

日本酒の「辛口」の課題

これまで述べてきた歴史・文化的背景を踏まえ、近年の「辛口」の課題を整理します。

日本酒の「甘口ー辛口」という表現は、大まかな方向性を示す「分かりやすさ」と、日本人の味覚表現に馴染んだ「使いやすさ」というメリットを持つがゆえに、製品(日本酒)と消費者をつなぐコミュニケーション手段として広く用いられてきました。 一方、近年の状況を見ると、このうち「辛口」の側で、製品とのギャップ、日本酒ファンのジェネレーションギャップ、そして消費者の認識とのギャップが生じていると考えられます。

「製品とのギャップ」とは、日本酒の味わいの潮流が「辛口」から離れてきていることです。 日本酒の「甘口-辛口」という表現は江戸時代前期には広まっていましたが、当時と現在の日本酒の味わいは大きく異なります。 明治時代末期以降の約100年間のデータを見ると、嗜好の変化と技術の進歩によって「淡麗化」の傾向をたどり、「辛い」と表現されやすい雑味を減少させてきました(下図の上から下への変化)。

(※2)https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/sake/industry/industry01.html

また、数十年単位で「甘口」と「辛口」のブームが繰り返され、近年は、1980~90年代の「淡麗辛口ブーム」を経て「甘口化」の傾向にあります(上図の左右の振れ)。 つまり、長期的に見れば「辛口」と表現される日本酒が減少していると言えます。

二点目の「日本酒ファンのジェネレーションギャップ」とは、前述の「淡麗辛口ブーム」の世代と、それ以降の世代との認識の違いです。 ブームから数十年が経った現在でも、経験者の間では「辛口=いいもの、美味しいもの」という認識が根強く残っている一方で、次の世代の日本酒ファンはこのような認識を持っておらず、同じ言葉に対するイメージが異なっていると考えられます。

最後の「消費者の認識とのギャップ」とは、一般的な「辛い」と日本酒の「辛口」のイメージが離れてきていることです。 日本酒に含まれる様々な刺激が「辛さ」だと感じられるためには、伝統的な「辛さ=雑多な刺激」という認識が前提となります。 しかし、近年は「辛い=唐辛子」という認識が強まったことにより、日本酒に唐辛子のような辛さが無いことへの違和感が生じ、「辛口」という言葉への納得感が低下しているのかもしれません。

日本酒の味わい表現と「辛口」の今日的役割

筆者は、上記のような課題がありつつも、「甘口-辛口」というセット表現が根強く使われ続けているのは、それがまだ重要な役割を担っているからだと考えています。 最後に、この「役割」について考察してみます。

この記事の「2.「甘口-辛口」の構造と成り立ち」で見たように、「甘口-辛口」は使いやすい感覚的な表現です。このような表現は、日本酒を飲んだ経験や、日本酒の知識が少ない飲み手でも使うことができます。 この仲間として、「フルーティー、飲みやすい」などの表現もありますが、これらの妥当性も、日本酒のプロや愛好家の間で話題になることがあります。

日本酒には、これらも含めて様々な味覚表現がありますが、それらを筆者なりに分類してみると次のようになります。

味覚表現の種類表現の具体例表現を使える人の例日本酒に関する知識・経験表現において重視されること
感覚的甘口 - 辛口、フルーティー、すっきり、コクがある、飲みやすい一般の飲み手あまり求められない使いやすさ>厳密さ
やや専門的ラベル表示(純米酒などの製法、日本酒度などの数値)、薫酒/爽酒/醇酒/熟酒日本酒ファンある程度求められる厳密さ>使いやすさ
専門的香りや味わいの成分名や、その標準的表現プロや、それに近い立場の人専門的な訓練が求められる厳密さ

上図にあるように、いちばん人口が多い一般の飲み手は、①の表現だけを頼りに自分の好みを言語化し、買い物などで役立てることになります。これらの表現は、多くの飲み手にとって必要不可欠であり、また、日本酒に関する知識や経験のレベルが異なる人どうしの「共通語」として重要な役割を担っているのです。

「甘口-辛口」は、①の表現のなかでも最もポピュラーなものと言えます。筆者は、「辛口」の課題より、「甘口-辛口」が備えている「分かりやすさ」と「使いやすさ」、そして、現代の「知識や経験が少ない飲み手を中心とするコミュニケーション手段(共通語)としての役割」を重視します。

日本酒の「辛口」はまだまだ役に立つ。 そう信じながら、これからの推移を興味深く見守っていきたいと思います。

■連載 : 私の「辛口」論
第1回はこちら

第3回はこちら

参考文献
・吉田元『日本農書全集51 農産加工2 童蒙酒造記・寒元造様極意伝』(1996, 農山漁村文化協会)
・井原西鶴『新版 日本永代蔵 現代語訳付き』(2009, 角川ソフィア文庫)
・堀江修二『日本酒の来た道』(2012, 今井出版)
・前田 富祺『日本語源大辞典』(2005, 小学館)
・安部清哉「日本語の味覚形容詞語彙の類型的構造および方言分布成立―「五味」とスイ・スッパイ・スッカイの語源(中国語「酢」)の再検討―」(学習院大学人文科学研究所年報2001年度版)
・木原美樹子「味覚形容詞「甘い」とsweet -「甘い」の対義的転用-」(中村学園大学・中村学園大学短期大学部研究紀要 第42 号, 2010)
・山根京子、小林恵子、清水祐美「日本の若者におけるワサビと辛味の嗜好性に関するアンケート調査結果」(園芸学会雑誌17 (2), 2018)

話題の記事

人気の記事

最新の記事