常陸杜氏一期生の酒造り(2)浦里杜氏のこだわりは「麹造りは自分だけで」 - 茨城県・結城酒造

2021.02

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常陸杜氏一期生の酒造り(2)浦里杜氏のこだわりは「麹造りは自分だけで」 - 茨城県・結城酒造

山本 浩司(空太郎)  |  酒蔵情報

茨城県で日本酒造りに携わる杜氏&蔵人を対象にした新しい資格制度「常陸杜氏(ひたちとうじ)」。茨城の風土と水と米で美酒を醸す人だけが名乗れる常陸杜氏は2019年からスタートし、一期生として3名が認定されました(2020年に二期生3名が追加認定)。茨城の酒造業界の将来を牽引することが期待される一期生3人の杜氏の酒造りに迫ります。二人目は結城酒造(結城市)の蔵元杜氏、浦里美智子(うらさと みちこ)さんです。

常陸杜氏とは
茨城県酒造組合が茨城県産日本酒の知名度&ブランド力向上のために2019年度に創設した資格制度。年に一回の試験を受験するためには①造り手として7年以上、あるいは製造責任者として3年以上が経過②酒造技能検定1級(国家資格)合格③茨城県産業技術イノベーションセンター主催の杜氏育成コースなどの研修受講④各種鑑評会などの受賞実績――などを基にポイントを加算。一定ポイントを超えた人が受験資格を得られる。受験内容は「小論文」「筆記試験」「実技」「面接」の4つ。「小論文」では茨城の地酒を盛り上げるためのアイデアなどを提出。「筆記試験」は酒造りと茨城の日本酒の現状などを解答する40問。「実技」はマッチング形式の利き酒で、最も重要視される。
ここまでで合格したのは6人(敬称略、あいうえお順)。
《一期生》
浦里美智子(結城酒造)=主要銘柄は、結ゆい、富久福
鈴木忠幸(𠮷久保酒造)=一品、百歳
森嶋正一郎(森島酒造)=森嶋、富士大観
《二期生》
久保田通生(廣瀬商店)=白菊
深谷篤志(武勇)=武勇
松浦将雄(稲葉酒造)=男女川、すてら

“酒蔵の嫁”が酒造りの道に入るまで

10年前まではほとんどのお酒が普通酒で、全国新酒鑑評会などには無縁だった結城酒造 。茨城県の鑑評会では出品した大吟醸酒が最下位に甘んじることさえありました。それが近年は全国新酒鑑評会で蔵の歴史始まって以来の金賞を獲得したのに加え、雄町サミットでは優秀賞を6年連続して受賞してトップクラスの実力をアピール。日本最大の市販酒品評会のSAKE COMPETITIONで純米酒がベスト10に入るなどの華々しい結果を残しています。市販の特定名称酒「結(むすび)ゆい」も2013年のデビュー以来、年を追ってファンを増やし、それに比例して造り手である杜氏の浦里美智子さんに脚光が浴びる機会が増え、今では茨城を代表する美酒蔵の1つになっています。ところが美智子さんは「10年前にはここまで評価をもらえる日が来るとはまったく想像できませんでした」と話しています。

日本酒には縁もゆかりもない世界で育ち、普通に会社員をしていた美智子さんが、浦里昌明(まさあき)社長(当時は専務)と結婚したのは2007年。「彼と知り合って、酒蔵の息子だと聞いた時、自分の父親も日本酒が好きだったから、まあいいかな」と軽い気持ちで“酒蔵の嫁”になった美智子さん。蔵に入るとすぐ、当たり前のように酒蔵の手伝いに入ることになりました。越後杜氏が長年来ていた結城酒造でしたが、その時はすでに杜氏が来ておらず、昌明さんと彼の父・和明さんが中心となって普通酒メインでお酒を造っていました。美智子さんも瓶詰めやラベル貼りなどの造り以外の仕事だけでなく、必要に応じて酒造りにも加わることになります。「小さな蔵ですからなんでもやりました。ほとんどが普通酒でしたが、酒が出来上がっていく工程は理解できました。米が日本酒へと変身していくさまは面白かったし、出品用の大吟醸は美味しかった」と当時を振り返ります。

ところが、蔵が販売する普通酒の売れ行きは伸び悩んでいました。普通酒の市場は県外の大手の攻勢で厳しくなるばかり。贈答用の大吟醸酒も低迷。なんとかしようと、苦肉の策で吟醸規格になる55%精米の米に醸造アルコールを添加した普通酒を売り出すなどの試みをしていましたが、いまひとつ。そんな停滞感が漂っている2012年春に転機が訪れました。県内の酒蔵の技術指導をしていた茨城県工業技術センター(現・茨城県産業技術イノベーションセンター)から、夏の酒造研修の案内が届いたのです。ちょうどその春、息子さんを保育園に預けられるようになって余裕ができた美智子さんは「酒造りのことをもっと知りたい。できれば自分が酒を造れるようになれれば」という思いを募らせ、参加を決めました。

酒造研修で美酒造りの難しさを知り、かえってやる気に

研修は酒造りの基礎を座学で学び、実技はすべての工程を手づくりで経験するというもので、毎日のようにセンターに通う中身の濃い内容でした。「この研修が私の原点」という美智子さんは初日の座学から驚きの連続だったそうです。「当社の普通酒の酒造りは、この時間になったらこの作業をするといった具合に常に人間側の都合で作業時刻が決まっていました。それを見ていたので、私でも簡単にできると信じ込んでいました。それが、菌と対話し、菌の状態(都合)に合わせて作業をしなければ美味しいお酒はできないということを思い知らされました。でも、おかげで酒造りは奥が深くて挑戦しがいがあるとわかって、やる気はかえって高まりました」と美智子さんは回顧します。そして、研修を主導したセンターの武田文宣(たけだ あやのぶ)さんを「終(つい)の師匠に」と心に決めます。

研修を終えて迎えた2012年秋。早速、美智子さんの責任仕込みでお酒を造ることになり、米の手配が必要になります。研修前は特定の酒米への思い入れはなかったそうですが、研修中に仲間と一緒にいろいろな地酒を吞み比べた時に「断トツで美味しい。こんなお酒を造りたい」と思い定めたのが静岡県の銘酒「開運」の雄町を使ったお酒でした。

「初心者が造りの1本目で雄町を使うなんて、いま考えると無謀でした」と美智子さんは話しますが、伝手をたどると運良く、岡山県産雄町が手に入ることになりました。1月になっていざ造りを始める段になって、さすがに緊張の極みに。1本目で雄町(50%精米の純米吟醸)を使うと聞いた武田さんも驚き、「絶対に失敗させるわけにはいかない」と技術支援をすることを約束。「研修で学んだ教科書の丸写しで行くように」との指示を受け、麹造りから酒母造り、醪の温度管理などすべてをコピーするように取り組み、武田さんには毎日報告。もやし(麹菌)メーカーにも連日アドバイスをもらいながら、不眠不休に近い態勢で酒造りを続けました。麹室が教科書通りの湿度になるよう、加湿器と除湿機を室に並べるほどでした。

雄町米で「造りたかった酒と寸分違わない味」、蔵の看板商品に

そして、仕込みに移り、醪の品温を少しずつ下げていかなければならない局面に入ると、不思議なことに教科書通りに毎日0.3度ずつ正確に品温が下がっていったのです。「何もしなくても、きっちりと品温が下がっていくのには目を見はりました。一番寒い時期だったからなのでしょうが、私は雄町と相性がいいなあ、と勝手に雄町に惚れました」(美智子さん)。そして、いよいよ搾りの日。圧搾機の槽口から流れ出てくるお酒を飲んだ美智子さんは、その時のことをこう思い出します。「飲んだ瞬間、美味しい!と叫んでいました。自分が造りたかったお酒と寸分違わない味でした。綺麗で味の雰囲気も良くて、とにかく美味しかった」。

自信をつけた美智子さんは3月に2本目の仕込みに挑戦します。五百万石の60%精米の純米酒でしたが、これが雄町の時のようにいかず、思わぬ苦戦を強いられました。「特に醪の段階で酵母の発酵が止まりそうになったときは慌てました。武田先生の指導でなんとか乗り切ったものの、酒造りの難しさを痛感させられました」。結果として、美智子さんは、より雄町への気持ちを強めていきました。

2本のお酒は酒販店でも飲み手の間でも評判になり、2造り目となる2013BYには、美智子さんの責任仕込みは8本に増え、うち雄町は3本仕込みました。1造り目と同じ時期に、ほぼすべてをなぞるように造ったところ、前年よりもさらに酒質が向上。その夏の雄町サミットで初出品にして優等賞を獲得して、周囲を驚かせました。以来、使用する米は山田錦やまっしぐらなど数は増えていきましたが、看板商品はずっと雄町のお酒です。「雄町や山田錦などの酒造好適米はやっぱり酒造りに向いています。対する食用米は難しい。ただ、敬遠していれば技術は向上しないので、頑張って勉強をしています」(美智子さん)。

麹づくりと、「茨城産」へのこだわりと

2014BY以降は酒質の微調整を重ねて、「結ゆい」の評判を高めてきました。設備面でも少しずつ改良を加え、9造り目の今季を前に、搾り部屋の冷蔵庫化も完了しています。仕込み本数も30本を超えて、酒造りは美智子さんと昌明さん、昌明さんの弟の宜明(よしあき)さんはじめ4~5人でこなしていますが、それでも美智子さんは、よりよい酒質を追い求めて、麹造りは自分一人で行っています。その理由について、次のように話しています。「一粒一粒の麹が手塩にかけて育てた子供のようなものです。麹室のなかでは菌と向かい合って、菌の状態を正確に把握したい。だから、一人で充分です。人にはたくさんの常在菌がいるので、室に入るのは私だけに限定したいという理由もあります。例外は量の多い留め用の麹を盛る(崩す作業)時だけで、社長に入ってもらいます。このため、麹造りの二日目は夕方から翌朝まで2,3時間置きに室に足を運びます。結局、造りの期間は一日おきに徹夜に近い日々ですが、この仕事を譲る気はありません」と美智子さんはきっぱりと言い切ります。

美智子さんの酒造りのもう1つのこだわりは、種麹と酵母を茨城産に限っていることです。種麹は茨城県日立市の工場で作られている日本醸造工業の「丸福・吟麗」を使い、酵母は水戸市の明利酒類が販売している酵母(明利小川とM310)と茨城県で培養してもらった酵母です。「雄町や山田錦など使ってみたい酒造好適米を全国各地から取り寄せることは続けたいので、それ以外に使うものは茨城に限ることで、地酒としてのこだわりを表現したい。もちろん、茨城県産のひたち錦や一番星などの米を使ったお酒にも今後は力をいれます」(美智子さん)。

常陸杜氏として茨城の酒と食の文化を発信していきたい

今回の常陸杜氏創設の話が聞こえてくると、美智子さんはその話に飛びつきます。「酒造りの資格をなにも持っていない状態で、人に杜氏と呼ばれるのには違和感がありました。かといって、これから南部杜氏の資格を取るのも違うかなと。だから、茨城県の造り手のための杜氏制度ができると聞いて、絶対になると決意して、制度ができるのを今か今かと首を長くして待っていました

そしていざ、制度の内容が固まると、国の酒造技能士一級の資格を取らなければならないことを知ります。「それからは、これまでの人生で一番たくさん勉強しました。なんとか酒造技能士一級に合格したものの、その次は常陸杜氏の試験準備。勉強の合間に毎日お酒を飲んで利き酒に備えました。合格したことを聞いた時には力が抜けました」(美智子さん)。

晴れて常陸杜氏一期生になった美智子さんは、「常陸杜氏には特別な流儀はないので、酒造りに向き合う姿勢や、酒と食で茨城の魅力を対外的に発信する存在として頑張っていきたい。おかげさまで取材の申込みや講演依頼が増えており、自分自身も茨城のことをもっと深く理解しながら、茨城の文化の伝道師を目指します」と意気込みを語っています。

結城酒造の看板商品となった「結ゆい」が目指す酒質について美智子さんは、「最初の口当たりが柔らかく、優しくてふくよかな味が広がるイメージです。後半の雰囲気は米ごとに変えていきたい。雄町だと膨らむボリューム感を、山田錦は上品な切れ味、きたしずくなら余韻の短いすっきりした後味、といった具合です。もちろん、一番こだわるのは雄町です」とオマチスト(雄町の酒を愛する飲み手)を強く意識していました。今後の美智子さんのお酒の進化が楽しみです。

酒蔵情報

結城酒造
住所:茨城県結城市結城1589
電話番号:0296-33-3344
創業:1860年(安政年間)ごろ
社長:浦里昌明
杜氏:浦里美智子
Webサイト:http://www.yuki-sake.com/

連載:「常陸杜氏一期生の酒造り」
第一回:森島酒造編 森嶋杜氏の酒は苦味/渋味が鍵

第三回:吉久保酒造編 南部杜氏3人の下で腕を磨いた鈴木杜氏

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