2024.07
09
里山を100年先につなぐ日本酒づくり。油長酒造「山麓蔵」の挑戦 - 奈良県・葛城山麓醸造所 "山麓蔵"
奈良県の人気銘柄「風の森」を醸す油長酒造が、新たな醸造所「葛城山麓(かつらぎさんろく)醸造所」(通称:「山麓蔵」)を開設します。
これまでも、全量無濾過無加水の「風の森」や、奈良県に伝わる寺院醸造を探求した「水端」など画期的な取組を続けてきた油長酒造。本社「御所まち蔵」から7km離れた棚田の中腹に、あえて新規に建設する「山麓蔵」で目指すのは、米をめぐる新たな仕組みづくりだといいます。
地元の歴史と自然を大切にしながら、地域の農家と連携し、持続可能な酒造りを目指すその取り組みについて、現地で話を聞きました。
標高400mに建つ新醸造所
奈良県御所(ごせ)市。銘柄名の由来ともなっている「風の森峠」から車で約5分、標高およそ400mに位置する棚田の中腹に、油長酒造の新しい醸造所「山麓蔵」はあります。
地元の建築家、吉村理氏が設計を手掛けたこの醸造所。奈良の最高級木材である吉野杉をふんだんに使った、平屋建ての美しい木造建築です。印象的なこの建物を取り囲むように、里山の風景がどこまでも広がります。
醸造所が建つ葛城山麓地区は、油長酒造が20年以上にわたって使い続けてきた米「秋津穂」の生産地。豊かな山々の水が棚田に流れ込み、上質な米を育てます。
「秋津穂に囲まれた里山の、この空気感の中で酒造りをすることで、造り手側の価値判断が変わってくると思うんです」
そう語るのは、油長酒造13代目当主の山本長兵衛さん。米と日本酒の関わり、自然と人との関わりを自分たちがより深く理解して表現することで、新たなものが生まれるのでは。そんな期待をこの地での酒造りに込めています。
ここで実際に挑むのは、米の力を最大限に活かす伝統的な酒造り。しかし一方で「現代技術も積極的に活用し、効率化された環境の中で、米と向き合う酒造りを徹底的に追求しようと考えました」と山本さん。
平屋づくりの蔵での酒造りにおいて、特に負担の大きな「運搬」をなるべく省力化するため、機械を活用するなど工夫しています。
室内は酒造りに適した大空間。吉野杉の香りに包まれて、すがすがしい気持ちになります。県土面積の77%を林野が占める奈良県。「その林業の発展の歴史は、酒樽の製造と密接に関わりながら発展してきた」と、山本さんは酒蔵が木材に関わり続けることの意義を語ります。
吉野杉のほかにも、地域の文化を感じる素材が。床材に用いられる予定の黒い板が壁際に積み上げられていますが、これは奈良県内の歴史的な建造物で使われていた敷瓦。そこでの役割を終えて保管されていたものを譲り受け、醸造所で使用することに決めたそうです。
麓に広がる棚田に面した外側に設けられたテラスからは奈良盆地が一望でき、里山の澄んだ空気、気持ち良い風に心が洗われます。
「このテラスで、山麓蔵のお酒を飲んでもらうことができると楽しそうですよね」と、山本さん。地域の文化と自然を次世代につなぐ、そんな意志を感じる設計です。
里山の価値を後世へつなぐ
奈良盆地の西南端に位置する御所市。古墳時代の遺跡や、江戸時代初期に形成された陣屋町の街並みが残る、歴史の深い地域であると同時に、葛城山や金剛山が立ち並び、棚田が広がるとても美しいエリアです。
しかし、この地域の米づくりも就農人口の高齢化や後継者不足といった深刻な課題と直面しています。その背景にあるのは、農家の収入の低さ。棚田では構造上、農作物の生産量が限られてしまうこともあり、収入確保がいっそう難しいのです。
油長酒造は、地域が抱えるこの問題を克服し、「里山の価値」を未来へつなぐために、山麓蔵の設立を決めました。
里山には、環境浄化や災害防止、生物多様性の保護といった機能的価値があり、サステナビリティの面でも注目されています。しかし山本さんは、これらの機能にも着目しつつ「落ち着く、心地よい、心が通う場所としての価値」を重視していると言います。
多様な自然環境を持ち、さまざまな人間の営みによって引き継がれてきた里山は、人々が感性や創造力を養う場であり、文化が継承されていく場でもあります。この里山の価値を100年先へ残し、後世へとつなぎたい。そこで油長酒造は、酒造りを通して農家や里山にお金を還元するための仕組みづくりを始めました。
酒造りで里山を応援する新たな仕組み
この新しい「仕組み」として創設されるのが、「風の森 里山コミュニティ」。山麓蔵をシンボルにして、農家、酒蔵、酒販店、消費者が共に形成していくコミュニティです。酒販店も米の「オーナー」となりながら、消費者にそのストーリーを伝えることで、里山を支える人を増やしていくことを目指しています。
この仕組みにより、付加価値のあるお酒の収益を農家にも還元しながら、消費者が日本酒を通じて里山とつながることが可能になります。
また「酒販店も米のオーナーとなることで、里山やそこで育った原料をより身近に、主体的に感じることができ、酒蔵の言葉の代弁ではない一人称でお酒の魅力を伝えやすくなるのでは」と山本さんは期待を語ります。
酒販店には1口 = 1俵または6口 = 6俵単位での秋津穂購入を呼び掛け。山麓蔵での酒造りへの参加や、イベント等での醸造所施設利用など、さらに里山に密着した関わり方も提案しています。
この取り組みはすでに注目を集めており、昨年実施した先行募集、そして今年の初回募集の両方で、募集数を上回る応募がありました。
油長酒造では、以前から秋津穂の無農薬栽培に取り組む杉浦農園と共同で「農家酒屋」という取り組みを行ってきました。これは、杉浦農園で育ったお米を油長酒造が醸造し、その販売を杉浦農園がおこなうことで利益を還元する仕組みです。
この取り組みが始まったのは2017年のことでしたが、現在杉浦農園には年間100名以上のボランティアが訪れるなど、里山を舞台に人のつながりも生まれているのだそうです。「山麓蔵でも、なにか大きな流れを作ることができるのではないか」、山本さんは期待を込めてそう語ります。
山麓蔵での酒造りと将来像
醸造所は現在、すでに建築、醸造機器の搬入と設置を終え、免許申請を経て、秋から本格的な酒造りが始まります。無農薬栽培米を含む、葛城山麓地区で採れたお米を使用し、精米歩合90%以上の酒を「風の森」ブランドとして出荷する予定です。生産量は最大150石程度で、これは御所まち蔵の1/10程度にあたります。
将来的には、棚田の場所ごと、農家ごとでの造り分けも検討されており、これが実現すれば、いっそう「田んぼが見える」日本酒になりそうです。
「地元の方のためにこそ酒造りをしたい」と山本さんは言います。「その想いはずっと変わりません。地域の方々の応援なしに、私たちの未来はないと思っています。」
今秋からいよいよ始まる山麓蔵での酒造り。地域の未来を照らす、新しい日本酒文化の誕生が楽しみです。
以前取材した油長酒造の記事はこちら
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