長野随一の酒米の産地に初めての酒蔵が誕生 - 長野県松川村・甍酒蔵

2025.03

11

長野随一の酒米の産地に初めての酒蔵が誕生 - 長野県松川村・甍酒蔵

山本 浩司(空太郎)  |  酒蔵情報

日本酒を造る酒蔵がないにもかかわらず、酒造好適米の生産量では長野県でもトップクラスの量を誇る松川村。ここに、2024年、初めての酒蔵「甍酒蔵(いらかしゅぞう)」が誕生しました。同じ県内の筑北村にあった山清(さんせい)酒造を金沢の会社が事業承継し、松川村に酒造免許を移転。大信州酒造の元専務を醸造責任者に据え、酒質にこだわり抜いた酒だけを少量造る銘酒蔵として酒造りを始めています。新蔵誕生の軌跡をたどりました。

破たんした酒蔵を事業承継。日本酒好きの佐藤社長が再建役に

山清酒造の創業は1665年と古く、「山清」を主要銘柄にして酒造りをし、蔵は長年、山﨑家が守ってきました。戦後の高度成長期には大型の仕込みにシフトして、他の酒蔵向けの桶売り(未納税移出)に力を入れ、ピーク時には数千石を造っていたといいます。

しかし、近年は桶売り先が減ったうえ、自社銘柄の販売も不振が続き、2021年10月、民事再生法を申請しました。その再生に向けたスポンサー探しで名乗りを上げたのが、石川県金沢市に本拠を置く食品関連のスタートアップ、オープンソースでした。食に関連する事業を幅広く展開する目的で2017年に設立した会社で、日本酒もその対象範囲として、山清酒造の経営再建プロジェクトに乗り出しました。そして、社内で山清酒造の再建役を募り、すぐに手を挙げたのが甍酒蔵の現社長の佐藤圭祐(さとう・けいすけ)さんでした。

佐藤さんは岐阜県出身の36歳。大学を卒業後、信託銀行に入り、会社の上場支援や国内の企業と国内外の投資家の仲介業務などに携わってきました。その縁で知り合った投資家の助言で、オープンソースの立ち上げに加わり、以後7年間、食に関するいろいろなプロジェクトに参画する日々でした。

いずれも楽しい仕事だったそうですが、山清酒造の再建の話を聞いて、日ごろから日本酒業界に対して一家言を持つ佐藤さんが素早く反応しました。

日本酒は飲んだ時の感動に対して安すぎる、と感じていました。お酒の分野の中で個性的な味わいを持ち、しかも長い歴史に育まれ、地域の風土や気候を反映させた独自の世界観がある日本酒にはすごい価値があります。だから魅力を正しくアピールすれば、国内や海外でもっともっと売れるはず。このため、山清酒造の話があった時に、真っ先に『やらせてほしい』と社長に直訴しました」

元・大信州酒造の田中専務とコンビを組むことに

意欲を買われて社長を任された佐藤さんでしたが、日本酒の世界に知り合いはなく、山清酒造も破たんしたため蔵人などは残っておらず、ゼロから探す必要がありました。そんな折、知り合いから「再建に向けてのヒントをもらえるかもしれないから」と大信州酒造の専務取締役(製造責任者)だった田中勝巳(たなか・かつみ)さんを紹介されます。2022年の夏でした。

「日本酒の世界を何も知らない人間が酒蔵の復興に取り組んでいると話したら、『酒造りをなめるんじゃない』と怒られるかもしれない、とヒヤヒヤしながらの対面でした」と佐藤さんは振り返ります。しかし、実は田中さんは偶然にも新天地を探していたのです。

大信州酒造は長野県内の複数の酒蔵が合併して誕生した経緯もあって、長年、醸造拠点を長野市に、瓶詰め&出荷拠点を松本市の本社で行う二拠点態勢で酒造りをしてきました。しかし、長野市の蔵の設備の老朽化と搾った酒を松本まで車で運ぶという非効率さもあって、拠点を松本本社に集約することを決め、2020年夏に新しい醸造棟が完成していました。

「考えられる理想的な設備を入れ、作業動線もできるかぎり無駄のない蔵を造ることができました。大きな仕事が一段落したし、造り手は十分育っていて、私がいなくなっても大信州酒造は盤石だと感じました。このため、別の蔵を買ってでも自分の理想とする新しい酒造りをもう一度したいと思っていた時期でした。そこに佐藤さんが現れたのです」と田中さんはその時のことを振り返ります。

その気持ちを佐藤さんに告げると、「田中さんの選択肢の中に、私たちの新しい蔵の杜氏になるということも入れていただけませんか?」と言われたのだそうです。そして、佐藤さんの酒造りへの思いや、目指すゴールなどを聞くにつれて、「彼の熱い心根に触れて、気持ちが動きました。私がやりたい酒造りと方向性はほぼ同じだったし、私の酒造りへの思いも理解してくれて、これなら一緒にやれると感じました」(田中さん)。

田中さんと会う前は、筑北村の山清酒造の設備に多少手を入れて、最小規模で酒造りを始めるつもりでいた佐藤さんですが、「お酒造りは水が命」という田中さんの言葉から、理想の水が手に入る場所を探すことから始めることになりました。2022年の暮れのことでした。

理想的な仕込み水を探して。酒蔵誘致を目指す村とも意気投合

すぐに二人は新しい候補地探しに動きます。「理想的な水が得られることを最優先に、一定以上の敷地が確保でき、周囲に自然が残り、かつ、大型トラックが出入りしやすい広い通りに面した場所を条件にして、広範囲に探す覚悟でいました」と佐藤さん。探し出してまもなく、安曇野市と大町市に挟まれた松川村に、村が整備した工業用地が売りに出されていることを知ります。

松川村は面積が47平方キロメートル、人口9600人の小さな村ですが、酒米作りが盛んで、長野県の生産量の2割ほどにあたる年間約1000トンの酒米を手掛けるほどの大産地です。毎年秋には松川村産の酒米を使って日本酒を造っている10軒あまりの蔵が村に集まって、「米蔵日本酒祭り」が開かれています。

「村に蔵を作って地元産の酒米を使えば、地酒としてのストーリーとしは悪くないな」と二人は話し合いながら、用地に足を運びました。広い道路に面した用地は広く(約6400平方メートル)、背後には北アルプスの名山が迫る自然豊かな土地でした。しかも、村がすでに井戸を掘っており、その水を飲んだ田中さんは驚きます。

「こんなに静謐で軟らかく、酒造りに適した水は滅多に出会えない。ここしかない」と即断即決。 須沢和彦村長も 「酒米が盛んに作られているのに、日本酒を造る酒蔵がなかった村にとって酒蔵誘致は悲願だった」と言うように、売買交渉はスムーズに進み、4カ月後には正式に契約を結びました。

ここから1年後の酒造り開始に向けて、青写真造りが始まります。二人が目指すのは北アルプスの麓の風土と気候に育まれた原料だけで造る日本酒です。使用するのは北アルプスに降った雪と雨が20年以上かけて地下水となって湧き出た軟水と、その水で育った松川村産の酒米。酵母も長野県産のみ。真の地酒を志向する全国各地の酒蔵と同じスタンスですが、さらに田中さんがこだわったのが、収穫した米の鮮度でした。

「米の状態も収穫後、時間が経つにつれて少しずつ劣化すると思うのです。だから、収穫した酒米を使った酒造りは翌年の3月までに終わらせたい。暑くなる前に酒造りを終えれば仕込み室の空調も最低限で済み、SDGsにも敵います。造りの期間を10月から3月の半年に限定することで、二季醸造で、細部まで目が行き届く範囲の生産量を上限にしました」(田中さん)

高い品質を目指した醸造体制で「甍」を売り込む

量を追わずに酒質を高めることに専念するために、導入した設備にも随所に田中さんのこだわりがあります。

「原料処理が重要なのは言うまでもありませんが、洗米設備は岡山のメーカーに特注で作ってもらった最新のもので、既製品よりも完璧に糠を落とすことができます。一人で作業がしやすい構造になっていますが、今後、この設備を導入する蔵は増えるでしょう。

もうひとつのこだわりが、米を蒸す甑(こしき)です。大信州時代から甑の容量の8割までしか米を入れないようにしていましたが、ここでは容量の4割まで減らしています

田中さん曰く、空間が広いことでよりまんべんなく蒸気が米にあたり、均一で望ましい蒸し米ができるようになっているのだそう。麹室や仕込み部屋、搾り部屋にも配慮が行き届いており、醪ができあがってから出荷までの管理が最も重要と考える酒蔵が多いように、ここでも搾る直前に醪を0℃まで下げてから搾り機に移し、搾り部屋も同じ温度に設定。搾ったお酒を受けるタンクはマイナス5℃にしています。

目指す酒質は、理想的な軟水と地元で穫れた酒米で、柔らかな甘味とまろやかな旨味を持ち、適度に可憐な香りをまとった透明感溢れる吟醸酒。12月に蔵で取引先酒販店などを招待した内覧会では、多くの店主から絶賛の声が上がっていました。

お酒の銘柄は「甍」。定番品で四合瓶税抜2600円(地元松川村限定商品のみ安価に設定)で、今後、追加で販売するシリーズには1万円以上のラインナップを充実させていく計画です。佐藤社長は「付加価値を高めた日本酒を造り、国内だけでなく、海外市場にもどんどん売っていきたい。また、敷地は広いので、いずれオーベルジュを作り、北アルプス山麓の気候と風土を感じながら、この場所で生まれた美酒を楽しんでもらおうと思っています」と意気込んでいました。

酒蔵情報

甍酒蔵
住所:長野県松川村北ノ原4336-6
電話番号:0261-85-5092
創業:1665年(山清酒造)
社長:佐藤圭祐
杜氏:田中勝巳
Webサイト:https://www.ilaka.co.jp/

話題の記事

人気の記事

最新の記事